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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
まずは一歩を
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7 来たれ最強の家庭教師

◆内の箇所は、おそらく大変読みづらいと思います。

読み飛ばしていただいて構いません。

バーンと扉を開け放ち、ヒールを鳴らして執務室へと上がり込む。

お父様とベルリッツが驚いた顔をしているけど、知ったこっちゃないわ。

「お父様! わたくしに統計学の家庭教師をつけてくださいませ。ああ、医学についてはヘネシー卿に依頼しておりますからご安心を。それからこちらを」

小脇に抱えていた紙束を執務机にどさりと乗せると、口ひげをたたえたお父様はただただ目を丸くした。

「リーゼリット、おまえは何を考えているんだ? 第二王子の婚約者になったばかりだろうに」

「まあお父様、よくご覧になって」

指で示す先には、それはもう達筆なギルベルト殿下のサインがしたためられている。

「殿下ご推薦の企画書ですわ」



かのお方は看護の第一人者として有名だけど、もともとの生まれは貴族だ。

とはいえ、お金が湯水のように湧いてくるものでもなく。

統計学者としても有名だったのは、効果を立証して有用性を知らしめることに加えて、実績を上げ資金を調達する必要性があったからに他ならない。

習った当時はへーそうなんだと思ってはいたけど、その立場になってみるとよくわかる。

一介の令嬢にできることなど、たかが知れているのだ。


このたびお父様に提示したのは、その名も『療養環境の改善による効果実証』の草案だ。

立証方法はこれから煮詰めていくとしても、私の参与と資金援助の許可をもらわないことには話にならない。

使えるものは何でも使う。

「詳細を煮詰め、正式な企画書は追って提出いたします。……お父様、許可をいただけますよね?」

借金の取り立てよろしく机に身を乗り上げ、にっこりと微笑んだのだった。





◇   ◇





「リーゼリット様、今日はまたとびきり楽しそうですね」

「うふふ、そうでしょう」

それもそのはず、なんと早くもお父様から効果実証の許可をとりつけることに成功したのだ。

そして今日はさっそく統計学の教師をお招きする日!

さらに言えば、明日はモノクル紳士もといヘネシー卿の邸宅にお邪魔する日なのだ!!

心が弾む以外の何があろうか!



「お茶の用意はぬかりない? ドレスはこれで派手過ぎないかしら」

さっきからソワソワしてしまうのもどうか大目に見てほしい。

領地で雇われていた家庭教師は全て令嬢として必要なものだったし、自分から学びたいとお父様にねだったのはこれが初めてなのだ。

手抜かりのないようにしたいし、次回以降もぜひ訪れたいと思っていただきたい。


今回お呼びしている先生は、学園の上級院を首席で卒業された大変優秀な方だと伺っている。

ちょっと力業だが、使用する統計法と研究対象の選定が妥当かどうか確認する予定だ。

企画書の内容を詰めるためにも基礎からの学び直しにかける時間はないってのと、それに答えられない先生なら時間の無駄だしいらないからね。

前世では統計ソフトに任せきりだったため、複雑な計算方法などわかるはずもなく。

効果実証に使用できそうな統計法を書き出してみたものの、教本なんてものはないから計算方法もあやふやだし、そんな状態で本当に効果を立証できるかどうかも不安なのだ。

統計ソフトもE●celもない中、どんな手法を用いているのかも知りたいけど、それはまた追々。


ああ、いったいどんな方が見えるのかしら!




「レスター・フォン・ローバーです」

どうぞよろしく、とぼそぼそ挨拶をしたその人は、目元を覆うほどの長い黒髪をしたザ・コミュ障といった感じの若人だった。

そう、若い。

上級院を出たばかりなんだろう、おそらく二十歳にもいっていない。

長い手足を縮こませ、学習室への道すがら何度か転びかけては無言を貫いている。

緊張しているためかもしれないが、人慣れしていない様子からも、教師としての技量にやや不安を感じてしまう。

……さて、能力のほどはいかほどか。


「さっそくですが、先生に見ていただきたいものがありますの。こちらですわ」

簡単に挨拶を済ませた後、席についてすぐに草案の一部を取り出した。

ざっとではあるが研究の目的、有用性、方法を書き出したものだ。

お父様にはこれに費用算出表と資金回収の可能性についてのレポートも一緒にお渡ししているが、ここでは省いた。


調査対象は2病院以上の、外科患者の多い病棟。

療養環境の改善を行う検証先は一つの病棟に限定し、それ以外を何も行わない比較対象にあてる予定だ。

比較対象を一つに絞らないのは、例外的な差異に悩まされないようにするため。

もし一つに絞ったところが比較対象に向かなかった場合、効果の立証が困難になるからね。

改善の具体策は、シーツ・病衣の定期交換と清拭による清潔保持のみに絞った。

というのも、この世界において、平民が体を洗うのは週に一度という状態なのだ。

日頃は洗面器とスポンジで体をぬぐっただけで済ませているという。

病院で嗅いだあのムッとする匂い……満足に動けない病人はそれすらもままならないのだろう。

日本と気候が異なるとはいえ、この状態で術後の経過がいいはずがない。

本当は手術室の環境こそ着手したいところだけど、ぽっと出の小娘がいきなり介入なんてさせてもらえないだろうし、今回はまずこの視点に絞る。

評価方法は死亡率と平均在院日数とし、月ごとの推移で効果のほどを検証するというものだ。

前世における清拭の効果判定は体温やら血圧やらが一般的だったけど、その判定法では理解も浸透もされないだろうし、過去に『あのお方』が結果を出せたのなら、できないこともないだろう。



先生は無言で草案に目を通すと、口元に手を当てぶつぶつと呟きはじめた。

「病院間で比較する場合の問題として、長期療養メインかといった病院の機能・医師の技量や在籍数・設備の充実性・患者の重症度といった差を考慮しないといけないな。それらを考慮しないままの比較検証に果たして意味があるのかどうか」

ほとんど独り言に近いそれは、聞き逃すには惜しい内容だ。

ぼかしたところにいきなりずばっと切り込んでる。

「あまり条件を絞りすぎると調査対象先がなくなってしまいますから、最低限病院の機能について考慮したいと考えていますわ。積極的な治療をメインとした同程度の病院での比較がよろしいかと。ですがどのような病院がいくつあるかを私がまだ存じ上げておりませんので、そちらが判明してから詳細な対象の選定に移りたいと考えております」

「それならば病院のもつ能力に差があったとしても比較できうるか。あとは対象となる病院数に応じて、条件の優先度を決めていけばいいか」

会話というよりも独り言のようなぼそぼそとした喋り方ではあるが、私の返答はちゃんと聞いてくれてはいるようだ。

しかも、病院統計は門外漢というわけでもなさそうだ。

これならば望んだ助力を得られそうか。


「清潔にするだけで死亡率が減少するものなのかな。論拠となるものが足りないようにも思えるし、少し飛躍しすぎでは」

「私は減少する、と考えております。それにもし結果に出なかったとしても、平均在院日数には確実に反映されるでしょう。平均在院日数とは、その病棟にいる患者がひと月のうち何日入院しているかを示します。不衛生から術後に影響を及ぼせば治療にかかる費用もかさみ、ベッドの占有期間が長引くことで病院の経営状況にも影響します。そのため、効果の有用性を示すには最適だと考えております。論拠となるデータや先行文献はおっしゃる通り不足しておりますので、おいおい探してまいりますわ」

「それはいいな。評価方法が社会的意義に直結していれば、対象者の食いつきは段違いになる」


ずっと紙面とにらめっこしていた先生の顔が上向く。

目元こそ見えないが、はじめて私を認識されたようで、驚きつつも少しうれしくなる。

「この平均在院日数というのはどのように算出を?」

「それが……残念ながらいい案が浮かんでおりません。どのようにすれば目的としたいものを正しく反映した数値にできるでしょうか」

「単純にわかりやすいのは、期間内の全患者の入院日数を足して、その患者数で割ったものだね。ただし、期間中ずっと入院している人もいるだろうから、単純な日割り計算では正確な値は出にくいと思う」

「おっしゃる通りですわ。退院した患者にのみ対象を絞った平均在院日数も視野に入れたのですが、何か月にも及ぶ長期入院患者が退院した月だけ、平均在院日数が伸びてしまうのではと思いまして」

「正しい懸念だね」


先生はふむと口に手を当て少しの間考え込んだ後、用意しておいたまっさらな紙にペンを走らせた。

「これはどうだろう。月ごとの患者数を、その間新たに入院した患者数と退院患者数の平均で割るんだ」

紙に書かれた計算式を見ても、患者数と日数という組み合わせにぴんと来ない。

先生は私のそんな反応も予測していたのだろう。

「少しイメージしにくいかもしれないけれど、病床数と病床の回転率から平均在院日数を割り出すようなものと考えてみたらどうかな。月ごとの患者数は、その期間入院も退院もしない変動のない人数も含めたもの。それに対して、入退院数の方は変動する人数。その誤差分を平均在院日数として算出できる。これなら懸念していた分をカバーできるんじゃないかな」


どう?と小首をかしげる先生が、輝いて見える。

いきなりこんな頼りになる方にお会いできるなんて。

「わたくし……先生をお招きできて、本当に良かったですわ……」

心が高揚しているのが自分でもわかる。

「僕もだよ。こんなに有意義な時間が過ごせるとは思わなかった。……リーゼリット嬢」

「はい」

「結婚してほしい」


先生も心なしか嬉しそうな様子で、この感動を共有できていることが……って、……んん?

気づけば先生との距離がほど近く、しかもいつのまにか顔の前で両手を握られている。

「こんなに楽しかったのは生まれてはじめてなんだ。もし君がよければ人生を共にしたいと思っている」


え、…………えっ?

こ、これってプロポ……


長い髪の間から、真摯な色をたたえた薄茶の瞳が覗く。

心臓が早鐘を打ち、まともな返事もできずに固まってしまった。

だって、こんなド直球で。


「ん、ん゛ん」

咳払いがして振り向くと、扉の前にお父様が立っていた。

「失礼、娘にはすでに婚約者がおりますので」

先生は慌てて手を離し、小さくかしこまる。

「え、あ、そうなん、ですか。……っごめん。気を悪くした、よね?」

「い、いえ。驚きはしましたが、気を悪くするなどあるはずがございませんわ」

赤くなってしまった頬の熱を冷ますように、しきりに手を替え当てがう。

ド直球なプロポーズなんて喪女には刺激が強すぎたけれど、こんな優秀な方からあのように言われれば嬉しくないはずがない。

先生は人慣れしていないようだし、ちょっと気分が高揚しすぎて振り切れてしまっただけなのだろう。


「そろそろお帰りの時間です。玄関までお見送りいたしましょう」

そのために来たのだろうお父様と連れ立って、先生を玄関まで送る。

すでに到着していた馬車に乗り込む際、再び躓くのを見て、たまらず声をかけてしまった。


「先生、よろしければ前髪をお切りになられてはどうかしら。伸ばしてみえるのには何か理由がございますの?」

「……少し、恥ずかしくて」

「まあ。けがをされては大変ですし、そのままでは目を悪くされてしまいますわ」

「うん、そうだね」

そう言い、やんわりと前髪をかき上げたのを見て、私は──いや、おそらくはお父様も──その場で固まってしまった。

髪に隠されていたのは、涼やかな目元がまぶしい、どこか愁いを帯びたような美青年だったのだ。




ちなみに3日後の次の授業の際、もっと驚くことになるのだが、これはまた別の機会に。

※『あのお方』の方法とは実際は異なります。

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