47 私の差し金で間違いありません
鍛錬場の一角に設けられた東屋で、お人形を思わせるご令嬢の背が姿勢よく伸びている。
つややかな金色の髪、侍女へと向き直るその横顔は、待ち詫びた者のそれだ。
「エレノア様!」
「まあ、リーゼリット様」
東屋へと駆け寄ると、エレノア嬢は私の鍛錬服に目を輝かせたようだった。
「本格的に始められたのですね。とてもよくお似合いですわ」
「ありがとうございます。エレノア嬢にお会いできて嬉しいわ」
しかも、この鍛錬場で。
これでようやく騎士探しが始められる。
本日の鍛錬はすでに始まっているようで、殿下はエレノア嬢に簡単な挨拶をしたのち、講師役を呼んでくる、と東屋を後にした。
殿下を見送り、侍女の淹れるアイスティーで喉を潤す。
王妃の前では口をつける余裕なんてなかったから、とってもおいしい。
鍛錬場へと先に運ばせておいた私の差し入れも無事に届いているようで、ほっとしたわ。
気の抜けた顔でお茶をがぶつく私を、くすくすとエレノア嬢が小さく笑う。
「さっそくですが、ゴムの匂い対策を持参しましたの。ご覧になられます?」
えっ、もうできているの?!
あのレヴィですら難航していたのに?
「お、お願いいたしますわ」
さすがヒロイン、チートがすごい。
テーブルへと広げられたのは、ガラスの小瓶でいっぱいになった木箱だ。
可愛らしいガラスの小瓶にはゴム片が入っており、蓋と瓶の側面にラベルが貼られている。
ラベルには、ペパーミントやローズマリー、レモングラスといったなじみ深いものから、私には聞いたことのない名前まで書きこまれていた。
目の前に置かれているのは検討結果だというのに、無機質さはかけらも感じられない。
さすがヒロイン、女子力がすごい。
「消臭効果の高い香油から試してみましたが、消臭にとよく用いられるものよりも、こちらの方がゴムには合うようです」
促されいくつかの小瓶を試していた私に、一つの小瓶を示される。
エレノア嬢が言うように、シトラスの香りが一番ゴムのにおいが気にならなくなっている。
「いかがでしょうか?」
「たいへん素晴らしいですわ。これならば匂いの問題も解決するかと。きっと従弟も喜びます」
「従弟の方にもお確めいただく方が良いと思われますので、こちらをどうぞお持ちになって」
にこりとほほ笑むエレノア嬢から後光が差して見える。
むしろうちにおいでくださいとお声掛けしようとして、すんでで思いとどまる。
そのつもりなどなくとも、エレノア嬢と引き合わせたら、レヴィとの約束を破ったことになるかもしれないのだ。
わ、私のばか……っ!
ヒロインのチート力とレヴィの天才頭脳が掛け合わされれば、鬼に金棒こたつにみかんだったのに!
脳内で一人身もだえていた私の耳に、エレノアのかわいらしい声が届く。
「もう一つのお約束でしたカビの採取ですけれど。リーゼリット嬢のご予定がよろしければ、修道院へご一緒なさいませんか。トーナメントのために人が集まってくるこの時期は毎週末に催しがありまして、日が合えば私もお手伝いに出向いておりますの」
聞けば明日はバザーが開催され、修道院で作っているものを販売するらしい。
有志による公開講座のようなものも行われるのだとか。
「もちろんですわ! ぜひ伺わせていただきたく!」
「では明日、邸宅に馬車を向かわせますわ」
おおおお女友達とおでかけ!
しかも行ってみたかった修道院でのイベントとか、なにそれめちゃめちゃ楽しみなんですけど!
何か持参するものはないか、服装はどんなものが望ましいかをきゃわきゃわ相談していると、一人の騎士が東屋の前で跪いた。
「お待たせしました。本日は不肖、私めが担当いたします」
講師役にと現れたのは、長めの黒髪を束ねたキース様だ。
鎧は外してみえたのだろう、鍛錬服に身を包んでいる。
「こちらこそ、大切な鍛錬中にお時間を賜りまして。ありがとうございます」
「ジョストの訓練が始まるまでになりますが。ギルベルト殿下より、先日の訓練内容をお聞きしております。さっそく復習とまいりましょう。エレノア嬢、リーゼリット嬢をお借りしても?」
もちろんですわ、と頷くエレノア嬢が見守る中、東屋の傍で懐剣を構える。
レイピアを携えたキース様と剣を交え、懐剣を奪われそうになれば回避を試みる。
「本当に筋がよくていらっしゃる」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
殿下にこっぴどくやられたのが悔しくて、体に染みつかせるくらいにがんばったのだ。
屋敷の花瓶を割ってはお父様にどやされながらね。
キース様は殿下ほどの鬼畜な剣筋はないが、こちらが反撃に転じても全部難なくいなされてしまう。
力の逃し方がうまいって、こういうことか。
巧みな剣技に、攻め手を見つけらない。
「とても素敵ですわ……」
エレノア嬢は頬を赤らめ口元に手をあて、思わずといったようにため息をこぼしている。
その視線の先はファルス殿下ではなく、こちらだ。
おおっとこれは、すわ判断タイムか。
すかさずキース様の反応を盗み見ると、キース様は目を瞬かせてエレノア嬢から視線をそらせた。
この何とも初々しい感じ。
「キース様はエレノア嬢に想いを寄せていらっしゃるのですか?」
「えっ……!」
直接聞いてしまえたらと常々思っていたからだろうか、さらりと口をつく。
「何を……いえ、そのようなことは……」
そのシンプルさが功を奏したようだ。
虚を突かれたらしく、反応は顕著に表れた。
しどろもどろな否定に、赤く染まっていく端正な顔。
これでは肯定しているようなものではなかろうか。
「で、では、本日は互いが丸腰の際に使用できる体術をいたしましょう。女性でも行えるものを、見繕ってまいりましたので」
咳払いで気を取り直し、いざ実演をと説明を始めるキース様に、爆弾を一つ。
「剣を用いず女性が行えるものでしたら、エレノア様も学べるのではなくて?」
「え……っ」
固まってしまったキース様を尻目に、東屋へと向き直る。
「エレノア様、剣を使わずに行える護身術ですって。ご一緒にいかがかしら」
「いいえ、わたくしにはそのようなこと……」
「何が起こるかわかりませんもの、覚えて損はありませんわ。ファルス殿下も護身は大事だとおっしゃっていたではありませんか」
「それは……そうかもしれませんが……」
「もしもの時に、殿下をお助けできるかもしれませんわ」
「お、お願いしたいですわ……!」
小さくこぶしを握るエレノア嬢はとってもかわいい。
ちらと二人でキース様を見やると、知的な瞳をぎゅうと閉じ、肩をすくませ唸るような返事がきた。
「おれ……わ、私でよろしければ」
そうして始まった護身術指南であったが。
見ているこちらがかわいそうに思うくらい真っ赤だし、手なんか震えてしまっている。
少しでも手以外の部分が触れようものなら、弾かれたように離れる始末だ。
……いじましい……っ!
これだけわかりやすいのだ、キース様がエレノア嬢に片思いなのは確定だな。
残りの二人はどうだと視線を走らせるが、コンラッド様はこちらを見ていないため判別不可。
残念ながらランドール様もだ、騎士団長からのしごきを受けている。
エレノア嬢に対する反応を思えばキース様のような気もしないでもないが……他の騎士たちの反応がわからない以上、すぐに絞り込むのは早計か。
タイムリミットまで残り一週間。
訓練に参加できるのは今日を入れてあと二日しかない。
最悪、事前に誰かわからなくたって、ジョストの優勝者をふんじばってでもトゥルネイに出ないようにすればいいのだけど。
番狂わせが起きることだって無きにしも非ずだもんなあ……
その場合、優勝した騎士は人違いで活躍の機会を失い、本当の攻略対象は頭に大ケガするのか……
なんって悲劇だ。
ニッチなもの展示してるな、の一言で終えてしまったあの開頭用のドリルだって、考えてみればフラグなんだろう。
元医師だった小説の主人公なら、画期的な器具だと目を輝かせる代物だったのかもしれない。
でも、ここにいるのは残念ながら私なのだ。
あの麻酔方法で、あの衛生環境で、未だ抗生剤もないこの現状で。
まず私にできるはずもなく、人に頼んだところで、誰であっても解決不可だ。
もしかしたらヒロインがなんとかしてくれるかもしれないけれど、任せきりにしてよいとの断言はできない。
あの日私が駆けつけなかったら、原作のようにファルス殿下が亡くなっていたのだという懸念がある限り。
せめてトゥルネイが始まるまでには、誰が攻略対象かという確証を得ないとなあ。
「エレノア嬢も始めることにしたのかな」
考え事をしていたせいか、気づくのが遅れた。
かけられた声はわずかに怒気をはらみ、弾かれたように振り返る。
「君の差し金?」
はちみつ色をした双眸が弧を描く。
見た目は確かにいつものさわやか笑顔のはずなのに、鋭く尖らせた剣の切っ先を突きつけられているかのように感じるのは、……決して私の気のせいではない。
ごくりと呑んだ生唾の音が、ひどく大きく響いた。
生ゴムのにおい軽減策については、日本デオドールさんの記述を参考にさせていただいております。