44 月下氷人のひき合せなるか
「おまちください!」
とっさにコンラッド様の服を掴んで引き留める。
「ここでお会いしたのも何かのご縁ですわ。よろしければ一緒に回りませんこと?!」
コンラッド様は私の申し出が予想外だったようで、垂れた目を見開き、驚きをあらわにしている。
レティシア嬢とレヴィの順に目を走らせてからこちらに向き直ると、どこか引きつった笑みを見せた。
「……正気?」
「しごく正気ですわ」
この特徴的な容姿、響きの美しいこの名、間違いない。
レティシア・フォン・リヴァーレ。
原作小説にギルベルト殿下の婚約者候補として登場し、レヴィの恋人となった異国のご令嬢だ。
当人は殿下との婚約に乗り気でなく、最後まで主人公の恋のライバルにはなりえなかったが、そもそもブラコンであったならそれも当然というものだ。
レヴィとの触れ合いの中で互いに惹かれ合うのだとしても、レティシア嬢は基本宮殿にいる上、レヴィは数日もすれば領地に戻ってしまう。
レティシア嬢とレヴィとのつながりを作れるのは、この場以外に考えられない。
それならば、この機を逃す手はなかろう。
なんか、すっごい、視線が刺さるけども……!
「私はそのようなことっ」
「レティシア、かまわないかな?」
「は……はい……」
コンラッド様の迫力ある色香にやられたのか、何か言いかけていたレティシア嬢は従順にもこくりと頷いた。
いい子だと頭を撫でられ、照れながらそっと髪を戻す。
え、なにこの反応、めちゃくちゃかわいいんですけど……!
ただ、このすさまじいほどの傾倒ぶりを見るに、どうやってレヴィに心変わりするのか見当もつかない。
とりあえず意識させてく?
「姉さま」
控えめに袖を引かれて振り返ると、レヴィが眉根を下げてこちらを見ていた。
「断りもなしにごめんなさい。お2人は西の国から招かれた要人なの。レヴィのためにもご一緒したいわ」
「……わかりました」
かけねなしの本心なのだが、レヴィの顔は沈んだままだ。
楽しみにしていた観覧に、接待もどきの社交が挟まったようなものだもんね……
ちょっと心苦しくはあるけれど、これは姉代わりへの淡い初恋から醒め、本当の恋を知るための第一歩だから。
いつか絶対に、この日そうしてよかったって思えるようになるからね!
「2人はどこを回った? まだ見ていないところの方がいいよね」
パンフレットを広げるコンラッド様の手元を覗き込もうとしたところで。
「痛っ」
いきなり足の甲に激痛が走って飛び退る。
「姉さま!」
「まあ、ごめんなさい。足元をよく見ておらず」
一瞬何が起きたのかわけがわからなかったけれど、要するに足を踏まれたのだろう。
レヴィに支えられながら、じんじんと熱を持つ足に耐える。
「い、いえ……」
心のこもっていない謝辞といい、コンラッド様の微妙な顔つきといい、これは、まあ、そういうことなんだろうなあ。
どうにか進む先を決めて観覧を再開した後も、それはそれは大したものだった。
決してコンラッド様の隣に私が並ばないように鉄壁のガードを展開している。
いや、いいんだけどさ。
並ぶつもりもないし、レヴィがレティシア嬢との間に立ってくれているし。
逆に願ったりかなったりな位置どりだから、全く問題ないんだけどさ。
「あの、レティ……」
「ねえお兄様、あちらの展示は何かしら」
「こちらお似合いではなくて? レティシ」
「驚きましたわお兄様。このカメラ、こんなに鮮明な写真が撮れるのですって」
話しかけても基本スルー、2人だけの世界を満喫するばかりで、取り付く島もない。
なんか、なんか……なんかすごいな!
この歳で立派に悪役令嬢してるわ。
攻略対象との間に立ちはだかる、悪役令嬢のしぐさの見本市みたいだ!
ひとりでおかしな感動を覚えていると、コンラッド様が肩越しに振り返った。
この様子に心配でもしたのかと思ったが、私とレヴィを見るなり打ち震え出しただけだ。
解せない。
「大変シンプルな機構で、離れた場所へメッセージを送ることに成功しました! これならばより多くの場所での利用が可能となることでしょう」
そんなこんなで連れ立っての見物中、とあるブースからの口上にレヴィが足を止めた。
心惹かれるものがあったらしく、私たちに断り、歩みを向ける。
3人でひょこひょこついていくと、そこはテレグラフを紹介するブースのようだった。
針金でつながれた二つの展示台には、それぞれ金属と木でできた小ぶりの機械が置かれている。
案内人曰く、向こうの展示台にある紙にメッセージを書き込むというものらしい。
物珍し気に集まる客の前で、案内人は一方の展示台に置かれた機械のレバーに指を添える。
軽い力で押し当て、トントン、トトンと不思議なリズムを奏でた。
こ……これ、モールス信号じゃん!
これがかの有名なトンツー!?
初めて見る打ち方にソワッソワしている私の隣で、レヴィは二つの展示台の機械の構造や動きを細部までじっと見ている。
もう一つの展示台に置かれた機械は送った信号を打ち出すもののようで、するすると吐き出される帯状の紙に、点と線が書き込まれていく。
「さて、私が送りましたこのメッセージを、こちらの文字盤にてぜひご確認ください」
掲示された文字盤と照らし合わさせると、そこには『神の御業』とあった。
解読できた楽しさと言葉選びのセンスにどよめきが起こる。
「まるで暗号だな。他の言葉も送れるのか?」
「では、お連れの方の名をこの文字盤に従って打ってみてください」
客にも操作させてもらえるらしく、コンラッド様が前に進み出て、促されるままに文字を打ち込んでいく。
点と線で『レティシア』と打たれた紙を見て、レティシア嬢が嬉しそうに頬を染めた。
私も、打ちたい……!
おそらくはその場にいる者みな同じ顔をしていたのだろう。
皆様もどうぞと促され、順に送信機の前に立つ。
私がたどたどしい手つきで『いつもありがとうレヴィ』と打つと、満面の笑みとともに高速で返ってきた。
習得早いなっ。
ええと、なになに、『T・H・E G・R』……?
『あなたに出会えたことが最上の喜び 麗しのリーゼリット』
うおおお、なんだこの秘密めいたラブレターもらったような気恥ずかしさは……!
紙を持つ手も震えるわ!
解読を終えた私を、傍でレヴィがじっと反応を伺っている。
こほんと一つ咳払いをして、照れくささを隠すように紙をくるくるまとめる。
「……あ、ありがと」
ほんわりと花がほころぶような笑みを向けられ、浄化すると思ったわ。
客たちは思い思いにメッセージを打ち込み、受け取った紙を大事そうに抱えている。
「こちら、いただいても?」
「どうぞ記念にお持ち帰りください」
客に実践させる催しは好評なようで、案内人もにこにこと楽しそうだ。
「ふん、こんなもの。子供だましだ」
「我が国の5針式の方がわかりやすい。わざわざ文字盤で照らし合わせなどせずとも、針の指し示す文字を読めばいいのだからな」
「それに我が国ではすでに、手書きの署名すらそのまま送れる電信機をも発表しているのだ。今更記号など時代遅れも甚だしい」
そんなステキ機器があるのか、とは思うけれど、せっかく楽しく観覧していたところに水を差す行為はどうかと思うぞ。
おそらく同業者なのだろう、そうだそうだと同調していく客たちに、案内人がたじろいでいる。
なんとも居心地の悪い雰囲気に苦々しい思いでいると、凛とした声が喧騒を割り裂いた。
「そうでしょうか。こちらにも利点はありますよ。確かに簡素化はされていますが、その分使用する電線の数が段違いです。5針式は電線の敷設にかかる費用がネックなのでは? 手書きの署名の方も、ペンの速度がかみ合わずに同一のサインとみなすことは難しいとお聞きしましたよ」
まるで天使のごとき風貌の男の子から、およそ似つかわしくない知識が飛び出す。
大人たちはそれに面食らったようだった。
静まり返った場で、レヴィは集まる視線をものともせずに朗々と言を紡ぐ。
「それに、言語の記号化には汎用性があります。電線が敷かれていなくとも利用が可能、というように。
たとえば船舶航行中は旗による意思疎通を図っていますが、月のない夜や濃い霧の中では意味を成しません。光を用いてこちらの記号を送りあえば、夜と霧はもはや我らを阻むものではなくなるかと」
いかがです? と柔らかな笑みを浮かべたレヴィの頼もしさに、背中を電流にも似たしびれが走る。
この子うちの、うちの従弟です!
ものすごく優秀で、最っ高な従弟です!
「いやあ驚いた、ありがとう。今の君の言葉にヒントを貰ったよ。これならばさらに簡素化できそうだ!」
口々に言い立てていた大人たちがすごすごと退散した後、レヴィが案内人から熱心に話しかけられている。
そっとレティシア嬢の様子を伺うと、なんとレヴィの様子をじっと見ているではないか。
あのレティシア嬢に、十分に印象づけられてる!
さすがだ、レヴィーッ!
「従弟君の家は何か商売でもしているのかな」
「主に船舶による貿易を」
そこまで答えてハッとなる。
これはアピールのしどころだわ。
家がどうかじゃなく、レヴィ自身がすごいのだと知っていただかなくては!
「レヴィは、多方面への知識があって勉強家で発想が豊かで頭が柔軟で癒しで……とにかく自慢の従弟なのですわ!」
売り出し中の俳優を売り込むマネージャーよろしく、レティシア嬢へ向けて力いっぱい紹介する。
鼻息も荒く言いきったのだが、レティシア嬢は興味なさげにふうんと一言零すのみだ。
反応うっす!
コンラッド様にいたっては顔を背けて肩を震わせているから、またおもしろがる余地を与えただけだったのだろう。
……負けない。
「楽しそうですね、何のお話ですか」
案内人と話を終えたらしく、レヴィがこちらへと戻ってくる。
「さすがレヴィだと褒めていたのよ。通信技術にも詳しいなんて」
「王都にいく姉さまと連絡を取れる手段はないかなと調べたことがあったので。鉄道連絡用でしか実践されておらず、一般化されていなくて諦めたのですが、お役に立ててよかったです。それに、昔姉さまと遊んだブリキ缶の方が僕には魅力的で。声を直接届けられるのがいいですよね」
今日見た機器の構造をヒントに、また挑戦してみようかなあ、と呟くレヴィに思わずこわばる。
糸電話ならぬブリキの缶電話をし合った過去は認めるが。
一足飛びに電話まで発明しちゃうフラグですかこれは。
今まで意識したこともなかったけど、ほんとにこの子の行動原理って私なんだ。
「君の従弟も相当だな」
コンラッド様のつぶやきには、乾いた笑いしか返せない。
この才能を軍事転用だけはしないように、発言には気をつけよ。
「レティシアが寄りたいと言っていたステンドグラスのブースがこの2階にあるらしい。そちらに寄っても?」
コンラッド様からの申し出に一も二もなく頷き、らせん階段を上がる。
ガラスの壁にステンドグラスを張り付けるように展示されたもので、遠目にもその一角だけ色どり鮮やかなことがわかる。
聖書の場面を切り取ったものや動植物のモチーフなど、さまざまなデザインとともに、意匠の名が記されていた。
床板にはステンドグラス越しに降り注いだ光が写し取られ、ここだけ別世界に来たみたい。
荘厳な雰囲気の中、見上げるレヴィは舞い降りた天使のようだ。
「きれいね」
思わず漏れ出た声に、レヴィがこちらを振り返る。
「姉さまこそ」
正面から向かい合うと、するりと両手を取られた。
「僕にとってはいつだって姉さまが一番。ずっときれいだと思っています」
とろけそうな緑の目がステンドグラスの光を浴びて煌めく。
まろやかな頬にうっすらと朱が差しているのがわかる。
「僕の最愛」
おわ、あ。
いくら小さい時から一緒の大事な従弟からだって、こんな場所でこんな真摯に囁かれれば動揺もする。
慌てて俯き後退ろうとするが、それを見越していたレヴィの指に力がこもった。
一度きゅうと握っただけで、するりとほどかれていく。
名残惜しむかのように指先でなぞられるのは、なんか、なんか……むちゃくちゃこっ恥ずかしい……!
だいたいねえ、こんなの、小さな男の子がしていい手管じゃないでしょう?!
「僕だけでは、こんなかわいい姉さまは見られなかった。他の方の好みで行先を変えるのも、たまにはいいものですね」
そうだった、こんな甘酸っぱい雰囲気を醸していいはずないのだ。
ここには、リヴァーレ兄妹がいるっていうのに!
思い出したように視線を向けるが、あちらはあちらで2人だけの世界に浸っているようだ。
割り入ることなどとうていできそうにない。
うんまあ、まあ……よかった、かな?
テレグラフ解説
テレグラフ(電信機)は、電磁石を用い、音声以外を届ける通信技術。
1851年のロンドン万博では、13種類の電信機が展示されていたそうです。
その中には絵や署名をそのまま送る、いわゆるファックスの前身となるものもあったのだとか。
一番有名なのは、1837年に発明されたアメリカのサミュエル・モールスによるモールス信号です。
1851年にヨーロッパ全土で標準使用されることとなりましたが、イギリスでは自国の発明家クックとホイートストンによって1837年に考案した5針式の電信機がすでに鉄道網の連絡用として活用されていたこともあり、長いこと普及はしなかったようです。(5針式は見た目もものすごくかっこよく面白いので、設定資料に絵が載るようになったらぽちぽち上げていきますね)
※ちなみに…モールス信号が万博で展示されたのは1853年のニューヨークが最初だったかもしれないのですが、緊急事態宣言で図書館が閉まり、手元の資料では判別が難しく……展示方法も捏造なので、ゆるっとお読みいただければ幸いです。




