33 今はただその時を待つ
先生を丁重に見送った足で部屋へと戻ると、ベルリッツが銀のトレーを手に私を待っていた。
立ち姿でさえも様になるとは、なんとけしからんシルバーグレイか。
身もだえてしまいそうになるが、ここはひとつ、ポーカーフェイス講義の成果を披露せねばならぬ。
「リーゼリット様、お手紙が届いていらっしゃいます」
「いただくわ」
トレーに乗せて差し出されたのは2通の手紙。
うち1通はエレノア嬢からのいい匂いのする押し花の封筒で、すてきな季節のあいさつとともに、いつでもお越しくださいとの返事が綴られていた。
もう1通は、ギルベルト殿下からのえらく立派な封筒だ。
早ければ明日にでも陛下への目通りが叶う、準備しておけ、との内容に、思わず拳を握りしめる。
エレノア嬢には明後日お邪魔すると、再度お返事をしたためるとして。
まずは明日。
いざ、行動開始である。
◇ ◇
数日ぶりに赴いた鍛錬場はえらく様変わりしていた。
鎧姿の騎士たちが馬を慣らす傍ら、従騎士や従者たちがあわただしく立ち回り、訓練用と思わしき準備が着々と整えられていく。
鍛錬場の端には、腰辺りまでの高さの杭が等間隔に埋め込まれ、奥行10mはあろうかという柵が組み立てられていった。
騎士団と銘打ってはいても、ここにいるすべての者が騎士──すなわち馬に乗って戦う者──というわけではないらしい。
馬に乗って戦う『騎士』と、馬や武具の手入れなどの補佐をする『従騎士』、給仕や身の回りの世話を担う『従者』とに分かれているのだ。
騎士の下で鍛錬を積み、礼節を学び、従者、従騎士を経てようやく騎士になれるという。
前回来た時は皆地に足つけて訓練していたために違いはが判らなかったけど、こうなると一目瞭然だ。
一心に木槌を振るう従騎士の中には、クレイヴ様の姿も見える。
その背後を駆け抜けていく騎士との対比に、胸の痛みを覚えた。
「今年の騎士団からのジョスト参加者は4人。それ以外の者は、団体戦であるトゥルネイの訓練を行う。本来なら俺も今日はトゥルネイの訓練に参加するところだが──今日は特別におまえの講師だ。感謝しろよ」
そう言ってポンとマスクを投げてよこしてきたのは、誰あろうギルベルト殿下である。
こちらとしても、陛下の目通りが叶った場合に殿下との連携も取りやすく、抜け出しやすいのはありがたい。
名前が不確かな方をこっそりと尋ねることもできる。
願ったりな状況なのだが…………これで素直に喜べるかい!
渡されたマスクをぺいっと地面に突きつけたくなるのを、ふるふる握って耐える。
言い方はどうあれ、イレギュラーは私だ。
しかも国王陛下に繋ぎまでとってくれて。
「あ、あり……」
お礼をと口を開く私の正面、腕組みしつつこちらをちらちら見やる殿下の真後ろから、人影がよぎる。
「リーゼリット嬢、これすっごくおいしいんだけど!」
「ぐ、えっ」
ギルベルト殿下にずっしりとのしかかるように現れたのは、赤毛の騎士ランドール様だ。
目をキラキラと輝かせ、休憩用にと持参したはずのナッツ入りデーツを片手にいっぱい持っている。
今回は中に挟むナッツをカラメリゼではなく塩煎りにしてみたのだ。
お口に合ってよかった……が。
今は休憩時間どころか、まだ訓練すら始まってもいない。
「ど、どうも」
「ランドール……おまえな。まだ訓練前だぞ」
「俺、腹がへったままだと力出ないんすよ」
殿下もどうです? と口元に運ぼうとするのだが、まずは背中からどいてやるのが先ではなかろうか。
殿下のこめかみに青筋が見えるぞ。
「今までデーツって少し苦手だったんだけど、この組み合わせ最っ高だな!」
いやあ食わず嫌いだったわ、と明るく笑い飛ばしているのだが、このお人。
その言い分では、前回は口にもしてもらえなかったということにならないか。
贈った当人にさくっと明かすとは、これまた堂々としたものである。
「あだっ! ……ったく、あんまりバカスカ殴るなよ。頭悪くなったらどうしてくれんだ」
「これ以上、悪くなりようがないから、安心しろ……」
どうやら兜で小突かれたらしい箇所をさすりながら、背後のキース様を恨めしそうに見やる。
キース様はこちらの様子に気づいて走ってきてくれたらしく、少し息を乱しながら殿下から引き剥がしている。
剥がれたことで、目を引く装いが露わになった。
「お二方とも、華やかな装いですのね」
「っ、ありがとうございます」
「かっこいいだろ?」
「ええ、とっても」
得意げにポーズをとるランドール様と少し緊張した面持ちのキース様の姿を、前から後ろから拝見する。
2人は鎧の上に各家の紋章印の入った軍衣を着ており、鎧のデザインや着こなしも異なっていて個性が出ている。
キース様は細やかな装飾の施された銀の鎧に、ジェンティ家の青い龍を模した紋章印の入った白地の軍衣を。
長い黒髪は乱れなくひとつに束ねており、清廉で知的な印象をもつキース様にはぴったりだ。
一方、ランドール様は、シンプルで重厚そうな銀の鎧に少し着崩した形で軍衣を纏っている。
赤地に黄色の獅子の紋章印がなんとも華やかで、こちらもランドール様らしい装いになっている。
「遠目にも誰かわかるようになっております。日よけにもなるんですよ」
なるほどなあ、炎天下に金属の鎧に全身を覆われていては、蒸し風呂状態だもんね。
機能的でいてかっこいいなんて最高じゃないか!
「ジョストは体にかかる衝撃が半端ないからな、騎士の中で最も重装備だ。俺の着ている鎧とも違うだろう?」
殿下は鎧の上から軍衣を纏い、急所こそ鋼鉄鎧で覆われているもののそれ以外は鎖帷子を組み合わせるなど、動きやすさを重視したものになっているようだ。
異種素材の組み合わせが絶妙で、こちらも似合ってるしかっこいい。
思わず口を尖らせちゃうほどだけど、悔しいから絶対言ってやらない。
「5人揃うとまた圧巻なんだけどな。あいつまだ謹慎中だから」
「クレイヴの家は厳しいからな」
「謹慎、ですか?」
「もともとジョストに出る予定だった奴が1人、家の事情でダメになってさ。謹慎が解けるまで俺たち待ってるんだ。間に合えばいいけど」
クレイヴ様の名前が出て思わず聞き返してしまったが、あらかじめ聞いていた話とは違う。
考え込みそうになったところに、ランドール様の大きな声で引き戻された。
「あ、やべ。騎士団長がすげえ顔でこっち見てる! じゃあねリーゼリット嬢、がんばって! あ、キースこれやるよ。すっげえうまいから~!」
ランドール様がデーツを一つ口に放り込み、残りをキース様の掌にざらりと零す。
「お、おい! 俺もそっち行くんだぞ」
キース様は慌てて両手で受け止め、すでに走り出しているランドール様を見、こちらを一度振り返って情けない顔を晒したのち、ぺこりと一礼をして騎士団長の方へと走っていった。
掌の中身を一気に頬ばったみたいだから、後ろから見える頬袋がリスみたいになっている。
なんというか……せっかくの美形なのに、かわいそうなくらいに苦労性な人だ。
嵐のような1人が──正確には2人が──立ち去ったのち、2人の背中を見やりながら、ギルベルト殿下がぽつりと呟く。
「……対外的には、一時的に謹慎という形にしているんだよ。兄様のことはそう表沙汰にはできないからな」
なるほど、そういうことか。
解けない謹慎か……
1年経ち2年経ち、さすがに長すぎやしないかとようやく声が上がるのだろうか。
家ではなく王命だと知れたら、諦められてしまうのだろうか。
同僚の騎士たちも復帰を心待ちにしているのだ。
今の状態で喜ぶ人なんて誰もいない。
なんとかしてやりたい。
そのためには陛下の都合待ちなのだが、悲しいかな、未だ侍従が寄ってくる気配もない。
渡されたままだったマスクを被る。
今は機会を待つしかないのだ。
「それで? しっかり復習はしているんだろうな」
「当然ですわ。毎日走り込みしておりますし、カイルにも手合わせをお願いしていますのよ?」
カイルからは、自分の剣術は自己流だから真似はしないようにって言われてるから、ファルス殿下から教わったものを反復するくらいだけど。
「ほう、じゃあ確かめないとな」
そう言うと殿下は剣を頭上に掲げ、切っ先を左膝の方へと垂らし重心を落とした。
さすがに騎士団とともに訓練しているだけあって、殿下は武術の基礎に忠実だ。
カイルとは構えからして違う。
向こうはどちらかと言えば棒立ちに近いのだ。
その上、剣も腕も一直線に相手へと向けるスタイル。
どちらも私にしてみれば隙のなさは同じで、攻めにくいことに変わりはないのだけれど。
「私は防御とカウンターしかまだ覚えておりませんわ」
「なら、こちらからいくぞ」
ひゅん、と跳ね上げた剣先が肩先をかすめる。
咄嗟に後ろに退いたけど、今のめちゃめちゃ危なかったぞ。
以前見たギルベルト殿下の剣裁きであれば、これでも優しい方なのかもしれないけど。
習い始めてまだ数日の私からすれば、そんな優しさ、砂粒ほども感じられんわ!
流れるように繰り出される攻撃を短剣で防ぎ、再び後退して間合いを取る。
「少しは手加減してくださいませっ」
「対応できているのならする必要はなかろう。実践でもそう頼むつもりか?」
全くその通りなんですけど!
くっそう、意地が悪いわ。
受け流しはなんとか。
でも、カウンター取れるような隙もなければ余裕すら与えてくれない。
自分の体勢を崩さないようにするので必死だ。
「腰が引けてる、もっと重心を低くしろ。相手の剣は掬い上げた方が優位だ。自分の体形を生かせ」
「了解、ですわっ」
助言のとおりにはしてみても、片手剣だけではまったく歯が立たない。
このままでは一太刀すら浴びせられないわ。
訓練なのにぃ……!
くそう、と思いながら傍の木にかけておいた布を取り、左手に巻きつけて再び殿下へと対峙する。
こちらのリーチが短くなる分、鋭い剣筋はもっと怖くなるけど、背に腹は代えられぬ。
私の判断に、眼前の殿下は何とも楽しそうに口の端を持ち上げた。
その余裕、皮っぺりだけでも剥いでやる!
向かってくる殿下の剣先から体を逸らし、左手で斜め上に跳ね上げ……よし、いけた!
そのままさらに斜めに一歩踏み出す。
相手の向かってくる力を利用し、上半身をひねりながら脇腹へと剣を突き出せば──
「入った!…………って、あ、あれ?」
脇腹にうまく入ったと思われた刃先は素手でしっかり掴まれていた。
押しても引いても短剣が抜けることはない。
「殿下! 刃先がついていないにしても反則では?」
「ばかもの。腹に風穴開けられるくらいなら、刃先が尖っていようがいまいが誰しも握るんだよ」
おまえの攻撃は遅すぎて握りやすいしな、と続いてむかっとなる。
渾身の一撃だったのに!
「まあ、酔狂で習い始めたわけでもないらしい。今日は獲物の奪われ方とその防ぎ方を教えてやる。しっかり叩き込んでおけ」
左手でいなしていたはずの腕がいつのまにか外され、上から打ち下ろされる。
殿下の肘がちょうど私の前腕部分を突くと、握っていたはずの短剣がすっぽ抜けた。
「……へ?」
「まずは一つめ」
奪い取られた短剣をそのまま手の中に戻されて、反射的に握り直す。
「こういう場合は掴まれた短剣以外に相手の意識を向けさせろ。頭突きでも足を踏んづけたって構わない。剣を抜こうとやっきになればなるほど相手の思うつぼだ」
「次、ふたつめ」
あっけにとられたままの私の間合いに一息に入り込む。
肘が目の前に来てひるんだ拍子に腕が掴まれ、短剣を内側に捻られたと思ったときには、手の中の短剣がなくなっていた。
「また?!」
「親指が外れればどんな長物だろうが奪える。それは逆もしかりだ。獲物を掴まれたら相手の手首側に捻って外せ」
再び短剣を戻された私は、その後も3回ほどあっさりさっくりと奪われ、最後の方では途方に暮れた顔をしていた。
ためにはなるけど、……畳みかけないでっ!
しかもどんどん複雑になるし、心折れるっつーの!
「いいか、いかに素人でも振り回されるのがやっかいだと思う輩は、剣を奪って無力化しようとしてくる。一度剣を出せば、その時点でおまえは相手から敵とみなされる。出すなら奪われるようなへまはするな。対処法をしっかり叩き込んどけよ」
「大変勉強にはなりますが……ひとつくらい達成感を与えても罰は当たりませんわよ……」
「自分で掴み取ったものでないそれに、何か意味があるのか?」
しごくもっともではあるけれど、実践も復習もなしでどんどん進めるとか鬼か?!
「その教育方針ではついてこられない者も出てきましてよ」
「ほう、おまえはその手の輩だと?」
「上ー等です……意地でも食らいついてやりますわっ!」
かくして私は、殿下の鬼監修の元、剣の腕をめきめきと上げた。
…………なんて、剣術の世界はそう甘くはないのだった。




