31 求むはタイムマシンなり
「…………私はどうしたらいいのでしょうか……」
「俺に聞くとはいい度胸だ」
ソファに項垂れ消沈している私に対し、殿下からの回答は身も蓋もないものであった。
いや、まったくもってその通りなんですけども!
ここは以前、ギルベルト殿下が待機場所として利用した一室である。
あの後すぐに、婚約者殿に話がある、と腕を取られ、殿下に連れ出されたのだ。
部屋を出る間際に見た、鳩が豆鉄砲を食ったようなレヴィが脳裏によぎる。
その前の、真摯な、熱のこもった、どこか緊張した面持ちも。
あれはどう見たって……
「さきほどのは、やはり告白でしたよね」
「断言できない理由でもあると言うのか」
「……ただ少し、そうではないのではという希望を持ちたかったのですわ」
殿下は重い溜息をつくと、隣りにドサリと腰を下ろした。
もう本当にこいつどうしようもないなって視線をひしひしと感じる。
あの言葉が冗談や酔狂じゃないってことくらいは私にもわかる。
思わせぶりな私の言動が原因なんだろうってことも。
ただ、年齢的にもこの先の展開を見据えても、レヴィの想いは淡い初恋のようなものだ。
これを私が、この恋愛音痴の元喪女でしかない私が!!
本来恋すべき未来の彼女さんへと、どう軌道修正させたらいいのか!
何にも思いつかないんだよおお……っ!
しかも、ギルベルト殿下がさらっと言い捨ててきちゃった今、このあとレヴィのいる部屋に戻ったとして。
私この人と結婚するんですうふふ、なんてどんな顔で言えばいいんだ。
教えてくれよっ、頼むから……!
「そもそもあいつはおまえの何だ。なぜああなった」
「従弟のレヴィンですわ。幼少期からよく一緒に遊んでおりましたの。私が困っていると助けてくれる、非常に優秀でそれはそれは天使のような従弟ですのよ。あの歯ブラシを考案したものレヴィですの。私がミントの葉で歯を磨いているのを見かねて作ってくれたのよ。日が暮れてからは本が読みづらいわって零したらガス灯を改良してくれたり、馬車の長旅がつらくないようにと車輪を工夫してくれたり、つい先日も今日だって私の頼みごとをすぐに解決しちゃったのよ! おじさまの船が沈んで事業が傾きかけたときも、レヴィの発明でむしろ業績を伸ばしたくらいですのよ……っ!」
殿下の据わりきった目に我に返る。
途中から熱の入りすぎた、うちの子自慢になってしまったことは認めよう。
握りしめていた拳を解き、こほんと咳払い一つで場を濁す。
「小さい頃から傍におりましたから、淡い初恋ではないかと思いますの。その……さきほどのは、優秀な従弟を愛ですぎてですね。私がレヴィなしに生きていけないなんて言ったからかと……。私の配慮不足によるものですから、そのために悲しい顔をさせるようなことはしたくないのです」
ですからどうかお知恵を、と首を垂れると、殿下は組んだ膝を指でとんとんと叩いた。
「お前の話を整理すると、あれはそれほど殊勝な子供ではないように思うが」
どこからそんな考えに至るのか、全く理解できないのだが。
私の話聞いてました?
「発明で家の窮地を救ったほどの才を持つのだろう」
「……ええ」
「それらはおまえのための発明であったと」
「そうですわ」
「他の誰かのための発明品はないのだな?」
「そのとおっ、……え。そこまでは、存じませんけれど」
勢いで返しそうになったが、私とてレヴィの発明品のすべてを知っているわけではない。
嬉々として知らせてくれる発明品しか。
「そこのところはどうなんだ」
傍でお茶の準備をしていたナキアに話がふられ、何でも詳しい自慢の侍女は恭しく頷いた。
「殿下のおっしゃる通りでございます」
…………そうだったのか。
「それほどの才を持ちながら、生家のために何かを開発することはないのだろう。事業が傾きかけたときでも、お前の要望にのみ従事したのだぞ。そうしてそれが良好な成果に結びついている。そいつの家族はどう思うだろうな。あれの能力を引き出すためにはおまえが必須だと思うのではないか? 家の発展のためにも、おまえを手元に置いておこうとするだろう」
えええ……?
そりゃあ、おじさまからは何度か、リゼ嬢がうちに来てくれたら華やかになるなあ、みたいな言葉は聞いたことがあるけれど。
あれはよくある親戚筋の酒の席での冗談でしょうに。
というか、幼少期の私のおてんばっぷりを知っているおじさまたちが本気で大事な息子との成婚を進めるとは思えないのだが。
自分で認めるのも悲しいが、実の親が嘆くほどのアレだぞ。
「おまえは度重なる発明に、あれなしではいられないと思ったのだろう。申し出を断わりにくいとも。
……周囲を含め、双方の意識を絡めとる用意周到さだとは思わないか」
ええええ?
あの天使なレヴィがそんな計略を巡らすだろうか。
そんなことをしなくともどうやって断ったらいいか困るのは目に見えているし、事実、レヴィなしには立ちいかないのだが。
……って、そうだよ!
これでレヴィが失意のために創作意欲をなくしてしまったら、この先私どうしたらいいんだ?
そっちも問題じゃん!
「殿下。私、レヴィなしには立ちいきませんわ」
「お前の夢にか」
理解が早くて助かる。
打てば響くような殿下の反応に、こっくりと頷く。
「……俺は婚約破棄しないからな」
「私にもそのつもりはございませんわ」
そう答えると、据わったままだった目が一転、驚きに見開かれる。
え、何その心底意外だって顔は。
心外なんですけど。
「……それならば、まあ、協力してやらんでもない。とりあえずおまえは素直な気持ちをぶつけてこい。話はそれからだ」
殿下付き添いのもと、さきほどの部屋へと戻ると、見るからに表情を曇らせたレヴィが背中を丸めていた。
そりゃそうだろう。
相手が私なのは非常に申し訳ないが、告白したとたんに婚約者が出現したのだ。
もし自分が逆の立場だったら、探さないでくださいって手紙を残してさようならしてるわ。
ぐっ、ごめんねレヴィ。
なんとかして今日という日を幼き日の青春の一ページってやつに変えてみせるからね……!
項垂れるレヴィの傍にしゃがみこみ、そっと覗き込む。
瞳を潤ませて今にも泣きそうになっているレヴィに、良心がごりごり痛む。
「突然席を外してごめんなさい。レヴィの気持ち、すごく嬉しいわ。ただ、レヴィの想いは、私がレヴィを大事に思いすぎて、思わせぶりな態度をとってしまったせいだと思うの。婚約している身の上だというのに不誠実だったわ。レヴィが大きくなったら、私よりももっとずっと素敵な人に出会えるわ。だからその時まで、その気持ちは大事に取っておいて」
……これが私の素直な気持ち。
これ以上はもう搾りかすすら出ない、精一杯である。
「リゼ姉さまにとって、その素敵な人がギルベルト殿下だと、すでに思われたのですか……?」
ぶうんと唸りを上げ、すごい勢いで戻ってきたブーメランが頭に突き刺さる。
ですよね……レヴィとは1歳差しかないのに、この言葉では説得力など皆無ですよね……!
初手からもう躓いてるんですが、これいかに。
救いを求めてちらちらと見やると、殿下には珍しく軽薄なため息を零した。
違和感に思わず目を丸くした私の手首を取り、ぐいと引き寄せる。
「ひどいな、リーゼリット。俺の魅力は一つも伝えてくれないのか?」
よろめいた体を背後から抱き留められて、一息に近づいた赤い眼を見やる。
逸らすことなく見つめてくる殿下は、ツンデレをどこに置いてきちゃったのと言わんばかりの態度だ。
思わせぶりに手首の内側をなぞられ、いつかのように唇を寄せていく殿下に──
「ひょわ、あぁっ」
変な声が出た。
「────っは、本性が出たな」
楽しそうに口の端を上げる殿下の視線を追うが、そこには常と変わらず天使のような笑みを浮かべたレヴィがいるだけだ。
本性とはと首を傾げそうになる私の耳に、聞きなじんだ柔らかな声が届く。
「権力願望の強い世間知らずのアバズレなぞ、その辺に山ほどおりましょう。ギルベルト殿下は、そちらの方が似合いですよ」
……目と耳から得た記号が一致しないのだが。
今しがたの言葉がレヴィの口から出たものだとは信じられなくて、レヴィの後ろに誰か隠れているんじゃないかと首を伸ばして見てみるが、当然ながら誰もいない。
えっ、ど、毒?
毒吐いたの?
今の、え、あのレヴィが????
「リゼ姉さまの雰囲気が変わられたのはこのためだったのですね。世俗に疎いリゼ姉さまをたぶらかして、ずいぶんとご立派な王子がいたものだ。殿下は姉さまを不幸に導くつもりとみえる。
リゼ姉さま、『赤眼の第二王子』など苦労する未来しか見えませんよ」
棘なぞみじんも感じさせないほんわりとした笑みだが、言葉の内容は辛辣なものである。
え、ちょ、待って、仮にもこの方、この国の王族だから!
私も失礼な態度取っちゃってるときあるけど、その言葉はさすがに一国民として禁句なんじゃないの?!
「えっと、レヴィ? 殿下の容姿はアルビノって言ってね……」
「姉さま大丈夫、存じてますよ。海の外でも見かけることがありますからね。
……それでも世間の評価がどんなものなのか、王子自身が知らないはずはないでしょう」
「僕なら姉さまの願いはなんだって叶えることができます。自由にのびのびと、健やかに。僕の発明で日々を快適に過ごすことも、船で各国を旅して回ることも。実に姉さまらしい生活を保障しますよ。もし殿下とご成婚されたとして、リゼ姉さまの望む生活が得られるでしょうか」
気心の知れた天使なレヴィとニコニコ癒しのスローライフか……それはまたものっすごい魅力的な余生だな。
ただその場合、領地に戻るか国外に出ると思うのだが、この先起こりうる事象をどうやって回避したらいいんだ?
怪我や人死にの出ないエンドの保証はあるのだろうか。
その道を選んでいいのか?
──否、答えはもう決まっている。
助けられるかもしれない人がいるのに、背を向けることはできない。
それに、私はこのどうにも不器用で、不遇な過去を乗り越えようとしている殿下も、放り出すようなことはしたくないのだ。
「レヴィ、私は──」
「リーゼリット」
心に決めた答えを紡ごうとして、殿下の制止に言葉が宙に浮く。
「レヴィンとか言ったな。ずいぶんな物言いだが──それほどまでに自信があるのなら、その自慢の才で奪い取ればいいだろう。リーゼリットが心からおまえを欲するのならば、考えてやらないでもない」
国王を彷彿とさせる不遜な笑みを見せると、ついにレヴィの笑顔が剥がれた。
「その言葉、忘れないでくださいよ」
火花を散らすという言葉はこのためにあるのか。
目の前で繰り広げられる光景に、当事者であるはずの私は置いてきぼりを食らってただぽかんと立ち尽くしていた。
これ、私はもう何も言わない方がいいのか……?
衝撃やら当惑やらで放心状態の私であったが。
帰るから見送れ、との殿下のお達しに引きずられるようにその場を後にした。
「あの様子なら、お前の夢とやらを叶えるために協力は惜しまないだろう。おまえが懸念していた意気消沈ということもなさそうだが……これでどうだ」
ほんとだ…………すごい。
なんとかなってるわ。
殿下の煽るような発言は、そのためだったのか。
目的を果たすために、悪役を買ってでてくれたのだ。
「……ありがとうございます。殿下のおかげですわ。…………そのためとはいえ、レヴィが大変失礼いたしました」
一国民であるレヴィの心無い言葉に傷つかないはずはないだろう。
「このくらい慣れている」
なんてことないように話す殿下に、胸にもやもやとしたものが残る。
「……そういえば、本日はどのようなご用向きでしたの?」
「用もないのに来たらいけなかったか」
「そういうわけではございませんわ」
ただ、センサーでも積んでいるのかってくらいにタイミングがいいから。
ちょっと気になっただけだ。
「……昨日、おまえが話していたろう。クレイヴのことだ」
今日の鍛錬で、黒騎士に何かあったんだろうか。
首をかしげるだけの私に、殿下が言葉を重ねる。
「あのときはああ言ったが、俺とて何も思わないわけではない。それに、おまえが何をするにせよ、一人で父王に対峙させるつもりはないと、伝えに来たのだ」
ん…………?
これはもしや、黒騎士の処遇について殿下の助力を得られるということか……?
呆けたようになっている様子にじれたのか。
「矢面にくらいたってやると言っているのだ。…………俺の婚約者だからな」
えらく小さな声でぼそりと呟かれたその言葉があんまりにも嬉しくて、ぶわりと感情がほとばしる。
「~~~っ、殿下ぁ!」
「ば、おま、その抱き着き癖をなんとかしろっ」
「何を言いますの? 気心の知れた相手にしかしませんわ!」
心外な、と抗議し、そういうところがダメだと自覚しろ! とデコピンをくらった私は。
果たして思い出したのだ。
私が、『レヴィが本来の想い人へと向かえるように支援してほしい』と殿下に依頼しなかったせいで、そちらへの軌道修正を図ることができなかったということに。
小一時間ほど前に戻ってやり直したい。
…………タイムマシンも、頼めば開発してもらえるのかな……