1 残念ながら医者ではない
侍女のナキアと護衛のカイルを伴い、いざ行かん王都散策へ。
本日の予定は、数日後のお茶会に参加するためのドレスの微調整がメインだ。
時間があれば図書館にも寄ってみたい。
魔法とか聖剣の伝承とか、ヒントになるものがあるかもしれないしね!
ここでの主な移動手段である馬車が、御者を含めた4人を乗せ、今日も今日とてごとごと進む。
車窓から臨む町並みは、古き良きヨーロッパを思わせるものだ。
向かいに座るナキアは、こなれたバスガイドさんよろしく、有名な建物や評判のスイーツの話を聞かせてくれる。
前世でヨーロッパに行きたくても行けなかった身としては、目にも楽しいプチ旅行感覚。
ただ難点を言わせてもらうとすれば、石畳で舗装された道は昨日さんざん馬車に揺られたお尻にはきついってことと、車窓から見ているだけではどの小説かのヒントはまるで出てこないってことだ。
せめて消去法で絞っていこうと試みてはいるんだけど、屋敷の中にも町にも奇抜な髪色の人はいないし、魔法を使っていたり人ならざる者が跋扈している様子もない。
連載・完結含めてざっと50は読んだ転生もの小説のうち、年代や地域が異なる作品を省いてみたものの、西洋っぽいものが大半過ぎてほとんど絞れないのだ。
カタカナの名前ってどうにも印象が似通うんだよね。
記憶力お察しの私には、どの小説の登場人物が何て名前だったという組み合わせすら怪しい。
というか、そもそも私、主人公なの?
もし悪役令嬢なら早めに対策とらないといけないけど、モブとか主人公の友人レベルなら第二の人生謳歌したっていいのよね?
今世の私は幼いながらもまあそこそこの外見で、跡継ぎもしっかりいる名門伯爵家の三女だ。
お姉さまたちの嫁ぎ先をみるに、いわゆる政略結婚がどうしても必要な立場でもないように思う。
前世ではひたすら喪女を貫いてしまった私だが、大恋愛を繰り広げることだって不可能ではないのだ。
どうかここはひとつ、モブでお願いしたい!
誰に祈るともなく南無南無していると、ドンッという大きな音と何人かの悲鳴が耳に届いた。
そちらに目を向けるや否や、反対車線を馬車が猛スピードで通り過ぎていく。
車窓から身を乗り出すように外を覗けば、道路わきに男の子が倒れているのが見えた。
人は集まっているが騒然としていて、適切な対処がとられている様子はない。
「止まって! 止まりなさい!」
傍らにかけておいた日傘で馬車の天井を叩きつけて合図を送り、懐中時計を取り出し時刻を確認する。
ほどなくして速度が落ちた馬車から飛び降りるやいなや、人垣へと駆け出した。
「リーゼリットさま?! 危なっ……お待ちください!」
一分一秒でも惜しいこんなときに、待ってなんていられるわけないでしょ?!
小さな体を生かして人波をすり抜け、カイルを振り切り駆けつけてみると、友人だろうか、真っ青な顔をした少年2人がぐったりと横たわる体を揺り動かしている。
周りの大人たちは今もなお突っ立っているだけだ。
──っ、誰も、何もしないのかよ!
「揺すらない!」
見ているだけの大人たちに怒りすら覚え、ずかずかと前に進み出る。
「ゆっくりと、あおむけに横たえて」
突然の来訪者に少年たちの手が止まり、指示したとおりの行動をとる。
「医者は呼んだの? ご両親への連絡がまだなら、あなたが知らせなさい」
近くにいた背の高い方の少年に声をかけると、一瞬だけもう一人の少年を見やったのち、弾かれたように駆け出していった。
大人のうち何人かも、医者を呼びに走り出したようだ。
それを視界の端で確認しながら、横たわる少年の傍に膝をついた。
体格から見るに、おそらくは14,5歳くらいの年齢。
ざっと見てわかる外傷は2㎝ほどの額の傷くらいか。
取り出したハンカチの上から額を圧迫し、そのまま顎を持ち上げて気道を確保する。
頬を口元に寄せ、吐息と胸元の動きの有無を確かめるが、どちらもなし。
顎に置いた指をスライドさせて頸動脈に触れてみても、拍動は感じられなかった。
床に置いた時計に視線を走らせれば、さっき確認してからすでに5分が経過している。
……呼吸が止まってから、心臓が止まってから、何分だ。
額に嫌な汗が伝うけど、立ち止まってる時間はない。
「そこのあなた、手を借りるわ。同じように固定して」
まだ青い顔をしている、残った方の少年に頭部を任せ、即座に手を組み胸骨圧迫を開始する。
「事故の状況が、わかる人はいる? 医者が来たら、説明できるよう整理を。それ以外の人は、やり方をよく見て、覚えなさい! 右の人から順に、代わってもらうわ!」
肘を伸ばし、自分の体を沈み込ませるように押しながら指示を飛ばす。
AEDなんてもの、絶対ここにはない。
大人たちの様子からして、心肺蘇生法を知る人がこの中にいるとは思えない。
だからといって、医者が来るまで私一人で続けられるものではないのだ。
ただの野次馬になんてさせてやるものか!
時折コツを交えて続け、50回を過ぎたあたりで交代した。
流れる汗をぬぐい、乱れた息を整えながら、手技を見守る。
「テンポが、とてもいいわ。もう少し上体をかぶせて、両の掌分沈み込ませるように」
男の子の体格からすれば、力加減はこのくらいで妥当だろう。
その場の誰もが初めてだろうに、思いのほか形になっている。
周りを囲む大人たちの表情は今や、自分たちで助けようという気概が感じられるものになっていた。
ありがたい。
横たわる少年はまだ意識が戻る様子はなく、唇は青くかさついていて、どう考えても酸素が足りているようには見えない。
前世で受けた直近の講習では人工呼吸不要とあったけど、ろくに酸素を含まない血液を回したところで蘇生率は上がらないという論文もあった。
その場に正確な方法を知っている者がおり、感染などの恐れがない場合は、これまでどおり人工呼吸が推奨されるというものだ。
逆に、胸骨圧迫だけの方が蘇生率が高いというものもあったが、データの論拠はどうだったか。
……不精していないで、どちらが正しいか検証しておけばよかった。
「ナキア、ハンカチを貸してくれる?」
不安げな顔の侍女から受け取ったハンカチを広げて、少年の顔に乗せる。
少年の鼻をつまみ、頭部を固定していた少年の向かい側から顔を寄せていく。
「お、おいっ」
向かい側と周囲から戸惑いの声が漏れるが、構うつもりはない。
「リー……っ」
ちょうど胸骨圧迫の担当だったカイルを掌で制して、少しだけ待つように合図を送り、ハンカチ越しに唇を合わせた。
いや、正確には唇を覆った、だな。
少年の口全体を覆うように目いっぱい口を開いて、ため込んだ空気を吐き出す。
片目で少年の胸が膨らんだことを確かめて、もう一度空気を送り込んだ。
「カイル、すぐに続けて。30回押したら、もう一度今のをするわ」
時が止まったようになっているカイルを促して、ふうと一息ついたところで向かいの少年と目が合った。
キャスケットを深々と被っているせいでわかりにくいが、赤みの強い褐色の瞳だ。
意志の強そうなその目が、理解できないといった風にひそめられていた。
「……こんな往来で、慎みがないのか」
周囲の反応や、その訝しげな表情から察するに、人前でのキス……なんてものはこの世界ではたしなめられるのが一般的なのだろう。
人工呼吸の知識など皆無だろうし、今のが医療行為だとは思いもしないか。
うん、まあ、何となくそんな気はしてたよ。
「慎みで人が救えるならそうするわ」
これを代わってもらうつもりはないから安心して、と言い添えて、30の合図に再び唇を寄せた。
何人か胸骨圧迫を交代し、計5度人工呼吸を繰り返したところで、吹き込んでいた空気に抵抗がかかる。
慌ててハンカチを外すと、軽いむせこみの後、少年自身の呼吸が戻ったのが分かった。
うっすらと瞼が上がり、あちこちから歓声や安堵の吐息が聞こえる。
焦点がまだ定まっていないのか。
色素の薄い金に近い瞳がじっとこちらを見ている。
「よかった……。まだ動かないで、あとはお医者様に診てもらって」
懐中時計を拾って時間を確認すると、事故から20分というところだった。
なんとかなって本当に良かった……
狙いすませたかのようなタイミングで医者も到着し、大人たちから状況を確認しているようだ。
外からでは見えない治療が必要な箇所もあるだろうけど、私にできるのはここまで。
「皆様がいなければ叶いませんでした。ご助力感謝いたします」
周囲に向けて淑女の礼をとり、仕事は終わったとばかりに踵を返す。
浴びるほどの拍手や歓声の中、ふらつきそうな足を叱咤して。
子供体力のせいか安堵から来るものか、ひどく疲れた。
手や服に血もついてしまったし、いったん出直しね。
ナキアと打ち合わせながら歩き出すと、背後から声がかかった。
「お待ちなさい。……君は、医者なのか」
まさかの医者当人の口から出た言葉に、思わず目をしばたかせてしまった。
こんな小さな娘を捕まえて何をと言いたいところだが、この世界では前世よりも医学的知識が周知されていないのだろう。
もしくは、医学自体が進んでいない世界なのか。
「残念ながら」
前世では看護師をしていた。
そのあと、博士課程を経て看護大で教職に。
一般人よりは知識があるだろうけど、医者ではない。
加えて、医療現場から離れてずいぶん経つから、実践ともなるといろいろあやふやだ。
だからもうこれ以上は無理ですよ、と念を押すような笑顔を返し、汚れたスカートの裾を翻して今度こそその場を後にしたのだった。