プロローグ
喘ぐように飛び起きると、周囲の光景は想定していたものと全く異なるものだった。
大きな窓に重厚そうなカーテン、細やかな刺繍が映えるベッドカバー。
視線を下した先の手は幼く、肩からはらりと降りた一房の髪は淡い金色をしている。
……ん?……金?
「リーゼリットさま、お早いお目覚めですね」
カーテンを引くエプロンドレスを着た女性が振り返り、柔らかく微笑む。
なぜか、どちらさまですか、とはならない。
侍女のナキアだ。
そして呼ばれた名前もちゃんと聞きなじんだものだった。
でもどこかおかしい。
私は一人で2DKに住んでる黒髪の日本人で、リーゼリットとかいう名前じゃなかった。
仕事に明け暮れ、お風呂でネット小説を読むのが日々の楽しみという立派な喪女だったはずだ。
それもついさっきまで入浴中で、睡魔に負けたのか頭の先までお湯に包まれていたはずで……
すう、と大きく息を吸い込むと、最後に感じたはずの息苦しさはみじんもなく、部屋に飾られた花が柔らかく香る。
窓から差し込む光が部屋を鮮やかに染め。
「…熱でもあるのですか?」
そっと額に添えられた掌からは、じんわりとした温かみを感じた。
これが夢でないなら何なのか。
もうおわかりですね。
私、お風呂で溺れて転生しました。
……っっ、う、う…うそでしょ……
よりによって溺、死……?
素っ裸で……?
発見っていつだれがするの。
仕事は?
今日の会議の議事録まだ手を付けてないし。
一週間後に迫った実習の準備も、年内に発表予定だった科研費での論文も。
レポートの評定だってまだつけ終わってないんだけど、え、これどうしたら……
あまりのことにうなだれ頭を抱えるしかない当人をよそに、ナキアは私の身支度を整えていく。
「昨日の疲れが出たのでしょうか。体調が優れないようでしたら医者をお呼びしましょうか?」
穏やかに声を掛けられながら、背中まである髪を丁寧に梳かれる。
するすると櫛が通るたびに、徐々に動悸がおさまり思考も落ち着いてきた。
色彩も温度も香りも感触も、五感のすべてが今はこれが現実なのだと伝えてくる。
……職場にもマンションの管理人さんにも迷惑をかけるけど、前世のことはもう考えたってしかたない。
まずは、ここがどういう世界なのかを確認しなくては。
たしか私は、昨日初めて領地を出て延々と馬車に揺られ、王都の別邸に到着したところなのだ。
今日は王都を散策する予定だったから、現状を把握するにはもってこいのはず。
「いいえ、予定通りで大丈夫よ」
「かしこまりました、ではそのように。さあ、整いましたわ」
差し出された大きな鏡に映るのは、勝気そうなエメラルドグリーンの瞳が印象的な少女だ。
ゆるいウェーブを描く金髪は柔らかく編み込まれ、華奢な体に薄い桃色のドレスが似合っていた。
リーゼリット・フォン・ロータス、御年10歳。
あちこち読みふけった内の一つだとは思うのですが、悲しいかな……どの小説の登場人物かわかりません。