25 掴みどころをください
早鐘を打つ心臓が、まるで囃子太鼓のようにどこどこ刻む。
ろう板の砂を払うファルス殿下が目を細めるのを、貼り付けた笑顔のままじりじりと待った。
ファルス殿下に限って、中身を見るなんて無粋なことはしないだろうけど。
こっちの心臓が持たないんだよぉぉあんまり見ないでオネガイシマス!
「よかった、壊れてはいないみたいだ」
どうぞ、と渡されたろう板をすぐに胸に抱き込み、謝辞を述べ。
そういえばコンラッド様への謝罪がまだだったわと振り返ったのだが。
ほぼ真後ろに目的の人物がいたせいで、びしりと固まってしまった。
対するコンラッド様はにこやかな笑みを浮かべ、私の手の中にあるろう板にとんと指を当てる。
「さっきの視線はこれかな?」
一度指の先に目を向け、再びコンラッド様に視線を戻すと、口元の笑みはそのままにすうと目を細めた。
意図的にだろう、顎を引き眦を上げた藍色の眼に射すくめられる。
「俺の名だ」
呟かれた言葉に、思わず目をみはる。
し、し……しっかりご覧になっていらっしゃるーっ!
叫びだしたいのをすんでで堪え、こめかみに伝う汗をそのままに、どうにか笑みを返す。
「え、ええ。トーナメントは初めてなもので、ギルベルト殿下に楽しみ方や注目選手をうかがっておりましたの。リヴァーレ公のことを褒めてらっしゃいましたわ」
多少の違いはあるものの嘘ではない。
だから殿下。
そんな目で見るのはやめて、ばれちゃうでしょ。
「ふうん? その割には、ずいぶんと慌てていたようだけど」
「……ご本人のいないところで話していたものですから」
「へえ。どんな話だったのか気になるなあ」
ずいっと身を乗り出してくるコンラッド様に、じりじりと後ずさってしまう。
身長差もあるのだろうけど、品の良さからなのか笑顔なのに凄みが滲むよ。
言ってしまうか?
物覚えが悪いからメモってましたって。
だがしかし、注目選手の記載はあれど、中身はほぼ外見覚書なのだ。
失礼すぎてとてもじゃないが見せられたものではない。
「コンラッド。少し近すぎるのでは」
圧を覚えるほどの距離に助け船をくれたのは、意外にもファルス殿下だった。
かばうように間に立ち、私を自身の背後へと押しとどめてくれる。
さ、さすが正統派王子ぃぃ!
心中で賛辞を贈っていると、コンラッド様が楽しいものでも見つけたかのような風貌を殿下に寄せた。
「ふうん? 俺の記憶が正しければ、こちらのご令嬢はギルの婚約者ではなかったかな? それともファルスの、だったか」
「何が言いたい」
とたんにピリッとした空気が辺りを包んだ気がして、思わず二人の顔を見比べてしまった。
楽しげなコンラッド様に反し、ファルス殿下の表情は氷のように冷ややかだ。
なんだなんだ、実は仲があまりよろしくないのか。
「他意はないよ。ギルがいるのに仲良く剣術稽古をしていたり、ドレスも似せているようだったからさ」
再びこちらへと戻ってきた視線と言葉に合点がいく。
なるほど、私の態度が問題なのか。
コンラッド様も、私がギルベルト殿下にふさわしいかどうかを見てるってわけね。
白い騎士服といういかにもなヴィジュアルに気を取られてたけれど、ファルス殿下の首元や袖口に施されたパイピングはえんじ色をしている。
パッと見ただけじゃわからないけど、実は色を合わせてるっていうあれか。
ようするにリンクコーデだと言いたいのだろう。
ははあ、そういう解釈か。
……ってちょっと待て、なんて言いがかりだ。
だってそれじゃ、私がファルス殿下を密かに想っているってことになっちゃうでしょうが!
「聞き捨てなりませんわ!」
ざりっと地面を踏みしめ、ファルス殿下の背後から身を滑らす。
「剣術指南は、ファルス殿下がまだ本調子でないために訓練をお休みされているのであって。この鍛錬服も私が用意したものではなく、両殿下にいただいたものですわ!」
噛みつかんばかりの勢いでまくしたてると、コンラッド様が驚きをあらわに目を丸くした。
「第一、この色はギルベルト殿下の瞳の色でしてよ!」
ばしりと胸元に手を当て、鼻息も荒く言い切った私を、時が止まったような静寂が包む。
目前の二人があっけにとられていることに気づき、唇を引き結んだまま小首をかしげた。
ちょっと勢いが良すぎたかとギルベルト殿下に視線を巡らすと、殿下は思いのほか傍にいた。
止めに入ろうとしてくれていたのだろう、知らぬ間に立ち上がっていたらしい。
ぎゅうぎゅうに眉をしかめ、頬を赤く染めた状態で。
…………ようやく、ようやく失言に気づいた。
殿下が自分のものだと主張していると、それを了承の上で着てきたのだと。
そう、声高らかに自分で宣言したようなものなんだってことに。
「はうあ、あ! いえっ、ええっとその、今のは、何と言いますか…………まあ、そういう、ことですので…………」
みるみるうちに赤くなり、語尾が弱々しくなってしまう私に声をかける者はいない。
いたたまれずに小さくなっていく私の様子があまりにもおかしかったのか、コンラッド様が勢いよく吹き出した。
ぼっほぅとか言ったんですけどこの人、今。
仮にも皇族の出ですよね?!
「っく、この前もっ思ったけどさ。面白すぎだろっ。どこでっ、ぶふ、見つけてきたの……っ」
ギルベルト殿下の肩に手をやり、空気漏れを起こしながら打ち震えている姿からは、初めに抱いた上品だとか色気だとかの印象はみじんも感じられない。
なんなんだこの人は……
「……もう休憩が終わる。行くぞ」
ギルベルト殿下はまだ赤みの残る顔で腕を押しやり、その場から去ろうとするのだが。
悲しいかな、体格の差に押しとどめられている。
「相手俺でいいの? いい所、見せられないよ?」
「っ、いいから早く来い」
今度こそ腕を払い、カップを戻しに休憩所へと向かうのを追って、コンラッド様が悠々と歩き出した。
去り際、ファルス殿下の頭にポンと手を置き、軽くかき回していく。
「別にギルのだから盗ってもいいなんて思っちゃいないよ。おまえも少し肩の力抜けって」
優しくたしなめるような響きに、ファルス殿下が小さく口を尖らせた。
どこかばつが悪いように乱れた髪を整える姿を見るに、コンラッド様の言葉は図星なのだろう。
怒っていたように思えたのはそのためだったのか。
誰に対しても終始穏やかだったファルス殿下にとって、国の垣根を超えた兄のような存在なのかもしれない。
仲が悪いのではなく、互いに遠慮がないのだ。
この分なら両国間の関係は良好そうだと一人思案していたところに、コンラッド様がこちらにひたりと指を向けた。
「君も。もう少し視野を広く持った方がいい」
突然ふられた言葉に、何に対してのものかわからず瞬きを返す。
コンラッド様は私の無言の問いには答えず、早くしろと急かすギルベルト殿下を見るや笑みを深くした。
「やれやれ、あいつも難儀だなあ。……さてと、リーゼリット嬢は俺を知りたいんだろう? それなら次の訓練が最適だ。見逃すんじゃないよ?」
なんとも自然によこされたウインクに衝撃を覚えて固まっていると、踵を返したコンラッド様が数歩進んだ先でまたも盛大に吹き出した。
し、しょうがないでしょ、こちとら日本生まれ日本育ちの元喪女だっての。
軽やかにウインクなんてされればびびるわ!
しかし、結局のところ何だったんだ?
ごまかされた感がいなめないんだけど、何の忠告?
取り残され呆然としていた私の耳に、こほんと一つ咳払いが届く。
「……リーゼリット嬢、失礼を。コンラッドはあのとおり、冗談が過ぎるきらいがある。悪いやつではないんだが」
「はあ……」
「私も、場の空気を乱して申し訳なかった」
「いいえ。かばってくださって心強かったですわ。西方からお招きしている方に、どのように返すべきかわかりませんでしたもの」
しかもあの掴めない方に。
もうすでにどっと疲れていた私は、これ以上追及されないよう、ろう板をそっとしまったのだった。
さて、自信満々で修練場へと戻っていったコンラッド様たちだが。
休憩を挟んで二人が手にしたのは、レイピアではなく長槍のようだった。
身長よりもずっと長さのある槍の先端は、斧と鉾と鍵爪を足したような形状になっている。
騎士によっては長槍同士ではなく、長槍にレイピアで対峙しているところもあるから、組み合わせは自由なのだろう。
「武具が変わりますのね。槍の訓練は後日とお聞きしておりましたが」
「ジョストで用いる槍はまた別物だよ。あれはハルバード」
ほほう、あれが。
いろいろついていてお得感満載な武器だな。
生来の珍しいもの好きが勝って妙にそわそわしてしまうわ。
騎士団長の号令で打ち合いが始まり、あちこちで金属音が飛び交う。
コンラッド様はまるで神楽でも舞っているかのような軽い身のこなしで殿下の構えた盾を穿ち、弾き飛ばすように切っ先を変え、長さのあるハルバードを自分の手足かってくらい自在に操っている。
唸りを上げる風切り音は、離れたここにまで聞こえるほどだ。
「コンラッドの国ではハルバードが有名なんだ」
そういえば、棒術が得意なんだっけ。
技を盗もうとしているのか、周りの騎士たちが何人も手を止めている。
相当な使い手なのだろう。
レイピアではあれだけキレのよかったギルベルト殿下も攻めあぐねているようで、槍で突いても斧部分をうち下しても簡単に防がれてしまう。
一方、コンラッド様の攻撃は多彩だ。
打ち下ろしたり凪ぐだけでなく、鍵爪で足をひっかけて引き倒し、上から槍を突き立ててくる。
よ、容赦ないな……
殿下は降ろされる槍を弾いて膝立ちになり、足元を狙って斧を引き回す。
いとも簡単に止められてしまうが、ハルバードをくるりと返し鍵爪で相手の獲物を押しやると、体勢を立て直した。
上手い!
いけ、そこで一突き、と拳を握るが、次の攻撃も軽く凪ぎ払われてしまった。
つ、強……
「先のおさらいをと思っていたんだけど、もう少しギルベルトの応援していく?」
優しげにこちらを見やるファルス殿下に、はたと我に返る。
ついつい見入っていたらしい。
帰るタイミングを完全に逸してしまった。
槍の訓練を見るだけ見たらもう帰りますとか、ものすごく言いにくいんですけど。
まあでも、次の休憩までならそう時間はかからないか。
「ご、ご指南、お願いしますわ!」
それならばと侍女にカップを渡し、連れ立って訓練場の隅へと向かう途中。
突然、何の前触れもなくファルス殿下に腕を取られ、引き寄せられた。
驚きはするものの、とっさのことに受け身も取れずにファルス殿下へと倒れこむ。
間を置かずして頭上近くで金属音が鳴り、折れたハルバードの切っ先が地面に突き刺さった。
「っリーゼリット嬢、……ご無事ですか」
一瞬の出来事に状況が理解できないでいたが、ファルス殿下の言葉と剣を背にした姿に、かばわれたのだとわかった。
「大丈夫ですわ」
殿下のおかげでどこも怪我はしていない。
そちらはどうかと仰ぐと、殿下は息をつめ、何かに耐えるように自分の体を抱えている。
「どこか痛めたのですか?!」
「いや、これは……」
言い淀んではいるが、額に汗が滲み、無事でないことは明白だ。
「……っ失礼します!」
一声断わってから殿下のジャケットに手をかける。
「リ、っ……リーゼリット嬢……っ」
制止も聞かずに剥ぎ取る勢いで脱がすと、ちょうど胸の中心に大きな布があてられているのが見えた。
軟膏を塗布されていると思わしきその布に収まりきらなかったのだろう。
布の周囲には青や紫、黄色をしたまだら模様の内出血痕が広がっていた。
「……見苦しいものを」
痛々しいが、色から見るにこれは新しいものではない。
原因は思い当たる。
胸骨圧迫したときに肋骨が何本か折れたのだ。
薬は塗られているようだが、折れた骨が固定されないままでは痛かろう。
私が倒れこんだせいで響いただろうし。
胸部をしっかりと固定できるバストバンド──それこそマジックテープやガムテープでもあればいいんだろうけど、そんな便利なものはない。
布の上から紐を巻きつけるか?
でも紐だと胸部全体を固定するには弱いしなあ。
胸元を開けっ放しにしたままむむうと唸る私と、とまどいつつもされるがままになっている殿下のもとに、二人の騎士がすっ飛んでくる。
「……お、お怪我は!」
「古傷だ。気にすることはない。リーゼリット嬢も無事だ」
状況から察するに、二人は折れた槍の持ち主とその稽古相手なのだろう。
ろう板に名を刻み付けた、えーっとえーっと、ポケットからカンニングちらり。
そう、ランドール様とキース様だ。
青い顔で駆けつけた二人に殿下は穏やかな笑みを向けたが、その胸元は私によって開かれたままだ。
広範囲にわたる内出血痕を見るなり、いっそう蒼白になってしまった。
「えぐい……」
思わず漏れたらしきランドール様の頭をキース様がスパンとはたき、そのまま二人で深々と頭を下げる。
「古傷であっても、悪化はさきほどの槍が原因でしょう。申し訳ないことをいたしました」
一向に頭を上げようとしない二人に、うろたえてしまう。
どちらかと言えば原因は私なのだ。
殿下は他の騎士に気を遣わせまいと訓練を休んでいたのだろうし、飛んできた槍だって一人なら避けられただろう。
でもここで私がとか言いだしたところで押し問答になるのは目に見えている。
解決策の提示がマスト。
そのためには締め上げ固定術を絞りださねば、と再び唸りそうになったところで、さっき触れたばかりのろう板を思い出した。
これなら……!
「お二人とも手を貸していただけるかしら。殿下の痛みを取るために、長い布を探してきてほしいの。胸周りを2周できるくらいのものがいいわ。それから、このくらいの太さの枝も」
さっき書きつけに使った枝のように、探せばすぐに手ごろなものが見つかるだろう。
枝はある程度強度のある、太過ぎないものがいい。
指で小さな丸を作って見せると、二人は頷きすっ飛んでいった。
ほどなく用意された布を殿下の胸周りへきつめに巻いて両端を結び、結び目に棒を通すと、万力の要領で締め上げる。
「苦しくはありませんか」
「いや、大丈夫だ」
深く呼吸をするのに問題がないようなら、締め付け具合はこのくらいでいいか。
布に小さな切れ込みを入れ、そこに枝の両端を通して固定する。
丈夫そうな布だから、多少穴が広がりはすれど裂けてくることはないだろう。
枝の先が直接肌に触れないように位置を調整して仕上げれば、簡易バストバンドの完成だ。
「急ごしらえではありますが、これで少しは痛みが和らぐと思いますわ」
「すごいな……息をするだけで痛みが走っていたのに、今は楽に息ができる。アヘンチンキを使わず、これほど痛みが和らぐとは。これなら訓練にも参加できそうだ」
「それはようございました」
おもむろに出た名前にちょっと動揺しながらも、ほっと息をつく。
アヘンチンキというのは、アヘンの成分をアルコールにしみ出させたさせたものなのだ。
ヘネシー邸でお借りした本によると、この世界じゃ安価で、頭痛や生理痛でもアヘン使うんだよね……
頼むからロキソニンのノリで使わんでくれ。
「っ、殿下ー! よかったー!!」
飛びつこうとするランドール様に、キース様が首根っこを掴んで引き戻している。
「本当に痛みはないのですか」
「ああ。まったく元の通りとはいかないが、訓練で少し怪我をすればこのくらいはよくあることだ」
「今年のトーナメントに間に合いますね」
そうだな、と殿下は簡易バストバンドに触れ、頬を緩ませている。
焦った様子こそ見せなかったが、一大イベントだもんなあ。
内心は穏やかではなかったのだろう。
「感謝する、リーゼリット嬢」
「いえそんな。私こそ、またかばっていただいて」
もとはと言えば私が石畳の上で胸骨圧迫を強行したわけだし。
医師がやっても折れるときは折れるが、素人さんいらっしゃい状態だったし、なおさらだろう。
さっき痛めたのも、私が倒れこんじゃったからだしね。
礼を言われるようなことじゃない。
「すぐに参加なさいますか」
「そうなるとリーゼリット嬢の指南役がいなくなってしまうな」
「私の方は急ぎませんので、トーナメントが終わってからでも構いませんわ」
ギルベルト殿下のおかげで早々に候補を絞れたことだし、あとはここに来るきっかけさえあればいいのだ。
トーナメントの訓練に興味が出たとか言って見学の申し出をして、エレノア嬢を誘い出し、騎士たちの反応を見られれば十分だろう。
あとのことは、エレノア嬢がいつ来てくれるかにかかっている。
「そういうわけにはいかない。交代で指南役をつけよう。ランドールたちも協力してくれるかな」
「「もちろんです」」
二人の騎士が、力強く頷く。
なんと、攻略対象候補の騎士が、二人も……!
万が一エレノア嬢を誘い出せなくても、一人ずつなら情報も引き出しやすいだろう。
「願ってもないですわ!」
ころりと掌を返した私に、三人がなんとも生暖かい目で苦笑するのは致し方ないことであった。