40 たとえ目にしていたとして
3日ぶりにお邪魔するヘネシー卿の病院では、セドリック様と一緒だからなのか、それはもうよく話しかけられた。
「まあ坊ちゃん、かわいらしいお嬢さん連れて」
「坊ちゃん、今日はどうされました?」
ヘネシー卿の不肖の息子さんは、どうやらずいぶんと可愛がられているらしい。
当のセドリック様は、あちこちからかけられる声には何の反応も返さず、すたすたと進むのみだ。
しかし、いやあ、何と言うか。
……坊ちゃんとな。
「うるさいよ。その口、縫い留められたいの」
どうにもにやけてしまう口元を見とがめられたらしい。
まだ何も言ってないんですけどね。
「院内にお詳しそうだわと思いまして」
「でなきゃ案内を任されないから。……ほら、先に病棟を見に行くんでしょ、こっち」
ぐいと手を引かれ、その意外な行動に思わず目を丸くしてしまう。
我が家の滞在期間中に、私が方向音痴な上に気が散漫になりやすいってことがばれたんだな。
このなんだかんだと面倒見の良いセドリック様は、さっそくしっかりと手伝ってくれるつもりらしい。
「頼りにしてますわ」
歩みを進める背中にそう声をかけると、ちらと走らせた視線のみで前に向き直った。
さあて、情報収集と参りますか!
勝手知ったる何とやらのセドリック様に案内され、手を引かれるままに中央の階段を上がる。
2,3階に設けられた内科病棟は、こちらも男女別になっており、20床ほどの部屋が全部で8つ。
年齢層の低い小児内科にあたる病棟はこのうちの2つみたいだから、成人だけで6病棟もあるのか。
複数の診療科が混在しているようだが、疾患ごとに部屋を割り振っている様子はなく、空いたベッドに入るという形式らしい。
病室の作りは外科病棟と変わらないようで、この分なら準備する物品に変更はいらないな。
外科病棟に比べてずいぶんと規模が大きいのは、衛生観念が乏しい現状では外科的治療が一般的なものではないからなのだろう。
セドリック様の説明によると、ヘネシー卿の病院では、肺病──前世でいう結核──と精神病の患者を除いた疾患を全て取り扱っているようだ。
心臓病から皮膚病、婦人病など多岐にわたる。
明らかに腎臓や肝臓が悪そうな患者もいるけれど、病名が確立されているわけではなく皮膚病のくくりになっている者もいる。
なるほど、ぱんぱんに張った脚や黄色く染まった肌という、見た目で得られる診断だとそうなるのか。
「やつれた方をあまりお見かけしないようですが」
労働者階級だからか、どの人ももともとの栄養状態は良くないようなのに、骨の浮いた体の人は少ないように思う。
「飲むことすらできなくなれば、治療はできないからね」
なるほど、その場合は手立てがないとされ、救貧院か修道院に送られるというわけか。
経口以外での栄養摂取も投薬方法もない状態なわけだから、食べられなくなればあっという間なんだろう。
食欲の回復という視点を踏まえれば、効果実証する意義もあるか?
外科病棟ほどの効果が得られないと踏んでいたが、これならば内科病棟でも十分な効果を期待できるかもしれない。
ベッドへと横たわる患者たちは、通院治療もできそうにない、憔悴している者が多い。
外科病棟と異なり、自立している患者はほとんどいないといっていいだろう。
治研がメインという認識だったから、もっと元気な人がいるのだと思っていたわ。
元気な状態では通院しているせいなのかな。
診断技術が乏しく、明確な症状が現れないうちは明確な治療が行えないからとか。
それとも、日常生活に支障が出てからしか病院に来ないとかで、早期の治療開始が困難なためか。
いずれにせよ、こちらの病棟の方が介助を要する患者が多く、内科病棟で実施するならスタッフの人数や拘束時間の調整が必要になるってことだな。
しかし、6病棟か。
これだけあると、すべての病棟を対象にすることは難しい。
男女ひとつずつの部屋に絞ってみる?
それだと病室ごとの過去データの掘り下げが難しくなりそうだけど、まずは他の病院が同じ状況なのかを確かめるのが先か。
「病棟の作りや部屋数は、どの病院でも同じなのかしら」
「そこまで僕が知るわけないでしょ。看護婦に聞いてみたらいいんじゃない? ほかの病院から移ってきた人も多いし」
他の病院の状況以外にも知りたいことはたくさんある。
週一回の清拭とシーツ交換が、通常の業務+αとして取り入れられるかどうかも確かめねば。
新たな雇用が必要となれば足踏みする病院も出てくるだろうしね。
「とても良い案ですわ! ご紹介願えます?」
ぺいっと手を離されて我に返ったのだが、高揚した気持ちのままに、繋いでいた手を両手で握りしめていたらしい。
自分からはよくて人からはだめとか、君の前世は猫だったりしたのかい?
・・・
「あら坊ちゃん」
「婦長。父から1階の病棟に打診があったでしょ。こっちも見学させてもらってるよ」
「まあ、ではそのお嬢さんが?」
婦長だと紹介された壮年の女性から、最近転職してきたという看護婦を案内される。
二十歳そこそこだろうか、イゾルデと名乗る下町育ちの物怖じしなさそうなその看護婦は、話を聞くなり怪訝そうに顔をしかめた。
「病棟の作り? 同じ規模ならそう変わらないんじゃない。私はここで3つめになるけど、ベッド数なんてどこもほぼ同じさ」
「では、病棟日誌や診療録の管理方法も同じでしょうか? たとえば、2つの病室に限定して情報を得ることは可能かなど」
そんなこと聞いてどうするんだとでも言うように、イゾルデが引いた目を返してくる。
「このお嬢さんは、私たち看護婦の仕事で患者の命を繋げられると考えているのよ」
「はあ? そんなのできるわけないじゃん。医者でもあるまいし」
「それが行えることを証明したいのですわ。信頼に足る結果となるよう準備は怠りなくする必要がありますし、また、良い結果が出たとしてその方法が受け入れられるように、現状を正しく把握したいと考えているのです」
そう答えた私をあんぐりと開いた口で迎え、そのままセドリック様の方へと向き直った。
「坊ちゃん、すごいの捕まえたね」
「捕まえてない。連れてきたのは父だ」
「ふーん、へーえ」
仮にも相手は雇用主の息子なのだが、イゾルデはもの言いたげにセドリック様を見やる。
「時間が押してるんだ、ふざけてないで質問に答えなよ」
「はいはい。そうさね、そのあたりも変わらないよ。階ごとに看護婦の詰所が一つずつあって、そこにそれぞれの階の診療録が置いてあるだけさ」
「各詰所では、診療録を部屋ごとに区分けして保管していますので、部屋を限定して探すのは問題ないと思いますよ」
「それでは、患者が退院したあとの診療録を部屋ごとに探すのは?」
「部屋やベッドの番号が診療録に記載されていますし、退院した順に一つの場所に保管されているので、それも可能かと」
それならば、2部屋に限定しての検証も行えそうか。
懸念事項の一つはクリア。
「シーツや寝衣は、誰がどのタイミングで交換されてみえるのでしょう」
「主に看護婦が、退院したときと酷く汚れた際に取り換えております。もっぱら身を起こせる患者に限られますが」
「ほかにはどのような仕事を?」
「医師が診療に使用する物品の準備・片付け、掃除や洗濯、排泄の手伝い、食事の準備に配薬など多岐にわたりますわ。日中は修道士が、患者の呼び出しベルの対応を手伝ってくれています」
う、うわあ……分業されていない時代の看護師の仕事ってこんな感じだったのかな。
思った以上にやること満載だわ。
「日中の看護師は、一部屋あたり何人が務めておりますの?」
「一部屋につき4人。そこに修道士が1人ずつ加わります」
となると、20人に対し看護師4人か。
前世の患者と看護師比率の7対1に比べると一見良さそうに思えるけど、分業しての比率だからな。
これはむちゃくちゃ忙しいぞ。
「例えば、看護婦の行うことで治療に貢献できるならば、仕事量が増えたとして受け入れられるものなのでしょうか」
「生活のために仕方なくという者が多いですからね。やりがいよりもお給金なのではないかしら」
「お給金は他の職業と比べて低いのですか?」
「本来、看護とは女子供が家庭で行うものですからね。労働者階級の女であれば誰もが身に着けている炊事や洗濯と同じ。病院の看護婦は専門的な知識や技術を必要とせずに行えますから、賃金も高くはありません。職にあぶれた者や脛に傷のある女性が集まってきます。望んでこの職に就く者は数えるほどしかおりませんよ」
「それでもここは他の病院よりまともだよ。ひどいところは飲んだくれの看護婦ばかりだ。新人や修道士にぜんぶ任せて、自分は昼間っから酒びたしになっているような先輩の多いことったら。患者に呼ばれたって誰も行く気がないから、呼び出しのベルすら隠しちゃうようなところさ」
……まじか。
前世でも『あのお方』が台頭するまでの看護はひどいものだったとは聞いたことあるけど、これじゃ職業倫理も何もあったもんじゃないな。
看護師の待遇改善、専門職としての知識技術の向上なしに、受け入れ体制なぞ望むべくもなし、か。
検証結果次第で、増員や昇給なんて待遇改善まで持っていけるだろうか。
だとしても、知識技術をどう伝達するよ。
このちんまい体で、婦長やイゾルデが言うような、望んで職に就いたわけでもない相手に。
先が見えねえええ。
黙り込んでしまった私に、イゾルデがセドリック様の小脇を小突く。
セドリック様はそれに視線だけで答えると、私の袖をくいと引いた。
「聞きたいことは聞けたの」
「……ええ、まあ」
「ここで唸ってたって仕方ないでしょ。婦長たちだって仕事があるんだし、次に行くよ」
まったくもってその通りだわと慌てて2人に礼を告げ、踵を返したセドリック様の後を追う。
イゾルデが背後で優しい溜息をつき、去っていく私たちを見守っていてくれたらしいのだが。
たとえ目にしていたとして、私に意図なぞわかろうはずもなく。




