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めぐる

 その街に着いた時には零時を回っていた。駅から徒歩八分。十年ぶりに訪れたライブハウスは昔のまま存在していた。マネージャーは俺の事を覚えていた。そして、事情を話すと部屋を貸してくれた。


 ライブハウスから五分も歩けばアパートに着く。アパートは繁華街から少し離れた場所にあり、街路樹のある道を進み、コンビニエンスストアのある角を左に曲がれば、すぐに見えてくる。部屋に行く前に、ウイスキーを購入した。


 この古いアパートは下宿のような造りになっており、玄関で靴を脱ぎ、目の前にあるダイニングの手前を右に行くと一階の部屋。左にある階段を登れば二階の部屋に行かれる。

 マネージャーはいつも二階の部屋をバンドの連中に貸していた。一階には自分の部屋があるらしく、二階に居候する自称音楽家達とダイニングで朝まで飲み明かす事を楽しみとしていた。


 俺たちは二階の部屋の鍵を渡されていた。二階の一番奥の部屋だ。部屋は四畳半の畳部屋で、ガランとしており、そこに部屋があるというだけで、他には何もない。


 俺たちは部屋に入り、畳の上に直に座った。そして、途中で買ってきたウイスキーを飲もうと思ったが、カップを買うのを忘れた事に気付いた。


 ウイスキーを飲むためのグラスを借りようとダイニングへ行く。ダイニングにはついさっきまでは誰もいなかったが、今は二人の男が缶ビールを飲んでいた。その片方の男、年齢を感じさせる艶のない乱れた長髪に、髭をはやして目を赤くした男に、俺は見覚えがあった。昔、よくここで一緒に朝まで飲んだ奴であった。名前は覚えていない。しかし、奴である事は間違いない。


 俺の事を見ると、大声で話しかけてきた。俺が戻ってきて嬉しいぞ、と言うのであるが、俺は演奏をしに戻って来た訳じゃない。今日はやる事があるから、また今度飲もうと伝えグラスを手に取って部屋に戻ろうとした時に、奴が久しぶりに会ったのでいいものをやろうと言って、俺に錠剤を二錠手渡した。

 どうせロクなもんじゃない事は分かっていたが、今は早く彼女のもとへ戻りたかったので、礼を言ってダイニングから出た。


 部屋に戻り、二人でウイスキーを飲んだ。そしてこれからどうするべきかを話さなくてはならない。俺はウイスキーを飲み干すと、静かに話し出した。


「これからの事、考えなきゃな」

「離婚届はどうしたの?」

「持ってるよ。こっちはこれにサインするしかないだろうな」

「私の方は、離婚してくれそうもないね。帰ってきたんだから」

「茜はどうしたい?」

「私は裕一と一緒にいたい。でも、娘たちに申し訳ないの」

「分かるよ。俺だって同じだよ。息子に申し訳ないし、茜の娘たちにも申し訳ない」

「私たちのやっている事って、私たち以外の誰も幸せにならない。誰かを不幸にするんだよね」

「そうだな。そうなるな」

「もう終わりにするべきなのかな」

「俺の方はカミさんと終わっちゃったよ」

「私のせいだね。ごめんね。私の問題に裕一のこと巻き込んで」

「謝るなよ。俺は茜のことが好きなんだよ。巻き込まれたなんて思ってないよ。どんな事があっても茜は俺が守る。俺の心配なんかしなくていいよ」

「ありがとう。私の事を理解してくれるのは裕一だけ」

「俺たちは似てるんだよ。俺も誰にも理解されないと思っていた。でも茜は俺を理解してくれる」

「好き」

「俺も」


 俺たちは抱きしめたまま動かなかった。どれくらいそうしていたかは覚えていない。一時間なのか、もしかしたら十分しか経っていなかったのかもしれない。キスをして、グラスにウイスキーを入れた。二人で飲み干し、そしてクスリを飲んだ。


 飲んで十分くらいすると、見える景色が歪んできた。なぜクスリを飲んだのか分からない。死のうとした訳じゃないし、そもそもそのクスリは死ぬ為のものじゃないだろう。しかし俺たちは確かにそのクスリを飲み、そして気を失った。



 気がつくと、白い天井が見えた。ベッドに寝ているようである。ゆっくり身体を起こすと、予想通りそこは病院のベッドであった。頭痛がする。


 後から聞いた話によると、マネージャーが朝、部屋に俺たちの様子を見に来たらしい。そこで二人が倒れているのを発見し、救急車を呼んだという事だ。


 マネージャーはクスリの事に気付いていたのか、それとも気づかなかったのかは分からないが、とにかくクスリに事は喋らなかったようだ。そりゃそうだろう。そんなものが見つかっては、マネージャー自身の身に火の粉が降りかかりかねない。

 そして俺も彼女もその事は喋っていないし、特に検査もされなかった。そもそもなんのクスリかも知らない。合法であって欲しいが。



 彼女には連絡を受けた夫が付き添っていたらしい。そして退院の際には、夫と娘たちの四人で帰って行ったと聞いた。

 俺は誰も見舞いに来ることもなく、一人で彼女より半日遅れで退院した。



 あれから三年が経った。俺は離婚をし、駅の近くにアパートを借りた。まだこの田舎町に住み続けている。


 息子とはたまに会っている。




 あの後、彼女とは連絡が取れなくなった。今、どうしているのかは分からない。


 二年ほど前に、ショッピングモールで一度彼女を見かけた事がある。多分夫であろう男と手を繋いで歩いていた。二人とも笑顔であった。


 俺が望んだのは、彼女が幸せになる事だった。その時の彼女は俺の望みどうりになっていたように見えた。



 一人になってからは、年中ツカサがやってくる。煩い奴だが、きっと俺の事を気づかってくれているのだろう。


 今でも三年前のあの出来事を思い出す。でもそれが現実にあった事なのか、実感がない。もしかしたら夢だったんじゃないかとも思う。だってそうだろ、彼女が俺を好きになるか。




 もうこの後の人生で、あれほど輝く事はないんだろうなと思う。まあいいさ。少しくらいならいい事もあるかもしれない。


 こんな俺にもひとつだけ希望がある。それは昨日届いた一通のメールがもたらしたものだ。彼女からだった。


「会いたい」と書いてあった。


 今夜、俺は茜に会いに行く。何が待ち受けているか分からないが。




 まったくここはなんて街なんだ。だから俺はこの大嫌いな故郷を離れられないんだ。

 この小説は実話を元に書きました。実際にはここに書かれているよりもひどい状況になったのですが、それを文章にする気にはなれず、後半はかなり抑えて書いています。

 小説の中盤、7人でキャンプ場に行くシーンがあります。この部分だけを小説に書いたことがあります。いずれそれも投稿したいと思います。

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