願い
できうるならば『ゼムナ戦記 三星連盟史』からお読みください。このシリーズの序章となっております。
『σ・ルーンにエンチャント』
女性寄りに設定された合成音声が告げてくる。
『3、2、1、機体同調成功』
「発着甲板、コンディショングリーン。発進どうぞ!」
追い掛けるように艦橋のオペレーターが発進許可を伝えてきた。
コックピットのシートに腰掛ける栗毛色の髪を持つ少年は、着なれないスキンスーツの締め付けに居心地の悪さを感じている。逆に少し着けなれてきたσ・ルーンからは現在の機体の状況が脳へと直接流れ込んでくる。
その構造に違和感を感じるのに、少年ユーゴ・クランブリッドは当たり前に受け入れてしまっている自分に不安感さえ覚えてしまう。
(僕はどうしてこんな大きなアームドスキンへ簡単に適応してしまっているんだろう?)
あんな経緯で乗り込んだ機体なのに、抱くべき嫌悪感が一切ない。それが不思議でならなかった。
アームドスキン格納庫からデッキへと横に引き出された「アル・スピア」という機体は青を基調とした全身を宇宙空間にさらしている。流麗で、それでいて精悍さを感じさせる形状は、初めて乗った「カザック」とは一線を画している。
(宇宙って常闇の空間とか言われるのに、こんなに明るいんだ)
ユーゴは意外に感じていた。
大気を通さない星明りは直接彼の目に飛び込んでくるかのようだ。実際にはコクピット内のほぼ全天を覆うモニターへと投影された画像である。
アームドスキンの頭部の位置からの視点に補正された映像は、彼が自身を見ているような錯覚に陥らせている。しかし、その手が握る大振りな銃器の形状をしたビームカノンはとても保持できるような重さではない。
「おい、ぼさっとすんな! シグナル見えてないのか!?」
ブリッジからのオペレーター以外からの声にユーゴはハッと視界の隅で輝くシグナルに目を向けた。
カタパルト脇に立体投影された発進シグナルは下方から三段階で十字を刻み、上方の矢印に達している。既に発進していなくてはならない状態だ。
(いけない!)
慌てて推進機ペダルを踏み込む。
連動した足下の基台が機体を前に押し出した。
予想外に大きなGがユーゴの身体に掛かり、驚きでついペダルを緩めてしまう。そのGでさえシートの緩衝アームが吸収してくれた結果のものだというのに、だ。
「踏め踏め踏め踏めぇ! 噴かせ! 機体が裏返るぞ!」
叱咤の声が耳を襲う。
咄嗟に反応した足がペダルを踏み込むが時すでに遅し。反り返ったアームドスキンの上半身が上を向き、そこで噴かしたイオンジェットスラスターは全身を浮かせてしまうだけだった。
「馬鹿野郎! 小僧、大事な新型機を訓練で潰すつもりかよ!」
怒りの声は半分も届かない。
ユーゴの乗るアル・スピアは後ろに倒れるようにデッキに打ち付けられ、その衝撃が彼を大きく揺すっていたからだ。目まぐるしく変わる視界と衝撃で酩酊感を覚え、自分が何をしているか分からない。
反動で跳ね上がった機体は縦回転をしたまま、フォア・アンジェの旗艦レクスチーヌから離れていく。モニターには下から上に流れていく戦艦の姿が繰り返し映し出されていた。
「やる気がないんならそう言え! すぐに放り出してやる!」
「やめてください! ユーゴはまだ十四歳の少年なんですよ! それを戦わせようとするなんて貴方たちのほうがおかしいんです!」
スピーカーから流れてくるのは、彼が慕う女性の声だ。
「そんなこと言ったってよ、お嬢さん。やるって言ったのはあいつなんだ。できるようにしてやらなきゃ、すぐに死ぬぞ?」
「……なんてひどいことを」
(こんなのじゃ駄目だ)
唇を噛んで正面を見据える。
(このままじゃラーナも守れない)
断続的に軽くペダルを踏むと、ユーゴの意思に従って選択された姿勢制御ノズルが僅かなイオンジェットを吐き、回転を止める。
「いいんだ、ラーナ。もう一回やらせてください」
「当たり前だ。できるまでやれ」
「そんな! ユーゴはそこまでしなくていいのよ」
彼女はこんな時も責任を問わない。
「できなきゃいけないんだ。そうしないと、また……」
次に頭に浮かんだ言葉は飲み下す。
「機体が無いと僕は願うこともできないんだ!」
第一話「黒い泥」に続く。
当面の更新は、正午と午後五時の一日二部分更新とします。