34.5 [閑話] 俺の婚約者を紹介しよう
閑話第三弾、ギル視点です。
前半は「32 それを勧められても困ります」の殿下視点、後半は「34 二位じゃダメですか」の後になります。
──あらかじめ線引きを定めておけば、とっさの時に越えにくくなる。
自分自身の戒めとしてこのルールを定めたのは、いつのことだったか。
「このようなところでまたお会いするとは。噂にたがわぬ勤勉さでいらっしゃる」
まだ日も上がりきっていない、薄暗い書庫の一角。
かけられた声に、ページを繰っていた手を止めた。
声の主が目的の人物であることを確認し、つとめて人好きのする笑みを浮かべて応えを返す。
「これも日課ですので」
「失礼ですが、教師はついておいでで?」
それには答えず、ただ笑みを深くするに留めると、狐のような目をした男はどうやら都合よく解釈してくれたようだった。
「このように勤勉な殿下が、相応の教育も専用の図書室をも得られぬとは。実に惜しいことです。私にもっと力があれば、殿下をふさわしいお立場に推薦いたしますのに。そういえばこの間も……」
この手の輩はたいてい耳障りのいい言葉で近づき、情けをかけるふりして持論を展開するものだからわかりやすくていい。
父王が良く治めているとはいえ、国というものは常に一枚岩とは限らない。
日の当たらない者、能力を過少に評価されていると不満を募らせる者、家督を継げずに落ちぶれるばかりの者。
そんな貴族連中にとって、掲げる旗印として俺はかっこうの獲物になるようだ。
存在を秘匿され、王家に虐げられて育った第二王子は、同じ考えのもとに動いて当然という考えなのだ。
何も知らない、力のない子供のうちに取り入っておいて、『万が一』の際の後ろ盾になる心つもりらしい。
俺に向けられる目はこの手の類か、同情もしくは畏怖や侮蔑、関わりあいになりたくないという拒否がほとんどを占める。
国内の貴族連中でさえこうなのだ、俺がまともに外交など行えるはずがない。
それならば俺を撒き餌として利用せよと、父王と兄には伝えてある。
そうと知らずに飛び込んでくるとは、愚かな奴らだ。
初めに俺が見せた警戒心を徐々に解いていったことで、懐柔できたとでも誤認したのか。
「グリーブス卿のお考えはいつも勉強になります。大変に心強い」
つとめて安心しきっている風を装い、そう言ってやれば満足そうに腹を揺らした。
「ところで、ロータス伯爵家のご息女と縁談をもたれたとか。ずいぶんなはねっかえりとお聞きしておりますし、勤勉な殿下にはご満足いただけないでしょう。ダグラス卿のところに頃合いのご令嬢がおりまして、おそらく話も合うかと。私も先日お会いしましたが、なかなかに器量もよく……」
リーゼリットの評価が思いのほか的を得ていて、口の端が上がりそうになる。
俺が婚約したことで、この吊りの手は使えなくなることも覚悟していたんだが。
あいつの評判のおかげでどうやらその心配も必要ないようだ。
「そうですか。次にお会いする際にお声かけできるよう、よく覚えておきます」
ダグラス卿か……であれば、モナーク卿とベロセット卿も繋がっている可能性があるな。
彼らの事業はたしか、土木建築を主としていたのだったか。
ちょうどこの後、クレイヴの件でリーゼリットの目通りを父王に請う予定なのだ。
父王と、それから兄にも一報を入れておくとして、関与の疑いのある残りの貴族にも自然な形で接触を図るには。
頭の中で算段をつけ、埃臭い書庫を後にした。
・ ・ ・
無事に父王への上申を終え、俺は兄の付き添いと称して宝飾店を訪れていた。
王室御用達として栄えるその店は、兄の計らいもあって他の客の入室は制限していない。
エレノア嬢への贈り物を選ぶ兄の傍らで、ソファに体を沈み込ませる。
「このところ暖かい日が続いておりますが、兄様は夜、寝苦しくはありませんか」
兄の視線がこちらに向いたのを確認し、指を二回タップする。
「軽い運動をすればよいと教わりまして、今度実践してみようかと」
『次の夜会で、二番目に踊る相手の背後関係にご注意を』
俺が暗に示したメッセージに、兄は手にとっていたジュエリーを一度裏返してから戻した。
了承の合図だ。
「恋煩いではなく?」
「そのような思考は持ち合わせていません」
「それは残念だ。ギルの恋愛相談ならいつでも受けつけるのに」
ありえない話に苦笑いで応じる。
俺の傍に置けば必ず意識してリーゼリットを見るだろう。
黙っていようが、そう遠くないうちにあの日の恩人だと気づく。
俺はそれまで、王妃としての適性を見つつ、あの無防備で無自覚な令嬢が他の男の手に渡らないようにすればいい。
そう考え、兄の前から姿をくらまそうとするリーゼリットへ婚約を取りつけたのだが、今のところ奏功したとは言えない。
「ギルが婚約者にと望んだご令嬢だからね。僕も兄として注視してみたけれど、よいご令嬢のようで安心したよ。彼女の機転で胸の痛みが引いたことにも感謝している」
俺が進んで近づいた者としてリーゼリットを調べ上げ、追加治療も施されたというのに繋がらないのか。
コンラッドには俺の意図が筒抜けだったことを思うと歯がゆさを覚えるが、ことこの件になると兄の慧眼も曇るらしい。
愛おしそうに贈り物を探す兄は、エレノア嬢のことを疑ってもいないのだろう。
裏があるような令嬢ならすぐに糾弾して追い出してやったが、リーゼリットに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいほどの淑女だった。
鍛錬場でリーゼリットに会って以来、姿を見せなくなったことから察するに、良識ある令嬢なのだろう。
だが、兄を手助けできないなら意味はないのだ。
あの日、兄を死の淵から救った、本当の恩人でなければ。
リーゼリットも剣術指南を経て、兄への態度を軟化させていた。
自身の夢を叶え、兄の人となりを知れば、あるべきところにおさまる日も近いだろう。
あとは兄が気づいてくれさえすれば、この役目を終えられる。
「かしこまりました、ではこちらを。メッセージカードはいかがいたしますか」
「あなたの絹のような肌に映えるでしょう、その様をこの目で見られる日を楽しみにしている、と」
「お箱とリボンはいかように」
兄は贈り物がようやく決まったらしく、今度は提示された包装見本を熱心に眺めている。
まだ当分かかりそうな様子に、ソファに深く座り直す。
ふと向けた視線の先に、あいつが好みそうなネックレスを見つけた。
真珠と緑の宝石が連なり、合間を飾る透かし彫金の細工が花束を思わせる。
零れんばかりに目をキラキラさせるあいつが脳裏によぎり、すぐに振り払った。
自身に課した制約のうちのひとつだ。
リーゼリットへの贈り物は、兄を絡めたもののみと決めている。
「ギルベルトも、リーゼリット嬢に何か贈ればいいのに。きっと喜ぶ」
「俺は別に、そういうのは……」
「そう? これなんか似合いそうだけど」
ちょうど目についたばかりの品へと伸びる兄の手を、つい凝視してしまう。
兄が手に取ったのは、俺が見ていたものの隣のネックレスだった。
大粒のガーネットに彩られた、華やかなそれ。
夜会用としてはよさそうだが、その色あいが何かを彷彿とさせる。
「……おもしろがっているでしょう」
「まさか」
「鍛錬服の件も忘れていませんよ」
剣術指南の約束を取り付けておいて、ちっとも鍛錬場に姿を見せないリーゼリットにどうしたものかと考えていた俺に、鍛錬服を贈る助言をくれたのは兄だ。
だが、決して俺のものだと主張したかったわけではないのだ。
兄の鍛錬服と対になるならと思っただけで。
「ジュエリーを贈るのが恥ずかしいのなら、鍛錬服に合うカメオや髪飾りという手もあるしね」
「……参考にします」
兄は俺の反応に笑顔を見せつつ、向こうのブースも気になるから見てこようと席を外した。
残された俺は大きくため息をつき、店主を呼び止める。
「その赤い方をもらえるか。包装は金で統一してくれ」
兄の思惑通り、リーゼリットは俺の目を模した贈り物に戸惑いつつもバカみたいに喜ぶのだろう。
俺の独占欲の現れだとかなんとか誤認して、照れくさそうにはにかみながら。
じくじくとした痛みを覚える。
どうせなら、隣の品を手に取ってくれたらよかったのだ。
そうすれば何の迷いもなく、兄からのものだと言って渡せる。
──それこそ、本末転倒だろうが。
だが、兄の選択だからといって、誤解を招くような贈り物ばかりしていいのか。
店主の作業を待つ間、目の端を白と緑のあれが掠める。
せわしなく脚を組みかえ、首の後ろをさすり、頬杖をつき。
「………………店主。すまないがこれも頼めるか」
「メッセージカードは」
「不要だ」
「お箱とリボンはどうされ……」
「適当でいい、から、できるだけ早く頼む」
いったい俺は何をやってるんだ。
毒づきつつ、店主から受け取った箱を内ポケットに入れる。
中身がわかるようにだろう、追加した方は深緑の包装紙に銀のリボンがかけられていた。
「買えたかな?」
「……兄様が選ばれたものを」
「ガーネットを? それは、リーゼリット嬢の反応が楽しみだ」
意外そうに目を瞬かせた兄は、優しく眦を下げた。
◇ ◇ ◇
父王への直談判を終えたリーゼリットは、気が抜けたのかさっきから船を漕いでいる。
邸宅まで送ろうと馬車に乗せたのだが、俺の隣で間抜け面をさらすところを見ると令嬢としての自覚はあるのか。
こんなやつだが、あの父王に正面から対峙し、誰もが諦めていたクレイヴの道を拓いてしまった。
兄を救った日もそうだ。
物怖じせず、自身が必要だと思うことに向かっていく。
直情的だが情に厚く、誰かのために尽力することをいとわない。
夢に向かって邁進している様は見ていて心地がいい。
人から向けられる慕情にはとんと疎く、嘘が下手で、令嬢としてのふるまいには欠けるが、一応は直そうという気概がある。
今すぐには王妃としての適性なしと判断されるだろうが……成長次第ではきっと誰からも好かれる国の模範となるだろう。
兄の隣へ並び立つ、ふさわしい王妃に。
俺の最も望む姿だというのに、知らず眉根が寄る。
小さく毒づき、傍らで揺れる頭を小突いた。
「あたっ、……何をなさいますの」
「あまりに間抜け面だったものでな」
頭をさすり口を尖らせるリーゼリットにどこか安堵する。
「まあ、今日ばかりはおまえも疲れたろうしな」
馬車に忍ばせておいた二つの箱へと手を伸ばす。
一瞬迷い、今日くらいは下手に誤解を招くような品はやめようと深緑の箱を掴み。
ふと思い至る。
これは兄が選んだネックレスの隣にあったものだ。
リーゼリットが身に着けているのを見れば、兄は俺が選びとり贈ったものと思うだろう。
いつか真意を明かす際に、俺はただ一時こいつを保護していたに過ぎないと兄を納得させるには、このネックレスを贈るべきでない。
もしこいつがいつか傷つくことになったとして、それで兄の元へ向かうならそれでいい。
ほだされて初志を忘れるな。
すべては俺を救い出してくれた、兄のために。
俺は深緑の箱から、こわばる指を引き剥がした。
「……預かりものだ」
そう言って渡した金の箱を開封するなり、リーゼリットの頬がみるみる染まっていく。
誰が見ても、俺の瞳の色を模した宝石だと思うだろう。
単純なこいつの頭の中など、手に取るようにわかる。
「……っ、俺が選んだわけじゃないぞ、兄様がだな。おまえが、喜ぶだろうと……」
言えば言うほど照れ隠しにか思われないことも。
鍛錬服といい、このネックレスといい……くそ、恨むぞ兄様。
「夜会に参加する際に、つけてまいりますわ」
頬を赤らめ破顔するリーゼリットに、俺は複雑な思いで目をそらした。
早く邸宅に着け。
そう思い窓の外を見やる俺の傍らで、リーゼリットがごそごそと落ち着かない様子を見せる。
「……何やってる」
「さっそくつけてみようかと思ったのですが、ひっかかってしまったみたいで」
「貸せ」
リーゼリットは束ねていた髪をかき上げ、無防備にもうなじを見せた。
ほんのりと色づいた耳と白いうなじの対比に手が止まる。
こいつは兄のものだ。
俺が触れていいのは、触れられるのは──
注意深くネックレスをつけ、こちらへと向き直ろうとするリーゼリットの肩に額を寄せる。
「……膝かせ」
ごろりと仰向けになり、額の上に手の甲を乗せれば、心得たように髪を撫でてくる。
何も言わずに受け止めていると、膝越しに小さく笑う気配がした。
「……何がおかしい」
「殿下は膝がお気に入りですね」
指の隙間から、慈しむような淡い緑が覗く。
俺をまっすぐに見る澄んだ瞳。
首筋に触れるひと肌の温度。
耳をくすぐる柔らかな声。
髪を梳く優しい掌。
俺へと向けられる、疑いようのない信頼。
あと何度、このひと時を過ごせるのか。
失った後、再び同じような温かさに巡り合えるのかも、今は考えてはいけない。
頼むから兄様、早く気づいてくれ。
俺がこいつを手放せなくなる前に。