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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
進むしかない5歩目

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[閑話]僕の弟を紹介しよう

閑話第4弾、ファルス視点です。優しいお兄さんとギルベルトの幼少期。

初めてギルと会ったのは、僕がまだ二つの時だ。

父とともに産後すぐの母を見舞い、おくるみに包まれたギルを産婆に見せてもらった、その一度きり。

断片的に残る記憶は、つついた頬のふくふくとした柔らかさと、呼応するように開いた瞼。

血のように赤いルビー色の瞳に、瞬く間に視界から消え床へと吸い込まれていった小さな体。

つんざくような母の悲鳴と、蒼白な顔で唇を引き結ぶ父──

それ以降、僕がギルと会うことはなく、小さな弟は生まれてすぐに亡くなったのだと聞いた。

弔いの鐘は幼心に物悲しく、今もなお耳にこびりついている。



「ご立派です、ファルス殿下。齢十にして帝王学を熟達なさるとは。後継に恵まれ、陛下も喜ばれることでしょう」

父の代から教育に携わる老齢の教師は、しわの刻まれた目元をほころばせた。

「ありがとう。あなたの教え方が的確なおかげだ」

「嬉しいことを言いなさる」

勉強室に広げられた教材を片づける僕の背を、賢王と名高い父の肖像画が見つめている。


教師曰く、父は僕の歳には議場で弁舌をふるっていたという。

人と比べるものではない、ましてや陛下とは、と教師は言うが、されどもう十だ。

僕はまだ議場での発言を許されていない。


午前の授業をすべて終え、昼食をすませた僕は、食休みにと中庭まで散策を試みた。

ちょうど交代の時間帯だからか、従者たちが広い回廊を慌ただしく行き交っている。

その中で僕の目が向かったのは、本来この場にいるはずのない者だった。

かつて僕の乳母だったうちの1人。

乳幼児のいないこの城において役目を終えたはずのテレサが、籐籠を抱えて先を急いでいる。

メイドのお仕着せを見るに、別の職についたのだろうか。

まだ城内に留まっていたのだな。

懐かしさを覚え、挨拶でもと追いかけたが、彼女が曲がったはずの路地には誰もいなかった。

藤籠から覗いていた花が一輪、彼女がいた痕跡のように地面に落ちている以外は。


あれほど往来のあった通りから二本奥に入っただけだというのに、蔦の這う石壁の通りは音を吸い込んだかのように静まりかえっている。

異質さに誘われるように花を拾うと、石壁の一部に蔦が途切れている箇所が目に留まった。

「隠し通路……こんなところに」

石壁を押し開くと、細く長く漏れる日の光で、地下へと続く階段が見える。

採光のための小さなガラスが照らす地下通路を進むと、今度は上に伸びる螺旋階段に行き当たった。

音をたてぬように慎重に上っていくと、ちょうどテレサが扉の閂を開けているところだった。


なぜ人目を避け、怪しげな場所に出入りしている?

その先に何が。

王家に叛意を持つ者でも集まっているのか。

身を守るためにと忍ばせている短剣に手をやり、せめて少しでも中の様子を探れないかと見やると、扉の隙間から小さな男の子が見えた。

薄暗い中でも映える、血のように赤い眼。

かつて一度だけ見た、弟の眼だ。

……生きていたのか。


その目と視線がかちあう。

弟の視線の先に気づいたテレサが慌てて扉を閉めた。

状況からみて歓迎されはしないと思ってはいたため、扉の前へとゆっくり歩みを進める。

「開けるんだ」

「それはできません」

「……僕を前にして開けられないというのなら、人を呼ぼう」

ずるい言い方だとは思ったが、引く気はなかった。

僕の様子に観念したのか、少しの時間をおいて扉が開いた。


「ギルベルト、だね……?」

弟の墓に刻まれていた名を呼べば、彼は小さな体を警戒心でいっぱいにして、テレサをかばうように進み出た。

当人からの応えがなくとも、少年の肩に手をやり、背後へと下がらせようとするテレサの表情を見れば明らかだ。

今年で八つになるはずの少年は、僕と二つ違いとは思えないほど細く小さい。

部屋を見渡すが、装飾もない質素なベッドとテーブルセット、小さな鏡台とチェスト、一対の食器に湯沸かし器具、小さな水場と使われた形跡のない暖炉があるだけだった。

唯一の彩りは、鏡台に生けられた数本の花のみ。

懸念した『王家に叛意を持つ者』の気配を探るが、彼らを匿う『支援者』を迎えられるような、来客用のティーカップの類は見受けられない。

燭台もなく光源は窓からの明かりに限られているが、その窓も高く、外の様子を伺うこともできない。

ここに来る途中もそうだった。

徹底的に人目を避け、存在を悟らせない仕様。


「ここはどこなのかな」

「……北の外れにある塔にございます」

罪を犯した王家の者を幽閉するための──


弟は生まれてすぐに亡くなったとされていたのだ。

生まれたばかりの弟に犯した罪などあるはずがない。

出生そのものが罪でもなければ。


けれど、なぜこんな場所に、と僕がテレサに尋ねることはなかった。

弟の話題を出すたびに口が重くなる大人たちに疑問を覚え、以前こっそりと調べたことがある。

湧き出た疑問の答えはすぐにわかった。

赤い眼は忌み子、凶兆のしるし、不貞の証とされていたのだ。

幽閉するための塔という、どこかで予想していた通りの乳母の答えに、苦いものが満ちる。


「…父がここを?」

「……乳母として働いていたころに偶然見つけました。この件を知る者は私以外におりません。ご存命であることが明るみになれば、弟君は今度こそ命を落とすでしょう。誰にも、内緒にしていただけますか」


蒼白な顔で僕へと懇願するテレサに、遠い日の記憶がよみがえる。

思い起こせば、産婆がギルを取り落としたあの日、この乳母は床につくぎりぎりのところで弟を抱え込んだのだった。

あの日以降もずっと、たった1人で守ってくれていたのだ。


「わかった、誰にも言わない」

弟を助けてくれてありがとう、そう言うとテレサは硬い表情のまま、細く長い息を吐いた。

そうして、僕と乳母とのやりとりをじっと窺っていた弟に向き直る。

「ギルベルト様のお兄様です。ごあいさつを」


テレサの案内を受け、にいさま、とどこか不安げに繰り返したギルベルトへと、僕は手を差し出す。

「僕の名はファルスと言うんだ。君が生まれたときに一度だけ会ったことがあるんだよ。ギルベルト、僕と仲良くなろう」

ギルベルトはまだ警戒心の残る表情で、差し出された手と僕の顔とを見比べるだけだったが、やがて小さな手をおずおずと開いた。



聞けば、テレサは食事を運んできたところだったらしい。

これから昼食だと言うから、部屋を散策させてもらうことにした。

僕はすでにすませていると告げると、テレサは一人分の食事を用意してギルベルトに与する

従者用の食事だからか質素なものだ。

用意を終えて傍に控えるテレサへと、弟はわずかに戸惑いを浮かべたがすぐに打ち消し、簡単な祈りを捧げてスプーンを手にした。


賢い子だ。

弟はテレサの様子から、乳母と二人で食卓を囲んでいることを僕に知られない方がいいと判断したのだろう。

けれど、食器は二組ずつそろっている。

スプーンもフォークも、使い方を教わらなければ正しく持ちえないことを、僕は知っていた。

テレサが教えたか、そうでなければ、ともに食事をする中で見て学んだかしかない。


「ここでは僕は闖入者だ。普段通りでかまわないよ」

そう告げてはみるが、テレサは身を固くするばかりで動こうとはしなかった。

ギルベルトはカトラリーを動かしながら、時折こちらを盗み見てくる。

僕がテレサを委縮させてしまったせいか、僕のことを信用に足る相手かどうか図りかねているようだった。


あまりじっと眺めていては食べづらいかと視線を逸らすと、チェストの上に置かれた絵に目についた。

「これはギルベルトが描いたのかな。見せてもらっても?」

そう声をかけた僕に答えることはせず、ギルベルトは傍に控えていたテレサに視線を投げかける。


描かれていたのはこの部屋、花瓶に生けられた花、それからテレサとギルベルト。

きっとこうして日々を静かに過ごしていたのだろう、墨一色で描かれた絵は小さな子どもの作品と思えぬほどの出来だった。

「すごいな、ギルベルトは絵が上手なんだね」

「……テレサはもっと上手だ」


返事が返ってきたことに驚いたが表情に出さないよう努め、ギルベルトへと微笑みかける。

「そうなんだ。いい先生に恵まれたね」

「せんせいに、めぐ、まれた」


さきほどに比べてたどたどしく反芻するところを見ると、初めて聞く言葉だったのだろう。

もしくは使いどころが想定していたものでなかったか。

「先生とは、何かを教えてくれる人のことだよ。恵まれるとは、神様が与えてくださったという、いい意味の言葉だ。君は食事の前に、神の恵みに感謝をしたね。恵み、恵まれる。食事以外にも使うんだよ。たとえば、今、僕は君に会えてとても喜んでいる。君に会う機会に……、時に恵まれたね」


ギルベルトの反応を見て理解度を推し量りながら、説明を重ねていく。

笑みを深める僕の顔をじっと見つめた後、ギルベルトは手元に視線を戻した。

その口元に隠し切れぬ喜びをたたえながら。




それから二、三週に一度の頻度で、授業や鍛錬の合間を縫って顔を見せるようになった僕に、ギルベルトは少しずつ警戒を解いていった。

顔を見せるたび、また来たのかとの態度を崩さなかったから、あまり歓迎されていないのだろうと思っていたが、ギルベルトの描く絵に僕が登場した時は、あまりの嬉しさに感嘆の声が漏れ出てしまった。

弟は子どもがそうであるように朗らかな笑顔を見せることはない。

けれど、つんと上向いたくりくりの目を瞬かせ、誇らしげに、少し照れくさそうに頬を赤らめる様は、弟というひいき目を抜きにしてもかわいらしいと思う。


「ギルベルトはかわいいね」

僕が緩む頬をそのままに零すと、ギルベルトはきょとんとした顔で小さく首を傾げた。

「? かわい、そう?」

「かわいい、だよ」


はじめは聞き間違えたのだと思ったが、弟の反応からそうではないことに気づく。

思わずテレサに目を走らせると、それまで僕らのやり取りを微笑ましく見守っていた乳母はさっと顔を背けた。

常に乳母としての節度と一定の距離感を保つ彼女が、王妃の子であるギルベルトを必要以上に甘やかすことはなかっただろう。

たとえ不貞の証や忌み子であったとしても、産婆の取り落としたギルベルトを掬い上げてここまで育てたのだ、愛情が全くなかったとは思わない。

きっとテレサはギルベルトの境遇を哀れみ、つい口にしてしまったのだ。

『おかわいそうに』と。

そばで見守ってきたからこそ口をついて出た言葉だとしても、弟にかけられた言葉がそれというのはとても寂しく思えた。


僕の表情の翳りを感じ取ったか、ギルベルトが戸惑ったように眉尻を下げる。

僕はギルベルトを安心させるように微笑んで、絵の余白につづりを書いた。

「似ているけれど違う言葉だよ」

「どう違う?」

「そうだね、『かわいそう』は思うだけで胸が苦しくなるかな。『かわいい』は胸がぽかぽか温かくなる。ギルベルトを思うと、僕はあったかい気持ちになるよ」

少し迷った後、言葉の意味でなく僕自身がどう感じるかを告げてみる。


ギルベルトは僕のつづった文字を見てかみしめるように何度か唱えると、こちらに向き直った。

「それなら俺も、兄さまがかわいいと思う…!」


身を乗り出すように放たれた言葉に、僕は一瞬あっけに取られ、次いでじわじわと頬が熱くなる。

あったかい気持ちになるという意味で告げたのだとはわかっていても、僕を『かわいい』と形容する人などいなかったのだ。

一日も早く、父のようにと望むばかりで。


恥ずかしさと少しの困惑を瞬きで散らす。

弟の中の僕の立ち位置を知り、なによりも喜びが満ちた。

「ありがとう、ギルベルト。うれしいよ」

僕の反応にギルベルトはひときわ目を輝かせ、今度はテレサへと顔を向けた。

「テレサも、…っ、かわいいからな」

まさか自分にもよこされるとは思いもしなかったのだろう、テレサは驚きに目を見開き、その細い肩を揺らした。

弟は少しばかりの緊張と期待をにじませて、テレサからの言葉を待っている。

うれしいと。私も同じ気持ちであるとの言葉を。


「そのようなこと、畏れ多いです」

テレサは目を伏せてかしこまる。

王家に仕える者として正しい対応だ。

それがたとえ弟を悲しませるものだとしても。

「……そうか」

ギルベルトの鉛筆を握る手が力なく緩む。


ギルベルトが自身のことをどう聞き及んでいるかは知れない。

どうであれ、他に訪れる者もいないこの場所で、テレサの存在は弟にとって大きなものだったろう。

そんなテレサにとっての弟が胸を苦しくさせる存在だとして終えることは忍びなかった。


「ギルベルト。この花の名前は知っているかな」

部屋に飾られた唯一の彩りである白い花弁を指さすと、突然切り替わった話題にギルベルトは怪訝な顔を見せた。

「…クチナシ」

「では、この花の意味は?」

問いを重ねれば、ふるふるとかぶりを振る。

「そうか、では覚えるといい。ひとつひとつの花に気持ちが込められていてね、クチナシは『喜びを運ぶ』そうだよ。『私は幸せ』という意味も」

ギルベルトはその赤い目をぱちくりとしばたたかせた。


「それから、こっちは『やさしさ』だね。この花は『ありがとう』。ああ、『かわいい』の意味を持つものもあるよ」

今度は絵に描かれた花の意味をひとつひとつ示していく。

花言葉には複数の意味を持つものも多いが、描かれているそれらはどれもあたたかな言葉ばかりだ。

隔絶されたまま育つ弟へ、乳母としての職務を逸脱しないように示された愛情の形。

僕はそれを言葉に変えるだけでよかった。

敏い弟は僕の言わんとしていることに気づくだろう。


テレサは何とも言えない表情を浮かべていたが、ついにはそれを掌で覆い隠し、「それ以上は、どうか」と唸った。

「そうか。……そうか」

ギルベルトはそれだけを零し、わずかににじむ眦を隠すためか、そっぽをむいて首をすくめた。

赤く染まったまろい頬と耳は隠しきれておらず、僕の心に再び柔らかいものが満ちていった。



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