最前線にて
2016/02/09 5:00頃 誤字訂正しました
2016/02/10 19:00頃 誤字修正&加筆しました
現在から10年前、"それ"は突然現れた。
"それ"の正体に気付かなかった--否、"それ"が何であるかを理解できなかった人々は一切の抵抗を許されず蹂躙された。
老若男女分け隔てなく、"それ"は目の前にいる『餌』を食べ、巣を作り、卵を産み、その数を増やしていった。
"それ"の存在が確認された国が軍を用いて迎撃にあたったのが、それから3日後のこと。
そして"それ"の存在が全世界に知らされたのが、さらに4日後--つまり"それ"の発生から1週間後だった。
衛星写真でしか公開されなかった"それ"の姿をカメラに収めようと、"それ"の存在が確認されている地域に足を踏み入れた報道陣やカメラマン達が帰ってくることはなかった。
政府は事前に身の安全の保証や責任は一切取れないと本人にもその家族にも言っていたのだが、実際にその状況になると、遺族としては生存の確認や救出を望まずにはいられなかった。
もちろん政府はそれに応えることはなかった。
遺族らは事前に説明をされていたことや、本人や自分たちもそれを了承した上での結果であると頭では理解していた。
だが感情は…気持ちというものは、そう簡単なものではない。
それが正しい結果だとわかってはいてもそれでも。
そう考えてしまうのが人間というものなのだ。
そしてそれに漬け込むような形で動いたもの達がいた。
反政府組織だ。
彼らは遺族らの悲しみを利用し、"それ"に対して有効な手を打てないでいる政府を批判した。
さらにそれに加えて、自分たちが抱える政府に対する不満や自分たちの掲げる思想を広報した。
政府側も、遺族らや生存の望みは薄い行方不明者達には事前に十分な確認はしたし、それを本人達が了承した結果であると正論で対抗した。
しかしそれで反政府側に一度傾いた民衆が全員戻って来る訳ではなく、やがて小さな事件から政府vs反政府という戦争が始まった。
人類の敵という存在を前に、人間同士で殺し合っている場合かというもっともな批判も多かった。
特にそれは政府側からの意見が多かったのだが、反政府側はお前達がさっさと化物に対抗しないからこうなったのだと返すのみだった。
この時点ではある意味で侵略されているという自覚がなかったのだろう。
テレビの向こうの出来事。
海の向こうでの出来事。
自分とはあまり関係のない出来事。
そんな考えがあったにちがいない。
こうして人間同士が"それ"の発生よりも前から抱えていた問題に対立している間も、"それ"は着々と規模を増やし、侵略を進めていた。
ようやく自分たちが侵略されていることを自覚し、人同士の戦争から人類の生存をかけた戦争へと切り替えた時、地球の約15%--つまり大陸のほぼ半分は"それ"に侵略されていた。
残された15%ほどには砂漠なども含まれており、実際に人が生活出来る場所に限定すればさらに半分の7%ほどしかなかった。
そして追い込まれた人類は"それ"に対抗すべく、遅すぎる準備を始めた。
これは人類と"それ"--MEssenger from The End(終焉からの使者)という正式名称の略であり、愚かな人類に"罰を与える"といった本来の意味を込めた、通称METEとの戦いの記録の一部である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私、シルン・ヴェスタは対METE国際連合軍に入れられた。
望んで入ったのではない。
入れられたのだ。
父も母もすでに他界している。
当時6歳だった私を引き取り、面倒を見てくれたのは血縁者ではなく隣の家の老婆だった。
それまで名前を知らなかったし、大して話したこともないような関係であった私を引き取ってくれたのだ。
その老婆は--私の第二の母は名をシルア・ヴェスタという。
そう、私の苗字はシルアのものだ。
もとの苗字は両親の記憶とともに捨てた。
それは両親が嫌いだったとかからではなく、死んだことを信じられず、それを受け入れてしまえば心が壊れてしまいそうだった私にシルアが示した道だったからだ。
もちろん他に方法があったかもしれない。
でも今も私は後悔していない。
それが全てではないだろうか。
そして私を引き取ったシルアは、本当の母のように私を育てた。
他人の家の子のように甘やかすのではなく、けれど決して厳しすぎるということはなく。
4年後、シルアと私の家にシルアの息子が来た。
彼は私がシルアの義理の娘になったことに驚いていたが、すぐに受け入れてくれた。
背が高く体格が良く、さらに強面だった彼はかなり怖かった。
軍服を着ていたのが余計に悪かったのかもしれない。
誤解して欲しくないのだが、彼--私の義理の兄であるウォーレン・ヴェスタは決して悪人ではない。
事情をシルアから聞いたウォーレンは私に優しくしてくれたし、シルアのようにちゃんと家族として受け入れてくれた。
…そんな幸せな日々は唐突に終わりを告げた。
ウォーレンが死んだ。
METEとの戦いで、だ。
それを聞いたシルアは気丈に振舞っていたが、時折見せた辛そうな顔が、ウォーレンの死がいかにシルアの心を傷つけたかを物語っていた。
私には何もできなかった。
同じく家族を失った身ではあるが、シルアが私に示したような方法ではシルアの悲しみは取り除けないからだ。
それをきっかけにシルアは体調を崩し、それは回復することがないまま、シルアも死んだ。
私は家族を2度失った。
シルアのように私を引き取ってくれる人はいなかった。
血縁者とは連絡が取れなかった。
私がヴェスタの姓を名乗っているからであり、唯一連絡先を知っていた人は、ウォーレンと同様にMETEとの戦いで命を落としていたからだ。
行くあてのない私は孤児院に行った。
すでに12歳であったので受け入れてもらえないだろうと思っていたが、院長は事情を聞いて、受け入れてくれた。
孤児院には私より年下の子供がほとんどで、あとは私と同じ歳の女の子が一人、私より2歳年上の男の子が一人いた。
私と同じ歳の女の子はユーリ、年上の男の子はウィルといった。
苗字はない。
二人とも赤ん坊の時に親に捨てられて孤児院にきたそうだ。
私とユーリが小さい子と女の子たちを、ウィルが男の子をまとめて仕事を分担したり、遊んだりしていた。
それから1年後、ウィルは15になると徴兵されて軍に入った。
私たちはそれが仕方のないことだとわかってはいたのだが、やはり行って欲しくなかった。
とくに私にとってはウォーレンのことを思い出すと、ウィルの従軍は死にに行かせるようで苦しかった。
そんな思いを許されるはずもなく、ウィルはMETEとの戦い連れて行かれた。
2ヶ月前に届いた手紙がウィル本人の書いたものであれば2ヶ月前の…いや、手紙を書いたのはさらに1ヶ月前であろうから、3ヶ月前までは生きているはずだ。
そして今月も孤児院に手紙が届いていれば、1ヶ月前まではウィルは生きているのだろう。
そう信じたい。
さて、私の話に戻ると、ウィルのいなくなった孤児院では私がウィルの代わりになった。
やんちゃな年頃の男の子のイタズラは大変困ったが、それでも年上として--ウィルの代わりとして、頑張らなければと自分を鼓舞していた。
…そして今日から一ヶ月前、私は対METE国際連合軍にいれられた。
その日の朝、軍の使者がいきなりやってきた。
使者は私たちに全員出てこいと言い、整列させてから見渡すと「もう一人、男がいるはずだろ? 出せ」と言ってきた。
私もユーリもいないと告げたのだが、その使者は「隠しているんだろ?」信じなかった。
どうやら誤情報で、私とユーリと同年代の少年がここにいるとされていたらしい。
それを連れて行くために来たようだ。
しかし実際にはそんな少年は存在しない。
使者は私たちが毅然とした態度で主張し続けているのを見て、全ての部屋を確認したら信じてやると言った。
条件として、私たちは全員外で待機させられ、トイレなどの使用も認めないと言われた。
私たちはその条件を呑んで、外に行き、使者が確認し終わるのを待った。
1時間ほどして、ようやく確認が終わった使者が出てきた。
私たちはこれで終わったと安堵したのだが、次の一言で打ち破られた。
「確かにお前たちの言う通り誰もいなかった。…よって、お前とお前についてきてもらう」
そう言って使者が指をさしたのは、もちろん私とユーリだった。
私もユーリも、そして院長も女性に対する徴兵はないはずだと主張した。
しかし使者は存在しない少年の代わりにお前たちを連れて行くの一点張りだった。
あたかも元からそうするつもりであったかのように。
主張を繰り返しているうちに、私は内心で覚悟を決めていた。
私が志願しよう。
そしてなんとかユーリだけでも見逃してもらおう。
残されるこの子たちのためにも。
私よりもここで育ったユーリが残るべきだ。
…だから、私が行こう。
そして私は口を開いた。
「連れて行くのであれば私一人にしてください」
使者は私を睨むように見ながらも、否とは言わなかった。
私は睨み返した。
何秒間かその睨み合いは続き、そして使者はユーリの残留を認めた。
「元々徴兵対象ではないからな。お前は見逃してやる」と偉そうに情けをかけてやるといった感じで発言していたが、ユーリも子供達も使者を仇のように睨んでいた。
私はそれが嬉しかった。
私のことをそこまで受け入れてくれてるとわかって。
そのせいで別れが辛くなった。
私は涙をこらえながら、しかし溢れてしまいそうになったのでみんなに背を向けてジープに乗り込み、そして対METE国際連合軍の基地へと連れてかれた。
私はその道中、自分が何をさせられるんだろうかと考えていた。
良くて食料や物資の管理だろう。
医師免許なんていらないかもしれないが、全く知識も経験もない私が軍医だなんてまずあり得ない。
最悪は……兵士たちの慰安だろう。
それならばわざわざ私かユーリしかいないあの孤児院に来たのも頷ける。
考えていたら使者の顔が憎らしくなって来た。
だからと言って何ができるわけでもないのだが。
もし慰安目的ならできるだけ早く死にたいと思っていると、私の乗せられたジープは基地についた。
降ろされた私は兵士たちの下卑た視線を覚悟していたのだが、実際に私を迎えたのは殺伐とした空気だった。
兵士たちの目には憎しみと殺気が宿っていた。
そんな雰囲気に固まる私の肩を叩き、使者は「来い」とだけ言って進み始めた。
そのおかげで何とか動けるようになった私は慌ててその後を追った。
連れてかれた場所は[第三〇小隊]と書かれた部屋だった。
使者がノックをして、返事を待たずに入ったのに驚きつつも、私もその後に続いて入った。
「今回の貴様らの新たな小隊メンバーとなるのはこの女だ。以上」
それだけ言うと、使者は先ほど入ってきたばかりの扉を開けて出て行った。
私はどうすればいいのかわからず、その後に続いて出ようとして、「お前は俺の話を聞いていなかったのか?」と使者に睨まれて、その場に残った。
そして改めて室内を見渡す。
そこにいたのは、
外の殺伐とした空気とは無縁そうな、タバコを咥えた男
私を観察するように見る、眼鏡をかけた神経質そうな男
無表情に私の方を見る、私と同い年くらいの少女
私の方を一切見ずに外を眺めている、おそらく年下の少年
の4人だった。
タバコを咥えた男が口を開いた。
「え〜と…まぁとりあえずよろしく。ああ、俺はこの小隊の隊長のエイド・ボルタだ。エイドでも隊長でもなんでもいい」
次にメガネの男が言った。
「俺はヒューリッツ・ウィルソン。副隊長だ。ウィルソンと呼べ」
次は少女。
「…ジル」
それだけかなのかと聞こうとして、少年の自己紹介に遮られた。
「僕はジェイル。よろしく」
少年は相変わらず窓の外を眺めながらだった。
その後しばらく沈黙が続いて、私は自分の番だと気付いて慌てて自己紹介した。
「わ、私はシルン・ヴェスタ。よろしくお願いします」
私がそう言うと、タバコを咥えた隊長が小隊室の奥--ホワイトボードの方へ移動した。
「それじゃあ新入りのヴェスタへの説明も兼ねて、確認するぞ。俺の小隊のルールは『俺の言うことに従え』だ。それ以外は好きにやれ。作戦は戦場で俺が出す。分からなければ考えろ。丁寧に教えてやる暇も時間も…そして余裕もない。俺たちがいるのは戦場だ。懇切丁寧に教えて欲しかったら学校にでも行け。以上」
そう言い切ると隊長は、おそらく隊長用だと思われる机に向かい、本を読み始めた。
それを呆然と見ていた私の肩を、眼鏡の副隊長が叩いた。
「隊長の指示は聞いたな?」
私が「『隊長の指示に従え』…ですよね?」と確認するように言うと、副隊長は頷いた。
「作戦の内容が分からなければ考えろ、もだ。つまりお前が今からやるべきことは…わかるな?」
副隊長の問いかけに、一瞬首を横に振りそうになって、しかし考えろと言われたばかりではないかと思い直して頭を働かせた。
そして自分の中でこれだろう、これしかないという答えを導きだし、口にする。
「どのような作戦があるのか知ることとそれを実行できるように体を鍛えること…ですね」
「……お前、馬鹿か?」
副隊長から帰ってきたのは呆れたような声だった。
少し自信があった私は「え…」と呟き、それを聞いた副隊長はため息をついてから言った。
「今からお前がどれだけ頑張ろうが、それが実戦に間に合うわけがないだろ? 体を鍛えるにも時間がかかる。お前が1人前の兵士と呼べるような体つきになるまでどれくらいかかると思っている。それにもし出撃になった時、疲労で動けないのでは意味がないだろう。…戦争は”今”起こっているんだ」
最後の言葉には副隊長の気持ちがこもっているような、重い響きがあった。
見た目の割に面倒見が良さそうだなんて思っていた気持ちがその一言で吹き飛んだ。
私が固まっているのに気付き、副隊長は力を抜いて私の肩を軽く叩いた。
「とりあえず、お前がやることは小隊メンバーを知ることだ。隊長は最後でいいからジルとジェイルと話してこい。俺は…もう十分だな」
そう言って副隊長は部屋から出て行った。
副隊長はきっと小隊メンバーとコミュニケーションをとって、連携に支障が出ないようにしろと言っているんだと思った。
…今から思えば、別の意味だったんだろう。
私は副隊長に言われたまま、まずジルに話しかけた。
「えっと…ジル…って呼んでいいんだよね?」
ジルは無言で頷いた。
孤児院にも恥ずかしがり屋だったり、過去のトラウマで失言症になってしまった子がいたので、無口なジルの相手は全く苦じゃない。
「ジルってここにきてどれくらいになるの?」
「に…」
「に? ん〜、2ヶ月ってこと?」
ジルは私の問いかけに首を横に振った。
じゃあ2週間だろうかと良い方に考えようとして、しかし悪い方だった場合に自分の口から言わせるのはと思い直した。
「じゃあもしかして…2年?」
ジルは首を縦に振った。
私は悪い方の選択肢として予想はしていたのだが、それでも衝撃だった。
私の同い年くらいの少女が2年も前から軍役しているのだ。
ショックに声が震えるのをこらえながら、私はジルとの話を続けた。
私の質問にジルが頷いたり首を横に振ったり、あるいは単語で答えるだけだったが、それが私の動揺を鎮めるためにはありがたかった。
そしてジルとの話が終わると、私はジェイルの元へ向かった。
「ジェイル、でいい?」
「うん。ヴェスタって呼べばいいんだよね?」
「あ、私はシルンでいいよ」
「わかった。じゃあシルンって呼ぶね」
ジェイルは話しかけるとこちらを向いて話した。
私のことが気に入らないとかそう言った理由で外を見ていたわけではないようだ。
「ジェイルはさっきからずっと外を見てたみたいだけど、何見てたの?」
「ん? ああ、外に鳥がいたから…」
「へぇ、ジェイルは鳥が好きなんだ?」
「え、う〜ん…まぁ好きと言えば好きなのかな?」
ジェイルの言葉に違和感を覚えた。
そしてジェイルは続けた。
「僕がここから狙ったら何回殺せるのか考えたりしてると楽しいよ」
「…え?」
「ん? なんか変なこと言ったかな?」
「え…あの…そう、なんだ」
「シルンは考えたことないの?」
「う、うん」
「へぇ…面白いのに…」
そんな考えてはならないと思いつつも、この少年はどこか壊れていると思ってしまった。
それが戦争のせいなのかそれとも生来の性格のなのかは別として、少なくとも私には受け入れられなかった。
それからジェイルとはあまり話さず、最後に隊長の元へ向かった。
「…隊長」
「……」
「隊長」
「……」
「隊長!」
「ん? なんだ俺のことか?」
「…ここに隊長ってあなた以外にいませんよね?」
タバコを咥えた隊長は適当そうな人という印象だった。
この人が隊長で本当に大丈夫なのか? 副隊長の方と変わった方がいいのではないか? そう思ってしまう程度には。
先ほどのホワイトボードでの前での堂々とした態度がなければ、おそらく本当に認められなかったと思う。
「まぁそうだな。…それで、俺に何の用だ? さっきも言ったが、説明してやる気も手取り足取り育ててやる気もないぞ?」
「いえ、そんなつもりはないです。ただ副隊長に小隊メンバーと話しておいた方が良いとアドバイスを受けまして」
「は〜ん。…で?」
「え? あ、えっと、そうですね…どんな本を読んでるんですか?」
「あ? ああ、これ? ただの手帳だよ」
「手帳?」
「そう。お偉いさん方からの指示とか、その時イラっとしたから書いた愚痴とか不満とかそんなんが書いてあるだけだ」
「……」
この時私がまたこの人が隊長であることに不安を覚えたのは言うまでもないだろう。
「…そうですか。えっと…」
「無理に話すことを探す必要はない。…てか話すことがないなら放っといてくれ」
「…わかりました。失礼いたしました」
「あいよ」
私は隊長に"一応"一礼してから空いている席に座った。
…そういえば服はこのままで良いのだろうか?
そう思った時扉がノックされ、副隊長が戻ってきた。
手には新しい軍服があった。
「シルン・ヴェスタ。お前のだ」
副隊長はそう言って私にそれを手渡した。
やはり私の軍服だったらしい。
私は受け取りつつ礼を言って、そしてついでにと尋ねた。
「ウィルソン副隊長、更衣室はどこでしょうか?」
「ウィルソンで良い。それから、更衣室なんてもんはない。トイレに行くかここで着替えろ」
「え…」
副隊長はそう言って自分の席に座った。
私は結局トイレに行って着替えた。
そして私が小隊室に戻ると同時に小隊の出動が言い渡された。
「おい、シルン。ボサッとしてないでさっさと装備を整えろ。出撃だ」
「あ、は、はい」
隊長の声に返事をして私は皆を真似て支度を始めた。
その素早さは段違いに遅かったが。
…この時、なぜか軍に対する気持ち--ウォーレンとウィルのことや、使者に無理やり連れてこられたこと、それらに関する恨みや怒りなどは忘れてしまっていた。
ここに連れてこられた時と同様に、ジープに乗って戦地へ赴くことになった。
乗っているのは小隊メンバーだけである。
走り出してすぐ、副隊長が無線機を配り始めた。
全員に行き渡ったのを確認して、隊長に話しかけた。
すると隊長が運転をしながら話し始めた。
「良いか。シルン・ヴェスタへの説明も兼ねて確認するぞ。無線はそれ一つだ。替えはない。だから落とすな」
わざわざ私への説明も兼ねてと言わなくても良いのではないかと少し思った。
隊長は続けた。
「小隊室でも言ったが、作戦は俺が戦場で話す。俺の指示に従え。…絶対にだ」
絶対という部分に隊長の今までにないくらいの感情を見た。
何があっても、何をおいても俺の指示に従え。
そう言っているような気がした。
「俺の指示はBGMか何かだと思って聞いておけ。俺の指示ばっか聞いてて敵の動きを察知し損ねて死ぬなんて滑稽な死に方はするな。意識は常に敵の為に割け。だが俺の指示は聞き逃すな」
かなり無茶なことを言っているように思えたのだが、誰の口からも否という声は上がらなかった。
なので私も黙って指示を聞いた。
「俺はMETEを殺す為の指示を出す気はない。見つけたら殺す。それくらいで良い。俺が出す指示はお前たちを生き残らせる為のものだ。だから俺に従え」
私は軍としてそれで良いのだろうかと一瞬疑問に思ったし、本当に指示通りに動いたとして生き残れるのだろうかと不安に思った。
そして小隊のメンバーを見渡して、誰もその言葉を疑っていない様子であったことに驚き、信じてみようと思った。
2時間後、私たちはついに戦場へと乗り入れた。
銃撃音が聞こえるということは、すでに戦闘が始まっているのだろう。
「ここから先は一瞬でも気を抜けば死ぬ。だが気を張りすぎると保たん。辛くなったら逃げろ。それが最初の指示だ。…行け!」
隊長の合図に、私を除いた全員が飛び出し、それを見て私も慌てて外に出た。
そして目にした。
戦場を。
METEを。
最前線の光景を。
全身を棘に包まれたウデムシのような個体やサソリの尾のようなものを複数本持ったアリジゴクのような個体など、虫のような見た目の生物を相手に人間が必死に抵抗していた。
見える範囲にいるMETEの体長は1〜2メートルほど。
噂では10メートルほどの個体もいるという話であるし、ライオンやトラといった動物が混ざった所謂キメラのような見た目の個体もいるらしい。
私はその光景に足がすくんで動けなかった。
すると無線から声が聞こえた。
『シルン・ヴェスタ。1メートル後退して3時の方向を撃て』
隊長の声にハッとして、指示に従って銃撃した。
そこには一目で致命傷を負っているとわかる兵士がいた。
しかも他の兵士に向かって後ろから襲いかかろうとしていたようだ。
よく見ると、襲われそうになっていた兵士はジルだった。
私は致命傷を負っていた兵士に追い打ちをかけ、自分がとどめを刺してしまったのではないかと怖くなった。
人を殺したことが怖かった。
『…シルン。…ありがと』
無線を通じてジルがそう言った。
こちらを見ている様子はなかったので、私が撃つのを見ていたのではなく隊長の指示から私が撃ったと推測したのだろう。
それに少し心が軽くなったが、やはり人を撃ったという恐怖は消えなかった。
『…シルン・ヴェスタ。念のために言っておくが、お前が撃ったのは死んだ兵士をMETEが操っていたものだ。お前が人間を殺したわけじゃない』
隊長の声が聞こえた。
それを聞いて、私がその兵士の死体を見ると、蠢いて中からセミの幼虫のようなMETEが現れた。
私はそれを迷わず撃った。
弾が尽きるまで撃ち続けた。
『シルン・ヴェスタ。弾を無駄にするな! それ一発で何匹のMETEを殺せて、何人の人間が救えると思っている? それに、一発でも残しておかなければ、METEに追い込まれたときに苦しむのはお前だぞ。……とりあえずお前は引け』
隊長からの叱責を聞いて我に返った私は、その指示に従って戦線から離脱した。
離脱の道筋は隊長が指示してくれ、その通りに動いたおかげかMETEに遭遇することなく済んだ。
あれから今までの1ヶ月、私の所属する第三〇小隊は5度出撃し、4度目でジェイルが戦死し、新しくウェストという少年が入って来た。
4度目の出撃の後、ジェイルの死を小隊メンバーが悼んでいる中、隊長が例の手帳を開いていた。
ちょうど良い角度にいた私には中に何が書いてあるのか見えた。
何人かの顔写真と名前、そして日付が書かれていた。
…おそらく戦死者だろう。
そういえば私が来た日からジェイルが死んだあの日まで、手帳を開いているところを見たことがない。
ということは、つまり……。
これ以上は無粋な推察だろう。
私はこれからも戦場に向かっては隊長の指示に従うのだろう。
人類のために。
生き残るために。
最前線にて。