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ライオンの親子

 彼女から飲みに行こうと誘われてはいたものの、なかなか俺からは誘えないでいた。俺には家族があるし、どのタイミングで誘っていいか分からなかった。しかし、ずっと誘いたいと思っており、行動に移せない自分にイラついた。そんな毎日を送っていたところ、彼女からのメールが届いた。洒落たカフェがあるから一緒に行かないかと誘われたのである。


 ツカサが住んでいるところの最寄り駅とは反対側にある隣の駅で待ち合わせをした。

 俺は待ち合わせの時間よりも三十分も早く着いていた。そして五分前に彼女がやってきた。

「急に誘っちゃってごめんね。忙しくなかった?」

 忙しい訳がない。たとえ忙しくても駆けつけるに決まってる。俺はそんな事を思いながら、

「忙しくないよ。今はちょうど暇な時期だから」と言った。本当は一年中暇な時期だ。


 カフェは歩いて五分くらいの場所にあった。コーヒーのいい香りがする。

 二人で向かい合わせのソファーに座り、最初のうちは、久しぶりのクラス会が楽しかった事や、子供の事を話していた。 話し出して十五分くらいした頃だろうか、彼女がコーヒーカップを手に取り、少しコーヒーを飲むと、真剣な顔をした。

「裕一に相談したい事があるんだ。聞いてくれる」

「何でも聞くよ」

「三人で暮らしてるって言ったでしょ」

「うん」

「別に離婚した訳じゃないんだ」

「じゃあ単身赴任でもしてるの?」

「そう、最初は普通の単身赴任だった。でもね、もう本社に戻ってるはずなのに、帰ってこないんだ。愛人のところにいるみたい」

 彼女の目は涙で潤んでおり、今にも溢れ出しそうだった。


「ごめんね、こんな話して。迷惑だよね」

「そんな事ないよ。何でも話していいよ」

「ありがとう。裕一はやさしいね」

 なんてこった。まさかこんな状況を抱えていたなんて。なぜ彼女のような女性にそんな酷い事が出来る。もし彼女の夫が俺たちの仲間の一人であれば、俺たちは全力でそんな酷い事を阻止しただろう。俺たちの中では、彼女と結婚した男は、世界一幸せな男であるはずなんだ。


「どうしたら帰ってきてくれるのかな。男の人の気持ちが分からないよ。男の気持ちを教えて」


 俺は困惑した。彼女をこんな目に合わせる男の気持ちなど、俺に分かるであろうか。そもそも、なぜ俺を相談相手に選んだのだろう。もちろん男だから、浮気する男の心理は分かる。自分の浮気癖を男の本能だから仕方がないと言って、正当化する奴もいる。でも、俺も男として、そこは完全否定できない部分でもある。


 ライオンの親子の中に父親である雄ライオンがいないというシーンをテレビで観た事がある。子育てはすべて雌ライオンが行い、雄はハーレムを形成する。ライオンは恋をしているのだろうか。きっと恋とは人間だけのものであろう。野生動物は本能のみが雌を求める原動力になっているのだと思う。野生動物なんか例に出すと、人間には理性があるだろ、と言われそうだが、もしかしたら理性で抑えられる男は、本能が退化しているのかもしれない。


 だからと言って、俺は今ここで、それは男の本能だ、などと言うつもりはないし、野生動物と人間とでは、やはり違うだろう。


 俺が答える前に、彼女が言った。

「ごめんね、こんな事聞いて。でも辛くってさ。裕一にしかこんな相談出来ないから」

 俺を相談相手に選んでくれた事は嬉しい。しかし、今は嬉しがっている状況ではない。何か言わねば。


「単身赴任中ってさ、家族がいなくて寒しくなる時があるんだと思うんだ。俺は単身赴任したことないから想像でしか言えないんだけど」俺は何を言っているんだ。こんな誰もが言えるような言葉を、彼女は聞きたい訳じゃないだろう。

「きっと帰ってくるよ」こんな事を言ったのは、その場凌ぎで言った訳ではなく、何となくだが、本当にそう思ったのである。


「大丈夫。その時が来ればきっと帰ってくる。いつか気づくはずなんだよ。自分が一番大切にしたい人が誰なのか」

「本当にそう思う?」

「思うよ」

「でもそれっていつなのかな。十年後かな」

 分からない。いつかは分からないけど、確信があるとまでも言えないけど、きっと戻ってくる。そう思ったが、しかし、俺はその曖昧な感覚を言葉に出来なかった。もしかしたら、俺は戻って来て欲しくないと、内心では思っているのかもしれない。今のこの状況があるのは、まさにこの事があっての事で、俺は彼女と一緒に座ってコーヒーを飲んでいるのが嬉しかった。酷い男だと思う。彼女がこんなに悩んでいるのに、俺は違う感情を持っている。


「戻ってくるまではさ、何かあれば言って。力になるよ」

「ありがとう。でも無理しないでね。裕一には家族がいるんだし」

 いや、無理してでも支えるよ。俺はそう思った。


 カフェには一時間もいなかった。カフェから駅に向かう途中にあった居酒屋で少し飲んで、駅で彼女と別れた。彼女はこの後、娘を迎えに行くと言っていた。一人になった俺は、隣駅まで歩いて帰った。電車に乗ってあっという間に帰ってしまうより、歩いて今日の事の余韻を身体に感じたかった。

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