50 脳内レフェリーは下がっていてください
「おかえりなさいませ」
馬車が邸宅の前に停車すると、ベルリッツをはじめとした屋敷の侍従たちがずらりと並び、出迎えてくれる。
殿下と一緒だからか、えらく大仰な出迎えだ。
エレノア嬢から受け取った木箱をカイルに託し、別れの挨拶をと殿下に向き直った私の横から、ベルリッツが恭しく声をかける。
「旦那様と奥様はまだお戻りになられてはおりませんが、奥の部屋にお茶の席を準備してございます」
その言葉に、殿下はさも当然というようにベルリッツの後へ続く。
私の横を過ぎる際に、呆れた目をよこして。
なんと。
送ってもらっておきながら、それじゃねバイバイってわけにはいかないってことか。
しかもそんな私を見越して即座に助け船を出すとは、さすがベルリッツである。
まあ、殿下には私の不義理っぷりなんてバレバレでしょうけどね。
「おかえりなさい、姉さま。お疲れでしょう」
部屋へと向かう道すがら、上階から澄んだ声が聞こえてきた。
レヴィが玄関ホールの奥の階段を降りてくる。
ああ、今日も最上の癒し。
背中に生えた羽が見えるようだわ。
「ただいまレヴィ。朗報があるわ」
「どのような朗報でしょう……殿下に関することでしょうか?」
隣にいるギルベルト殿下へと視線を走らせると、寂しそうに顔を曇らせた。
うう、心が痛い……
昨日の今日で信用ないかもだけど、さすがに私でも、レヴィにそんな顔させるようなことを朗報とは言わないからね。
「全く別の話よ」
安心させるためには現物を見てもらうに限る。
カイルを呼び寄せ木箱を開けようとする私の傍で、殿下がレヴィンとやら、と呼びかけた。
「思惑通りにならず、残念だったな」
「何のことですか?」
ピリッとした空気が辺りを包……んだよね、今。
瞬間湯沸かし器ならぬ、瞬間冷却装置の称号でも獲得するつもりか。
殿下にしてみれば反応を見たかったのだろうけど、不仲なせいで判別なんてできそうにない。
この間みたく置いてきぼりを食らう前に、この張りつめた空気をなんとかせねば。
「レヴィ、朗報というのはゴムの匂い対策よ。私のお友達がね、考えてくださったの」
これよ、と木箱の蓋を開けると、その女子力全開な中身にレヴィは目をぱちくりとさせた。
「こちらがプレゼントですか?」
「? 困っていると伝えたところ、考えてくださったのよ?」
「今日はあちらでたくさんお祝いされたのでは?」
「?」
なんのこっちゃい。
話がつながらなくて、レヴィと2人、はてなマークを飛ばし合う。
「何の祝いだ?」
聞かれたとて思い当たるものなどなく、殿下からの問いかけにふるふると首を振るのみだ。
「……もしや、忘れてみえたんですか? あんなにたくさん、配る品を用意されていたのに?」
はて、配る、とは。
デーツなら配りはしたけども、剣術指南のお礼代わりなわけで、レヴィの言葉と結びつかない。
「今日はリゼ姉さまの誕生日ですよ……」
お、おお……? そういえば私、今日が誕生日だわ。
この国では、自分の誕生日に自分でふるまう品を用意するのだ。
本来はお父様かお母様がパーティーでも開いて客人をもてなしてっていう流れなんだろうけど、うちの両親は放任な上に私も当日外に出かけちゃうしで成り立たなかったんだろう。
デーツをもりもり用意する様子を見て、レヴィはお城で盛大に祝ってもらうと勘違いしたのね。
ええと、……じゃあ何か?
私は自分の誕生日に婚約破棄されそうになったり、人から殺意を向けられたりしたのか……?
そりゃ、破滅へのカウントダウンって考えればそれもありなのかもしれないけどさ……
誕生日だからちょっときつめに調整しときましたって?
いらないよ、そんなサービス!
愕然とする私と隣の殿下に視線を向けてから、レヴィは朗らかに笑う。
「よかった、じゃあ僕が一番乗りですね。このために王都に赴いたのに、プレゼントのリサーチと制作に思いのほか時間がかかってしまって。朝一番にお渡しすることができず、残念に思っていたのです」
ふんわりとした笑みを携え、おめでとうございます、と手渡されたのは、レースのリボンが巻かれた黒くて細い筒だ。
覚えのある匂いがする筒の先にはシルバーの細工が巻かれ、私のイニシャルが刻まれている。
「ありがとう……大事にするわ…………っ」
レ……レヴィ…………っ
おじさまの商談にくっついて来たと話していたけれど、最初からそのつもりの旅程だったのか。
なんっていい子なんだ。
プレゼントはなんだろう、鞘付きの小型のナイフとかかな。
外から見ている分だけでは用途が判別できそうにない。
何の気なしにきゅぽんと引き抜いてみると、中から金色のペン先が現れ、目をかっぴらいた。
こ、こ、これって……!
「インクを内蔵した携帯できるペン、万年筆です。インクが滑らかに出るよう改良を加えています。ぜひ書き味を試してみてください」
手袋の試作品もできていますよ、との言葉に思わず感動で目が潤む。
博覧会であんな目に遭ったっていうのに、レヴィってば……私の呟きをちゃんと覚えてくれていたのか……
どこまで天使なの……っ!
湧き上がる感情に、つい頬をうりうりしそうになって。
「リズ!」
背後からの殿下の声に驚く。
……今の、呼ばれたのか?
振り返った私に何を言うでもなく、殿下は馬車へと引き返す。
帰るの?
今日したばかりの注意喚起が生かされてないって、怒っちゃったとか?
見送りに戻るべきかと戸惑っているうちに、殿下はいったん馬車に乗り込むと、何かを手に戻ってきた。
ずいと目の前に突き出されたのは、プレゼント仕様に包装された細長い箱だ。
「……、っ、家でつけろ。いいな、リ……リズ」
これ以上ないほど真っ赤な顔で、それでも目は逸らされることなく告げられた言葉を、おっかなびっくり受ける。
掌に落とされた箱の淵は、強く握られたせいか包装紙がしわになっている。
いったいいつからこれを持ち歩いていたんだとか。
今のは愛称のつもりなのかとか。
レヴィと同じには呼びたくなかったのかとか。
ふだんは素直じゃないくせに、対抗心でツンをどこかに置き忘れてきたのかとか。
いろいろ言いたいことはあったのに、殿下につられてじわじわとたまる熱のせいでろくにものが言えそうにない。
こんなささいな言動ひとつで、無自覚に人を惑わしよって、このツンデレめえぇ……っ
「……う、……は、い」
ようやっと絞り出せた回答を皮切りに、じゃあな、と帰ろうとする殿下を、ベルリッツがやんわりと引き留める。
「お待ちください。ささやかではございますが、お茶の席は私共からのお祝いとしてご用意したものなのです。ギルベルト殿下もどうかご参加くださいませ」
べ、べ、ベルリッツ……!
お茶の席って、私のお誕生日祝いのためだったのか……!
居並ぶ侍従たちの中には料理長もいて、腕を振るいましたよとばかりに満面の笑みを見せてくれる。
通常業務の合間をぬって、放任な両親の代わりにと自発的に取り組んでくれたのだろう。
やさ、やさしすぎでしょ……うちの侍従たち。
すでに感無量なんですが、泣かせに来てるのかよおぉ……っ
・ ・ ・
そんなこんなで急遽、祝いの席のホストになったわけですが、客の組み合わせは最悪である。
なんといっても殿下にレヴィだ。
私の準備が整うまで和やかに待っているとはみじんも思えない。
一刻も早く鍛錬服から午後用のドレスに着替えようとしているのに、部屋に戻ったナキアはまず開封をと言って譲らなかった。
「プレゼント次第でドレスを決めますので、お早く」
追い立てられるように開封した殿下からのプレゼントは、きゃしゃな造りのネックレスだ。
真っ白なパールに、少しずつ色味の異なる緑色の小ぶりな石がころころと連なり、ところどころに透かし彫金がちりばめられている。
思わず感嘆の声が漏れちゃうくらいに、かわいいけれど甘すぎない、さすがのセンス。
少し前にも殿下からネックレスをいただいたのだが、そちらとは趣が異なり、あの髪飾りにもよく合いそうだ。
ファルス殿下に怪しまれることのないようにと、城に赴く際には着けるのを控えている、一目で気に入った髪飾りに。
「かしこまりました、リーゼリット様。ドレスと靴はこちらに、それから御髪も整えますので」
何も言ってないのに心得た風なのはなぜだ。
頼もしいナキアの手により、所要時間10分という早業で支度を終え、殿下たちのいる部屋へと向かう。
中はどれほどのブリザードが吹き荒れていることかと恐々覗き込むと、想像とは異なり、めいめい静かに過ごしていたようだ。
殿下はテーブルについて本を読み、レヴィはカウチソファに木箱の中身を広げて夢中の様子。
懸念していた事態はなく、ほっと息をついて部屋へと進み出る。
「お待たせしました」
ナキアが選んでくれたのは、ドレープの利いたシルクのドレス。
サイドにあしらわれた金の刺繍入りのレースと腰のリボン以外に装飾はなく、シンプルな分、殿下のくださったアクセサリーがよく映える。
髪は片側を緩く編み込んで花の形にしたものを、髪留めで留めてもらった。
どうよ、このナキアの見立ては。
「とてもおきれいですよ、リゼ姉さま」
「ふふ、ありがとうレヴィ」
さっそくテーブルにつくと、並べられた小ぶりのお菓子の数々に、目が輝く。
ナキアの注ぐ薫り高い紅茶を鼻腔いっぱいに味わえば、自然と頬も緩んだ。
「私のためにお時間を頂戴いたしまして、感謝申し上げますわ。皆もこのような席を準備してくださってありがとう」
傍に控える侍従たちへと笑みを向けると、照れくさそうな柔らかな反応が返ってくる。
なんてあたたかな世界だ。
毎日こんなだったらどれだけいいか。
さて殿下の反応は、と横目を向ければ、視線の先すら定められずに眉間にしわを寄せている。
「なにも今すぐに着けろと言ったわけではないんだが」
「家でとおっしゃったのは殿下でしょう? それにほら、以前いただいたお品よりこの髪留めがよく合うんですもの」
後ろの髪留めが見えるように顔を傾けると、殿下は言葉を詰まらせ、口元を手で隠すとそっぽを向いてしまった。
ツンデレ美味しいです、ありがとうございます!
「……姉さま、万年筆はもうお試しになられましたか?」
「それがまだなの。支度に手いっぱいで」
「そうかと思いまして。どうぞ」
差し出された紙へとペンを走らせてみると、かすれもせず液だれもせず、滑らかな書き心地。
レヴィ曰く、インクが滑らかに出るように空気穴を施しているらしい。
よく見ると、ペン先の裏にわずかに隙間がある。
急須の蓋に空いている、あの小さな穴みたいなものか。
でも、急須の蓋とは違って空気穴はペンの下側についているのだ、大丈夫なのか?
「ここからインク漏れしないのかしら」
「液体には、上下左右に関わらず狭い隙間に浸透する性質があるのですよ。もし太さの異なる管を2本液面に浸した場合、より細い管の中の液面が上がります」
ほほう、毛細管現象というやつだな。
たしか手術後に体内に残しておく管に溝が施されているのも、その仕組みを利用して浸出液や膿などを排出しやすくしているのだったか。
「密閉された容器内の液体を取り出すには、その分の空気を代わりに容器内に送り込む必要がありますので、自然と細い方が液体、太い方が空気の通り道となります。そのため、空気穴からインクが漏れることはないんです」
なるほど、そんな仕組みになっているのか。
「レヴィは本当に物知りね」
「アルガンランプの技術を転用しただけですので、新しいことは何も」
照れた様子を見せるが、その応用力と発想力がすごいんだってば。
「たしか万年筆は、液だれや液漏れがひどくて使えたものではなかったと聞くが」
「……少しはものをご存じのようで」
横からの殿下の言葉に、レヴィが冷ややかな反応を返す。
ちょいとそこのお2人さん、ここ一応、私の祝いの席だからね?
「姉さま、ご心配には及びません。軸の素材を変えたことでそちらも解決しております。80℃以上に加熱すると柔らかくなる性質を利用して、ペン先とペン軸を貼り合わせています。インクを充填する際のねじ穴も、かみ合わせが緩みにくくなりましたから」
「ねえレヴィ、この軸はもしや」
「お気づきですか、エボナイトです。インクの酸による変性を防げるなら、活用できるかと思いまして」
博覧会で見た、あの黒いゴムの加工品。
本当に作れちゃったのか。
「エボナイトは、生ゴムに硫黄を加えて加熱する加硫という工程のうち、硫黄の量と加熱時間を長くしたものなのです。それほど複雑なものではありませんよ」
レヴィは事もなげに言うが、そんな誰でも思いつくようなものだったら、開発者もあんな大舞台で披露しようとはしないだろう。
君の頭には本当に、私と同じ物質が詰まってるの?
一見するとシンプルな作りなのに、いろいろ考えられているのだなあとレヴィからのプレゼントをしげしげと見やる。
そういえば、硫黄をたくさん使用しているというのに、匂いはきつくならないんだな。
温泉で嗅ぐような、卵の腐ったような匂いだっけか。
使用量が増している割には、以前嗅いだゴムの匂いとそう変わらないような。
くんと匂いを確かめ、特有のえぐみに後悔した。
「そうだわ、匂いの軽減。どうだったかしら」
「オレンジとシトラスの精油は、うまくゴムの匂いを緩和していましたね」
「でしょう? 精油を分けていただいたの。さっそくこの万年筆にも垂らしてみていいかしら」
だめかと問いかければ、レヴィは困ったように眉根を下げる。
「……ずるいですよ」
その顔もたいへんかわいらしいのだが、ずるいというのは、いいってことか悪いってことか。
「察してやれ。従弟殿は、自分の手掛けたものに人の手を入れたくないらしい」
「僕はそこまで狭量ではありませんよ。逐一見張っていなければ気の済まない、あなたではあるまいし」
姉さまどうぞ、と促され、精油を滴らせてはみたものの。
またしても雲行きが怪しくなってきた。
「しかし、意外だったな。主張の激しい従弟殿のことだ、装飾品のひとつでも贈るかと思ったが」
「なぜ僕が? 僕にしかできない、姉さまが最も喜ばれる品があるとわかっていて、どこの誰が作ったかもしれない量産品などに手を伸ばす必要があるのです?」
ピシャーンと落ちた雷の音が聞こえる。
脳内レフェリーが、レディーファイッとか言い出す始末だ。
ファイッじゃないから、されちゃ困るから。
せっかく整えてもらったあたたかな世界が開始10分と経たずに終了とか、何それ切なすぎでしょう。
なんとかして意識を逸らせないかと辺りを見回すが、侍従たちは静かに控えるのみで割り入ってくれそうにない。
何かいい話題は……できるかぎり穏便に、何かこの場を切り抜ける方法は。
泳ぐ視線がとらえたのは、部屋に置かれたあるものだった。
ちなみに、作中でリーゼリットが混乱していますが、硫黄は無臭。いわゆる温泉の匂いは硫化水素です。
万年筆について
携帯できるペンとして万年筆の原型が世に出たのは953年エジプトと歴史は古いですが、万年筆の改良が大きく進んだのはビクトリア朝時代です。
エボナイトは耐久性や耐摩耗性に優れ、万年筆の軸材として最適なのだとか。
1883年アメリカ合衆国の保険外交員が調書にインクの染みを作り契約を取り逃がしたことを切っ掛けに、毛細管現象を利用したペン芯の発明に至ったそうです。




