menu178 ゼロスキルの帰還
ディッシュの生まれ故郷が魔獣に襲われた。
かつて仕事をしていた料理店の店主から、それを聞いたディッシュは、以前住んでいた街に戻ることにした。
因縁があることは間違いない。
一生戻ることはないと、ディッシュ自身も考えていたが、やはり故郷が襲われたと聞けば、心配にもなる。
ウォンの背に乗り、店のエプロン姿ではなく、山で過ごしていたスタイルに戻す。
見慣れた姿に戻ったわけだが、ディッシュの顔は少し浮かない顔だった。
そんな顔を見て、ウォンの後ろに乗ったアセルスが心配しないわけがなかった。
「ディッシュ、大丈夫か?」
「ん? ああ」
「無理もない。ディッシュを追放した街とはいえ、生まれ故郷だからな」
「顔見知りも多いからな」
「心配しなくていい。向こうの街はカンタベリア王国の隣国だが、そこにも冒険者はいる。街を守る衛兵もいるだろうし」
「そうだな。それにしても、すまねぇな。付き合わせる形になって、アセルス」
「なんの。お安い御用だ」
生まれ故郷は料理店を構えた街と、山を挟んで反対側に存在する。
ディッシュも山に慣れているとはいえ、突発的な魔獣との遭遇には後れを取ってしまう。ウォンがいても、さすがに心配だったアセルスはディッシュに同行を願い出たのだ。
アセルスは辺りを警戒する。
かなりの距離をもう走っているが、未だに山を抜けない。
この距離をあの料理長は歩いてきたかと考えると、生き倒れるのも無理からぬことだ。
ただ本人はほとんど覚えていないらしい。
魔獣に襲われ、無我夢中で走り回っていたら、山の真ん中に立っていたそうだ。
「懐かしいなあ」
「何がだ?」
「この辺りだよ。俺が街を追放されて、目覚めたの」
そう言うと、ディッシュはウォンに止まるよう指示した。
鞄の中からスライム飴を取り出すと、ウォンに与える。
ウォンは大喜びで、飴に飛びつき、ペロペロと舐め始めた。
ディッシュはというと、何か導かれるように歩き出す。アセルスも後についていった。
森が開ける――かと思えば、そこは崖だ。
「うわっ……」
アセルスは反射的に息を呑んだ。
そこには絶景が広がっていた。
なだらかな山肌に、薄雲のかかった地平の果てまで緑が続いている。
文明の息づかいを一切感じない光景に、アセルスはただ圧倒された。
同時に違う思考も頭の中に往来する。
そして同じく景色を眺めるディッシュを見つめた。
ディッシュは街を追放されて、初めて目覚めた場所だと言っていた。
つまり、5歳の子どもがこの光景を見たということだ。
アセルスのように美しいと思っただろうか。いや、そうではあるまい。街とは違う、人の痕跡がまったくない世界。ディッシュにとってそれは絶望の始まりにすぎなかったはずだ。
そう思うと、少し心が痛んだ。
「ディッシュ……?」
「山ん中では色々あったけどよ」
「え?」
「いいや。なんでもない。わりぃな。止めて。つい懐かしくなっちまってよ」
「いや、別にかまわないが……。もう良いのか?」
「ん? ああ。早く行こうぜ」
ディッシュはウォンの背に跨がる。
アセルスもその後ろに着いた。
昔のディッシュはともかく、今のディッシュがあの光景を見て、一体どう思ったのだろう。
そのディッシュの背中を見ながら、アセルスは考えるのだった。
◆◇◆◇◆
結局1日では到着せず、夜営することになった。
朝一番で出発し、昼前に街に辿り着く。
「ひどいな……」
アセルスの顔が険しくなる。
如何にも田舎町だが、聞いていたよりも大きな街だった。
一応、木でできた城壁があり、それがぐるりと街を取り囲んでいる。
開墾した時の木をそのまま使ったのだろう。
太い木の幹をそのまま杭のように刺した城壁はなかなかに堅牢だ。
その城壁が完全に食い破られている。
やったのは、魔獣だろう。
そしてここから多くの魔獣が街に侵入したことは想像に難くなかった。
「大きさからしてカリュドーンか。もっと大きな魔獣かもしれないな」
城壁に開いた穴を検分し、アセルスは推察する。
ディッシュはウォンと一緒に、先に街に入っていった。
街の中も惨憺たる様子だ。
建物は破壊され、強固な石壁も破壊されている。大型の魔獣が通った痕には足跡しかなく、すべて瓦礫になっていた。
すでに国の兵たちがあちこちにいて、瓦礫の撤去作業を行っている。
無傷の建物や頑丈な教会の中は、野戦病院になっているらしく、生き残った人たちが肩を寄せていた。
ディッシュはふと足を止める。
顔を上げたが、視線の先には何もない。
空が見えるだけだ。
でも、横で見ていたアセルスにはわかる。
きっとディッシュが見る位置に、建物の看板があったに違いない。
石造りの家が破壊されていた。
どうやら料理店だったらしく、つぶされたテーブルが見るも無惨な形でぺしゃんこになっていた。
割れた酒瓶が散乱し、魔獣が食い荒らしていったと思われる食材の残りかすが残ったままになっている。
「ディッシュ、ここが?」
「ああ。俺が前に働いていた料理店だ。といっても、1年も働いてないけどな」
それでもやはり自分が料理の腕を磨いたところである場所は懐かしいのだろう。
ディッシュは実に寂しそうな顔をしている。そこは自分を追放した人間の料理店だというのにだ。
今まで見たことのない横顔を見せるディッシュを見て、アセルスも少しやるせない表情を浮かべる。
ウォンも落ち込んでいる主を慰めるように、頬を舐めた。
するとディッシュは「気にするな」と言う風に、ウォンのモフモフの毛を撫でる。
ディッシュは振り返った。
「真向かいも料理店でな。いいシェフだった。料理は食べたことなかったけど、いつもおいしそうな匂いをさせててな」
さらにディッシュは指差す。
「3軒隣のパン屋でも働いたことがあるぞ。窯の温度に毎朝心血を注いでた。窯を触ろうとすると、『温度が下がる』と目くじら立てて怒られたっけ。そうだ。向かいの鍛冶屋は……」
ディッシュの口からこれまで聞いたことがない昔の話が漏れてくる。
ここはディッシュを追放した街。
でも、何故かディッシュから出てくる言葉は、恨みや妬みようなものは一切感じない。
むしろ楽しそう……。
いや、聞く言葉だけでも何かおいしそうな料理の話を聞いているようだった。
「おい。アセルス。お前、なんで涎を垂らしてるんだ?」
「え?」
指摘されて、アセルスは慌てて涎を飲み込む。
「そ、その……。ディッシュが楽しそうというか、話がおいしそうというか」
「お前、もしかして腹が減ってるのか? 朝食をあれほど」
「ち、ちちち違う! 断じてそうではない」
「……そうか。ふふ。変なアセルスだな」
ディッシュは笑う。
いつもの得意げな笑いではない。
やはり悲壮感があるというか、いつものディッシュとは違う表情を見られたというか。
ともかく確かなことは、アセルスはその青年の顔を見て、ドキリとしたことは事実だった。
成り行きとは言え、ディッシュと2人っきりになった。もちろん、ウォンがいることはわかっているけど、街を出てから少しだけ『長老』の下で、ゼロスキルの料理を味わっていた頃に戻ったような気がしていた。
なのに、いつもと違うディッシュを見て、さしもの聖騎士も不意打ちを食らってしまったのだ。
「な、なあ、ディッシュ……。1つ私からお願いがあるのだが」
「なんだ? 朝食のおかわりか? 仕方――――」
「ちちち、違う!!」
突然、簡易の石窯を作り始めたディッシュを慌てて止める。
アセルスは少しモジモジしながら、ディッシュの方を見てお願いした。
「その……。ディッシュの――――」
ディッシュの家を見せてほしいんだ。







