22 ツンデレ王子の心の裡・後
「なんだ、構いやしなかったのに」
「私が落ち着かないのですわ」
自嘲気味に口元を歪ませるのを見るに、殿下の中ではまだ折り合いがついていないのだ。
きっと何か思うところがあってこの話を始めたのだろうけれど、突然すぎて私自身の受け入れ態勢も間に合っていない。
こんな重い話題、せめて憂いはなくしておきたいじゃないか。
「おまえの家ではこの手の話をしないのか?」
「ええ……そうですね、我が家は放任ですので」
殿下との婚約には諸手を挙げて祝われたほどだったし、食卓を囲えば聞こえてくるのはいつだって両親のラブラブのろけくらいで、王家の黒い噂など一つも耳にしたことがない。
原作小説の記憶を大急ぎでさらってはいるものの、あいかわらず仕事してくれそうにないしね。
「……本当におまえは王家に興味がないんだな」
「最近は書物で勉強しておりますのよ?」
王立図書館の本ではワイドショーもどきのお家事情まではわからないってのと、お堅い内容に辟易して思うように進んでいないのが現状ではあるが。
「城外には十分に周知されているわけではないからな、今はまだおかしな噂の方が多い。公式行事が多くなれば、そのうち浸透するだろうが」
わずかに身をすくませた拍子に、殿下の後ろ髪が乱れる。
体の前で組まれた指は、不安定な心の内を示すのだったか。
よそから噂で聞くよりは知っておけ、と続けられた内容は、輪をかけてシビアなものだった。
「3年前まで俺は城の外れにある離塔で育った。畏怖か体面のためかは知れないが、父母が離塔を訪れたことは一度もない。寝込んだ時ですら、医者の姿を見たこともついぞなかったな。
乳母に預けられたきりの俺に会いに来てくれたのは兄だけだ。兄は俺に薬を与え、学を与え、剣術の稽古の相手をし、肉親の情とはどのようなものかをその身で示した。その上、勉学の合間をぬって書物を紐解いてくれてな、アルビノが突発的に生まれるものだということを証明してくれたのだ。おかげで俺は王家の一員となれた」
殿下が身をよじり、こちらへと向き直る。
赤い瞳がとらえたのは、ずいぶんと情けない表情だったろう。
痛ましいものを見るような眼を、向けてしまったかもしれない。
こんな話を聞いて、平静でいられるわけがないのだ。
「兄の息が止まったあのとき、俺は心の底から後悔したのだ。まだ何も返せていないと。
だから、おまえには感謝している。これでもな」
──原作小説では、孤独と重圧に耐える王子として描かれていたのだったか。
ギルベルト殿下は私の一つ上だから、実に8年もの間不当な扱いを受けていたことになる。
生まれてきたことを疎まれ、自分のことで母親を貶められ、兄以外の誰からも顧みられることのない日々はどれほど過酷なものだったろう。
誤解が解けて第二王位継承者として認められ、日の当たる道に至ったとしても。
まるで掌を返したかのような周囲の対応になぞ、そう簡単になじめるわけがないのだ。
そんな中、突然唯一の支えであった兄を失ったとしたら──
想像するだけで胸が苦しくなる。
原作のとおりにならなくて本当に良かった。
ファルス殿下を助けられたことを、今ほど誇らしく思ったことはない。
「よく、わかりましたわ。お話しくださったことをうれしく思います。殿下の恩返しが叶うよう、お祈りいたしますわ」
自然と湧き上がる感情のままにくしゃりと笑めば、殿下は一瞬だけ表情を硬くして視線を逸らせた。
まるでばつが悪いかのような反応に少しの違和感を覚えるが、あの話の後だ、気まずさもあるのだろう。
何はともあれ、これで私と婚約した理由も、ブラコンの理由も判明した。
醜聞ごときにという昼間の言葉も、不当な非難を浴びていた殿下だからこその配慮なのだろう。
改めて思う。
生き方が、不器用すぎる……!
殿下のことをいちいち口うるさいやつ、めんどくさいやつって思っちゃってたじゃないか。
ああだめ、もうだめ。
私、この手の不器用な人にほんっと弱いんだよ。
放っておけないっていうか、じれったさがもどかしくてつい目が追っちゃうっていうかさあ!
顔を覆って唸ってしまいたいが、今そんな奇行をすれば不安にさせるだけだ。
……おそらくは今もなお両親との間にわだかまりがあるんだよね。
いたずらに不安にさせるくらいなら、いい思いの一つくらいしてもらいたい。
「そういえば。先日、国王陛下に全部筒抜けだったとお話ししましたよね。決定打となった理由をご存じ?」
怪訝な顔でかぶりをふる殿下に、机の上の書類を指して示す。
「殿下が私の効果実証の書面にサインしたからですわ」
「どういうことだ?」
「殿下が王家の威を案じずに安易な判断をすることはないと、断言されていらっしゃいましたの」
正しくは、小娘風情に転がされるように育てていない、だったか。
たかだか3年で俺が育てたなんて言える陛下のふてぶてしさには閉口しちゃうけども、こんな風に言い切れるってことは、それだけ殿下が努力を積み重ねてきたからに他ならない。
殿下は目を見張ると、自身の口元にそろそろと手を当てた。
「……そうか。それは悪いことをしたな」
ちっとも悪いと思っていそうにない声で言われてもなあ。
手の隙間から、染まった頬と上向いた口元が見えてるよ。
むにゅりと緩んだこちらの口元を見咎められ、今度は殿下が半眼になる。
「突然なんだ、慰めたつもりか」
「私は事実を述べているにすぎませんわ。きっかけをくださったのはファルス殿下でしょうが、今信頼を勝ち得ているのは殿下の人徳と努力の成果でしてよ。過去に縛られ、反発し、自分の殻に閉じこもることの方が容易でしょうに、殿下はそうしなかった。
前を向いている人は、積み重ねた結果である『今』を正当に評価されるべきだと私は思いますの。だから慰めなんかじゃなく、単に知っておくべきことを伝えただけですわ」
そこまで伝えると、殿下は唇をぐうと引き結び、体ごとをこちらを向いた。
「…………少し、借りる」
何をと問う前に、腰に回した手に力が籠められる。
抱きしめるというよりはしがみつくと言った方がいいだろう。
その甘え下手なしぐさに、私はとうとう天を仰いでしまった。
母性本能ガン攻めなんですけど、このひとおぉお。
こっちの心の内を気に留める余裕なんてないのだろう、窮屈そうに縮こまる肩にそっと手を添える。
自分の心を落ち着かせるのもあわせて、呼吸に合わせてことさらゆっくりと背を撫でると、腕の力が次第に和らいでいった。
代わりに、殿下の頬にじわじわと赤みが差していくのがわかる。
おそらくは我に返り、どうやって腕を離したものかと逡巡しているのだ。
ほんっとかわいいなこの王子、どうしてくれようか。
むずむずとした心地が収まらずにいると、控えめなノックの音に膝の上の殿下が飛び起きた。
跳ねた後ろ髪を直してやりながら、どうぞと応えを返すと、ベルリッツが大きな平箱を持って現れた。
「失礼いたします。お迎えの馬車が到着いたしました。また、こちらをお預かりしております」
「わかった、すぐに出る。……その箱はここへ」
ベルリッツが箱を置き恭しく一礼して去った後、この箱なあにと尋ねる間もなく、殿下が立ち上がる。
見送りにと私も腰を上げたが、そこから一向に動き出そうとしない。
私に背を向けたまま、しきりに首の後ろをさするだけだ。
「殿下?」
「あー、……いいか、勘違いするなよ。これは兄様が用意すべきだと言いだしたから準備させたもので、俺の意見は微塵も入ってないからな。別に俺は、お前が来ようが来まいが、……どうだっていいし…………」
突如始まった理想のツンデレだが、実際目の前にすると実に要領を得ないものである。
呆けたように目を丸くしていたが、これはもしや。
「……殿下、私が登城するのを待ってらしたんですか?」
「な……っんで俺が、待ちぼうけ食らったみたいになっているんだ。俺ではない、周りの連中がうるさいだけだ!」
勢いよく振り返った殿下の顔は、これ以上ないくらいに真っ赤だ。
ぱちぱちと瞬きするたびに、殿下の視線が俯いていく。
なるほど図星か。
「明日にでも寄らせていただきますわ」
にっこりと微笑んで返せば、眉根をぎゅうぎゅうに寄せて踵を返す。
「……っ、……、見送りは、ここまででいい」
足早に部屋を出ていく殿下を見送り、ぽつんと残された私はソファに再び腰を下ろした。
そのままソファにぼすりと身を預け、顔を覆う。
……今日もすばらしいツンデレであった。
想像以上につらい生い立ちで驚いたけど、だからこそ、遠慮なく甘えられる存在ってやつになれたらいいと思うのだ。
包容力が、私に備わっているか否かはさておいて。
目の前に鎮座する平箱は、プレゼントよろしく大きなリボンがかけられており、私の両手を広げたくらいの幅がある。
あんなに動揺するなんて、いったいどんな贈り物なのか。
あれだけ修練への参加を渋っていたくらいだから、私用の剣とか?
そいやっと箱を開けてみれば、パラフィン紙の奥から現れたのは何枚かの衣服のようだった。
騎士服を模したジャケットに、パニエつきのくるぶし丈のスカート、安定感のある踵の編み上げブーツ。
デザインはかっこかわいく、ものすごく素敵……なのだが。
ワインレッドの生地に金糸の刺繍、ご丁寧に金の肩章までついている。
どこからどうみても先日見たばかりのギルベルト殿下の鍛錬用衣装に酷似していて。
これって、どこからどう見てもペアルッ……
しかもこのジャケット、殿下の瞳の色じゃん……?
頭の中に浮かんだ絵面に耐えきれず、再びソファにぼすりと突っ伏する。
中身三十路の女に、これを……着ろと……?
どんな羞恥プレイだ……!




