12 ふがいない私を許してくれ
◆内の箇所は飛ばしていただいても大丈夫です。
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「この資料では、具体策の実施頻度は週一回となっているが、何か理由があるのか?」
「もし良い結果が得られたとしても、高頻度では実際に現場で導入されにくくなってしまうでしょう。効果的で、かつ手が伸ばしやすい頻度を考えた結果ですわ」
可能ならもう少し頻回に行いたいが、この世界の常識から考えればこのくらいが妥当だろう。
隔週、週一回、週二回のような複数パターンにすることも考えたけど、何の実績もない子供の検証につきあってくれる病棟がいくつもあるとは思えない。
詳細な頻度についての検証は、きちんと確かめたい人においおいやってもらえばいいのだ。
まずは清潔の必要性の概念をこの世界に定着することをメインに据えたい。
「ふむ。その具体策とやらは、全部おまえ一人で行うつもりか」
「いいえ。病院からすれば通常業務のプラスアルファになりますから、自前のスタッフを雇う予定です。ボランティアの修道士に依頼することも考えましたが、短期で変則的とはいえ働き口を増やせるならそれにこしたことはないかと。調整期間中に実施方法を指導すれば、手順の統一化が見込めると思っております」
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「なるほどな。……おまえ、令嬢にあるまじき現場主義だな。どんな生き方をすればこう育つ」
「……恐れ入ります」
ふいに逸れた殿下の視線を追ってそろりと顔を上げてみるが、向かいに座る先生はいまだ固まったままだ。
部屋に戻った私を一度見るなり、真っ赤になり俯いてしまったのだ。
以来一言も発せず、あんなにうるさいほどだった視線は一度も合わない。
「だそうだが、貴殿から何か意見はないのか?」
たまりかねた殿下が資料を見つつ声をかけてくれたのだが──
「……とても、よいと……思います…………」
蚊の鳴くような声が聞こえたかと思うと、またしんと静まり返ってしまった。
「イエスマンなだけの教師が、お前の好みか?」
「いいえ。ついさきほどまで的確なご意見をいただいておりましたわ」
先生の様子がおかしいのはさっきのデコチューが原因だろう。
ただ、ちょいと長すぎないか。
こっちも殿下という最大の味方が来たことで落ち着いたようなものだから、人のことは言えないのだけど。
もし二人きりならずっとこの調子だったのかと思うと……お、恐ろしい……
「……、すみません……大丈夫と、言っておきながら……僕にも、何で、こんな……」
先生も今の状況に動揺しているのだろう、苦しげに寄せられた眉根が心情を物語っている。
長かった髪の代わりだろうか、手の甲で目元を覆い、細く長く吐き出した息も震えがちだ。
「先生、どうかお気になさらないで」
声をかけた私を指の間から見やるなり、湯気でも出ているんじゃないかってくらいに茹で上がってしまった。
たとえぐいぐい来なくても、私にはこの状態の先生をどうしたらいいのかわからない。
ふがいない私を許してくれ……
「あの、…………今日は……出直して、きます……」
先生のあまりにおぼつかない足取りに、見送りに立とうとしたところで腕を引かれる。
殿下は首を横に振るだけだったが、ついていかない方がいいということだろう。
ナキアとともに部屋を出ていく先生を見送って、扉が閉まった音に詰めていた息を吐いた。
「……いったい何をやらかしたんだ」
何かされた記憶はあるけど、やらかした記憶はない。
「それが私にもよく……」
「おまえからの回答は期待していないから安心しろ」
じゃあなぜ聞いたし。
「おい、そこの」
ジト目を向ける私をよそに、殿下が呼びかけたのは、部屋の隅に控えていたカイルだ。
「ずっといたのだろう。何があったのか語って聞かせろ」
な、なるほど、客観的な意見が……!
護衛とはいえ今までただいるだけの存在に何か意味があるのかと思っていたけど、これほど重要な証言はないだろう。
「いえ、私なぞには」
かしこまるカイルに、二人分の無言の圧がかかる。
しばし逡巡したものの観念したのだろう。
小さく咳払いをした後、伏し目がちにこう返ってきたのだった。
曰く、私のしおらしい様子に男心を刺激されたのではないか、と。
「ほう……おまえにしおらしい一面があったとは驚きだ」
「……殿下は私のことを何だと思っていらっしゃいますの?」
超合金的なアレとか言ったらはっ倒すからね。
しかし……しおらしい、ねえ。
ちょっと涙ぐんじゃったあれか?
涙は女の武器とは言うけど、それにしては殺傷能力高すぎないか。
相手が人慣れしていなさそうな先生だからか……
え、ていうかこれ、私が何かしたことになるの??
おかしくない……?
弁解を求めてカイルを見やると、殿下ははあと長めの息を吐いたのち、ソファにごろりと横になった。
足はソファのふちから投げ出され、頭は私の膝の上。
いわゆる膝枕の体勢だ。
殿下がソファにごろ寝という突然の出来事に驚いていると、憮然とした表情で口を開く。
「……次の授業はいつだ」
なんと、次も来てくれるつもりなのか。
「日曜はお休みで、二日おきに入っておりますの。次は週明けですわ。あの、来てくださるのですか……?」
「おまえは知らないんだろうが、俺もそれほど暇ではない」
「私にだってそのくらいの理解はありますわ」
二番目とはいえ王位継承権を持っているわけだし、勉強やら何やらいろいろあるのだろう。
そんな中来てくれていることに感謝だってしている。一応は。
「なら少しは労わってみろ。この間のようにこのまま追い出すようなら次は来ないからな」
そう言って瞼を下した。
殿下の呼吸は深く、長い。
このままひと眠りするつもりなんだろうか。
まあ、前回はこちらの用が済んだらさっさと追い出してしまったようなものだけどさ。
……労わってみろと言われても。
「…………頭をなでても?」
「好きにしろ」
そっと触れるアッシュグレイの髪は想像よりも柔らかく、さらさらと手になじむ。
好きにしろと言ったのは本当だったようで、何度なでてもされるがままだ。
おお……なんだろう、ちょっと感動。
ちょっと懐いてきた野生動物みたいな。
瞼の降りた顔は険が取れ、幾分か幼く見える。
こうして見るとやはり整っているなあ。
……額に肉とでも書いてやろうかしら。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、って……」
いたずら心がうずき始めた私を止めるかのように、ノックとほぼ同時にセドリック様が入ってきた。
開いた本を片手に持ったまま、こちらを見て固まっている。
授業の様子を見に来てくれたのだろうか。
本当に聞きたいことがあったのかもしれないが、もし前者なら丸くなったものだ。
「…………何してるの?」
セドリック様の位置からだと、飛び出た足くらいしか見えないだろう。
殿下が私の膝の上に自分の腕を挟み、ようやく互いの顔を確認したようだった。
「セドリック様、今日の授業はもう終わりましたの。こちら婚約者のギルベルト殿下ですわ。
殿下、ヘネシー卿のご子息のセドリック様です。ちょっとした行き違いがあって、屋敷に滞在していただいているの。今は語学を教わっているわ」
「君、いたんだ……婚約者」
「ええ、まあ」
心底意外だったって顔やめて、地味に傷つくから。
利害が一致しただけの仮初のものではあるけど、まあ一応外聞的には婚約者なのだ。
「……しかも殿下って……」
「……リーゼリット嬢が世話になっている」
首の後ろに手を回されそのまま引き寄せられたせいで、上体が少しかぶさる形になる。
この体勢ちょっと苦しいし、今その演出必要なくね?とは思うが、殿下なりのサービス精神か。
殿下大丈夫、セドリック様には不要だから。
ほら見てみなよ、バカップル乙みたいな据わった目になってるでしょう?
「失礼、邪魔をしたようで」
それだけ言って一礼をして去っていく。
ありゃ、様子を見に来てくれたかもしれないのに、お礼を言う間もなく扉が閉じられてしまった。
「滞在といっても親族というわけではないのだろう。婚前の娘とひとつ屋根の下なぞ、普通なら破断ものの醜聞だが。……聞くところによるとデートもしていたらしいしな」
おっと耳が早い。
あれはデートってわけでもなかったんだけど、はたから見ればそう見えるのか。
ちょっと遊びに出るのも一苦労だな。
「普通の令嬢の分別など最初から期待していないが、あまり派手にやらかすな。横やりが入る」
頭の後ろで腕を組んだまま、再びごろりと横になった殿下に。
「……膝枕の話もお聞きになられましたの?」
ふと浮かんだ疑問を投げかけてみれば、腕ごとそっぽを向かれてしまった。
「………別にそんなんじゃない」
隠しきれていない赤い頬が覗き、思わずぐうと唸ってしまう。
ピンポイントで萌えをえぐっていくの、ほんとやめて。




