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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
とりあえずの4歩目

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36 活路は果てしなく広く

「何これ」

棺に安置された遺体のごとき模型人形を一瞥すると、セドリック様は不快感を如実に示した。

「本日使用を予定しております、模型人形ですわ」

「もう少しどうにかならなかったの」

見た目か匂いか、その両方か。

その指摘には、乾いた笑いを返すしかない。

匂い対策が間に合わず、依然として草花に包まれたままなのだ。

しかもこれ、使用時には結局取り出してしまうわけだから、根本的な解決に至っていないっていうね。


「それに誰、この人」

続く問いかけには、胸を張ってお応えするとしよう。

「本日助手をお願いしております、私のお友達ですわ!」

少しだけ緊張の色を滲ませ、エレノア嬢が優雅に一礼をする。

「エレノア・ツー・マクラーレンと申します。突然の訪問をお許しください」

「まあ、まあ! こんなに可愛らしいお客様でしたら、何人いらっしゃっても嬉しいものよ。我が家は男所帯ですもの、歓迎いたしますわ」

ヘネシー夫人の優しいまなざしに、2人目を見合わせほっとする。

実は、殿下がお帰りになられた後、善は急げとここまで連れてきちゃったのだ。

ちょうど今日、ヘネシー卿に伝達する予定だったし、せっかくならエレノア嬢にも正式に学んでもらおうと思って。

……何の相談もなしに。



ヘネシー卿はまだ仕事が残っているとのことで、夫人がお茶を用意する間、研究室を拝見することとなった。

プリンから華麗なるジョブチェンジを遂げた培地の具合を堪能させていただこうではないか。

遠慮がちだったエレノア嬢も誘い、セドリック様と一緒に研究室へと向かう。

道すがら、注がれる視線に気づいたのか、セドリック様がこちらに目線をくれる。

「……なに」

「体調はもうよろしいの」

「熱も咳も出ていない」

ふいと前に向き直っての返答に、エレノア嬢が目を瞬かせる。

大丈夫だよ、これ、怒ってるんじゃないから。

愛想ゼロがセドリック様の基本スタイルだからね。

「回復されて安心しましたわ。咳はなくなったとのことですが、その後もちゃんと布を巻いてらっしゃいますわよね?」

「……巻いてるよ」

前回お邪魔した際に、研究室でマスクせずにいたのを咎めておいたのだ。

飛沫汚染を何と説明したものかわからず、口と鼻を覆った方がうまくいく、とだけ。

研究室の入口に専用の布がかけてあるところを見ると、素直に実践してくれていたようだ。


私もエレノア嬢とともにハンカチで鼻口を覆い、研究室に足を踏み入れる。

以前よりさらに数を増した箱の中に、シャーレがずらりと並んでいた。

並びに並んだシャーレには、それぞれ何倍希釈と書かれた札が乗せられているのが見える。


「その後、進展されましたの?」

「ゼラチン培地に変えてから、アオカビだけを取り出しやすくはなった。増やすのはまだまだだけどね。今は開発者に倣って、アオカビの培養液を濾したものを薄めて、どの濃度まで効果が出るかを確認してる」

なるほど、それがこのシャーレの山というわけか。

まだはじめて間がないのか、効果自体が薄いのか、培地に塗られたと思わしき膿の生育状況にはあまり変化がない。


「……カビを増やしてみえますの?」

「この中に含まれる物質が、治療薬になりますの」

驚きを隠せないといった風のエレノア嬢が、私の説明に目を丸くする。

ふつうに生活していれば、生活の邪魔にしかならないカビが薬になるとは思わないもんなあ。

「言っておくけど、ワインやチーズ、パンに用いられる酵母や乳酸菌もカビと同じ微生物だからね」

「そうでしたの……カマンベールチーズやスティルトンにはカビが使われていると聞いたことがありますが、それほどまでに有用なものとは思いもしませんでしたわ」

「スティルトン?」

「国産のブルーチーズ。……君、なんでその辺には詳しくないの」

食文化の違い、ですかね。


「それで、効果的な濃度がわかったら、次は膿んだマウスの傷に塗って効果を確かめてみるつもり」

「塗るんですの?」

「そうだけど」

シャーレ内の状況──培地に塗り付けた膿──と差異の少ない手法を試みているのだろうか。

嫌な予感がする。

「そのあとはどうされますの?」

「効果が確認されたらその株を増やして、安定した外用薬にできるように試作してみる予定だけど」

……やはりか。


「……少し、資料をお借りしてもよろしいかしら」

ペニシリン開発者の論文を開き、指で辿りながら読み進める。

わからない単語や専門用語はセドリック様の解説に助けられながら、どうにか全容を理解した。

開発者、塗り薬として紹介してるわ。


前世では、注射薬や飲み薬としての使用が一般的だった。

塗り薬としても使えるんだろうけど、それだと局所的な効果しか望めない。

用途だって外傷のみに限られるから、多くの疾患が適応から外れてしまう。

せっかくの良薬が……

どうやって方向転換を促したものかと唸っていたが、はたと気づく。

注射や点滴自体が、そもそもこの国にあるのか?

資料にかぶりつくようだった私が身を起こすと、様子をうかがっていたらしいセドリック様が目を剥いた。


「セドリック様。体の中に直接、薬や水分を注入する治療法はあるのでしょうか」

「……以前、父さまが考案して試みたことはあったみたいだけど。一時的に回復はしても亡くなることが多くて、普及はしなかったね」

まじか。

注射も点滴も、これから作っていくのか……

気が遠くなることばっかだな。


……いや、めげるな。

ヘネシー卿が元となるものを考案してくれていたのは僥倖だ。

一時的に回復はしたということだから、体内への注入は行えていたはずだ。

使い捨てってわけにはいかないだろうし、前世と同じ材質・形状とすることも難しいだろうし、そのまま転用できるなら越したことはない。


「その器具を見ることは叶いますか。それから、使用した薬液も」

「病院においてあるはずだけど。薬液は材料くらいならわかるんじゃない。でも、なんでいきなり体内注入の話に?」

「ペニシリンを体内に注入すれば、血流に乗ってどの部位の感染症にも効果が得られますわ」

「……とんでもないこと言い出すね、君。僕がさっき言ったこと聞いてた?」

「人死にの出ないよう、改良はいたしますわ」


死亡原因は、おそらく消毒法の未確立により、点滴自体が感染要因にでもなったか。

無菌調剤の知識もなさそうだから、経口摂取用の薬液を血中に注入したかなのだろう。

すべきことは、器具消毒方法の確立、施行者への教育の徹底。

無菌調剤も必須だし、適切な輸液量と輸液速度、電解質補正も考えないといけない。

あらゆる事故や合併症を防ぐための手立てが必要だ。

いずれも難関ではあるが、塗り薬のままにしてしまうことを思えば、活路は果てしなく広く、諦めるには惜しい。


「君が必要だというなら、その方向で進めてみてもいいけど」

すました言い方ながも、セドリック様の口角は上がっている。

自分の手がけている薬が無限の可能性を持っているのだ、そりゃあ気分も高揚するだろうて。

その分、セドリック様の難易度も跳ね上がったんだがな?


まあ、目指すならばより良い道を、だな。

一人では難しくとも、仲間がいるのなら。

やってみるか。

つられて、こちらも悪友みたいな笑みを浮かべる。

「ぜひに」



・・・



お茶が入ったとの連絡を受け、訪れたサロンには甘い匂いが立ち込めていた。

「エレノア様、研究室はいかがでした?」

誘っておいてほとんど放りっぱなしだったというのに、エレノア嬢の目はキラキラと輝いている。

「難しいことが多いですが、見慣れないものばかりでとても興味深く感じましたわ。お2人とも大変優秀ですのね」

「そうでしょう? 親の欲目抜きにしても、お似合いの2人だと思うのよ」

ふ、夫人~~~!

横からの弾んだ声に、私の体も若干飛び上がってしまった。

一応私、ギルベルト殿下の婚約者だし、そこのエレノア嬢はファルス殿下の婚約者だから……!

そういう発言は控えた方が、と冷や冷やしつつも、にこにこと楽しそうな夫人を止めることができない。


「リーゼリット様がうちに来てくれるようになってから、セドリックが見違えるほど生き生きしはじめましたの。もうわたくし、嬉しくて嬉しくて」

えっ……家庭崩壊しかかりましたし、風邪を引かせたのも私なんですが。

ついこの間のことですが、その記憶はいずこに?

「まあ! さすがリーゼリット様ですわ!」

輝くばかりの笑顔をこちらに向けてこられるのだが。

うう……なんだろう、このむずがゆさは……

「砂糖取ってくれる」

我関せずのセドリック様が、今だけはありがたい。

文句も言わずに、シュガーポットをテーブルに滑らせようじゃないか。


「この間もね、リーゼリット様からいただいた手作りのプリンをヒントにして、セドリックが肉汁からゼラチンの培地に変更したのだけれど、息ぴったりで見ていて楽しかったわ。そのプリンもね、蒸すのではなく、ゼラチンを煮溶かしてから冷やし固めて作るのよ。おもしろいでしょう?」

「まあ。さすがリーゼリット様、博識な上に先進的でいらっしゃいますのね。ブラン・マンジェを参考にされたのでしょうか。この国ではコーンフラワーで固めますが、異国ではたしかゼラチンを用いるとお聞きしたことがありますわ」

「まあ、エレノア様もお詳しいのね」

「甘いものと珍しいものに目がないだけですわ」


さすがエレノア嬢、そして買い被り!

私が先進的に思えるのは前世があるからで、博識なわけないよ、ブラン・マンジェの作り方なんて今初めて知ったよ。

マーシュマロウの根といい、コーンフラワーといい、聞きなじみのないものが多くてついていけてないよ……!

コーンフラワーって名前から察するに、とうもろこしが原料の薄力粉……粉、でいいのかな。

とうもろこしって栄養素はなんだっけ、炭水化物?

わからねえええ。


「そういえば、似たようなもので同じ作り方をするものに、寒天という材料もございますわ。そちらを用いますとより固い食感になりますし、常温でも崩れませんの。一度いただいたことがあるのですが、そちらもおいしかったですわ」


寒天…………寒天培地!

私でも聞いたことあるくらいに有名なやつじゃん。

ってことは、ゼラチン培地よりも絶対に使い勝手がいいってことだよね。

ふうん、と興味なさげにカップを傾けているセドリック様の肩をひっつかむ。

おっまえ何聞き流してるんだ。

今、ゼラチンどころじゃない培地の最大の転機なんだぞ!


「セドリック様、増やすのに難渋されているとおっしゃってみえたでしょう? いろいろ試してみるがよろしいですわ。次は寒天、寒天いってみましょう。それから、コーンフラワー?というものも!」

「……はあ?」

「ええっ、そんな……わたくしなぞがおこがましいですわ。ただデザートの紹介をしただけで、何の知識もございませんし、お2人の研究に口を挟むなど」

「まあ、エレノア様。私も素人ですのよ。まさかプリンが培地のヒントになるとは思いもしませんでしたもの。何が功を奏するかなんて誰もわかりませんわ。他にも何か気になったことがあれば、ぜひに!」

「ええ……っ?」


エレノア嬢の視線が、身を乗り出さんばかりの私と、背後のセドリック様と夫人との間をおろおろとさまよう。

そのまま口をつぐまれてしまうかと思われたが、マクラーレン邸での私の説得が効いたのか、きゅうとその小さな口を引き結ばれると、意思の強いまなざしが私をまっすぐに捉えた。


「でしたら……純粋に疑問なのですが、アオカビはこの世にひとつの種類しかないのでしょうか。修道院では、色や形がさまざまなカビを見かけましたわ。異なる食材もそうですが、例えば、甘いイチゴやそうでないイチゴでは違う種類のアオカビが生まれたりするものなのでしょうか」

「セドリック様、あのアオカビはどこから採取されたものですの?」

「……開発者と同様に、肉汁からだけど」

「調べてみましょう!」

いい視点だわ、とばかりにエレノア嬢の手を握ると、提案が取り入れられてうれしかったのだろう、頬をほんのり紅潮させる。

「……わたくし、修道院へカビてしまった食材を分けていただけるようにかけあってみますわ」

「おい、俺をさし置いて話を進めるな」


ここにきて冷や水を浴びせるつもりか。

空気読めないどころの話じゃないぞ。

視線に力を込めて振り返ると、セドリック様はふうと一つ息をつき、エレノア嬢へと向き直った。

「改めて、俺からもお願いしたい。手間をかけますが」

「かまいませんわ。私にもできることがあるということが嬉しいのです」


ふんわりと極上の笑顔を向ける、これぞヒロイン。

きゅんとしてしまったのは、私一人ではないと思うわけですよ。

おおっと、セドリック様にも春来ちゃったんじゃないの、これ。


ブラン・マンジェ解説

アーモンドミルクを冷やし固めて作るデザート。イギリスではコーンフラワー(コーンスターチのこと)で、フランスではゼラチンを使用するそうです。ちなみに、寒天を使うと杏仁豆腐になります。培地物語の上でこれほどの適任者はいまい。


スティルトン解説

イギリス原産、アオカビで熟成されるブルーチーズです。フランス原産のロックフォール、イタリア原産のゴルゴンゾーラと合わせて「三大ブルーチーズ」と称されるほど有名なものらしいです。ちなみに作者は知りませんでした。

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