39 喪女は人の恋路にも疎く
無事に演習を終えたならば、残るは質疑対策である。
ご夫妻からは実践する上での、セドリック様とエレノア嬢からは体の機能や構造といった視点での質問を得た。
図らずも一般と医療者との視点を得ることになったわけだが、これで十分とは言い難い。
それこそ、斜め上から切りこんでくるようなお歴々はいくらでもいるからね。
いくらヘネシー卿が優秀だからと言えど、他者が考案した方法を紹介し、さらには飛び交う質問に対応するなんてのは厳しいのではないだろうか。
とはいえ、脇に控えてこっそり耳打ちするわけにもいかんからなあ。
その様子をぼんやりと想像してみれば、なかなかにシュールな図ができあがった。
これはないわ……どこぞの料亭の謝罪会見じゃあるまいし。
「ヘネシー卿。質疑の際もすべてお任せする予定ですが、かまいませんでしょうか?」
「ご心配には及びませんよ。私ではわかりかねる質問があれば、後日図式化でもして答えるとでも返しておきましょう。いったん持ち帰って、リーゼリット嬢にお尋ねします」
「大変助かりますわ」
この『いったん持ち帰る』発言は、私自身も前世で度々お世話になった回避技だ。
所変われど、やることは同じらしい。
こなれた様子がなんとも頼もしいわ。
「来週末のトーナメントに向けて、週明けに医者の会合がございます。主にトーナメントでの怪我人をどのように采配するかといった議題の場ではありますが、もし準備が間に合うようでしたら伝達の機会としたいと考えております。騎士団へは、陛下からの依頼が入り次第という形になるでしょう」
すでに伝達の算段もついているのはありがたい。
週明けというと少なく見積もってもあと4日はあるか。
レヴィから伝え聞いた制作日程と、作業部屋で乾燥中の石膏像を頭に思い浮かべる。
その日程ならばお渡しできる品も増えるだろう。
「模型人形と補助換気器具はいくつご入用でしょう」
「すぐに数を用意できるものなのですか?」
ずらりと並んだ模型人形のパーツのせいで一見とんでもない量産がなされているように感じたけど、頭部の数は3つだったはずだ。
「最低でも3つは増えるのではないかと……」
「それはありがたい。うちを含め、四方の中核となる病院に一体ずつ配置することとしましょう」
「お任せしますわ」
「演習を請け負う上でも、実戦形式での訓練が積めるのはありがたいですな。人形の作りが人体の構造をよく理解できたものになっている。演習を受ける者もイメージしやすいでしょう」
「お褒めいただき光栄ですわ。こちらはわたくしの従弟、フォード家の嫡男による開発ですの」
「まあ。フォード家と言えば、アストラル・ランプの?」
それまでエレノア嬢とセドリック様と一緒に和やかに会話されていた夫人が、目を瞬かせた。
アストラル・ランプは、それまで普及していたアルガン・ランプから余計な影を落とさないように改良を加えたものだ。
私が夜でも本を読みやすいようにとレヴィが以前作ってくれた、やさしさの塊。
おじさまから販売網が整ったとは聞いていたけれど、家名まで知られているとは。
「ええ。そちらも従弟が考案したものですわ」
「そうでしたの。大変世話になっておりますのよ、我が家はどうにも目を酷使しがちですもの。ねえ、セドリック」
話を振られたセドリック様が曖昧に頷く。
そういえば親子ともに眼鏡使用者だったわ。
レヴィの発明が誰かの役に立てているのを目の当たりにするのは、自分のことのように嬉しい。
関わりの深い者ならなおさらだ。
「きっと従弟も喜びますわ。ただ、その者であっても素材の匂いと強度に関しては頭を悩ませておりますの。ひとまず香りの強い草花を詰めてはみましたが、何が合うかわからず取り急ぎの対処となっておりまして。よい案がございましたら教えていただきたいですわ」
ふうむと考え込む様子のご夫妻の横で、エレノア嬢が控えめに手を挙げる。
「強度については何もお手伝いできそうにありませんが……お花や香草で囲むのでしたら、香油はいかがかしら。私でよろしければ、家にあるものでいくつか試してみますわ」
「本当ですの? 助かりますわ」
香油であれば生花よりずっと日持ちもするし、箱から取り出しても十分に効果を発揮できそうだ。
エレノア嬢ならば、ヒロイン補正でさくっと問題解決してくれる気がする。
本当に多方面で大活躍だな、ポテンシャルが高すぎてしびれるわ。
「父さま。リーゼリット嬢が体内注入の器具を見たいと」
「おや、そうでしたか。画期的な治療法となると思って開発してみたものの、思うような成果が得られずお蔵入りとなった物です。リーゼリット嬢の忌憚のない意見が聞けるならば喜ばしい。病院に残してはありますが、使うものでもございません。持っていかれても構いませんよ」
なんと、むちゃくちゃありがたい言葉だな。
実物を見ながらの方がレヴィに説明もしやすいし、改良点を考えやすいだろう。
「大変ありがたいですわ。ヘネシー卿。それで、もし叶いましたら併せて内科病棟の見学をしたいのです。その結果、検証先を外科病棟から内科病棟に変更することになるかもしれないのですが……」
「おや、私に気がねはいりませんよ。検証先の変更が必要でしたら、調整いたしましょう」
穏やかで頼もしくもある笑みから、こちらの心をほぐそうというヘネシー卿の気遣いを感じる。
や、優しすぎるだろ……
「さて、私は記憶が新しいうちにさきほどの方法をまとめておきましょう。セドリック、おまえが案内してさしあげなさい」
そう言い残し、ヘネシー卿が退室された。
扉をくぐるその背に後光が差して見えたのは、決して見間違いではない。
「セドリック様は体調が戻られたばかりでしょう? よろしいのでしょうか」
ヘネシー卿はああ言っていたが、まだ本調子でない方に病院の案内をさせるのはいかがなものか。
私ならば、この間みたく侍女で十分なのだけれど。
「僕、もうすっかり治ったって言ったよね」
ジト目を向けるセドリック様は、今日一度も咳をしていない。
一見してわかるような不調は認められない、か。
「では、お願いいたしますわ。エレノア様もご一緒にいかがかしら」
エレノア嬢は私とセドリック様とを見比べると、にこりと微笑んだ。
「一度にたくさん学びすぎて少し混乱しておりますの。香油の配合もありますし、修道院への依頼も早めにすませておきたいですから、私は先に失礼させていただきますわ」
ありゃ、帰ってしまわれるのか。
ヒロイン補正たっぷりの協力はいろいろと心強いんだけどなあ。
それに、淡い恋心を抱きつつあるセドリック様のためを思えば、引き留めた方がいいかもしれないし。
いや、報われない恋になることは目に見えているんだから、むやみに接点は持たせない方がいいのか?
…………わからぬ。
哀れ、喪女は人の恋路にも疎いのだ……
考えこんでも結論など出そうになく、ここはエレノア嬢のご意向に従おう。
「そうですか……残念ですわ。では、ゴムの元をご自宅に届けさせますね」
ヘネシー邸へは、道中練習できるようにと馬車1台で来たのだ。
送迎やら、もろもろの打ち合わせがいるな。
別室に控えていたカイルに、エレノア嬢をご自宅までお送りしてほしいこと、レヴィに頼んでゴムの元をマクラーレン邸に届けてほしいことを申し伝える。
私の戻り時間は予測がつかないし、行き違ってしまっても申し訳ないし、病院への移動にはヘネシー邸の馬車をお借りした方がいいだろう。
それも伝えながら玄関ポーチに向かうと、ちょうどセドリック様とエレノア嬢が仲良く言葉を交わしているところだった。
くすくすとほほ笑むエレノア嬢に対し、セドリック様は頬を赤らめてはいるが、ふだんのような素っ気なさを感じない。
私の姿を認めるなり、気まずそうに視線を逸らすセドリック様の様子から察するに──もう少しゆっくりしてくるべきだったらしい。
気が利かなくてすまない。
しかも、私に気づいたエレノア嬢がこっちに駆け寄ってきてしまったし。
後ろ姿をじっと見つめるセドリック様の視線が心に痛いわ……
「リーゼリット様、今日は大変勉強になりましたわ。誘ってくださり感謝申し上げます。私から申し出たものについては早めにお返事できるよう努めますね」
ふんわりと柔らかな笑顔を向けるエレノア嬢へ、次回の約束をどう取りつけたものか。
恋路をどうするにせよ、ヒロインの協力は不可欠だもんね。
「私こそ、さっそくエレノア様の知見と発想を頼もしく感じましたわ。今後ともどうぞよしなに」
「いつでもいらして。私共もお待ちしておりますわ」
「ええ、ぜひ」
おお、ヘネシー夫人、ナイスアシスト。
私がヘネシー卿との会話中、エレノア嬢が退屈しないようにと気を配り話をふったりしてくれていたのもあって、夫人に対する緊張はないようだ。
表情はほぐれ、返答には建前ではない意思の強さが感じられる。
そこで声もかけられずに突っ立ってるセドリック様よ、よかったな。
この分なら次回も来てくれそうだぞ。
頼んだわね、と御者とカイルに再度声をかけ、馬車が見えなくなるまで見送る。
ヒロインの巻き込み第一弾完了、だな。
次はレヴィ、それから先生……ってどうやるんだろ。
ああでも、その前に騎士対策か。
どうかエレノア嬢が登城も早めに復帰してくれますように。
「ヘネシー夫人、本日もおいしいお茶とお菓子をありがとうございました。急な増員にも関わらず、温かく迎えてくださって」
「私も楽しかったわ。かわいらしいお客様は何人でも大歓迎よ」
ヘネシー邸の馬車に乗り込み、セドリック様と向かい合わせに座る。
「しっかりエスコートするのよ、セドリック」
夫人の言葉にセドリック様からの返答はなく、そっぽを向いたままだ。
……んっとにこの息子さんときたら。
馬車が動き出そうとする気配に、車窓から身を乗り出す。
どうしても聞いておきたいことがあったのだ。
「あの!……セドリック様へ行った清拭とシーツ交換について、病院での浸透が可能か、率直なご意見をいただきたいのです」
「まあ。ふふ、お若いからかしら、とても柔軟な姿勢をお持ちね。私の答えは、きっと今リーゼリット嬢が考えていることと同じよ」
ヘネシー夫人の言葉通りであれば、私の懸念は当たりだ。
対象を自宅療養中の貴族に限定するならば、受け入れられるだろう。
病院で行うには、現状との乖離が大きすぎる、か。
「感謝申し上げますわ」
・・・・
「君はいったい何者なの」
見送る夫人の姿が見えなくなった途端にこれである。
……それは聞かないお約束、なんですがね。
あ、もしやご存じない。
「あの方法、この国はおろか他国の文献にもないものだよね。それを、どうしてあの場の誰も疑問にすら思わず、君から教わることを受け入れているの」
窓に肘をつき、こちらをねめつけるような視線を受け、思わず返答に窮してしまう。
ヘネシーご夫妻にはあらかじめ方法を提示していたし、エレノア様においては実際にその場を目撃したからこそ、すんなり受け入れられていたのだ。
何にも知らされていないセドリック様は、突如始まる10歳女児の超理論演習にさぞや混乱したことだろう。
演習中はいたって静かだったから、すでにヘネシー卿から何らかの説明がいっているものと思ってたよ……
「はっきりと知らされたわけじゃないけど、予測はつくよ。以前父さまが、ある貴人が不思議な方法で命を救われたって話してたからね。誰とは明かされなかったけど、その貴人って、ファルス殿下のことでしょ」
そうだよね、と続く言葉は質問ではない。
ほぼ確定している上での、最終確認だ。
「誰も見たことのない、父さまですら知らなかった命を救う方法があることを、陛下もご存じなんだもんね」
ひええ、あんなちょっとの情報から類推しちゃえるのかよ……!
「ここ最近になって第一王子自らが選んだっていう婚約者は、今日助手として来たエレノア嬢なんだってね。あの方法を、父さまと同じように君から教わり、今日初めて実戦したらしきエレノア嬢が」
言葉を詰まらせたままの私の返答など、待つまでもないというのか。
セドリック様はばらばらだったパズルのピースをぱちりぱちりと当てはめるように、次第に逃げ場をなくしていく。
「その上、同じ日に選ばれたギルベルト殿下の婚約者が君なんだとか。どう考えても『貴人の恩人』は君なのにね」
「ファルス殿下が違う令嬢を選んだからって、その立場を取り戻そうとでもしてるの?」
「っ、そんなことしませ……!」
また悪役令嬢疑惑かい、と身を乗り出したのがよくなかった。
思わず否定してしまったが、これでは決定打を与えたようなものだ。
呆れたようにこちらを見やるセドリック様の目が、今の問いが罠だったことを物語っている。
今となってはしらばっくれることさえ難しい。
「君は正体を隠したいの、晒したいの」
…………後者では、決して。
自分の不用意さに思わず項垂れてしまった視界に、小さな両手が映る。
「……私は、手の届く範囲で救える人を救いたいだけよ。でもこの手はあまりにも小さくて、できることにも限りがある」
広げた掌は大人のものとは比ぶべくもなく、前世で築き上げたような人脈もない。
それでも、あの日は。
名もない一人の少女が、ファルス殿下を、ギルベルト殿下を、クレイヴ様を救うことができた。
運命を変えることができたのだ。
ただし、それは私一人だけではできなかった。
あの場にいた、名も知らぬ多くの住民たちが一丸となったからこそ成しえたこと。
「知識や技術は、一歩踏み出すための力になるわ。誰かが一歩踏み出せば、それに続く人は必ず現れる。ファルス殿下を助けられた時のように、きっとその輪は広がって、私一人では到底なしえないほど多くの人を救えると思うの」
ヘネシー卿の人脈と影響力に加えて陛下の後押しがあれば、より早く育成できるだろう。
リスクは百も承知だが、留まってはいられない。
「その最初の一歩を踏み出せる人を、一人でも多く輩出するのに躊躇はしないと決めたの」
向き合ったセドリック様は、眼鏡の奥の瞳をわずかに細める。
「……ふうん、そう」
興味なさげにそれだけ言うと、これで話は終わりだとでもいうように、ふいと視線を窓の外に向けた。
ちょっ、何その冷めた反応。
熱弁した私が恥ずかしい子みたいになっちゃったじゃんよ。
答えがずれてたならそう言ってよ……!
「……まあ、がんばりなよ。別に君が何者だろうと言いふらすつもりはないし、僕も少しくらいは、手伝ってあげるからさ」
流れる景色を追いながら呟かれた言葉に瞠目する。
素直じゃないセドリック様の反応に、つい上がってしまう口角をそのままに手を伸ばす。
しっかりと気配を捉えられていたようで、髪に届く前にはたかれてしまったけれど。
アルガン・ランプ、アストラル・ランプとは
アルガン・ランプは、1784年にスイスのアミ・アルガンによって発明されたものです。
二本のシリンダー状の金属パイプの間に灯芯をはめ込み、一方のパイプで直接空気を送ることによって効率よく油を燃焼させ、明るく、煙が出にくくしました。
当初は非常に高価で、富裕階級の邸宅や公的施設以外ではあまり使用されませんでしたが、1840年までには広く一般に普及したそうです。
同じころ読書用として人気を集めたのが、アルガン・ランプの改良版として登場したアストラル・ランプ。
こちらは光源の真下に影が出来ないよう、フランスのマルセが開発したものです。
灯芯のまわりをリング状の油壺が取り巻き、そこから重力で油が補給される仕組みになっていたため、ガラスのほやや油壺、灯芯がすべてランプシェードの中におさめることができたようです。




