menu88 ゼロスキルの料理は世界を超える
今日もどうぞ召し上がれ!
「ぜぇぜぇ……」
アセルスは荒い息を吐き出す。
白い肌に汗が浮かび、上気した頬には魔獣の血が付いていた。
隣に立つウォンも似たような状況だ。
白銀の毛が、魔獣の血の色に染まっていた。
1人と1匹の周りには、魔獣が倒れている。
すべて絶命していた。
いつもなら内臓を傷つけないように戦うのだが、数が数だ。
いくら聖騎士と神獣といえど、自分の身体をいたわる余裕はなかった。
アセルスは崩れ落ちる。
剣を地面に突き立てたまま、ペタリと尻を付けた。
まだ余裕があるウォンが、「大丈夫?」という風に、聖騎士の頬を舐める。
アセルスも血に濡れたウォンの毛を撫でて、お返しした。
「よくやったな、聖騎士アセルス、神獣ウォン」
偉そうな声がおしゃぶりの奥から聞こえてくる。
魔王ゼーナムが、アセルスの方に近づいてきた。
こちらは1滴の血も付いていない。
汗すら浮かばず、涼しい顔をしていた。
その側には、カトブレパスの遺体がある。
後に食べるつもりだろうか。
頸動脈以外、全く傷つけられていなかった。
災害級魔獣を簡単に手玉に取る手並みは、さすがは魔王といったところだろう。
「ディッシュは?」
「ここにいるぞ」
ディッシュ自ら、こちらにやってくる。
先ほどまで難しい顔をしていたが、今はいつもの表情に見えた。
「ありがとな、アセルス、ウォン」
「れ、礼を言われるようなことはしていない。魔獣の殲滅は冒険者としての義務だからな」
強がってみせるアセルスだったが、本当はディッシュに労われ、嬉しかった。
「うぉん!」
一方、ウォンの方が素直に嬉しさを表現する。
労うように、ディッシュの頬をベロリと撫でた。
そのディッシュもウォンの毛をわしゃわしゃと掻き撫でる。
「――して、ディッシュよ。お前の料理の方がどうなのだ?」
「うーん……。わからん」
はっきりと言った。
「ディッシュでもわからない食材があるのか?」
「そんなものごまんとあるぜ。いつもはたまたまうまく言ってるだけさ」
「では、我々はダイダラボッチを食べられないのか?」
「いーや、味のイメージは掴めてきた」
ディッシュは木皿に載ったダイダラボッチの一部を指先で掬い、ペロリと舐める。
アセルスは息を呑んだ。
ダイダラボッチは魔力の塊みたいなものである。
それを口にするなど、何が起こるかわからなかった。
だが、ディッシュに変化はない。
いつも通りだった。
「食べてみるか、アセルス?」
「いいのか?」
「顔に書いてあるぞ。正確には口元だがな」
ディッシュは指で示す。
その時になって、アセルスは気付いた。
口の端から涎が垂れていることに。
アセルスは、口内に溜まっていた涎ごと胃の中に吸い込む。
同時に、お腹が激しく空いていることに気付いた。
【光速】のスキルを連発し、数百体いた魔獣を倒したのだ。
腹ぺこ騎士が、さらに腹ぺこになるのは必然だった。
気を取り直し、アセルスは手を近づける。
何か反発があることを予測したが、何事もなく、指先にダイダラボッチの一部が絡みついた。
ゼリーのような見た目のため、その感触を期待したが違う。
実際に触ってみると、ゼリーより硬い。
どちらかと言えば、牛酪に近かった。
牛酪はアセルスの好物だ。
今も、腰に巻いた小物袋に入っている。
アセルスは期待に胸を膨らませた。
「いただきます」
指で掬い取り、口を付ける。
すると――――。
「え?」
アセルスはキョトンとする。
パチパチと2回瞬きをした。
不意に周囲を見渡す。
その不思議な反応に、事情がわからないゼーナムとウォンは首を傾げる。
「アセルスよ、どうしたのだ?」
「いや、その……。一瞬見えたのだ?」
「何を見たというのだ?」
「このダイダラボッチの一部を口に入れた瞬間――――」
広い……。どこまでも続くような草原を見た。
「くはははは……。草原か。なかなか面白いのぅ」
「何か心当たりがあるのか、ゼーナム」
「さあのぅ。だが、時々そういう食材が存在するのも事実だ。ただ一口食べただけで、異界との回線を開いてしまうような食材がな」
ゼーナムの説明に、アセルスは頷いた。
確かに過去――ディッシュの料理を食べた時に、似たような体験をしたことがある。
一瞬、別世界に迷い込んだような不思議な感覚。
それもまたゼーナムの説明にあった『異界との回線』というものなのだろうか。
いや、そもそもそんなものがあるのか。
当然疑念に思うのだが、ゼーナムが冗談をいっているようにも見えなかった。
そしてゼーナムはディッシュに向き直る。
「どうじゃディッシュ……。この食材もまた、お主のゼロスキルの料理の1つとなるのではないか?」
「さあな。俺はまだ料理もしてないから、よくわからねぇよ」
「ディッシュ……。ゼロスキルの料理とはなんだ?」
「ゼーナムが勝手に言ってるだけさ。俺の料理は異界との扉を開く料理なんだとよ。俺にはさっぱりわからないけどな」
「異界との扉……」
アセルスは顎に手を当て考えた。
異界がどうのこうのというのは、アセルスにもわからない。
だがディッシュの料理は、すでにこの世の常識から外れていることは確かだ。
仮にこの料理が別世界の料理というならば……。
「(ええい! 私は何を考えているのだろうか……。そんなことがあるわけないだろう)」
どうもゼーナムが来てからというもの、調子が出ない。
その存在の偉大さに、心の奥底で恐怖しているのだろう。
アセルスはいまだ自分のペースを取り戻せないでいた。
「アセルスよ。お主が見た世界。それは一瞬か」
「あ、ああ……。そうだが」
ゼーナムの問いに、アセルスは頷いた。
草原の光景を見たのは、まさに一瞬だ。
気付いた時には、口内のダイダラボッチの一部は消えていた。
味も何もわからないまま、ふわりと消え去っていたのだ。
ディッシュも「やっぱりか」という顔をして、額を抑える。
「このダイダラボッチの一部は、異常に溶けやすいバターみたいなものだ。食感もなく、さっと消えてしまう。残ったのは強い風味だ。それが、変なイメージを見せるんだろう」
「なるほど……。しかし、そんなものを食材にできるのか?」
いや、そもそも食材と言えるのだろうか。
「難しいだろうな。でも、試してみたいことは山ほどある。それに――」
ディッシュは周囲を見渡した。
魔獣の遺体が累々と積み上がっている。
最後に、返り血だらけのアセルスとウォンを見つめた。
「折角、アセルスやウォンが頑張ってくれたんだ。うまい物を食べさせてやりたいじゃねぇか」
「ディッシュ……」
「うぉん」
アセルスはぐっと腹の底から沸き上がってきた感情を堪える。
腹音ではない。
単純にディッシュの労いとその心根に感動し、泣きそうになってしまったのだ。
「ディッシュ……。わしも褒めよ」
「ゼーナムもありがとな」
「して? どうする、ゼロスキルの料理人よ」
「そうだな。まずは手でも洗ってこいよ。さすがに、その姿で食べたら、折角の飯もうまくねぇだろ」
ディッシュは、血だらけのアセルスとウォンの方を見て、苦笑いを浮かべた。
「くはははは……。確かにな。食事の前に手を洗うのは、常識だからの」
「そういうことだ」
「うむ。わかった。身体を洗ってくる。おいしい料理を期待するぞ、ディッシュ」
「任せろ、アセルス。お前たちが限界まで頑張って守ってくれたんだ。俺も料理人として応えてやらないとな」
すると、ディッシュは包丁を構えた。
山の稜線に、陽が没しようとしている。
朱色の光を受け、包丁が燃えているように見えた。
コミカライズ企画進行中です!
こちらもとってもお腹が空く内容になっているので、
お楽しみに!!







