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神さまへ


神さま僕を、許してください。

過ちを犯してしまった僕を、許してください。

僕はそんなにも、悪いことをしたでしょうか。

こんなにも、苦しまねばならないでしょうか。

どうか、解放してはいただけませんか。

僕に死ぬことを、許してください。




………………………………………………………………




「僕の過ちを教えてあげようか。聞いてくれるかい?」


その少年は空から最初に落ちた雪みたいに、静かにそっと現れた。髪が真っ白で、瞳の色が赤い。だけどそれは血の赤じゃなくて、暁の空のような、そういう赤色。人間離れした美しい容姿。

「そんなにじっくり見ないでよ。」

少年は白い頬を桃色に染めながらそう言った。声に色はなかった。声に色などあるはずないと思うかもしれないが、わたしは彼を一目見た瞬間に、彼の声には色があるような気がしてしまったのだ。しかし彼の声は透明だった。透き通った、美しい声だった。こんなにも綺麗な容姿と声を持つ人間とは、この二十三年間一度も出会ったことがない。思わず彼が人間であることを疑ってしまった。

「ねえ、僕の声、聞こえてる?僕さっき、話を聞いてくれる?って言ったんだけど。」

少年は不服そうにこちらの返事を待っていた。


あれ、ここはどこだっけか。

ふと我に帰ったわたしは、自分がなぜこんな森の中にいるのか、どうしてこんな少年が目の前にいるのか、記憶が全く無いことに気がついた。色々思い出そうとしても、不思議なことに、ここに至った経緯が何ひとつ思い出せない。気がついたらこうだった。わたしは大きな木に背中をもたれて地面に座り込んでいる。酔っ払ってそのまま外で寝でもしてしまったんだろうか。それにしてもここはどこだろう。覚えていないのが恐ろしい。わたしは家に帰れるんだろうか。

わたしが混乱した様子でいると、

「大丈夫だよお姉さん。お姉さんは帰れるよ。」

まるでわたしの考えていることが聞こえていたかのように、少年はそう言った。

「ここはどこなの?」

彼はわたしの質問には答えなかった。

「ねえねえいいからさ、大丈夫だから、とりあえず話を聞いてよ、ね?」

なにがなんだか訳がわからなかったが、これは聞く他に選択肢はないのだと思った。

「いいよ。だけどわたしなんかに、何を聞いて欲しいの?」

「何をってそりゃあ、僕のことだよ。僕の罪と罰のはなし。ところで僕は、何歳に見える?」

「18歳くらい?」

「ふふ、正解。僕は18歳。だけどそうじゃないんだ。」

彼は怪しく笑った。その笑みは彼の表情に何か異常な怖さをもたらした。そして彼はその顔のまま、自分の話を始めたのだった。




「お姉さん、死のうとしたことってある?」


突然のその質問にわたしは何も返せなかった。


「僕はあるよ。何百回もね。だけど僕は死ねないんだ。なぜだかわかるかい?」


わたしは黙っていたが、彼は構わず続ける。


「それは神さまが僕に与えた罰だからだよ。死なない。死ねない。それが僕の罰。

では僕の罪はなにかって?

それはね、僕にもはっきりとはわからないんだ。ただ僕はあの日、逃げただけなんだよ。誰も殺してなんかないし、傷つけてもいない。僕はあの鬼どもから、いいや、違うな。生きることから逃げようとした、解放されようとした。それだけだったんだ。それってそんなにいけないことだったと思う?」


最初はふざけているのかと思ったけれど、彼の顔を見ているとそうでないことはすぐにわかった。彼はつい先程までそこにいたあの少年とはまるで別人だった。今の彼はとても18歳の少年には見えない。

強い眼差しを持ち、わたしの知っているどの大人よりもこの世界を知っている。そんな気がした。

話の続きを聞くのが怖かった。だけどもう聞かないわけにはいかなかった。わたしはこれを最後まで聞かねばならない、なぜかそんな使命感に駆られた。


「僕の両親は鬼だった。むしろ鬼の方がずっと優しいんじゃないかな。」


少年が両親の話を始めた途端、彼の瞳の色は暁の空ではなく、真っ赤な炎の色へと変化していったように見えた。それは怒りの色か、それとも悲しみの色か。わたしには到底わからない。わたしにはただ、彼の揺れる瞳をまっすぐと見つめていることしかできなかった。


「あいつらは僕のことを生きた人間だとは思ってなかったよ。良くて人形か、或いは屍か。

僕は18年間、ずっと真っ白な部屋に閉じ込められてたんだ。あそこには何もなかった。窓もないし、家具もない。ああ、ランプが一つだけあったっけかな。

食事は何かしらの固形物の入った白い液体で、排泄物は白い袋の中にする。あいつらはそれらを一定の時間に一回、交換しにきてたと思う。そんな生活の繰り返し。あれを『生活』と呼べるのかはわからないけどね。


だから僕はね、音も匂いも味も、幸福も絶望も生も死も、何も知らずにいたんだよ。

人間に声があることも、この世界に白以外の色があることも、そして自分が生きているということすらも、何ひとつ知らなかったんだ。

恐ろしいでしょう?

そう、恐ろしいんだよ。だけどそれより恐ろしいのはね、それらを全て一度に知ってしまったあの瞬間さ。」


彼の瞳はまだ燃えていた。じっと見ているとその炎の海に飲み込まれてしまいそうになる。それが恐ろしくて、わたしは彼の目を見ていることができなくなった。


「あの日あいつらは僕の記憶にある限りで、初めて僕を部屋から出したんだ。部屋を出て少し歩いた先はもう外だった。

僕はあの瞬間の、身体にこの世界の全てが流れ込んでくるようなあの感覚を、もう永遠に忘れることはできないよ。


森の揺れる音。

頬をそっと撫でる風。

全身を突き刺す日の光。

世界を照らす様々な色たち。


それらが一気に僕の中に入り込んできたとき、僕は知ってしまったんだ。

今僕に流れ込んできたものは、生きたものであることを。

そしてそれを受け取ってしまった僕もまた、生きているんだっていうことを。

同時に、そこに生があるのなら死もあるのだということも、理解してしまったんだ。生き物が死ぬのなんて見たこともなかったくせに。

多分人間はね、潜在的に生と死の絶対の関係性を理解できる生き物なんだよ。」


そう言って彼は俯いた。彼の肩がかすかに震えている。彼は今どんな顔をしているだろう。手を伸ばし、彼のさらさらな白い髪をあげて、その顔を覗き込みたい衝動に駆られる。でもすぐに、彼に触れてはいけない、そうわたしの中の何かが言った。今の彼に触れてしまえば、彼はその場で溶けてしまう。そう感じた。


「僕はとても怖かったよ。なにがって?

生きてるいるということが。

わかるかい?

自らの生を自覚するということはね、苦しみを受け入れなければならないということなんだよ。

18年間の僕はなにも知らなかったものだから、苦しみなんて感じたこともなかった。だけど僕は知ってしまったんだよ。この世界の真理を。生というものを。

そして僕はそのとき初めて、自分の未来のことを考えた。

この人たちはこれから自分をどこへ連れて行くんだろう?

ってね。今考えれば、僕は売られて行く身だったんだろうけどさ、あのときは未来の苦しみが怖くて仕方なかったんだ。」


ああ、そうか。この子は今、恐怖で震えていたのだ。


「逆に、死ぬことが怖いとは少しも感じなかった。

むしろ生と死を初めて知った僕には、死はこの恐ろしい生からの解放であるとしか思えなかったよ。

それで僕は思ったんだ。

逃げなければ、死ななくてはいけないって。

そして僕はあいつらの手を振り払って走った。あいつらが追いかけてくることはなかった。別にどうでもよかったんだよ。僕が自分たちの元からいなくなってくれさえすればね。

しかしなぜ18歳になるまで僕を殺さなかったんだろう?苦しみを知る前に、さっさと殺してくれればよかったのに。

最初はそう思ったよ。だけど今ならわかる。

あいつらは、罰を恐れたんだ。神さまか、或いは悪魔からの罰を。

僕の生まれた国では、アルビノは悪魔の子として恐れられていた。その国のしきたりとして、悪魔の子は生まれたその日に殺さなければいけなかったらしい。昔、そう誰かが教えてくれたよ。しかもその殺し方が恐ろしくってさ。生きたまま燃やすんだって。


悪魔を殺すことは罪にはならないのかな。もうよくわからないね。


だけど僕の両親は、悪魔を殺すなんて恐ろしくてできなかったんだ。

それで僕を神さまから隠し、いなかったことにしようとしたんだよ。だけど悪魔の世話をするのに耐えられなくなったんだろうね。あいつらは、僕をどこか遠い場所へ売るつもりだったんだと思う。だけど僕は自ら去って行ってくれた。

あいつらはどれだけ安心しただろうね。」


彼の話を聞いているうちに、わたしは息をすることも忘れてしまった。彼はまだ俯いたままだった。


「ああ、話が逸れてしまったね。

そう、僕は逃げたんだ。夢中で走ったよ。

それで走っている途中にね、大きな灰色の湖を見つけた。それを見たとき僕は生き物の死を見たことはなかったけど、なんとなくどうやったら死ねるかわかったんだ。

なんとなく、その湖の中をどこまでも走っていけば逃げられるのではないかと思った。この恐ろしい生から。

僕は一度も止まらなかった。死ぬことへの恐怖なんてなくて、ただ苦しみから逃げるのに必死だった。

初めて触れた生きた水はとても冷たかったな。だんだんとその水は僕の体を包んでいった。息はできなかったけど、苦しいとは思わなかったよ。むしろ息ができなくなっていくにつれて僕は安心した。

これで解放される、ってね。


それで水はね、風とは違う触れ方でね、優しく僕の頬を撫でてくれたんだよ。」

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