[書籍化・漫画化記念SS]誰が何と言おうとこれは
「悪役令嬢は夜告鳥をめざす」として5月14日にビーズログ文庫さまより書籍が、5月19日に裏サンデーコミックスよりコミックスが発売します。
特典情報や改稿内容などを活動報告にまとめました!
なお、漫画・書籍化にあたり登場人物の年齢が変更されました。
「小説家になろう」には漫画の元となった箇所があるため、自分用の覚えとして元原稿のまま残しています。
あしからずご容赦ください。
不慣れなことばかりで諸々の準備のためにしばらくお休みしていた更新を、徐々に再開していく所存です。
まずは書籍化・漫画化記念として、番外編のSSを。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 さと
「リーゼリット様、本日は髪を下ろしますか?」
朝の支度を手伝ってくれていたナキアの手が、櫛を持ったままぴたりと止まる。
「? いいえ、いつも通りでお願いしたいわ」
わざわざ髪を下ろすか聞かれるなんて、今日は何か特別なことでもあっただろうか。
万能侍女たるナキアの言葉を不思議に思うが、特段変わったことなどないはずだ。
今日の予定を頭の中で振り返りつつ、ナキアの手に身を任せていると、支度が整った頃を見計らったかのようにノックの音がした。
「頼まれものが届いたようです」
扉の向こうから声をかけるのは、護衛のカイルだ。
「あら、早い到着ね。入っていいわ」
伯爵令嬢という立場はまあとにかく面倒なことが多く、身支度の最中に異性を部屋に招き入れることはご法度らしい。
あとは髪を結わえてもらうだけなのだ、入室を許したとて咎められることはなかろう。
「そのテーブルまでお願いできる?」
カイルは五,六冊はある本を抱え、私の傍にあるテーブルへと隙の無い所作で足を向けた。
頼んでいたものがすべて揃っているか、身支度が整うまでに少しくらいは目を通せないものかと横目で確認していたのだが。
カイルの腕の中にあった本たちは、テーブルにその身を預けることなく床にドサドサと零れ落ちた。
「えっ、ええっ?!」
当のカイルは無残にも散らばっていく本に目もくれず、慌てることもなく、こちらを凝視したまま固まっている。
な、なにごと……?
髪結いの最中の入室許可も、令嬢としてあるまじき、みたいな?
「こほん」
ナキアの小さな咳払いでカイルは我に返ったのか、失礼、と短く断って本を拾い上げた。
いつもは落ち着き払っていて頼りになる護衛だというのに、たまに見せるこの不可解さはなんなんだ。
「……一冊寄こしてもらえるかしら」
カイルから手渡された本は、『水治療』について知りたかったことがまとめられているものだ。
よしきた! これなら参考文献として十分に使えそうね。
ふんふん言いながらページをめくっていると、控えめに扉を叩く音が耳に届いた。
「姉さま、お食事の時間です」
「まあ、もうそんな時間? 迎えに来てくれたのね、ありがとうレヴィ」
とことこと近づいてくる従弟が、私の言葉にふんわりと顔をほころばせる。
こちらまでつられてしまいそうな笑みに、朝から心がほこほこする。
「朝から勉学ですか? 熱心ですね」
「レヴィこそ。頬に何かついているわ。石膏かしら」
まろやかな頬をちょいとつつくと、くすぐったそうに身を寄せてくる。
はあ、かわいい、かわいい……!
「……姉さま、そちらは……」
ふいにレヴィの延びた指が首筋をかすめ、忘れかけていた痒みがぶり返す。
夜の間に刺されでもしたのだろう。
「虫よ」
「どの悪い虫ですか?」
……え、たぶん、蚊とかじゃないですかね?
姿をまじまじと見たわけじゃないし、この国に前世と同じ虫がいるのかどうかもわからない。
まさか虫の種類まで聞かれるとは思わなくて、答えに詰まる。
「そんなに目立つかしら?」
私の反応を一つも見逃すまいとでも言うように、真顔でじっと見つめてくる。
レヴィは横目でカイルの方を見やった後、ふっと相好を崩した。
「……いいえ、それほどでは。掻くと赤くなってしまいますよ。包帯でも巻いておきませんか?」
・・・
「何、怪我でもしたの」
研究室の前で行き会ったセドリック様は、顔を見るなり開口一番に言い放った。
首元だし、包帯を巻いていたとて目立つものは目立つか。
素っ気なさを覚える声には、こちらを労わるような色が乗っている。
出会った頃を思うと、優しくなったもんだ。
「たいしたことはございませんわ。ただの虫刺されよ」
ふうん、と気のない返答をしたセドリック様は、なぜかすぐ傍まで来た。
身長差はそれほどないというのに、眼鏡の奥の据わった目がそう思わせるのか、威圧感のようなものを覚えてたじろぐ。
「君はバカなの」
「……っ、……は、はあ?」
虫刺されごときで何でバカ呼ばわりされなきゃならないんだ。
理不尽にもほどがある。
「いくらなんでも失礼では?」
「僕のどこが。変に隠すと怪しまれるとは思わないの」
前言撤回、まったくもって親切心のかけらもないわ。
怪しまれるってなんだよ。
今あなた、心配してくれてたんじゃなかったの??
目をしばたかせるだけの私の首元へと、ついと指が伸びる。
セドリック様は包帯に指をかけると、くっと引いた。
伸縮性のない布地が肌に食い込む。
「ほどきなよ。それとも何、引きちぎられたい?」
・・・
「……ナキアの言っている意味がよくわかったわ」
屋敷に戻るなり大きくため息をついた私を、ナキアが苦笑で迎えた。
「髪を下ろしますか?」
「そうしてもらうわ」
虫刺され一つにやいのやいのと、圧迫面接みたいに。
世のご令嬢はどうやってやり過ごしているんだ。
女子力なんて星の彼方に置いてきたような喪女だったっていうのに、大変な世界に転生しちゃったなあ。
髪を整え、首筋が見えないことも確認し、準備万端で先生を出迎える。
「レスター先生、いい文献が見つかりましたわ」
先生は戸口で固まったまま、そこから一歩も進もうとしない。
なぜだ。
先生の目には、髪に隠れた虫刺されの痕まで見えていると言うのか。
「どうされましたか?」
「あ、あの、……いつもと、雰囲気が、違っ…………」
たどたどしく返ってきた言葉にがっくりと肩を落とす。
なるほど……先生の前で髪を下ろすのは初めてだもんね。
見慣れない姿に動揺してしまったのか。
先生はすっごく優秀な方なのだが、こうなってしまうと復活するまでが長い。
そして私にできうる対処法はいくらも持ち合わせてはいないのだ。
「まずはお茶でもいかがですか」
「…………っ、……、……」
にこやかに入室を促してみるも、先生は頬を赤らめるばかりだ。
「………………えっと」
だ、だ、誰かぁっ!
助け舟をください。
こんな有様ではあったけれど、髪を下ろす方法はおおむね有効ってことか。
見える見えない以前に、他に気がいくという点で。
ただ、鍛錬中はさすがに束ねないと邪魔になってしまうんだよね。
鍛錬服なら襟で隠れる、よね?
・・・
ひゅう、と吹かれた口笛に振り返ると、ランドール様が丸くした目をにかっと細めた。
「やるなあ、ギルベルト殿下も」
「ば、バカ! おまえにはデリカシーってものがないのか」
キース様が慌てて諫めているようだが、二人が何を言っているのか見当もつかない。
まだ殿下の姿は見えないんだけど、どこかで剣術を披露でもしていたのかな。
疑問符を浮かべて傾げた首元を後ろから撫でられ、文字通り飛び跳ねた。
手をあてがい即座に振り返るが、こんなことをするのは誰かなんてわかりきっている。
やっぱりね!
コンラッド様はさも楽しげに口元に弧を描いている。
「リーゼリット嬢もうかつだなあ。そんな目立つところにつけられちゃって。
それとも隠れていると思ってる? そのキスマーク」
き、きす、まー……はあ??
ああ、そういうことかあーーーっ!
朝からの皆の不可思議な反応の数々に、ようやく合点がいったわ。
「ち、違いますわっ、これは……っ」
「へえ、ギルベルト以外だと?」
背後からかけられた声に、思わず唸ってしまう。
……厄介な人が来た。
ファルス殿下の醸し出すひりつくような空気が辺りを包む。
「む、虫刺されですわ」
手をあてたままそろりと振り返れば、凄みのある笑みが迎える。
「そうなんだ。じゃあ僕にも見せてもらえるかな」
弟思いなこの殿下が、納得なんてするわけないか。
ただ一つ、この答え以外には。
「……ギ、ギルベルト殿下です」
「──まあ、そのようなわけでして、この虫刺されは殿下がつけたものということに」
「………は?」
鍛錬場に現れるなり私に死角へと引っ張ってこられたギルベルト殿下は、ことの顛末を聞くなり赤い眼を丸くした。
巻き込んでしまって申し訳ないけれど、これもすべては皆の安寧のためだ。
「つ、つけるわけないだろ……虫でいいだろうが」
「納得されなかったからこうなっているのですわ。大丈夫、既成事実にしてしまえば問題などございません」
自分で鍛錬服の襟元に指をかけ、痕を重ねやすいようにと首筋をさらす。
「~~~~っ!? ……こ、このバカっ! 問題大ありだ!」
「大きな声をあげないでくださいませ、ファルス殿下が来てしまいます」
「──っ!」
敬愛する兄にはこんな姿を見られたくないのだろう、ぎしりと固まったギルベルト殿下へとさらに一歩踏み出す。
「さあ、お早く」
「は、やくって、おま……」
みるみる赤く染まっていく殿下の顔から目を逸らすことはできない。
逸らそうものなら逃げられちゃうだろうからね。
それから、大事なことがもう一つ。
決して我が身を振り返ってはならないということだ。
そんなことしようものなら、いたたまれなさに裸足で逃げだすのは私の方になる。
たとえ殿下の顔の熱にあてられようとも。
互いの心音が聞こえそうなほどにじり寄って、前を阻む殿下の掌へと手を伸ばす。
ひんやりと冷たいのに少ししっとりしているように感じるのはいったいどちらの掌か。
思っていたほどの抵抗もなく下ろしていけば、殿下は固く瞼を閉じた。
パキリと乾いた音に、心臓が跳ね上がる。
「あ。失礼いたしました」
この抑揚のない声の主はクレイヴ様か。
小枝か何かを踏み締めたのだろう。
物音の時点で弾かれたように距離を取ったけれど、とたんに自分のしていたことが思い起こされて顔に火を噴く。
「クレイヴ、いつからそこに」
「お二人がいらっしゃる前からです。申し訳ありません、出ていく機会を逃してしまい」
たしか、この先は厩だ。
きっと愛馬の様子を見に行っていたのだろう。
「お、お見苦しいものを…………」
襟元を手繰り寄せ縮こまるのを、感情の見えない目に捉えられる。
奇声を上げてこのままお家に逃げ帰ってしまいたいが、今すぐ立ち去るわけにはいかない。
「あの、今見たことは、どうかご内密に」
「私からどなたかに申し上げることは何も。──ああ、ひとつだけありました」
「襟を正すことを、お許し願えますか?」
……ええとそれは、慣用句的な意味で、ですか?