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悪役令嬢は夜告鳥をめざす  作者: さと
踏みしめた二歩目

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19/62

17 豚ではないが前には進む

◆内は読みづらいと思いますので、読み飛ばしていただいて構いません。


おそまつな記憶力と自負している私ではあるが、実は一人判明している攻略キャラがいる。

その名もレヴィン・ツー・フォード。

ロータス領の隣に住まう、一つ年下の母方のいとこだ。

一緒に馬で駆けまわったり楽器でセッションしたりと、まるで姉のように慕ってくれた、素直でかわいくってとびきり優秀な自慢の幼馴染。

この優秀、というのは決して身内の欲目ではない。

なんたって齢7歳にして、この国に歯磨きを開発・普及させた立役者なんだから。


もともとこの世界には歯磨きという衛生的な習慣はなく、あるのは歯に挟まった物をとる爪楊枝もどきくらい。

虫歯になれば麻酔もなしに引っこ抜くというおどろおどろしい治療のみ。

私は前世の影響か、記憶が戻っていないうちから塩水を含ませたミントの葉で歯を磨いていたんだけど。

そんな私を見るに見かねて、いろいろ試作してくれたのだ。

木の枝を煮て先をつぶし、櫛で梳いて整えたそれは安価で子供の口内にも優しく、おじさまの商才も相まって瞬く間に国内に広まった。

今では改良に改良を重ねて、動物の毛を用いた、前世でよく見た形状のものに進化している。

原作小説でも主人公の使う医療器具を設計開発・流通させていたのだけど、すでに片鱗をのぞかせているなんて頼もしい限りだ。


そして何より重要な安心材料がもう一つ。

小説のエンディングにおいて、レヴィンにかわいい彼女ができているってことよ。

私を絞首台に送ることもなければ、対応に困って頭を抱える心配もない、たいへんありがたい存在なのだ!

まあ、姉代わりとしては少し寂しいんだけどね。


そんないとこに、今まさに私は手紙をしたためていた。

頼むのはそう、心肺蘇生法の訓練に使用する、模型人形ってやつ。



ひとまず上半身だけでいいわよね。

腕も不要だから、頭と胴体だけでいいわ。

頭部はなるべく固い素材で、頭と胴体は固定させず、首はぐらつくようにしてもらって。

口と鼻に開いた穴を喉でつなげて、空気を入れると胸に入っている袋を膨らませる、みたいな形が理想ね。

ああでも鼻の部分をつまんで穴をふさげるようにしてもらわないといけないから、そこだけ素材を変えてもらって。

顎をそらさないと空気が入らないようにもしてほしいわ。

胴体も押し込めるように胸側と背中側を分けた方がいいわね。

ああ、それから胴体には目印になる乳首をつけてもらおう。


前世で使用した模型人形を思い出し、ノリノリで書き殴る。

「よし、これでいいわね!」

図解つきの手紙をしたため、大満足で封蝋の準備にとりかかる。

封蝋って何回やってもテンション上がるわあ、と燭台片手にいそしんでいたのだが。

手元を覗き込んだナキアの言葉で、私は現実を知ることになる。


「リーゼリット様。こちら、豚の丸焼きか何かですか?」

えっ…………ぶ、ぶた……?

溶けた蝋が、豚と称された哀れな人形図案にぽたりと落ちる。


悲しいかな、前世同様、私には絵心というものがまるでなかった。




◇ ◇




ナキアに図解の清書を頼み、ようやく完成と相成った手紙をレヴィン宛で送るようことづける。

思い至ってもう一つナキアに清書を依頼してから、身支度を開始した。

本日は、勘当騒動以来のヘネシー邸来訪なのだ。


「お待ちしておりました、リーゼリット嬢」

約1週間ぶりにお会いしたヘネシー夫妻から、以前の比でないくらいの歓迎を受ける。

出された茶葉は一級品だし、茶器もとびきり上客用のものだ。

お茶請けはこれ、前にナキアが教えてくれた王都で評判のやつじゃないかな。

並んでも買えないとかいう超レアものの。

一度は家庭をぶち壊しかけた元凶だというのに、こんな好待遇でいいのかって引くぐらいの歓待ぶりだ。

雨降って地が固まったからとか?


「このたびは本当に、息子ともどもご迷惑をおかけしまして。一度邸宅にもご挨拶に伺おうと思っておりましたが、それも叶わず大変失礼を。お父様もさぞ呆れておいででしたでしょう」

「このようにお時間を頂戴するだけでもありがたいことですわ。お手紙でも申し上げました通り、たっぷりと語学を教わっておりましたのでお礼申し上げたいくらいですの。父はこちらのご家庭に不和を生じさせてしまったことを嘆いているだけですから、どうかお気になさらず」

日頃の行いのせいだろう、娘への信頼が著しく欠如してるのだ。

悲しいことにこればかりはどうにもならない。


「なんと、これは一刻も早くリーゼリット嬢の信頼回復をしなければなりませんな。折を見て伺いましょう」

「不和を生じさせたなどおっしゃらないで。お恥ずかしながら、もともとあったひびが露呈したに過ぎませんわ。それどころか、私共の悩みの種だった息子の進路に専門医の道を示されたとか。おかげで人が変わったように勉学にいそしんでおりますのよ」

感謝申し上げたいことばかりですわ、と言葉を紡ぐヘネシー夫妻にほっと息をつく。

セドリック様が自宅に戻ったはいいけど、折り合いが悪いままだったらと心配だったのだ。


「セドリック様は今も勉学中ですか?」

「今は図書館に出かけております。リーゼリット嬢がみえる時間までには戻るよう言い含めてあったのですが、戻りが遅れているようですな。ご依頼のあった病院探しの件、先に始めてしまいましょう」



「私の方でかけあってみたところ、5つの病院で協力を得られました。こちらがその概要になります」

そう言って提示された資料には、王都内の同規模の病院名が挙げられている。

想像よりも多い上に、協力が『得られた』……?

たしか依頼していたのはリストアップまでだったはずだ。

ヘネシー卿自ら協力要請をしていただいたのか。

各病院の総病床数、外科病棟の病床数、医師数、扱っている外科手術の内容まで記載された資料に、のどの奥が詰まりそうになる。

「このようなすばらしい資料に協力要請まで……ご尽力、感謝申し上げますわ……」

だが、感動に打ち震えるばかりではいけない。

草案時以降に追加された内容も含めて、しっかり確認しておかねばならないのだ。


「実証・比較病棟に関わらず、入院日・退院日・患者の年齢層・術後感染の有無・退院時死亡の有無の患者情報が必要ですの。どの病院も患者情報を採取することについて、了承されているのでしょうか」

「もちろんですよ。検証を行うのですから、基礎データは必要でしょう。ただし条件が一つ、監修として私を加えていただきたいのです。大変興味深い検証ではあるのですが、実績のないご令嬢の名前では参加を渋られまして」

「願ってもないことですわ。すでにたくさんご相談に乗っていただいておりますし、ヘネシー卿がよろしければこちらからお願いしたいくらいでしたもの」


ありがたいことだが、当初考えていたものよりもずっとそうそうたる顔ぶれの効果実証になってきた。

この国の医療の第一人者に、政治算術の先駆者たる人物、そんでもって陛下か殿下の名前入りとは。

この失敗が許されない感じ……

私の胃よ、もってくれよ。


「患者情報は退院後、どのくらい保管されてみえるのでしょうか」

「ふむ……特異な症例でもなければひと月でしょうな。以前別件で症例検討を行った際、どの病院もそのくらいの保管期間だったと記憶しております」

ひと月であれば、予定していた日数で2か月の調整期間を得ることができる。

ただどうにもぎりぎりだ。

5病棟分とは言え、処分される前にすべての情報を収集できるかどうか。


「さかのぼっての患者情報は、どの程度必要ですかな?」

考え込んでしまった私に、適切な助け船をくださる。

「検証前後の比較のための調整期間を2か月設ける予定ですの。ふた月分いただければ大変ありがたいですわ」

「でしたら情報を取り終えるまで保管するよう、各病院へ依頼しておきましょう」

ヘネシー卿の、この痒いところに手が届く感じ、本当に痺れる……!

思わず悶えてしまいそうになるけど、まだ一つ確認事項が残っている。


「また、個別の患者情報とは別に、月ごとの患者総数・入院患者数・退院患者数を確認したいのですが、日々の患者動向を記した病棟日誌のようなものはありますでしょうか。そちらもふた月前から拝見したいのです」

「もちろんございますよ。そちらに関しては少なく見積もっても一年は保管されていることでしょう」


効果実証を行う上で懸念していたことはとりあえず何とかなりそうだ。

あらかじめ用意しておいた確認事項はこれで全て。

ほかに聞き漏らしていることはなかったよね、と頭の中を整理していると、ヘネシー夫人が顎に手を当て何やら考え込んでいるのに気づいた。

「何か気になることがございましたか?」

「いえ、リーゼリット嬢の発想が、まるで病院に勤めていたかのようだと思いましたの」

「……病院統計に、お詳しい先生なのですわ」

にこっと笑顔で返してはみたものの、私の表情筋はちゃんと仕事してくれているのだろうか。

王城からの帰宅後、ベルリッツがレクチャーしてくれたのだ。

……何とかなっていると思いたい。


ここが乙女ゲームの世界だとか前世でいう数百年前にあたるだとかを、主人公が打ち明けていたかどうかはもう記憶の彼方だ。

信頼関係を築いた上で話せば受け入れてもらえるのかもしれないけど、それはきっと今ではない。

忘れてはいけないのは、医療に関してもそれ以外でも、私にわかるのは万事が万事、全体の内のごく一部だってことだ。

前世ではこうだった、こんな便利なものがあるとわかっていても、そこに至った経緯だとか、再現するために必要な材料はわからない。

こんな状態で全知全能のように祭り上げられれば、弊害の方が多いだろう。

理想は陰ながらの支援だが、私の性格と手際の悪さからどう転ぶのか。

大きく息を吸い込み、細く長く吐く。

そうは言っても、前には進まねば。



「それからもうひとつ、ヘネシー卿にお願いしたいことがございますの」

す、とテーブルに滑らせたのは、家を出る前にナキアに清書を依頼したものだ。

心肺蘇生法の説明が、絵つきで順を追って書かれている。


「何も聞かず、こちらの方法を、ヘネシー卿から王城に伝達していただきたいのです」

「これは……」

目をしばたかせ言葉を切るヘネシー卿から、思わず視線を落とす。

「陛下の要請なのですが、私の身ではいろいろと問題が生じますでしょう。たとえ王命であったとしても伝達される側の抵抗感は強く、定着には時間を要します。ヘネシー卿であればそうした心配はございませんわ」

膝の上で握りしめた指が、緊張のためかひどく冷たい。

無理を言っていることはわかっている。

何も言わせずに要望だけを通すなど。


「……少し前に、ある医師が奇跡の御業を見たと話題になったことがあります。その医師も直接見たわけではないようでしたが、小さな少女が周りの大人たちを巻き込み、さるお方を救ったと」

ヘネシー卿は、『呼吸および心臓の拍動が止まった場合の蘇生法』と書かれた表題を指でゆっくりと辿る。

「あなたは本当に…………いや、何も聞かないという話でしたな。請け負いましょう」

恐る恐る見上げた先の表情は柔らかく、その口元は弧を描いていた。

「……ヘネシー卿、心から感謝いたしますわ」


今度こそ泣きそうになるのを、何度か瞬いて涙を散らす。

訓練で使用する人形はこちらで用意すること、完成次第届けさせる旨を伝え、書き記した内容にわかりにくい箇所や齟齬を生じる箇所がないか確認する。

心遣いが現れているかのような暖かなお茶をもう一杯いただいてから、ヘネシー邸を辞することにした。

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