34 2位じゃダメですか
「陛下がお呼びでございます。これより10分後に、謁見の間に来られるようにと」
なんとか覚えた技術をろう板に書き留めていると、侍従から呼び声がかかった。
早ければ今日にも、とはうかがっていたが、これは幸先がいい。
「俺とともに出向くと伝えてくれ」
殿下と目配せし、馬車に用意させておいた荷物を取りにいったん鍛錬場を離れる。
ずっしりと重い木箱を侍従に2人がかりで運ぶよう手配していると、殿下が箱をまじまじと見やる。
「それが例の品か」
「ええ。陛下からの頼まれものの一つですわ」
今日を迎えるにあたり、殿下には前回の謁見時の状況を事前に説明をすませていた。
陛下に私の目通りを願い出るのに、何の予備知識もなく『リーゼリットが会いたいそうです』だけではお話にもならないからね。
心肺蘇生法を根づかせる件はもとより、企画書に陛下の御名を刻めるかもしれないことについては、ずいぶんと呆れた顔をされたけれど。
謁見の間に近づくにつれ、一身に受けたあの重圧がよみがえってくる。
あれからまだ1週間しか経っていないのか。
あの日はほぼいないも同然のお父様同伴だったけれど、今日は協力者としてのギルベルト殿下がついているのだ。
一人じゃない。
大丈夫、なんとかなるわ。
重厚な扉が押し開かれ、豪奢な玉座を眼前に臨む。
差し込む光の中、陛下は脇に立つ侍従と会話をしているようだった。
どうやら本当に無理をして時間を割いてもらったようだ。
サインされた書類を抱え侍従が下がるのを確認し、最上位の礼をとる。
「お時間を賜りましたこと、衷心より拝謝申し上げます」
「よい、楽にせよ。物申したいことがあると聞いたが。かの方法の準備が整ったか。それとも例の企画書が完成したか」
殿下から多少とも話が行っているのかと思っていたが、違ったか。
もったいつけるようなものでもないのだ、さくさく説明してしまおう。
「企画書につきましては鋭意制作中ですの。かの方法はこれへ」
私の合図に侍従が木箱のふたを開けると、草花に囲まれた模型人形が姿を見せた。
隣りにいる殿下と周囲の侍従らが息を呑んだのがわかる。
ひとまずの匂い対策とはいえ、わんさと詰めた草花のせいでいっそう棺桶感が増してるからね……
上半身だけの石膏像が、まるで弔われるかのように木箱に横たえられているのだ。
そりゃあ異様な光景だろうて。
「こちらは講義で使用する練習用の人形ですわ。伝聞書だけでは手順を理解しづらく、また、定期的に訓練を行うことでとっさの場合にも即座の対応ができるようになります。まだ試作品ではございますが、完成しましたら量産し、各病院と騎士団にひとつずつ配置できればと考えております」
玉座の陛下は興味深げに身を乗り出すのみだ。
うーんさすが、このくらいでは動じないか。
「こちらに加え、呼吸を補助する器具の作成も進んでおりますわ。数日後にはヘネシー医師へ伝達予定となっております」
「ふむ、尽力に感謝しよう。費用は計上して申請するがいい。追って報奨金と合わせ国費から捻出しよう」
「ありがたく頂戴いたします」
「それで、本題は何だ。途中経過を報告しに来たわけではなかろう?」
「はい。このたび目通りを願い出ましたのは、ある従騎士の件にございます」
「ほう?」
こめかみに指をあてこちらをねめつけ、先を促そうとする。
一気に薄くなった空気に自然と呼吸が浅くなってしまうが、隣からの気づかわしげな視線が背中を押した。
「あの日の罰則により、ある者が生涯、従騎士となる命を受けたとお聞きしました。本日は、国王陛下の恩情を賜りたく参上した次第でございます。もう一度騎士となりうる機会を。どうか、寛大なご配慮を」
再び深く礼を取り、細かく震える指先を押しとどめる。
「リーゼリット嬢が取りなす必要がどこにある。その者から頼まれたのか」
「いいえ、粛々と受け入れておいででした」
「ならばなぜ」
私が運命を歪めたからだと言っても理解は得られないだろう。
何と言ったものか。
押し黙る私に、ギルベルト殿下が横から助け船をくれる。
「陛下。リーゼリット嬢は自らに原因があると考えているのです。強い責任感ゆえの申し出かと」
お、おお……
「私もその場にいた者として、リーゼリット嬢と同様に寛大な沙汰を望んでおります。なにとぞご検討ください」
背をまっすぐに伸ばし、首を垂れる。
なんだよ、かっこいいじゃんかよ……!
私一人で対峙させないとの言葉通りの、その後押しがすごく嬉しい。
父王の決断に水を差すなど俺にはできないと、そう語っていたっていうのに。
「すでに十分な温情をかけたはずだが」
「……重々承知しております」
「ギルベルトよ。我々王家は、常に命を狙われる立場だ。傍に使える者が愚鈍であってはならぬ」
陛下のその言葉に、ギルベルト殿下も黙ってしまう。
……そう一筋縄ではいかないか。
王子として思うところはきっと多々あるのだ、これ以上の援護は望むまい。
だからといって私までここで引いてしまっては、この時間を作り同行してくれた殿下に申し訳が立たないわ。
気を抜けば膝からくず折れてしまいそうな、頭に肩にとのしかかるあいかわらずの重圧。
鷹揚に構える陛下からは、めったなことでは曲げないであろう頑強な意思が滲む。
ふうぅと長く息を吐き、腹に力を籠める。
負けるもんか。
「恐れながら、陛下。人の価値は、可能性は、ただ一度の失敗で狭めてしまえるものでしょうか」
「同じ過ちは繰り返さないと?」
「そうしないための知見を進んで得ますわ。成功も失敗も糧にできる者の方が、成功だけを知るものよりもより強く、しなやかに物事にあたれましょう。自らに不足しているものが何なのか、今後どうすべきか見つめなおす機会を与えられるのです。愚鈍かどうかは、その後判断されても遅くはないのでは。
いたずらに道を閉ざすのではなく、過去の経験はすべからく生かされるべきです。人を導く者として、陛下にはその機を奪ってほしくはありません」
「っは、10のこどもがよく言ったものだ」
必死の嘆願もむなしく、一笑に付されてしまう。
傍から見れば、私は間違いなくこどもだ。
一人では生きられず、親の保護を必要とし、世の中の仕組みの一端にすら、いまだ理解に至れない。
そんなこどもの言葉が、一国の主に響くなんて思ってはいないよ。
だけど、残念ながら中身はすでに一度人生を渡ってきた、くそ生意気な女なんでね。
「……ただのこどもだとおっしゃるのなら、よもやその同じ口で私から教えを請おうなどとは言いますまい」
「っ、おい……!」
「ほう?」
ひくりと片眉上げる陛下の声が、数段下がった。
温かいはずの部屋の空気がひやりと肌を刺し、ギルベルト殿下が慌てて割って入る。
「陛下、申し訳ございません。リーゼリットには私からきつく言い含めておきますので。ここはどうか穏便に」
「まあギルベルト殿下、私は何も間違ったことなど申しておりませんわ。陛下が恩情をかけやすいよう、きっかけをつくっているにすぎませんもの」
「リーゼリット! ……おまえは馬鹿か、自分の身すら危うくなるんだぞ……!」
私の腕を取り、目で諫めようとする殿下を負けじとにらみ返す。
捕まれた腕がぎりりと痛むが、訂正する気なんてさらさらないわ。
「私を罰すれば、この方法が闇に葬られるだけですわ。賢王と名高き陛下ですもの、何を優先すべきかはご存じのはず」
発言の撤回が見込めないと思ったのだろう、殿下は悔しそうに表情をゆがめると、再び陛下に深々と首を垂れた。
「──っ、私が陛下との目通りを願い出たばかりに、このようなな口利きを許してしまいました。すべては私の責任で……」
なんっじゃそりゃ!
「殿下! 私が言い出したことなんだから、責任くらい私がとるわ。矢面にっていうのは、そういう意味で傍にいて欲しいんじゃないの。さっきみたく後押しがほしいだけよ!」
逆に腕を掴むと、こちらを振り返った殿下の目は怒りで真っ赤に燃えていた。
「おっまえは……、この……っ」
一触即発といった空気の中。
「くっ、……く、く」
場違いなほどの押し殺した笑い声で、我に返る。
殿下とともに声の方へと視線を送ると、陛下がこめかみに手をあてたまま肩を揺らしていた。
「まったく、懇願をしに来たのか、喧嘩を売りに来たのか、ギルベルトとの喧嘩を見せつけにきたのか」
最後のでないことは確かですね。
「ギルベルト。あのロータス伯爵ですら手を焼く令嬢だ。おまえの手には余るだろうて」
「……はい」
「おまえは知らぬだろうが、この令嬢が私に啖呵を切ったことはこれが初めてではない」
「な、おまっ……、な、なん……っ」
驚きのあまり言葉にならない殿下を前に、そ知らぬふりを返す。
そういえばそういうこともあったわ。
たしか大嘘もついたっけなあ。
速攻バレてましたけども。
「リーゼリット嬢は、その者の今を知っているのだな。その上で、排斥は不適であると述べるか」
「……私はその方のほんの一部しか存じ上げませんわ……」
ジョストの準備をしつつ、次は自分だと目を輝かせる従騎士の中で、ただ一人表情のないクレイヴ様が脳裏によぎる。
これから先、周りの従騎士たちが馬で駆けていくようになっても、一人だけずっとあのままとか。
そんなのは見ていたくない。
誰しもすげ替えのきく駒なんかじゃない。
意思を持ち、感情を持つ一己の人間なんだ。
「それでも私は、陛下の命を受け入れつつも、たゆまぬ努力を続けているところを拝見しました。騎士団の方が復帰を心待ちにされていることも知っております。
このたびの王命は、誰も望んではおりませんわ。それこそ、当時の記憶がないファルス殿下ですらも。ですから私は、排斥を不適であると断言いたしますわ」
逃げも隠れもしない。
まっすぐに正面を見据えると、視線の先で陛下がゆっくりと口の端を上げた。
「──あいわかった、そこまで言うのならば、特例として騎士でのトーナメント参加を認めよう。まずはジョストで成績をおさめてみよ。成果いかんでは、騎士に戻すことを検討しようではないか」
はじめ、言われた内容が理解できずに反応が遅れた。
呆けたように瞬きを繰り返す私の前で、殿下は侍従を招き、沙汰を申し伝えている。
「勝敗に手心が入ってもいかぬ。騎士団には、本日よりの復帰であると急ぎ伝えるように」
すぐに一礼し退室する侍従の向かう先は、鍛錬場なのだろう。
頭の中に、訓練中のクレイヴ様が伝令を聞き、隠しきれない喜びを滲ませる姿がぶわぶわと浮かぶ。
「これでよいな」
「たっ、大変に寛大なご配慮、感謝の念にたえませんわ」
慌てて礼をとるが、こみあげてくる熱だとか興奮だとかを押さえるのがひどく難しい。
今すぐ隣の殿下の手を取って踊りだしたいくらい。
謁見の間を辞すると、一歩も進まぬうちに、それはそれは盛大なため息が隣から漏れた。
「……本気で俺はもうだめかと思ったぞ」
「あはは、私も膝がまだ少し震えておりますわ」
気の抜けたせいでついつい笑ってしまう私とは違い、殿下は額に手をあて頭を抱えている。
「まさか父王に喧嘩を売るとは……しかもこれが初めてではないだと? おまえの頭はいかれているのか」
今や殿下の小言すら楽しい。
「それでも何とかなってよかったではありませんか。頼もしかったですわ、殿下」
「……別に、それほど役にも立ってなかっただろ」
「いいえ、とってもかっこよかった!」
にこぱと擬音がついちゃいそうな顔で、するりと自然に口をついて出た言葉を紡ぐ。
そういや絶対言わないつもりだったのに。
気分がいいから、まあいいか。
「さ、鍛錬場に戻りましょう」
殿下の手を取り、スキップでもしちゃいたい思いで歩き始めたのだが、鍛錬場の方向がわからない。
木箱を運ぶ侍従たちには馬車に戻ってもらったのだ。
案内を頼める相手は一人しかいない。
「殿下、どちらから来たのでしたっけ?」
くるりと振り返ると、殿下は掌で顔を覆い俯いていた。
「………………今、こっちを見るんじゃない」
隠しきれていない部分から、どんな表情なのかは丸わかりだ。
なんだよ、照れちゃったのかよぅ。
楽しくなってつないだ手をぶんぶん振ると、振るんじゃない、と即封じられた。
戻るのはそのへらへらした顔を引き締めてからだ、と連れていかれたのは、前にも通った花の見える回廊だ。
そうは言うけれども、殿下よ。
柵にもたれ、あーだのうーだの呻いている、自分の顔の赤みが引くのを待っているのではあるまいな。
ぽかぽかした気持ちがすぐには治まってくれそうにはなくて、しばらくの間、殿下とともに庭の花を楽しんだのだった。
鍛錬場に戻ると、鎧に身を包みセラムを連れたクレイヴ様が、復帰を喜ぶ騎士たちにもみくちゃにされていた。
クレイヴ様の軍衣は、黒地に一角獣が銀糸で刺繍されたもののようだ。
黒鉄の鎧に纏っているのもあり、刺繍がとても映える。
「まあ、クレイヴ様もすてきな装いですのね。ジョストにお出になられるのですか?」
知らぬ風を装って声をかけると、クレイヴ様は一度だけ瞬いた。
「はい。この度、謹慎が解けました。……ありがとうございます」
言外に、それと気取られないように礼を告げられたのだとわかる。
まあそりゃあ、このタイミングでは、私たちが陛下に上申したのだと思うよなあ。
他の騎士たちは家からの謹慎だと聞いているため、今の言葉に含まれた意味を邪推する者などいないだろう。
クレイヴ様からの礼をわずかな表情の変化で受け止めて、鼻を寄せてくるセラムの横顔を撫でる。
セラムもよかったね、いっぱい駆け回ってくるんだぞ。
そうして、馬を慣らすためにと走りに出るクレイヴ様を見送る。
「まあ、存外寛大な処置というわけでもないがな」
ぽつりと零した殿下の言葉の意味を問おうとしたが、ばすん、という大きな音に意識が引かれた。
どうやら騎馬訓練が再開されたようだ。
ジョスト参加者たちが順に柵づたいに馬を走らせ、柵の反対側にいる人形めがけて槍を突き出している。
人形には槍が括りつけられており、2人の人間が背後から支えるという形式らしい。
今、馬を走らせているのは──白地に龍の紋章印、キース様だ。
丸太のように大きな槍を水平に保ち、目標へと近づいていく。
人形の槍をガイドのようにして自分の槍を沿わせ、人形の槍を逸らしつつ見事に打ち当てた。
そうか、相手の槍を食らわないようにもしないといけないのだ。
馬上で長い槍のバランスを取るのだって難しいだろうに、避けたり逸らせたりしつつ、動く目標にぶち当てるとか。
難易度高すぎだろう。
間をおかず、次に柵の左側へ躍り出たのはランドール様だ。
あの元気いっぱいのランドール様は、どんな的あてを見せてくれるのか。
槍を取り落として、やっちまった、とか明るく笑い飛ばしていそうだな、なんて思っていたが。
おちゃらけた様子はみじんも感じられず、馬に乗る姿勢はひどくきれいだ。
あぶみに体重を乗せて軽く腰を浮かし、やや前傾姿勢で臨むせいか、やけに速く感じる。
いや気のせいではない。
速すぎだ。
ぐんぐん勢いを増し、スピードを落とすことなく人形に槍をぶち当てると、押さえていた2人ごと後ろに吹っ飛んだ。
そのあまりの破壊力に、釘付けになっていたらしい他の騎士たちからすさまじい歓声が上がる。
………………は?
思わず震える指でランドール様を指し、隣にいる殿下に訴えてしまう。
「だから言ったろう」
もしかして陛下の条件って、だいぶ厳しかったりするんだろうか。
ぬか喜びしただけなんてことはない、よね……?
「2位じゃ……2位じゃだめなんですかね……?」
──眉間にしわを寄せた殿下の返事は、大きく長いため息一つだった。
第4章、終幕です