3 王立図書館とモノクル紳士
日をまたいで翌日。
さて、本日の記憶検証のお時間です。
おなじみの4人で向かいますはこちら、国随一の蔵書数を誇る、王立図書館!
遠目でも外観からにじみ出る風格漂う図書館だったから、どんなものか楽しみだったのよね。
いざ来てみれば、まさに期待以上……!
3階建てのフロアは吹き抜けになっていて、壁一面に整然と並べられた本は言葉が出ないほど美しい。
大量の書物で圧迫感を与えないためだろうか、天井には歴史を感じさせる色彩で壁画まで描かれている。
荘厳の一言に尽きる。
ふをぉぉお……っ!
ショーケースいっぱいのケーキを前にした時と同じくらい、私は今、感動している……!
「さあ本を探すわ。まずは魔法や魔物、聖剣の類ね!」
興奮を露わにナキアとカイルを振り返ると、2人はとっても残念な子を見る目をしていた。
………………なるほど!
「今のは聞かなかったことにしてちょうだい。さあ、この国の歴史や周辺国との関係性について記した書物はどこかしら」
ナキアに案内を頼んで、ずんずん進む。
案内板を見る限り、娯楽本よりも専門書がメインのようだ。
専門書だけでこの蔵書量ならばたいていのことはわかりそうで、心が弾む。
あれもこれもとカイルの腕に追加して、気づいたらすごい量になっていた。
付き従う足元が心なしかふらついているのだが、前を見られていると信じたい。
「医療系統の書物も気になっているの」
それでしたらと迷うことなく前を行くナキアにもときめきを隠せない。
なんてできる子なのナキア……!
どこまでもついていくわ、とカルガモの親子のようにとことこ向かった先。
ほどなくして辿り着いた医療系の書架は、異国の言葉で書かれたものが多く、今の私には到底理解できそうにないことがわかった。
切ない。
けれどわかることもある。
ひとつ、比較的最近発行された異国の書物が並んでいることから鑑みるに、他国の医療技術を積極的に吸収する風土があること。
ふたつ、自国の本で多いヘネシーさんという方の著書の分野が多岐にわたっていることから、外科医や内科医といったくくりがないかもしれないこと。
みっつ、まあ想像はしていたことだけど、看護に関する書物は一つもなかった。
看護師という職業自体がないか、前世のような学問として確立していないかのどちらかだな。
ここの医療水準がどの程度かを知りたかったんだけど……
専門医がいないようなら、この国独自の医療は推して知るべしってところか。
この様子だと、他国の書物を読まないことには話にならない。
専門書の翻訳は時間もお金もかかる上に読む人が限られるためにあまりないだろうし、あったとしても内容が古いから、できれば原文のままで読みたいところだ。
ただ残念なことに、ここに何ヵ国の本があるのかも、何語を勉強したらいいのかもわからないのよね。
さすがにナキアもここまで知っているとは思えないし、お父様に聞こうにも専門外だし。
うーん……この件に関しては、ただの興味本位なわけだし、おいおいわかっていけばいいか……
「おや、こんなところにご令嬢とは珍しいですね」
突然かけられた声に向き直ると、モノクルを片目につけ、髪を後ろになでつけた紳士がこちらに微笑んでいた。
も……、モノクル、だと!?
前世では実際につけている人をお見かけしたことはなかった、あのレアアイテム……!
「何かお悩みのご様子。私でよければお手伝いしましょう」
なんと、渡りに船とはこのことか。
レアアイテムにそわっとしそうになるのをグッとこらえて、優雅に一礼をする。
「ロータス伯爵家が三女、リーゼリット・フォン・ロータスと申します。大変ありがたいお言葉ですわ。将来を見据えて医学の勉強をと考えているのですが、何から手をつけてよいのかわからず困っておりましたの」
正しくは前世との医療水準の差を知りたいというものなのだが、さすがにそのままを伝えるわけにはいかない。
医者を志しているわけじゃないけど、当たらずとも遠からず、ということで許してもらいましょう。
「ロータス伯爵家のご令嬢でしたか。なるほど、その聡明さはお父上譲りですかな。たしか医学に秀でた家系ではなかったと記憶しておりますので、助言を受けるのも一苦労でしょう。私はボリス・ツー・ヘネシー。医者をしておりますので、何かとお役に立てるやもしれません」
……ん? ……ヘネシー?
ついさっき見たばかりの本にそんな名前があったような。
「……もしやこの『B・ヘネシー』さんというのは……」
ちょうどナキアに預けていた本の著者名を恐る恐る読み上げると、ヘネシー卿は相好を崩した。
「おや、お詳しい。その著者は私で間違いありませんよ」
な、なんと……自国医療の第一人者じゃない!
この国で医療についてお聞きするなら、この方をおいて他にいないでしょ。
ああでもご多忙だろうから、そんなに長く引き留めることはできないか。
くっ……これが前世なら、この場では名刺を渡しておいて後日メールでのやり取りってのができるのに!
「ヘネシー卿、ご無理を承知でお願いがございます。基礎の基礎で構いませんの、現在の医療を知る上で必要となる書物を教えていただきたいのです。
また、どちらの国の医療を多く取り入れていらっしゃるのでしょう。語学を進めたいので、薬と医術それぞれの先進国をお教え願えないでしょうか」
「いやあ、また、これはこれは……」
ヘネシー卿の瞳が驚きに見開かれている。
最小限の時間で必要な情報を得られ、かつ医学を志そうとしているご令嬢が語っても不自然のないようにと務めてはみたものの、ヘネシー卿に尋ねる内容ではなかったか……
もしくは本音が入りすぎてた?
なるべくぼかして伝えたつもりだったけれど、齢10の令嬢としてアウトな発言でしたか……?
たっぷり10秒は経過しただろうか、反応をじりじりと待つ時間。
長い、長いよヘネシー卿。
子供がそんなこと知ってどうするとか、おままごとしたいだけならお友達のところいってきなさいとか、断り文句を考えているのならスパッと言ってくれ。
何か声をかけた方がいいんだろうかと逡巡し始めたころ。
ヘネシー卿は私の前に膝を折り、行き場を失っていた私の両手を掬い上げた。
「リーゼリット嬢、どうか我が家へお越しくださいませ。医学の専門書であれば、この図書館にない蔵書も多くございます。息子にと用意した医学と語学の入門書も置いておりますので、自由にお使いください」
こんな小娘に膝を折ってくださることも、思ってもない申し出も、あまりに突飛なことすぎて反応につまる。
まさかご自宅にまで招かれるなんて、思いもしないじゃない?
「……身に余るお言葉ですわ。……ええと、失礼ですが、ご子息はお亡くなりに?」
亡くなったご子息の代わりにびしびし鍛えちゃうよ、とかそういった事情なのだろうか。
「いやいや、なんとも情けないことにできの悪い息子でして、教材を使っている様子がないのですよ。リーゼリット嬢がいらしたら、きっと息子にとって良い刺激になるでしょう」
「まあ、ご謙遜を。ヘネシー卿のご子息でしたら大変優秀な方でしょう。こちらこそいろいろと教えていただきたく存じますわ」
その後少しお話を交わしたヘネシー卿は、大変な人格者だった。
叶うならもっとお聞きしたかったけれど、前世の医療知識がひょっこり顔を出して、こいついったい何者だと怪しまれるのは避けたい。
邸宅訪問については後日改めて連絡する旨を伝え、後ろ髪引かれる思いでその場を後にした私は、花屋に寄ってから目星をつけた病院へと赴いた。
……のだが。
◇ ◇
「え、ここにもいないの?」
3つの病院を回ってみたものの、昨日の少年はどこにも運び込まれた様子はないという。
小さな個人医院では対応しきれないだろうし、このどれかだと踏んでいたんだけど。
そうなると、考えたくはないけれど、搬送中に急変したとか……
最後まで付き添ってあげるべきだったかな……でも私にできることはあれ以上ないしなあ。
なんとも後味悪い結果になってしまった。
とりあえず屋敷に戻ろうと踵を返すと、職員らしき人が慌てて駆け寄ってくる。
なんでも、少年を訪ねてきた方に渡してほしいと箱を預かったらしい。
金髪翠眼の少女という条件だったから、私ではないかと。
なるほど、その条件なら私だろう、おそらく。
他に同じような人がいなければ、だけど。
掌サイズの木箱を開けてみると、見事な細工の髪飾りとカードが入っていた。
髪飾りは淡いピンクゴールドで花と蝶のモチーフがあしらわれ、私の瞳と同じ色の宝石が散りばめられている。
派手過ぎず子供っぽすぎず、超絶好みだ。
お礼はいらないとつっぱねてしまったが、買ってでも欲しいくらいの品だわ。
同封されていたカードには『あなたに感謝を』とだけ。
これは……助かったともとれるし、いったん持ち直したことに対する感謝ともとれるな。
うーん、前者であってほしい……
カードに送り主の名前は入っていないし、互いに名乗ってもいないから、確かめる術もない。
せめて名前を聞いておくべきだったか。
どうか贈った本人がすでにこの世にいないなんてことありませんように。
この世界での神様がよくわからなかったから、とりあえずまた南無南無しておいた。