二章 三話
「え、えっと……なら、三枚でどうでしょうか?」
ライアが引き攣った笑顔で申し出ると、左右に居た二人が躙り寄って来た。
「ぜ、全額差し上げます。だから離して下さい、お願いします」
恐怖に負けないよう必死に自分を律しながらライアは体重を後に掛け、手を引き抜こうとした。
白髭の男は腰を上げると、掴んでいた手を引いてライアを立ち上がらせた。
左右に座っていた二人も立ち上がり、ライアを囲む。
「嬢ちゃん、奴隷商って知ってるよな。恨むなら自分の運命を恨んでくれよ」
バンダナの男に左の耳元で囁かれると、ライアの耳はピクリと動いた後に下を向いた。
「や、止めてください……」
ライアが震える唇を必死に動かして言うと、傷のある男が腰から抜いたダガーをチラ付かせた。
「ひッ!?」
こんなに密着していてはレイピアは使い物にならない。しかし抜かなければ好き勝手されるだけだ。ライアは隙と時間を作る為、あわよくば改心して欲しいと思って言った。
「あ、あなた達は窃盗をして国を追われたのですよね? この国で仕事を見付けて普通の生活を送りたくは無いのですか?」
ヒルダは冷血な人間だと思っていたが、実は不器用なだけで優しい母親だった。
きっと彼等にも優しさがあって、だからこそ辛い思いをして、優しいが故に悩んで、苦しんで生きてきたはずだ。切っ掛けがあれば、前に進める筈だとライアは信じていた。
「故郷で当たり前の日常を送るのも確かに一つの幸せかもしれんがね、今はこの仕事が楽しくて仕方無いんだ。だから心変わりはしねぇ、諦めな」
傷のある男はライアの顔にダガーを近付けた。
動けば危害を加えるという意思表示だとライアは思い、開いたままの口を閉じる事も出来ずに固まったが、先日日記に書いた『生きる為には迷わない事』という一文を頭の中で復唱しながら冷静さを保とうとする。
「エルフ族の女は高く売れる。それこそ三人が一年は遊んで暮らせる程にな。それにクライアントへ渡す前の品定め《・ ・ ・》が最高に楽しいんだぜ? やめられっこねぇよ」
白髭の男は掴んでいた手を引いて背後の壁に押し付けると、左手一本で細い両腕をしっかりと固定し、開いた右手をライアの顎に添えて顔を上げさせた。
中腰の姿勢で男達から見下されているライアは、両手の痛みに歯を食い縛って耐える。
「……ほう、上玉じゃねぇか。目付きが悪いのが玉に瑕だが、反抗的なガキを痛め付けるのが好きなヤツには堪らねぇって感じだな」
「バーカ、反抗してねぇじゃねぇか。嫌そうな顔をしながらも従順に奉仕する様が優越感を満たすんだよ。俺の目に狂いはねぇ」
「ああ、そう言えば前回の小娘もそういうタイプだったな。一週間足らずでぶっ壊れちまったって言うし、耐久性が悪いのも商品として最高だな。供給過多になる事がねぇ」
ライアは男達の会話を聞きながら本当に救いようが無いのかを判断するつもりだったが、もう答えは出ていた。
人を人と思わない男達に苛立ちを覚えずにはいられなかったからだ。
「確かにエルフ族は変にプライドが高い癖に、世間知らずが多くて躾けるのも楽だしな」
犠牲者の話を聞いてライアは覚悟を決めた。
その少女は神と運命と、生まれてきた事を呪っただろう。
それは雑役女中であった自分の苦悩とは比べ物にならない、絶望的な人生だった筈だ。
ライアはそう思うと怒りが抑えられなくなり、ヘラヘラと笑っている男達を睨み付けた。
「嬢ちゃんがここに来なきゃ俺達は間違い無く死んでた。感謝してるんだよ。だから手荒な真似はさせないでくれないか」
傷のある男は低い声で言い、ダガーの刃をライアの首に当てた。ほんの少しでも力を込めれば皮膚が裂け、血が流れるだろう。
こいつらは人では無い。魔物よりも生きる価値の無い存在だ。ライアはそう断定して口を開いた。
「この、下郎が!」
ライアは男の持つダガーに金属変成術を行使した。その峰から直径五ミリ程の無数の針が伸び、持ち主の手首に刺さると反対側まで抜けた。
「なっ!? ぎゃあ!」
傷のある男は動揺しながら手を抑えて蹲った。
バンダナの男はダガーを抜き、動向を見守る。
ライアは仲間の叫びに気を取られた白髭の男を蹴ると、男は手を放して距離を開けた。
拘束から解放されたライアは右手でレイピアを抜いて目の前に居る男の心臓を突く。白髭の男は自分の胸を見下ろした格好のまま後ろに倒れた。
「戦乙女よ、我と契を交わせ」
ライアの手から銀色の光が発せられた。
それを見たバンダナの男はハッとして後ろに跳んだ。
「クソッ、魔女かよ! 聞いてねぇ!」
顔の前に手を翳し、目が眩まないようにしながらバンダナの男は言った。その腰は引けており、隙あらば逃げ出そうとしている。
「鋼の契約、メイス!」
レイピアが瞬く間に戦棍に変わる。出っ張りのある鉄片を放射状に繋ぎ合わせた打撃用の武器で、ライアはそれを傷のある男に向かって振り被った。
「やめッ!」
メイスから頭を守ろうと上げた男の手をライアが横薙ぎに打ち払うと、骨の砕ける音と共にあらぬ方向に曲がった。
それに構わずライアは両手で握り込んだメイスを頭部にぶち込む。
そして肩で荒く息をしながら、血に塗れたメイスをバンダナの男に向けた。
楽しそうに口の端を上げ、淀んだ瞳のライアを見た男は震える足に鞭を打って背を向け、倒れそうになりながらも走り出す。
ライアもそれを追って洞穴の外に出た。
「ディータ!」
近くの藪に居たディータは名を呼ばれると、急いでライアの下へ駆け寄った。
ライアはディータに跨ってバンダナの男の匂いを辿り、方向を指示する。
走り出してすぐに男の背中は見え、瞬く間に距離は詰まる。逃げ切れない事が分かったバンダナの男は涙を流しながら地面に額を叩き付けた。
ディータから降りたライアは相手の手が届かない距離で止まり、いつダガーを投げ付けられてもいいように意識を集中する。
「いい命だけはぁ、弱みを握られて仕方無くやった! ほんとだ!」
「なら、自分の運命を恨んで下さい」
ライアは問答無用と、バンダナの男の後頭部にメイスを叩き込んだ。
ピクリとも動かなくなった男を見下ろしながら、ライアはメイスを元の形に戻し、腰に吊るした。
三本のダガーしか持たないにも関わらず魔物の多いこの森で生き永らえていた事実を考慮すると彼等は対魔物戦に関する知識が豊富であるか、優れた連携能力を持っている手練れであった事が伺えた。
しかしこうも簡単に細腕のライアに敗れたのは体力的に回復仕切っていなかった事に加え、レイピアの使えない距離まで引き込んだ時点で慢心したのだろうとライアは推測する。
逆に言えば改心していれば近隣の村で自警団の仕事が貰えた可能性は高かった筈で、それだけが悔やまれた。
「戦女神よ。お力添え、感謝致します」
脅威は去ったと確信して契約を解くとライアは急に目眩と吐き気に襲われ、死体の上に嘔吐した。
体に変調をきたした理由はいくつかある。
魔物と戦闘した際に過呼吸が祟って吐いた事があったし、人の死体を見てしまった事、そして契約と詠唱を省略して金属変成術を使った事も原因だろう。
愚者にも手を差し伸べなさいというオリヴィエ教の教えに反し、怒りと恐怖に任せて解決しようとしたせいで罰が当たったのだとライアは思った。
ライアは今頃になって事の重大さに気付いた。人を、殺してしまったのだと。
だがツェーザルが教えてくれた騎士道は、君主や貴婦人、ひいては世界中の迷える子羊を救う剣の道。人生を狂わされた被害者の為、そして身を守る為に武を行使したのだ。これは正義の鉄槌であるとライアは考えていた。
しかし頭が潰れた人の死骸を見たのは当然初めてで脳が興奮している事もあり、確固たる信念を持てているかは当のライアでさえ判らない。
ライアがレイナルドに心の中で懺悔しつつ死体から目を背けて少し離れた木の根元に腰を下ろすと、後を付いて来たディータが隣に座って心配そうに顔を覗き込んだ。
ディータの口には木の実のカスが付いており、先程藪で拾い食いをしていた事が分かったライアはそれを取りながら弱々しく笑った。
「ごめんね、ディータ。私は大丈夫だから、魔物が来たら教えてくれる? あと、拾い食いは程々にね」
「ワフ!」
ディータはライアの謝罪の意味は理解出来なかったが、魔物という単語から推測して周囲の警戒を始めた。
ライアは申し訳無さそうにその背中を見送って目を閉じた。