5 ヒロインぱない
さて、状況を整理して考えてみよう。
私が転生したのは、『転生先でも医師になってみせますわ』というネット小説の世界だ。
ネーミングセンスがない?
そんなものは知らん、作者に言ってくれ。
魔法やファンタジー要素はひとっつもないけど、隣国との諍いが絶えない世界で医療系の試練を乗り越えて、ラブラブハッピーを目指すというもの。
小説内で語られる架空の乙女ゲームでの私は、嫉妬にかられてヒロインたちが開発した新薬のデータを盗み、隣国に売りつけようとする悪役令嬢だ。
弾劾されて絞首刑行きか、隣国に裏切られて殺される、どちらかの未来しかない悲しみのブルース的存在。
原作小説の主人公はそんな未来にはさせないと奮闘して、なんと悪役令嬢の身ながら第二王子をゲットして幸せな余生を送っていた。
しかしそれが可能だったのは、小説の主人公が前世で医者だったからだ。
新しい術式で人を救ったり、新薬開発しちゃったりと、ものすごい知識量と技術でもって問題解決していったからなのだ。
記憶力お察しの一介の看護師、プラスちょい教師かじりました程度の私ごときに踏襲できるものではない。
しかも小説だからルート分岐なんてものもなく、その道をそれた後のことが何一つわからない………
つまり。
第一王子がいまここにいる時点ですでに、なんかもういろいろと詰んでるってことですよね。
うん、……帰っていいですか。
「リーゼリット様、みなさま挨拶にいかれてみえるみたいですわ。列が少し落ち着いたらわたくしたちも参りませんか?」
王子たちのテーブル前には、アトラクション前の子供たちよろしく、ご令嬢やおつきの方々がずらりと列をなしている。
「え、ええ。そうね……」
あいまいに答えながら、出された紅茶をがぶがぶあおる。
ヒロインの鑑たるエレノア嬢が私を置いて勝手に行くわけもなく。
丁寧に誘ってくださるけれど、正直挨拶になんて行きたくはない。
もし一人だったら、周りの賑わいに紛れてブッチを決めていたところだ。
なんでかって?
急遽決まったお茶会、ふだん参加しない王子たち、この場にいる令嬢の似通い方。
どんなに鈍いやつでもさすがに気づく。
このお茶会が、私を探しているやつだってことに。
見つかったらどうなるのか。
いち、王子の命の恩人よありがとうと祭り上げられる。
に、ぜひ妻にとかいって次期王妃にされる。
さん、王子を暗殺しようとしたのに予定狂わせやがってこの野郎的な、王家の泥沼ドボン。
よん、公衆の面前で俺の唇奪いまくってこの野郎的な痴女認定。
………どれも、嫌だ……
あの場で助かったのだって奇跡的なものだし、本来の主人公みたいな活躍は期待できない。
祭り上げられたところでもう何も出ない。
私の性格からして王妃って柄でもないし、まず向かない。
ストレスで胃に穴が開く未来しかない。
王室のドロドロ案件なんてもってのほかだし、痴女認定なんてされでもしたら、本気で婚期遠のくわ。
悪役令嬢だってわかった今だってねぇ、まだ人生を諦めてなんかいないんだからね……!
これはもうあれですね、逃げ一択。
素早く髪留めを外し、手の中に握りこむ。
まとめていた髪がすっかり降りてしまったが気にしない。
証拠品となりうるタネはしまっておくに限る。
とはいえポケットは小さすぎて入らないし、ひっかけてドレスを破いてしまったら私の蚤のような心臓が火を噴いてしまう。
挨拶の時だけテーブルに置いておくのも一つの方法だけど、もしそれでなくしてしまったらと思うと踏み切れない。
だって気に入ってるんだもん。
ちょうど子供の掌を広げたサイズだから、指で挟んで手の内に隠しておけば何とかなるだろう。
こう、手品師のように。
テーブルの陰でこっそり練習を始めた私を、エレノア嬢が不思議そうな目で見ているが、気にしてはいけない。
聞かれたらこう答えよう。
サプライズの練習ですわ、おほほのほ。
往生際悪く逃げ道を探していたせいで、最後から2番目になってしまった。
新興男爵家の私がリーゼリット様より前にご挨拶なんてできませんわ、と順番を譲られたため、最後はエレノア嬢だ。
ぼちぼち順番なので、二人でそろそろと近づいてみたのだが……
「まあ、おいたわしい。お怪我をされたのですね、麗しいお顔に傷が残らないとよいですわ」
「うむ、ありがとう」
「ご機嫌麗しゅう。ファルス殿下のお怪我が一日も早く治りますように」
「うむ、ありがとう」
令嬢たちが名乗ってひと声かけあって下がる、をさっきからずっと繰り返している。
まるで、次の方~とアナウンスでも入っているかのような流れ作業だ。
最初のうちはもっとちゃんと返事していたのかもしれないけれど、ギルベルト殿下に至っては半眼で無言貫いてるし、ファルス殿下は今やオウムと化している。
疲れからか、もはや義務感しか存在しない空間。
おやおやおや?
この分ならなんとか行けるんでない?
「王妃様、両殿下におかれましてはご機嫌麗しく存じます。ロータス伯爵家が三女、リーゼリット・フォン・ロータスと申します。どうかお怪我が早く良くなりますよう」
当たり障りない挨拶をすませ、手の内の髪飾りが見せないように淑女の礼を取る。
仕事は終わったとばかりに腰を浮かしかけたところで、あなたは、という声がかけられびくりとした。
そうっと目線を上げて伺うと、あの時の金目がじっとこちらを見ている。
「あまりお見かけしない方ですね」
さっきまで、うむありがとうしか言わなかったファルス殿下が、ここにきてまさかの別セリフだと。
とたんに心臓がどっどっどっと自己主張を開始する。
わずかにひきつっているだろう唇でどうにか弧を描き、回らない頭でなんとか言葉をひねり出した。
「……先日、領地から出てきたばかりですの。お目にかかれて光栄ですわ」
心臓バクバク内心ひやひやながらも、恭しいしぐさで再度深々と頭を垂れる。
どうだほら見ろ、髪飾りないだろー!?という無言のアピールが功を奏したのだろう。
「……うむ、ありがとう」
よっしゃ、きた!
下がっていい合図きたー!
気づかれないように小さくガッツポーズを決めながら、その場を辞す。
そのまま席へ戻ってもよかったのだが、どうせならエレノア嬢と一緒に戻ろうと、少し離れた場所に控えることにした。
エレノア嬢は、さすがヒロインと言わんばかりの柔和な笑みをたたえている。
王族を前にしても生き生きして見えるのは、ヒロイン補正なのか強心臓なのか。
なんとも頼もしいことである。
「お近くで拝見すればやはり。あの方はファルス殿下だったのですね。回復されて安心しましたわ」
……ん?
「その場にいた全員が一丸となって殿下を救おうとして、とても感動的なひと時でしたわ。まるでこの国の未来を見ているかのような」
おお?
「きみは、この怪我のことを知っているのか」
「もちろんですわ。ご挨拶が遅れました、わたくしエレノア・ツー・マクラーレンと申します。以後お見知りおきを」
深々と一礼するエレノア嬢には、彼女の瞳の色と同じ宝石のついた髪飾りが髪に彩を添えて……いるではないか!
ファルス殿下がゆっくりと立ち上がり、エレノア嬢の前へと歩み出る。
まだ一礼したままの彼女の手を取り立ち上がらせ、なんとも甘い声で囁いたのだ。
「貴方を探しておりました」
……な、なんとーっ!
ファルス殿下は、驚きをにじませるエレノア嬢をそのままダンスに誘い、サロンの中央へと歩み出る。
空気を読んだらしい音楽隊による、しっとりした曲をバックに、2人でゆっくりと体を揺らし始めた。
最初こそ戸惑いを隠せない様子のエレノア嬢だったが、ファルス殿下のとろけそうな甘い視線に今や頬を赤らめるばかりになっている。
もちろん、周りであっけにとられていた他の令嬢たちもだ。
まばゆいほどの美男美女の仲睦まじい様子に、みな見惚れていた。
一方、私はというと。
どっと押し寄せた脱力感から、その場で見守ることも席へと戻る気にもなれず、一人テラスへと向かったのだった。
「……っ、疲れた……」
誰も見ていないのをいいことに、へろへろと石造りの柵によりかかる。
私のあの動揺やらいろいろ考えた時間はいったい何だったんだ。
つっこみたい思いは鬼のようにあるが。
「まあとにかく、ヒロインのおかげで、助かった……のかな……?」
メイン攻略キャラとヒロインなら大団円のはずだ。
悪役令嬢たる私の先行きは明るくないけど。
エレノア嬢はとってもいい子だし、私が嫉妬したりする予定もないから、普通に仲良くなれば何事もなく過ごせるのではないだろうか。
そうだ、そうしよう!
悪役令嬢からヒロインの親友へ、華麗なるジョブチェンジよ!
肩の荷が下りたわ~と鼻歌でも歌う心持ちで振り返ると、なんとそこにはいるはずのない人物がいた。
なぜいるとか、いつからいたとか尋ねることなどできるはずもない。
彼は面と向かって慎みの有無を尋ねたあの日のように、憮然とした表情を隠そうともしなかったのだ。