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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
踏みしめた二歩目
21/60

19 世間ではおそらくこれを詫びという

そんなわけで寝込んでしまったセドリック様。

池に落としてダウンさせておきながらそのまま帰るなんて恐れ多いことはできず、宿泊と相成りました。

一夜明け、もしやセドリック様にひどいことしかしていないのでは……と気づいてしまった私は、お詫びも込めてただいま食堂をお借りしているところであります。



さて用いますは、昨日ふるまっていただいたギモーヴ、それからミルクを少し。

小鍋で温めたミルクにイチゴ味やベリー系のギモーヴを投入し、溶けたら型に入れて冷やし固めるだけの簡単調理だ。

昔作ったのはマシュマロからだったけど、ギモーヴの原材料はマシュマロとそう変わらない。

たしかギモーヴの材料はフルーツピューレにゼラチン、メレンゲなので、これだけでプリンもどきになるって寸法よ。

ありがとう前世知識、ありがとうレシピサイト。


小一時間ほど待って器に盛り付けたのだが……固まり具合が悪いような気がしないでもない。

プリンというよりフルー〇ェだ。

型に残っていた分を味見してみたが、ふるふるとぅるるんで味も触感もまさにフルー〇ェ。

分量までは覚えてないからって適当にしたのがよくなかったか。

ふうむと考え込んでしまった私の両脇から、料理長とヘネシー夫人が手元をのぞき込んでいる。


「こちらが完成品ですか。もとは違うお菓子だったものをまったく違うものに変えるのは、おもしろい発想でございますな」

「ええ。それに、マーシュマロウの根としても新しい食べ方ですわ」

「根、ですか……? ゼラチンでは?」

聞きなじみのある言葉ではあるけど、『根』とはこれいかに。

「ゼラチンなぞ入っておりませんわ。ギモーヴは、マーシュマロウという植物の根を使ったお菓子ですのよ」

んん?

マシュマロの原料はゼラチンじゃない?

マーシュマロウと名のつく植物があるみたいだし、もともとの原料はそっちなのか?

根の成分って何だ???

大混乱中の私に、料理長が追加情報をくれる。

「王都随一の店ですし、材料はマーシュマロウの根にフルーツピューレだけでしょうね。メレンゲを使うところも多いですが、ない方が固まりにくい分、柔らかくしゅわしゅわした触感になりますので」


……しかも、メレンゲすら入っていないのか。

時代なのかお国柄なのかは不明だが、私の知っているギモーヴではなかったらしい。

しかもそんな手間暇かかっていたものとは知らず、台無しにしてしまった感が否めない。

私の数少ない前世スキルだったけど、リメイクは封印だな。

さようならレシピサイト……


「マーシュマロウの根は喉にいいのよ。冷たくてのどごしもいいし、これならセドリックも食べやすいでしょう」

しょぼくれた様子を察してくださったのか、夫人がすかさずフォローをくださる。

思ってもみなかった効果があったなら良しとしよう。

何事も結果オーライよね。

器にミントの葉とフルーツを添えたら、かつて見かけた商品感がさらに強くなった。

……パッケージに使われるくらい見目がよくなったってことで勘弁してもらおう。



マスカットの香りのするお茶と一緒にトレーに乗せ、夫人と一緒にセドリック様を見舞う。

室内はほどよく換気されており、朝の清浄な空気が部屋を満たしていた。

「さあ、熱はどうかしら」

すやすやと眠るセドリックに夫人が額を当てて熱を測ると、うっすらと瞼が上がる。

「あらおはよう、セドリック。だいぶ下がったみたいね。調子はどうかしら?」

「体がだるい。……って、なにこれ」


セドリック様がごそごそとベッドから取り出したのは、昨日のうちに仕込んでおいた皮袋だ。

中に氷水を入れて氷嚢の代わりにしたやつである。

太い血管が走っている脇の下と足の付け根を冷やせば、より早く熱を下げることができるのだ。

「リーゼリット嬢のアドバイスで入れてみたのよ。熱が下がりやすいんですって」

効果があったみたいね、と私に微笑みかけた夫人の視線をたどり、セドリック様がこちらに気づいた。

ばちりと視線が合わさったとたん、半眼だったセドリック様が驚愕の表情へと変わる。

実は、起きている状態で顔を合わせるのは倒れて以来初めてなのだ。

倒れる前の情景がぼんと浮かび、どんな顔していいのかわからず、思わず目を逸らせてしまったのだが。


「……っ、な……んで、君がいるの」

なんとな。

起き抜けでぼんやりしているのかもしれないが、それはまたひどすぎやしないか。

視線を戻せば、セドリック様は跳ね起きた際の勢いがよすぎたのか、頭に手を当て俯いてしまっている。

「まあこの子ったら。あなたが宿泊を勧めたのよ?」

「は? そんなことするわけない」

「その場にいたのですから確かよ」

おばさまとの問答に上げた顔は、動揺というよりも驚愕の色が強い。


「ポセットを飲んだあたりまでは覚えてるけど、それ以降の記憶が……」

「まあっ、全部忘れてしまったの?」

「……っもともと、疲れてみえるところに、私が池に落としてしまったからですわ」

どこか楽しそうにも見えるおばさまに、慌てて言葉を紡ぐ。

昨日の様子を覚えていないならそれにこしたことはないのだ。

ありのままを告げられてしまえば、これから先どんな顔すればいいかわからなくなる。


「風邪をひかせてしまってごめんなさい。おわびに食べやすそうなものを作ったんですが……召し上がられますか?」

「おわび……って、え、……作ったの? 君が?」

とは言っても、作ったというにはおこがましいレベルなのだ。

手の中のフルー〇ェもどきが、ふるると揺れる。

気恥ずかしさを覚えて、頷くのに若干時間がかかった。

「もらうよ、……せっかくだし」


クッションに背を預けて身を起こしたセドリック様に、グラスとスプーンを渡す。

眼鏡をかけたセドリック様の目には、料理経験ゼロの子供が作ってみた感満載の代物に見えたことだろう。

「…………これ何」

まあそうなるよね。


「こちら、ギモーヴをミルクで煮溶かしたものなのよ。おもしろいでしょう?」

「え、これギモーヴなの……?」

「ですので、味は保証しますわ」

一さじ掬って恐る恐る口元へと運ぶ様子をじっと見守る。

ゆっくりと咀嚼し呑み込むのを待ってから、感想を求めた。

「……うん、まあそれなりに」

小憎らしい言い分のわりにスプーンを持つ手は止まらない。

訝しげだった表情が心なしか明るくなっているのもわかりやすくて、夫人と顔を見合わせてしまった。


「汗をかいてのども渇いたでしょう。しっかり水分をとって、もうひと眠りなさい」

夫人の声掛けに、侍女がお茶をカップへと注ぐ。

爽やかなマスカットの香りがふわりと香った。

夫人特製、エルダーフラワーとエキナセアのブレンドティーだ。 

くしゃみや鼻水、のどの痛みに悪寒など、風邪の初期症状を緩和し、免疫力アップに発汗解熱効果もあるらしい。

風邪予防にと昨夜から私もいただいているが、清涼感があり、とっても飲みやすいお茶なのだ。


カップを傾けるセドリック様の寝衣はしっとりと湿っている。

夜の間は顔や首元くらいしか汗をぬぐえていないのだ。

このままだと寝苦しいし、下手に体を冷やして悪化させてもよくない。

「お休みになられる前に一度着替えた方がよいですわ。体をお拭きいたします」

「まあ素敵ね!」

「…………は?」

「ヘネシー夫人。たらいに半量のお湯と、足し湯に差し水、清潔なシーツ、それから厚手の布を4枚ほどお借りしたいわ」

「ええ、すぐに」

使い捨てのおしぼりタオルはおろか、パイル地のタオルすらまだないから、布で代用だな。

そういえば、この世界での沐浴剤ってどうなってるんだろう。

ただ蒸しタオルで拭くだけよりもずっと効果が高いはずだよね。

なんてこと、そこまで考えが至っていなかったわ。


「沐浴剤はございますでしょうか。それに近いものでも結構ですわ」

「でしたらラベンダーの精油はどうかしら。ラベンダーの語源はラテン語の『洗う』から来たほどですもの。肌への刺激も少ないですわ」

「たいへん勉強になります。ではそちらを」

あっけにとられているセドリック様をよそに、夫人と共に準備に取り掛かる。

「ちょっと、僕を置き去りにしないでくれる。そもそも君、忙しいんじゃないの。もう帰ったら?」

「午後から授業が入っておりますが、時間は十分ありますのでお気遣いは無用ですわ」


効果実証の計画に取り入れたもののの、前世では学生の監督をしていただけで実践は久々なのだ。

手順のおさらいにもなり、忌憚ない意見を聞けるこの機会を逃す手はない。

男の子なんだから裸を見られるくらい減るものではなし、協力してもらいましょう。

にっこり微笑み、夫人の加勢を得て、着々と準備を進めるのであった。



夫人と侍女が覗き込む中、すわ実践と寝衣のボタンに手をかけたところで、その手を阻まれる。

「ちょ、ちょっと、本当に君がするの。指示だけでなく?」

珍しく慌てた様子に、思わずほくそ笑んでしまう。

ははーん、なるほどこれは、よいではないかの悪代官の気持ちがよくわかるな。

昨日私を慌てさせた罰だ、甘んじて受けるがいい。


「これも人助けと思って」

「こんな人助け、聞いたこともないよ。しかもそんな殊勝な顔してないでしょ、君」

「あまり暴れると疲れますわよ」

少しの攻防を交えながらも、ボタンを外し両袖から腕を抜く頃には、諦めたのかおとなしくなった。

あれだな、無我の境地ってやつか。


露わになった胸もとに、お湯を浸して固く絞った布を広げてあてる。

その上から乾いた布をかぶせ、これでしばらく蒸らす。

自分の腕の内側で温度を確認しているので、熱すぎはしないはずだ。

同じように新たに絞った布をセドリック様に渡すと、据わった目がこちらに向けられた。

「……何?」

「ご自身で拭けるところはどうぞ。お顔に広げると気持ちいいですよ」

しぶしぶといった体で受け取り、素直に蒸らすセドリック様を横目に、着々と布をすすいで交換していく。

腕をセドリック様に拭いていただいているうちに、私は胸もとを拭くのだ。

ポイントは、布の端が肌に当たらないように折り畳むこと。

拭いた後は気化熱で寒くならないよう、乾いた布をかけておくことだ。

湯温は布をすすぐたびに下がるから、ここで足し湯をして調整。

手前側の寝衣を新旧のシーツとともに体の下に押し込んだら、次は背中だ。

立てた膝頭と肩に手を置き、膝から順に手前に引けば、少ない力で体をこちら向きにさせられる。

向こう側にある濡れた寝衣とシーツを抜き取り、清潔な方のシーツを広げ──ようとしたのだが、逃げていくセドリック様に阻まれてしまった。


「動かれてはやりにくいですわ」

「いやいやいや。おかしいでしょ、……この状況に君は何とも思わないの」

問われて初めて我が身をふりかえるが、これと言って特におかしなところはない。

しいて言えば、短い手足のためにベッドに乗り上がらざるを得ないってことくらいか。

ベッドの端に寄ってもらっているとはいえ、1人分の体を乗り越えて作業するには上背が足りないのだ。

ご令嬢がこんなじゃ、はしたないってか?

ちらりと夫人に目を向ければ、にこにこと見守ってくれているだけだ。

あちらは何の問題もなさそうだぞ。


「セドリック様がずり下がられなければ、これ以上ベッドに乗り上げずにすみますわ」

「…………そういう問題じゃないでしょ」

じゃあ何の問題だとは思うが、ここで問答していたって風邪がひどくなるだけだ。

半眼でなおも後退しようとするセドリック様は、今半裸なのだ。

申し訳程度にかけられた布だけでは体温を維持できまい。

ベッドの向こう側に回って、またこっちに戻ってを繰り返すのは非効率だしなあ。


「こちら側を引っ張ればよいのでしょう? 侍女にさせますわ。セドリック、それでいいわね?」

「え」

「ではリーゼリット様、続けてくださるかしら」

「……嘘でしょ」

夫人の鶴の一声で、どうやら問題は解決したようだ。

有無を言わせぬ圧を感じなくもないけど、助力も得たことだし、再開再開。


上側の腕に新しい寝衣の袖を通し、乾いた布の代わりに寝衣を胸もとに垂らす。

背中にはやや熱めの温度の布を広げてその上から乾いた布で蒸らし、その間に首元から肩口にかけてを別の布で温めた。

ぎしりと強張り、逃げを打ちそうになっていたセドリック様の体が止まる。

はふ、と気持ちよさそうな声が漏れ聞こえ、思わずにんまりしてしまう。

そうであろうそうであろう、これが結構気持ちいいのだ。

枕に顔を押し付けるようにしているから、表情こそ見えないが、ガチガチだった体から余計な力が抜けていく。

せっかくだからもっと気持ちよくしてやろうと首元を軽くほぐして、再度温め直した布を折り畳み、背中を拭き上げた。

新しい寝衣の片袖を通し、背中に回して反対側の腕の下に寝衣のあまり部分を折り込んで。

今度はあおむけに戻し、下敷きにしている寝衣部分を取り出して袖を通す。

ボタンをはめ、最後に襟元や肩口の位置、シーツを整えて完成だ。

最小限の物品で、肌の露出も少なく……流れとしてはまあスムーズか。

10歳の力でもなんとかなりそうだし、けっこう体が覚えてるものね。


夫人にも大変好評だったので、ポイントを伝えてからセドリック様へと向き直ってみると。

────実に形容しがたい表情をしていた。


「いかがでしたかしら」

「……こんなのされたら誰も退院しなくなるんじゃないの」

セドリック様らしいひねくれた感想だが、おおむね良い評価を得られたということなのだろう。

「本当は足も拭けるといい……」

「させないからね」

「さすがにそこまではしませんから。ご安心くださいませ」

食い気味の返答に苦笑して返すと、君の場合全く安心できないでしょ、とぼやかれた。

信用ないなあ。

「……病院でも、君がするつもりなの」

「人を雇う予定ですが、手伝いくらいはするかと」

「病人にだっていろんな人がいるんだからさ。……君の担当は、女性に絞った方がいいんじゃないの。僕だって、その…………」


もごもごと言い淀むセドリック様の言葉を待っている間に、私の担当を女性にという言葉を咀嚼しようとして、配慮不足だったことに思い至る。

セクハラ対策もしなきゃいけないのか!

病院内での他者による清潔保持がないのなら、する側される側のマナーなんてあるわけないもんね。

患者さんにもせっかく参加してくださる方にも、嫌な思いさせちゃいけない。

女性患者への男性担当は不可、二人一組で実践してもらうとして、ほかにいい方法あるかな。

いやその前に、そもそもこの世界にセクハラって概念があるのか?


うんうん唸りだした私のそばで、遠い目をしたセドリック様とそれを慰める夫人がいたのだが。

シミュレーションに余念がない私には、到底気づくはずもないのであった。

ギモーヴ解説

19世紀に、材料にゼラチンを使うようになったそうです。それまではマーシュマロウという植物の根から取れる液体ペクチンを使用していたんだとか。

それにならって本作ではペクチン入りのギモーヴを用いています。どんなのか食べてみたいですね。

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― 新着の感想 ―
[一言] ギモーヴのように、きちんと下調べして書かれていることが端々に伝わります。好きです。レシピサイト云々の流れは、大いに笑わせていただきました。大好きです。
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