21 ツンデレ王子の心の裡・前
長くなったため、二つに分けます。
充実した授業に、ほくほくした気持ちで玄関ホールに立つ。
授業を終えた先生は、飾るには随分とくたびれてしまった花束を抱えて帰路についた。
どこか哀愁を漂わせた背中を見送り、勉強室に戻った私が目にしたのは、まったく帰る様子のない殿下であった。
ソファに腰を落ち着かせ、組んだ足に乗せた本へと目を通しているようだ。
扉の音に顔を上げると一転、訝し気な目をこちらに向けた。
「なんだその不気味な笑みは」
不気味かどうかはさておき、頬が緩んでいるのは事実だ。
理由は一つ。
「殿下にも先生の優秀さが理解できたのではと思いまして」
これでイエスマンなだけの教師との誤解は払拭されただろう。
先生は少し対応に困ることがあるものの、今日のように何度も助けられているのだ。
あれほど優秀な方が無能のレッテルを貼られたままなんて、そんな心苦しいことはない。
自分のことのように誇らしげな私に、殿下はわかったわかったとでも言うように手をひらひらとさせた。
その指で示された隣へと腰を下ろすと、殿下が間を置かずにごろりと横になる。
そういえば、授業への付き添いには対価が必要なんだったわ。
今日も膝枕をご所望、と。
このためにおとなしく待っていたのだとしたら、別の意味でにやけてしまうじゃないか。
「何をご覧になっていらっしゃるの?」
寝入る様子のない殿下に、仕事の資料でも持ち込んでいたのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「おまえのことだ、カモミールの意図にすら気づいていないだろうと思ってな」
そう言ってこちらに表紙を向けてくるのは、ヘネシー夫人からお借りしたばかりの薬草学の本だ。
ご丁寧にも栞紐が添えられたページには、カモミールの効能がまとめられている。
仕事の早さに感心しつつも、この言い様ではお礼を言う気にならない。
むうと口を尖らせながら、内容に目を通す。
薬用のカモミールは二種類あって、香りが強く精油用として用いられる方がローマンカモミール、苦みが少なくハーブティーに利用される方がジャーマンカモミールというものなのか。
挿絵を見る限り、先生の持っていたものはローマンカモミールのようだ。
香りにはリラックス、鎮静、安眠効果が期待できる、と。
ということは、先生は心を落ち着かせたかったってことなのだろう。
……その花、邪魔とか思ってごめんなさい。
「そこの護衛にしても、おまえにむやみに触れないよう制止を頼まれていたんだろう。まともな授業ができるように、あの男なりに考えたんじゃないのか」
なるほど……一理も二理もある。
先生はきっと、前回授業にならなかったことを気に病んでいたのだろう。
くたびれるまで何度となく埋もれた巨大な花束に、突如始まる倒錯的劇場。
あの一枚絵のような不思議空間は、そうして完成に至ったものだったのか。
「そこまで尽力している相手に、おまえときたら……さすがの俺も、あの男には同情を禁じ得ない」
こめかみに手を当て眉を寄せる、殿下の言葉が耳に痛い。
セクハラ対策は必要な検討事項だったし、他意はこれっぽっちもなかったとはいえ、暗に先生を非難したようなものだもんなあ。
前回のでこチューがあるだけに。
「……次お会いした時に訂正しておきますわ」
何と言うべきか、今すぐには思い浮かばないが。
「その気がないなら、うまくいなす方法も身に着けておけ」
念を押すかのような視線に、自信なく頷く。
努力はするけど、我がことながらそんな高度なものが身に着けられるとは思えないんだよねえ。
世のご令嬢はいったいどうやって学んでるんだ?
経験を積むにしたって、手本がなければいかんともしがたくない?
思考が遠くに行ってしまった私をよそに、殿下の腕がテーブルへと伸びる。
茶菓子を取ろうとしているのを察して器ごと近づけてみれば、そいつをよこせと指し示された。
殿下の体勢からでは摘まみにくいのだろう。
ええい、この横着ものめ。
「こちらでよろしいです?」
器から小さな砂糖菓子を一つ二つ摘まみ、殿下の掌に乗せようとしたところで手首を取られる。
え、と思う頃には、指の合間を掬うように食まれていた。
赤い舌がわずかに覗き、指についた砂糖の欠片を舐めとられる。
「……ッ、な、何を」
指先にしびれたような感触を覚え、慌てて手を引くが、掴まれた腕はびくともしない。
「なに、ただの意趣返しだ」
「意趣返しって……」
そうしてそのまま手首を顔に寄せ、すうと嗅がれる。
手首の内側、皮膚の薄い箇所に吐息があたる。
掴む掌も熱く、歳はそう変わらないというのに骨ばっていて大きい。
「で、殿下……?」
下手に動けば唇に触れてしまいそうで、取り返すことすらままならない。
混乱も相まって好きにさせていると、赤い目がこちらを見やった。
「さっきの手順書だが、セドリックとやらに実践したろう」
鷹のような双眸が鈍く光り、さっきとは別の意味で言葉に詰まる。
「……見てきたように言いますのね?」
「詳細なわりに外傷者への視点が抜けていて、手に精油の香りが残っているんだぞ。証拠が出揃っているんだよ」
おまえはいつも詰めが甘い、と言ってようやく離された手首をさする。
なるほど、意趣返しね。
看病と手順のおさらいのためとはいえ、異性の体にべたべた触れたとして、これもお叱りの対象になるのだろう。
邸内だろうと人目はあるし、どこから話が漏れるかわからないから。
私がこういうイチャコラに免疫ないって、先生の一件でばれてるもんね。
「……怒ってらっしゃいます?」
「別に。努力するのだろう?」
即答した殿下だが、その割に眉間のしわが取れない。
これからに期待、なんて言葉通りに取るには無理があるというものだ。
これで事故とはいえ、セドリック様にキスされそうになったなんて知れたら……
嫌がらせで唇を奪うまではしなくとも、どんな嫌味を言われるかわからないな。
授業前はまんまと言いくるめられてしまったけれど、つくづく思う。
私は本当に、結婚だとか令嬢ってものに向いていないのだ。
「純粋に疑問ですけれど、殿下はなぜ私と婚約しようと思われましたの? 癒しや他のご令嬢へのけん制が目的でしたら、もっと相応しい方がみえたでしょうに」
私はこんな有様だし、殿下側のメリットに対してデメリットの方が大きそうなものだが。
何度か垂涎もののツンデレをご披露いただいてはいるが、それが私に惚れているためでないことくらいはわかる。
出会いが出会いな上に、その後だって呆れられこそすれ、好感度がアップする要素なんてなかったからね。
惚れたはれたの相手でないのなら、私との婚約に固執する理由はないだろうに。
そもそも原作小説において、殿下と婚約するのはもっとずっと後なのだ。
今この状況に至った原因なんぞ見当もつかない。
「言ったはずだ。おまえの望むようにしてやりたいと。おまえのことを、……もっと知りたいと思ったのだ」
どこか照れたような口ぶりで、こちらを見ることもなく告げられた回答に。
私まで思わず赤面して……
──って、ちょっと待った。
そんな素敵なこと言われてないよね?
いつのことを言ってるんだ、茶会か?
だとしたらもっとこう挑発的じゃなかったか。
ケンカを売られた覚えしかないぞ。
こちらの反応を窺うかのような赤い目に、一つも納得してませんって顔で返せば、重いため息をつかれた。
いやいやそんな、理解悪いなこいつみたいな顔されても困るよ。
第一、その答えだと私の疑問はちっとも解消されてないんだからね。
「もっと言えば、まあ……俺がおまえに感謝しているからだな。兄を助けてくれたろう」
後ろ首をさすりながらの補説に目を瞬く。
ファルス殿下を救ったのは、ほとんど奇跡とはいえ、他者から見れば事実ではある。
感謝しているから望むようにしてやりたいというのも、まあわからないでもないけど。
申し訳ないが、言葉を足されたところでやはり理解しがたいことに変わりはない。
だって、自分を助けた相手に惹かれるというならまだしも、兄弟の恩人だからって理由で婚約したいなんて普通思うか?
私なら謝辞と贈り物で礼を尽くし、その後も会えば『その節はありがとうございました』で終わるだろう。
それこそ、いただいた髪飾りで十分のはずだ。
……うーん……相手が超絶タイプだったら、これを機にお近づきになりたいと思わなくもなかったり、するのか?
「……私の容姿が殿下の好み、だったり……?」
うん、自分でもどうかという発言だったとは思う。
だからそんなドン引き丸出しの厳めしい顔はやめてくれ。
「じ、冗談で……」
「それならおまえはどうなんだ」
「えっ」
「おまえは、この目をどう思っている」
まさかこっちにもふられるとは思っていなかったが、目に限定するということはタイプかどうかといった話ではないのだろう。
逸らされることなく見上げてくる、茶に近い赤眼をじっと覗き込む。
窓から差し込む春の暖かな日差しに照らされ、まるで荘厳な光をたたえる宝石のようだ。
えんじ色をした瞳孔から、淡い褐色を透かしたような虹彩が放射状に広がっている。
縁を彩る銀のまつ毛も相まって、ずいぶんと人目を引くことだろう。
「印象的だと思いますけれど。アルビノ、であってますよね?」
突発性の色素異常だったか。
たしか劣勢遺伝もするみたいだけど、歴代の王や王妃の血筋にアルビノがいないなら、突発的なものだろう。
前世でも実際に見たことはないし、知識として頭の中にあるのはもっと真っ赤なものだったが。
赤眼と白に近い銀髪の組み合わせは、ファンタジー特有のカラフルな容姿でなければまずそれだ。
まあそもそも、元日本人だった私からすれば、黒や茶以外の色味に囲まれた今世はすでにファンタジーなのだが。
「……やはり知っているか。父親から聞いたのか?」
いいえ、とかぶりを振れば、殿下は小さく眉をひそめた。
「たいていの者にはこの目が奇異に映る。今でこそ黒みを帯びているが、幼いころは鮮血のように赤かったからな。よほど恐ろしかったんだろう。凶兆だ不貞の子だと言われ、俺の存在は出生後しばらくの間、秘匿されていたらしい」
突如語られる殿下の身の上話にぎょっとする。
私が王家のお家事情に明るくないだけですでに公然の事実なのかもしれないが、だからと言って殿下の心の深いところに触れるかもしれない話題に、何人も同席してよいとは思えない。
ナキアとカイルに退室をと視線を上げると、2人はすぐに察して音もなく動いた。




