35 破滅の序曲はお断りします
「王妃教育はどう? エレノア嬢のことだから、無理をしてやいないかと心配で」
「ありがとうございます。慣れないことも多いですが、少しづつ進めておりますわ」
その健気な様子にテーブルの上の小さな手をそっと握ると、エレノア嬢は桃色に頬を染め睫毛を揺らした。
ひらひらと蝶が舞う、春の花々を臨むサンルーム。
かわいらしいテーブルセッティングに、幸せいっぱい夢いっぱいのお菓子。
目の前には、まるで一対のお人形のようなファルス殿下とエレノア嬢がいて。
リーゼリット・フォン・ロータス、空気と化す。
…………私、帰ろっかな。
完全にお邪魔虫状態なのだが、そもそもの正規の客は私なんだぞ。
定刻通りに邸宅を訪れたところ、門扉の前でファルス殿下と行き会ったのだ。
出迎えたエレノア嬢の少し驚いた様子からも、どうやら殿下はアポなしだったらしい。
そういやギルベルト殿下にも突撃訪問しかされてないな……
この兄にしてあの弟ありか。
エレノア嬢は先約だった私の方を気にしてくれるそぶりもあるのだが、久々に会うのか話の途切れないファルス殿下をおざなりにはできないのだろう。
大丈夫だよ~、この分ならヒロイン退場疑惑は考えなくてもよさそうだし、空気にだって進んでなろう。
あとは雰囲気を壊さずに帰宅できればばっちりなのだが、さてどうしたものか。
お茶の間でテレビドラマに興じるがごとく、用意されたお菓子をつまみ、目の前で繰り広げられる光景をぽけっと眺めていたのだが。
さっきから2人の会話がなんとなくかみ合わない……気がしないでもない。
「クレイヴの謹慎も解かれ、騎馬訓練も始まり活気づいてきたよ。王妃教育も大事だが、根をつめすぎてもよくない。気晴らしにまた見においで」
「そうですね、そのうちに」
にこやかなエレノア嬢だが、殿下の誘いをのらりくらりとかわしているように思えるのだ。
よほど王妃教育が忙しいのか、鍛錬場で嫌なことでもあったのか、考えたくはないが退場フラグなのか。
「実は、私も先日から訓練に参加できている」
「まあ、それはようございました。回復されたのですか?」
「リーゼリット嬢が胸の痛みを和らげる方法を教えてくれたんだ、おかげで馬にも乗れる」
「そうでしたか、……リーゼリット嬢が」
突然話を振られてカップの中の紅茶をこぼしそうになるが、よこされる2人の視線に笑顔で返す。
「そうだ、リーゼリット嬢には話していなかったね」
この傷のことだ、と殿下が自身の胸元に触れた。
「少し前に、命を落としかけてしまってね、これはそのときの傷なんだ。その際にエレノア嬢が救ってくださったんだよ」
「まあ……そのようなことが」
「誰も見たことのない手法だったそうで、医師たちも驚いていたよ。その場にいた大人たちを指揮して、自らの貞淑も顧みず私に息を吹き込んでくれたのだという。それなのに、名前も名乗らず立ち去ろうとされた。勇敢で優秀な上に、慎ましくて素敵だろう?」
「まあ、素敵ですわ」
も、ものすごく身に覚えのあるお話が繰り広げられているんですが……
すべてを好意的にとるとそうなるのか。
「どうにか見つけ出したくてギルベルトに頼んで髪飾りを託し、茶会を開いて。そのあとはリーゼリット嬢もよく知っているね。僕が無事で、ほっとして名乗り出てくれたそうだよ」
「そうだったのですか~……」
流れ出る冷や汗に、相槌を打つことしかできぬ。
ファルス殿下からしてみれば、婚約者自慢でしかないのだろうけど。
ちらりと目をやれば、穏やかに微笑むエレノア嬢の顔色がみるみる悪くなっている。
で、ですよね。
自分がしたことでもないのに、こんな風に持ち上げられてちゃきつかろうて。
しかもこの分だと他の人にも言ってそうだ。
そりゃ鍛錬場に姿を見せなくもなるよ……
「今も王妃教育に励んでくれているんだ。大変だろうに、根も上げずに」
「ちょっ……と、お花を摘みに出かけたいのですけれど!」
これ以上は聞いていられぬと立ち上がり、エレノア嬢に向き直ってその手を取る。
「エレノア様、案内を頼めるかしら」
「……はい」
急き立てるようにその場を後にしたが、向かいの殿下はものすごくあっけにとられた顔をしていた。
そりゃそうだよね、話を断ち切られた上に、せっかく会えたエレノア嬢を連れてっちゃうんだもん。
トイレの場所くらい侍女に聞けよって話だろう。
マナーもなければ常識もない。
でも申し訳ないが、さすがにこの状態を黙って見ていられるほど神経図太くないんだって!
サンルームを出ていくつかの部屋を過ぎたあたりで、エレノア嬢はこらえきれずにわあと泣き出してしまった。
つらかったね、ごめんね、こんなことになってるとは。
ヒロインに全部ぶん投げて一件落着ってわけにはいかないわな。
とはいえ、ここで私が謝るのもおかしな話だろう。
何と言ってよいかわからないまま、さめざめと泣き崩れるエレノア嬢の背に手を差し伸べようとした。
「申し訳ありません、お許しください。すべてファルス殿下にお話しいたしますわ」
涙ながらの訴えに、その手が止まる。
……なんで私が謝る方でなく、謝られてるんだ?
戸惑う私を、きらきらと真珠のような涙を流す瞳が映す。
「リーゼリット様が、殿下を救われた本当のご令嬢なのでしょう?」
……あ、これ……恐れていたヒロイン退場フラグだわ……
足元の地面がぐわりとたわむ。
どうする、どうする。
いや落ち着け、こういう場合を想定して考えてきたじゃないの。
小細工など不要、私にできるのはいつだって力押しのみよ!
「エレノア様!」
説得を試みるべく、がしっと両肩を掴むと、エレノア嬢は小さく悲鳴を上げて身をすくめた。
可憐なお顔はすっかり青ざめ、まるで子ウサギのように怯えた目を向けてくる。
え、なんでこんなにビビられてるの私。
ちょっとつり目ぎみなのは認めるけど、そんな般若顔はしてないはずだぞ。
「お怒りはごもっともでございます。どうか、お許しください……」
震える両手を指先が白むまで組み、祈るように必死に訴えられる始末。
許すも許さないも、怒ってなんかいないし、私は何も謝られることなんて───
いや、まて。
エレノア嬢からしてみれば、今日のお茶会は、いつまでたっても訂正しないことに私がしびれを切らして責めに来たようなものになるのか?
偶然一緒になっただけの殿下も、私が焚きつけたとか、示し合わせて来たのだと思ってる?
さらに言えば今の状況は、『ちょっとツラ貸しな、奥でサシで話そうや』ってやつなのか??
嘘でしょ、そんなことってあるぅ?!
それだと私、まごうかたなき悪役令嬢じゃん!
確かに悪役令嬢として生れ落ちはしましたけれど、そんな破滅の序曲なぞみじんも望んじゃいないんだってば!
「あ、や…違、」
動揺しすぎてろくな言葉が出ない。
「いいえ、リーゼリット様に間違いないですわ。殿下のお命を救われたときこそ、お顔まではっきりと覚えてはおりませんでしたが、胸のお怪我もすぐに治してしまわれて。私は、殿下がお辛そうな様子を見てもどうすることもできなかったのです。殿下が馬車に轢かれたときだって、ただ遠巻きに見ていただけ。お茶会で軽率にも殿下にお声をかけたばかりに、このようなことになってしまって……ファルス殿下にダンスに誘われ、熱いまなざしを向けられて、舞い上がっていたのですわ。本来傍にあるべきは、私などではなかったというのに」
はらはらと涙をこぼしながらのエレノア嬢の独白に愕然とする。
……エレノア嬢は、ファルス殿下のためにどうあるべきかを一番に考えているのだ。
謀っていることが心苦しいとか、自らの評判を気にするのではなく。
我が身可愛さばかりの私とは違う。
ファルス殿下との婚約を受けて、ご両親はうちの家族みたいにとびきり喜んでくれたんだろうし。
今日まで明かさずにいたのは、国王陛下の言葉や周囲の期待など、いろいろなものにがんじがらめになっていたのかもしれない。
あんなに生き生きとした表情をされていたというのに、今や見る影もないほどに消沈しているのだ。
ほんの10やそこらの少女が。
今日、私は力押しでやりこめようとしていた。
可能であれば、私だとバレないように言いくるめるつもりだったのだ。
けれど、この心優しきエレノア嬢に、どうして偽り交じりの説得ができようか。
「……おっしゃる通り、あの日の令嬢はわたくしのことですわ」
私の告白にエレノア嬢はやはり、という眼差しを向け、静かに瞼を下ろす。
審判を待つかのようなエレノア嬢に、私は唇を引き結ぶ。
まずは誤解を解かねば。
「けれど、本日こちらへ参りましたのは、エレノア様を責めるためでも、わたくしの功績だと言い張りに来たのでもありません。むしろ、その逆です。わたくしは、エレノア様がもし身を引かれるおつもりなら、その必要はないことをお伝えしに来たのですわ」
私の言葉が意外だったのだろう、エレノア嬢は驚きとともに睫毛を揺らした。
「もしわたくしが名乗るつもりならば、殿下をお助けした時点やお城でのお茶会の時点でそうしております。お茶会の挨拶では、わたくしの順番はエレノア様の前でしたのよ」
「……あ」
「殿下のためを思い、エレノア様が殿下に打ち明けられるというのでしたら止めはいたしません。でもその際には、どうか私だとは明かさないでいただきたいのです。エレノア様が身を引かれたとしても、わたくしはファルス殿下のお傍に侍るつもりはございません。わたくしがお慕い……しているやもしれませんのは、その、……ギ、ギルベルト殿下ですので……」
この手の話題はいつだって慣れる気がしない。
気恥ずかしさといたたまれなさに、もごもごしてしまうのはどうか見逃してくれ。
「わたくしがギルベルト殿下と過ごした時間と同じだけの日々を、お二人は過ごされたのでしょう。きっかけはどうあれ、それらの日々を通して殿下が心奪われてみえるのはエレノア様ですわ。傍にいる資格があるとするならば、互いを大切に思う心ではないかと思いますの」
ファルス殿下との日々を思い起こしているのだろうか、私を見上げるエレノア嬢の瞳が戸惑いに揺れる。
エレノア嬢がファルス殿下を愛おしく思う気持ちは本物なのだ。
後ろめたさなどに縛られず、どうか前向きに過ごしてほしい。
「それでもなおお悩みでしたら、わたくしと一緒にお勉強をするのはどうかしら。わたくし今、医師のヘネシー卿のもとに通っておりますの。そこで医学を学びつつ、わたくしも殿下が息を吹き返した方法を伝授する予定ですのよ。わたくしには知らないことや至らないことが多すぎて、その方法一つとっても、数多くの方の助けや支えを必要としましたわ。エレノア様とも一緒に学び合い、助け合いたいの」
「……私には、何もございませんわ」
「いいえ。疲れが取れると騎士団に振舞われたハーブ入りのドリンクは、エレノア様がこれまで培われた知識の一端だと感じましたわ」
今この地にある料理は、かつて身近にあったものとはかけ離れている。
土地柄もあるのだろうが、同じものを作ろうにも、マーシュマロウのように元の材料自体が異なっているものもある。
そもそもレシピサイト頼りだったし、それほど料理が得意ってわけでもないのだ。
加えて、ハーブもそれらを用いた治療にも疎い私には荷が重すぎる。
ファルス殿下の件がなくても頼もうと思っていたのだ。
これをきっかけに、自信をもってもらえたら。
「異国の言葉に『医食同源』というものがございます。日々の食事が健康をつくるという考え方ですの。エレノア様の培ってきた知識や、それらを基にしたお考えは、きっとこの先人々の暮らしやファルス殿下のお体に良い影響を与えることでしょう。わたくしはその様子をお近くで拝見したいですし、教えを請いたいわ。
それに、わたくしがファルス殿下のお傍に侍ることはないのですから、殿下に真実を告げるタイミングは、その後というのはどうかしら。題して、『惚れ直させちゃおう作戦』ですわ!」
どんな作戦だよ、とセルフつっこみを入れたくもなるが、もう口にしてしまったものは戻らない。
さっきよりは顔色のよくなったエレノア嬢を、ドキドキしながら反応を待つ。
「……わたくし、大変失礼な誤解をしておりましたわ。罪の意識で正しい判断もできなくなっておりました。いつだってリーゼリット様はお優しい方でしたのに。
わたくし、がんばりたいですわ。リーゼリット様のおっしゃるようなお役に立てるとはまだ思えませんが、ファルス殿下の隣に自信をもって並び立ちたいのです」
う、うそ……やった、やったよ……!
エレノア嬢を引き留めることに、成功しましたー!!!
りーんごーん、教会の鐘の音が頭の中に響き渡る。
もういっそのこと、ここに教会を建てたらいいんじゃない?
サンルームに残したままのファルス殿下の存在をすっかり忘れ、エレノア嬢と手を取り見つめあうのだった。




