二章 五話
ルイーズが戻るまで暇を持て余したライアは部屋の中を見ていた。
天井も壁も床も白い石造りの無機質な部屋である。
南側のドアから見て左にベッドが一つ、右にクローゼットとハンガーラックが、右手前には暖炉があり真正面には姿見と、同時に三、四人が使えそうな大きな長机に木製の丸椅子が二つあった。
長机の上には様々な色を発して輝く液体入りのガラス管や土の入った壺、天秤、蒸留器、黄色い粉の入った乳鉢など、様々な道具が隙間なく置かれている。
ルイーズが制服を見せびらかしながら錬金術師研究科の制服であると言っていた事を思い出したが、ライアは錬金術そのものには詳しく無い為に何を研究しているか推測する事は出来無い。
「用意出来たぞ」
「わぁ、いい匂い。ありがとう」
ライアは美味しそうな匂いを嗅いで笑顔になった。
二段になったワゴンを引いて戻ってきたルイーズはそれを部屋の中央に配置すると、左右に椅子を並べて座った。そしてワゴンに置かれたままの皿にフォークを突き立てて食事を始める。
成人男性でも平均身長百二十センチメートルという小柄なドワーフ族に適したサイズである為に少々使い辛かったものの、ライアは文句を言うどころかこの突飛なやり方に楽しさすら感じた。
内容はハニートーストとカリカリに焼いたベーコンに目玉焼きが二つ、ブルーベリージャムの添えられたヨーグルトである。
ライアはレイナルドへの祈りを捧げた後、ハニートーストに齧り付くと笑顔になって次から次へとフォークを口に運ぶ。
「美味いか?」
ライアは口の前で両手の人差し指を交差させ、喋れない事をアピールした。
「ああ、オリヴィエ教徒か。食事中は私語禁止だったな」
ルイーズの言葉にライアは頷く。
ライアはがっ付いて食べているものの進みは遅く、同じ量にも関わらず体の小さいルイーズが先に食べ終わった。
「ふぅ、朝からこんなにしっかり食べたのは久しぶりだな」
ルイーズは言いながらワゴンの下の段から透明ガラスのポットを取ってカップに注いだ。
それを飲み終えた頃、ライアはやっと平らげ一息付いていた。
「美味かったか?」
「うん、とっても。この国もこういうメニューなのね」
「いや、これは……わたしの好みだ。王都の宿やカフェで出されるものはもっと油っ濃くて胃に溜まる物が主だな。しかも量が異常だ」
「そ、そうなんだ。助かるわ……」
ライアはどんなものが出てくるのだろうと考えたが、胃がもたれそうだったので止めた。
ルイーズが入れた紅茶をライアは笑顔で受け取る。
「ありがとう。ところでルーちゃんは何の研究をしているの?」
「一応生命工学を専攻していた。人の手で生き物を作り出す研究だったが、昨年一応の完成まで漕ぎ着けて暇をしている。今は前々から興味があった医療関係を齧っているところだ」
「へぇ……なんだか凄いね。それなら聞きたいのだけど、わたし最近、突然気持ち悪くなって吐いちゃう事があるの。これって何かの病気なのかな」
俯き加減で話すライアの持つカップにルイーズは紅茶を足した。
「夜ベッドに横になって、すぐに眠れているか?」
「背中が痛くなって寝返り打って、辛い思いしながらやっと眠れる事の方が多い……かな。昨日は疲れとお酒ですぐ眠っちゃったけど」
「突然とは、どんな時だ?」
「魔物と戦った後かな」
ルイーズはこめかみを握り拳でコツコツと叩きながら視線を上げて思案すると、自分のカップに紅茶を足して口を開いた。
「ふむ。断定は出来んが、強いストレスに晒されて脳が興奮……過敏反応をしている可能性はある。生活環境が変わった事とライセンス試験に向けたプレッシャーで、今後同じ様な症状が出るかもしれんからな。これからは食後に鎮静効果のある茶を付けてやろう」
「何から何までありがとう。食事代とか、ちゃんと払うから」
ルイーズは頭を下げたライアを目で追い、静止する様に手を開いて前に出した。
「大丈夫だ。わたしはあくまで一般階級出身だが、これでも研究内容を提供している組織からのリターンで懐は温かい。それより上流貴族であるお前の口に合うか心配だったのだが、どうやら問題無いようで安心したぞ」
ファミリーネームを聞いた時からライアが上流階級出身である事をルイーズは予想していた。珍しいフランクリンという名を持ち、レイピアと希少金属の髪飾りの所持している時点で確率は極めて高いと判断したからだ。
「お世辞抜きに美味しかったから大丈夫よ。ところでライセンス試験はいつ、どこで受ければいいの?」
「分野によってまちまちだが、専攻は何だ?」
「金属変成術士よ」
「ならばライセンス試験は明日あるぞ。ただし試験内容や対策については話せない。実力が正しく測れなくなるからな」
「なるほどね……」
ライアは最後の一口を飲み干してカップをワゴンに乗せると、ルイーズも飲み終わっているのを確認してカップを受け取ってから立ち上がった。
「洗い物ぐらいさせてよ。どこに行けばいいの?」
「すまない。部屋を出て突き当たりを右だ。それらの食器は寄宿舎の備品だから、終わったらシンクの上にある棚に入れておいてくれ」
「わかった、行ってくるわね」
部屋から出ると、廊下も室内と変わらず白一色であった。ライアの靴とワゴンの車輪が立てる音が響く。
実家は煉瓦造りであったものの絨毯や壁の絵画などのお陰か、ライアは物悲しさを感じた事は無かった。それに比べて廊下はひんやりと冷たい空気で満ちており不安を煽る。
等間隔に全く同じ形のドアが並んだ廊下を進み、突き当たりの窓まで来るとライアは外を見て足を止めた。
外はよく整備された土のグラウンドになっており、ライセンス試験不合格者が通うアカデミーの生徒達が汗を流していた。
体格のいい亜人種の青年やルイーズのように小さく可愛らしい少女、中には白髪混じりの男性の姿も見えるがその人物の頭にはハウンドのような耳が生えている。
ライアはしばらく訓練に励む人達を眺めていたが、エルフ族を見付ける事は出来ず残念そうな顔をしてその場を離れた。
共用の調理場には入って右側に崑崙が三つ、反対側にも同じ数のシンクが設けられていた。
正面の突き当たりには小窓と排気用の煙突があり、その下には大きな水瓶と金属のバケツが置かれている。
ライアはワゴンを引っ張り、一番奥のシンクに置かれていた洗い桶にレードル――長い取っ手が付いた水を掬う道具――を使って水瓶から中身を移すと、各シンクの上の壁にある物干しから古びた布を取って擦り洗いを始める。
落とし切れない脂分はバケツの水面をからレードルで掬った液体を掛けて洗った。
バケツの中には木灰が入っていて、その上澄みは灰中の水溶性成分が溶けた灰汁と呼ばれる水溶液になっているのだ。
灰汁は油汚れに効果的であると錬金術師組合が発見、公表した為に今ではディルジアで広く洗浄剤として利用されている。
ライアは洗い物をしながらこんな人々の生活を豊かにするような発見をした人は誰で、どんな生活をしてきた人なんだろうと考えていた。自分に同じ様な事が出来るとはとても思えないがせめて魔物退治という分野では役に立てるようになろうと心に誓い、綺麗になった食器を乾いた布で拭き終わると棚に並べる。
「ふぅ……」
洗い物が終わったライアが一息付くと突然、先程部屋を出た時に感じた不安を覚えた。
何だか無性にルイーズの顔が見たくなり、ライアは足早に調理場を出る。
二人の部屋へ早足で向かうと、廊下の角を曲がったところでルイーズと鉢合わせした。
「むっ、洗い物は終わってしまったのか?」
「あ、ルーちゃん……う、うん。ちゃんと綺麗にしたよ」
ライアは自分の気持ちが理解出来なかったが、ルイーズの顔を見てひどく安心している事だけは分かり自然と笑顔を見せた。
「そうか、流石に全部やらせるのは悪いと思って今頃腰を上げたのだが、少し遅かったようだな」
「大丈夫よ。花嫁修業としていろいろ手伝っていたから、洗い物は慣れてるもの。それに料理を作ってくれたのはルーちゃんなんだから、これでお互い様でしょ?」
後ろ暗そうに視線を落としたルイーズに対してライアは嘘を付いた。
ルイーズは年齢など気にせず、遠慮しないで接するように言ってくれた。ライアも出身階級の違いを気にしないで接して欲しいと思ったからだ。
「そうか、気遣い感謝する。ライア、私達はこれから仲良くやっていけそうだな」
そう言って今まであまり表情を変えなかったルイーズがにっこりと笑って見せた。
「うん、改めてよろしくね」
ライアも笑顔を返し、一緒に部屋へ向かって歩き出した。
「ところで教会って、この近くにあるかしら?」
道中、ライアはルイーズに聞いた。
「ああ、ヘルメス正教の聖堂ならあるぞ。多神教だからオリヴィエ教徒も迎え入れてくれる。レイナルド様も信仰対象に入っているから、そこで祈ってもちゃんと届く筈だ。案内しようか?」
「ううん、大丈夫。無事にバリエントグラムに来れた事を報告してお礼を言いたいだけだし、懺悔もしておきたいから」
「わかった、では地図を書いてやろう」
ルイーズは部屋のドアを開けてライアを先に招き入れてから閉めると、地図を書く為の道具を用意し始めた。