[書籍漫画の発売記念SS]私の助手席でしたら空いてますけど?!
5月14日にKADOKAWAビーズログ文庫さまより書籍版が発売されました。
こちらのSSは書籍版第三章後の閑話ですが、pixivノベルさまとカクヨムさまで第三章まで公開されておりますので、書籍を購入されていない方でも楽しめる内容となっております。
なお、書籍をご購入された方用の御礼SSを別途ぷらいべったーに載せています。
活動報告にURLを記載しておりますので、あわせてお楽しみいただけると嬉しいです。
※追記です!
5月19日のコミックス発売を祝し、お祝いSSをぷらいべったーにパス制限なしで載せております。
こちらはマンガワンで人気を博しておりますレスター先生のモブ令嬢視点です。
活動報告にURLを記載いたします。
屋敷の裏路地でぶるるといななく馬を諫め、次に曲がる箇所と手順を確かめる。
新しいことを学ぶのはもとより、少しずつでも上達していく過程はやはり楽しい。
いざ、と手綱を握る私の耳へ、見知った声が届いた。
「おまえはまた、いったい何をしているんだ」
「まあ殿下、良いところに」
どうやら家の者に案内され、この裏路地へとたどり着いたようだ。
驚きを隠せず言葉を詰まらせるギルベルト殿下に、にこやかに返す。
「お乗りになられます? 今なら乗客第一号ですわ」
あの日気球の操縦ができなかったことが悔やまれてならず、かといって再び気球に乗る気にもなれず。
それならばと御者に頼み込んだのだ。
そう、私はまさに今!
車の運転……ならぬ、馬車の操縦を、教わっているところなのであります!
私の言葉を受け、別の馬に跨っていたカイルが馬から降り、座席の扉を開ける。
殿下はそれには目もくれず、難しい顔で押し黙っていたかと思うと、私の隣に座る御者へと足を向けた。
「ここでいい」
そう言って御者を降ろすと、今しがた御者のいた場所──助手席代わりの荷置き用の木箱へと腰を据えた。
殿下の乗り込んだ席が思っていたものと異なり、ぱちくりと目をしばたいてしまう。
「……そちらには御者がいてもらわねば困るのですが」
「後ろからでも指示はできよう」
え、ええ~?
いや、誘いはしましたけどもね、まだ練習中だよ……?
戸惑う私をよそに、殿下は腕を組んだまま席を譲る様子を見せない。
思わず困惑顔の御者と目を合わせるが、御者の立場で殿下に物申せるはずもなく座席へと回っていった。
小窓から顔をのぞかせ、見づらそうに前方を確認している。
大丈夫かな、これ。
「こってり絞られた後だというのに、またずいぶんと楽しそうだな」
呆れた風を装ってはいるが、素直じゃない殿下のことだ。
気球の件で関係者全員お叱りを受けた後だけに、心配して様子を見に来てくれたのかもしれない。
「皆無事でしたし、延焼も防げましたもの。操縦や点検ミスによる事故ではないのですし。私がいつまでも落ち込んでいては、お誘いくださった殿下方が気に病んでしまわれるでしょう?」
お気遣いに感謝をとの笑顔に、殿下は胡乱げな目をよこす。
「それで、気球の代わりに馬車の操縦をというわけか。これといった招待を受けていないことから察するに、個人的な楽しみのようだが」
おっと、見事にばれている。
呆れた風を装っているのだと思っていたが、なんのことはない、本気で呆れられていたらしい。
「……上達したらお誘いするつもりでしたの」
にこぉと引きつった笑みを見せると、殿下は前方へと向き直り、安堵とも呆れともとれるため息をついた。
そんなこんなで殿下を助手席に迎え、揚々と馬車を進めた……のだが。
今や手綱を握る掌は冷や汗でじっとり湿り、並々ならぬ緊張で顔も体もこわばっている。
路地で練習を重ねてから公園に向かう予定が、最初の角でうまく曲がりきれずに公道に出てしまったのだ。
「パレードのつもりか? 後ろに列ができているようだが」
「残念ながら、これ以上の速度は出ませんわ……」
「練習してから公園に行くのではなかったか」
「ま、曲がれなかったのですわ!」
助手席にいた強い味方を奪っておいて、無茶を言うんじゃない。
こちとら若葉マークにすら達していない、開きたての双葉マークなんだぞ!
単騎で馬を駆るのとは違い、2頭の馬を同時に操作しなければならず。
スピードをあげればその分処理しなければいけない事項が一気に押し寄せるのだ。
街道の端には路駐が多く、馬がじっとしていないせいで街道に出るのかと意識が割かれる。
信号と言えるものは大きな4つ角の手信号のみで、あとは個々人の裁量に任されるため、いつ何時わきから人や馬車が飛び出してくるかもしれない。
前を進む馬車には、ブレーキランプはおろか、左右に曲がる際の指示器もついていない。
頼むから意思表示していこう……?
その上、馬の鼻先から馬車の後輪までの距離がものすごい長さときている。
乗馬のノリで曲がろうものなら、周囲を巻き込み馬車の側面を擦りまくって阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
いやだいやだいやだ、修理代がいくらになるのかなんて考えたくないし、誰一人として轢きたくない!
「人を乗せるにはやや時期尚早のように思うが」
「殿下が隣に座る時期が、早すぎたのですわ」
視界の端にちらちらと、心配そうに馬を駆るカイルが映る。
見えずとも御者が後ろでハラハラしているのを感じる。
小窓からでは前方を確認しづらく、目線の高さも違うため、曲がるタイミングをうまく指示できずにいるのだろう。
後ろの座席にいては教官にも交代要員にもなれない。
馬車は永遠に曲がることができず、ただひたすら前に進むのみだ。
……娯楽がいつも命がけ…………
「……代わるから席を譲れ」
思わぬ申し出に助かったとばかりに手綱を殿下に託し、そろりそろりと腰をずらして殿下と位置を入れ替える。
「殿下は操縦法をご存じですの?」
「以前、見て覚えた」
えっ、見ただけ? まさかの自己流?!
「万が一を想定し、できることは増やす主義でな」
殿下は操縦席周りをひと通り確かめると、口の端を上げてこちらを見やった。
「とはいえ、実際に手綱を握るのは初めてだ。多少荒くても文句は言うなよ」
……はたしてそれは、私と何が違うのか。
むしろ後退すらしてはいないかと早くも不安にかられてしまうが、動き続ける馬車から降りることなど叶わない。
命がけ再び、と唇を引き結び、木箱の端を握る。
これで速度が増しただけだったらどうしようと薄目で街道を眺めていたのだが、殿下の操る馬車は思いのほか荒くない。
速度は周囲を進む馬車と変わらず、前の馬車が速度を落としても慌てて手綱を引くこともない。
果ては曲がり角すら、難なくこなしてしまった。
なぜだ。
「御者、乗り心地はどうだ。何か助言があれば聞こう」
「いいえ殿下、助言など不要でございます」
御者の言葉はお世辞でも何でもない。
同じ双葉マーク、いやむしろ芽すら顔を出してないはずなのに、この器用さと余裕っぷりは何なの。
私が目を白黒させていると、殿下が小さく吹き出した。
「何の笑みですの?」
「いやなに、おまえの必死の形相を思い出してな」
殿下の言葉に、思わず口を尖らせてしまう。
覚えたての操縦を披露したくて早まったとはいえ、変顔を楽しんでもらうために誘ったんじゃないんですけど。
「必死にもなりますわ。殿下こそ、私のあの操縦でよくあんなに余裕でいられたかと」
「むちゃくちゃな令嬢ではあるが、おまえが人を傷つけることはないとわかっているからな」
「故意にはしないまでも、不可抗力だってありますわ」
「そうしないための手立てを取ろうとしていただろう?」
ちらりと寄こされる目が穏やかで、私への信頼が垣間見えてこそばゆくなる。
ま、まあ別に、……ただ速度を落としただけで、これといって褒められるようなものでも、ありませんでしたけど……?
「馬車の操縦もたまにはいいものだな。風が気持ちよく、衆目は集めども流れていくばかり。乗馬とは違って、おまえの声もよく聞こえる」
思わず漏れたという風情の言葉に同意しようとして、途中で固まる。
よく聞こえるって……それは、そうかもしれないけど!
私の声を聞きもらしたくないって意味に聞こえてしまうのは、殿下の声音がいつになく優しげだからだろうか。
それとも単なる過剰反応で、言葉通りの意味なのかな。
からかうように尋ねてみればいいのに、今しがたの声音が耳に残って確認できない。
「交代するか? 俺でよければ、曲がる位置も指示できるが」
「え……っ!」
今代われば変顔どころかじんわりと色づいた頬を揶揄されかねない。
隣からの視線を逃れるように、街道に目を向けつつ横髪で頬を覆い隠す。
「きょ、今日のところはお譲りしますわ。もう少し練習してから改めてお誘いします」
「ほう。後ろの座席にか?」
さっきの殿下の言葉のあとに後部座席を案内するのは何か違う気がする。
かといって、今日みたく意気揚々とお誘いできるかと言うとそれはそれで……
「……そ、その時は……木箱にクッションでも、敷いておきますわ」
いそいそと殿下を助手席に迎える準備をする、その日の私を想像して視線が下向く。
一体どんな顔で、どんな声をかければいいんだか。
木箱の端をきゅうと握り、口数が少なくなりそうだなと独り言ちるのだった。