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二章 正義とは都合の良い言葉でなければならない 一話

 日が昇り始めたばかりの涼しい時間帯に、ライアは旅支度を済ませていた。

 相変わらず寝起きは悪かったものの、テオドールの指示の下、使用人達が全て整えておいてくれた為に着替え以外の事はしていない。

 服装は上が白い布、下が革で補強されているワンピースだ。青いコルセットを上から付けており、その内側は薄い金属板をつなぎ合わせた耐刃防護仕様。胸元に結ばれた赤いスカーフがチャームポイントだ。

 これらはヒルダが若い頃よそ行きに着ていたもので、足元は黒いハイソックスに茶色のブーツを履いていた。動き易さを重視し、暴漢や魔物モンスターの対策が盛り込まれているものの、しっかりとライアの可愛らしさを引き立てている。

 バッグには堅パンと紅茶の瓶に水袋、ヒルダのお下がりの着替えが三日分、防寒用のケープとブランケット、手鏡とブラシに見覚えの無い分厚い本とライアの日記帳が入っていた。

 目的地のバリエントグラム王国は、気温で言えば大差無いものの、ロレンティスと比べると湿度は低く体感温度はかなり違う。それを考慮してテオドールが防寒着を入れたのだ。

 組合ユニオンという組織はその仕事に携わる者を専門的に養成、支援する目的で設立されたものである。ライセンス試験を受けて実力が十分で無かった場合はアカデミーに移り、不足している部分を学ぶ事も出来る。そんな性質上、遠くから足を運ぶ者の為に寝泊まりする事が出来る施設が用意されていた。

 外国へ行くというにも関わらず、ライアが軽装なのはこの為だ。

 ライアは身嗜みを確認すると玄関先まで行き、ドアノッカーを鳴らした。すると重々しい音を立てて扉がゆっくりと開かれる。

 そこから差し込む日光を感慨深い思いで見ていたライアは、門を開けてくれたフォルクハルトとアウリッシュの他にテオドールとツェーザル、それにもう一匹のハウンドを見て微笑んだ。

「おはようございます、ライア様」

 フォルクハルトは爽やかな笑顔で言った。

「ごきげんよう、フォルクハルト様。短い間でしたが、大変お世話になりました。毎朝私なんかを様付けで呼んで下さって、そのおかげで自分がフランクリン家の者であるという事を再認識して、仕事に打ち込めました。感謝しています」

 たどたどしいながらも、ライアは思った事をそのまま口に出した。

 彼は雇われ守衛の立場であり、雇い主のフランクリン家の者に限らずそこに仕えている使用人にも必ず〝様〟を付けて接していた。

 辛い思いをしつつも、前向きに考えられるようになったのは彼のおかげだとライアは思っていた。

「これはこれは。わたくしにはもったいないお言葉です」

 フォルクハルトが礼をすると、隣に座るアウリッシュもそれに倣う。

「申し遅れましたが、本日ライア様をお送り致しますのはこちら、ディータ号となります。ハウンド騎兵隊レイター所属、階級は騎士リッターです。以後お見知り置きを」

 呼ばれた雄のハウンドは首に十字架を下げており、引き締まった体付きから良く訓練されている事が分かった。

 全身が艶のある黒毛に覆われているが、四本の足先だけが灰色で靴下を履いているかのように見える。

「よろしくね、ディータ」

 ライアがディータとの挨拶と握手を交わし終わると、フォルクハルトが話し始めた。

「道順はここより北のエルムの森を超え、更に行ったウォルナットの森にあるエメローンという集落まで行って、そこから王国国営のハウンドキャリッジに乗り換えて頂きます。ディータ号は先月の輸送任務で何度も往復した経験がありますので、ご安心下さいませ」

「わかりました」

 ライアが答えると、フォルクハルトは続けてハウンドへの指示の出し方を説明した。

 手綱を使った速度の変更、周囲警戒の指示、その場で待たせる方法など、想定しうる多彩な状況に即した内容であったが、ライアは使用人の仕事に携わる前にツェーザルからハウンドの乗り方を教わっていた事があり、大半は復習であった。

 説明が終わったフォルクハルトはディータの体にハーネスを着せ、くらを取り付ける作業に入る。

 ライアはその様子を見ながらツェーザルに贈る言葉を考えていたが、気の利いた事は思い付かなかった。

「ライア……」

 弱々しく呼ばれて振り返ると、ツェーザルは顔が見えない程深くうつむいていた。

「お、お父様!」

 ライアは心の準備は出来ていなかったが、肩を震わせるツェーザルに思わず声を掛けた。

「急な話でしたが、今回の件は、神のお導きだと思っています。だから、あまり気を……」

 フォルクハルトの時のようにはいかず、言葉に詰まってしまった。ツェーザルの胸に飛び込んで、精一杯腕を伸ばして抱き締める。そしてゆっくりと視線を上げた。

「むぷぷっ」

 するとツェーザルは素っ頓狂な声を出し、ライアは目を丸くした。

「はっはっはっはっ! とうとう娘の門出の時が来たか、そうかそうか!」

 ツェーザルは大笑いしながらライアの背中をバンバンとたたいた。

「痛ッ、痛いってば!」

「だ、旦那様?」

 悲しみのあまり頭のネジが外れてしまったのだろうかと、長年一緒に居るテオドールが感じる程に大爆笑している。

「よし、秘蔵の装備をいくらでも持っていけ! サーブル、ロングソード、バトルアックス、メイスに……ああそうだ。母さんの愛用しているステッキもあるぞ」

 ライアは笑顔の父を見上げながら、あえて心の底から嫌そうな顔をして見せた。

 もともと剣術一筋の剣聖であるツェーザルが使い手として、他の武器を研究し始めたのはライアに金属変成術の才能を見出した頃からだった。当然基礎から学び直しており、その並々ならぬ努力と根性は、もはや愛するが故としか言いようが無い。感謝してもし足りない事はライアも分かっているのだが、それを素直に伝える事はどうしても出来なかった。

「んー、レイピアだけで大丈夫よ。道中は安全なはずだもの」

 ハウンドは嗅覚がするどく魔物を避けながら進む事ができ、万が一捕捉されても十分に余裕を持って逃げ切る足を持っている。また、自分がどの方角にどの程度進んだかも覚えている為、追い回されて横道に逸れてしまっても迷う事はも無い。護衛も無しに一人で行かせられるのはこの為である。

「まぁ……そうだな。よし、取ってこよう。あ、あとこれ。母さんからな」

 ツェーザルはライアに現金五〇〇ガーナの入ったポーチと青銀色のバレッタを押し付けると、屋敷の中に飛び込んで行った。

 ガーナ通貨は百ガーナ金貨、十ガーナ銀貨、一ガーナ真鍮貨しんちゅうかの三種類があり、これらに設定されている金額は貨幣に使われている金属の価値と同じ、という実物貨幣である。

 金属の価値が一定ではないという難点こそあれ、ディルジア大陸にある全ての国で利用可能な唯一の共通通貨であるという利点は非常に大きい。

 ライアはベルトの右後ろにポーチを括り付けた。

 一緒に受け取ったバレッタは、弧を描いた長方形の一枚板が付けられただけのシンプルな作りであった。材質はバナジウムと呼ばれる硬質なレアメタルだが鏡面加工が施されているという点以外に華々しさは無い。いずれにせよ、幼少期に髪を結ってもらった事こそあるものの、ただ無作為に伸ばしている今のライアにとっては無用の長物である。

 それをライアがのぞき込むと、横に潰れた自分の顔が映し出され思わず苦笑した。

 テオドールは「よろしいですか?」と一言入れてバレッタを受け取った。ライアの後ろに回り、内ポケットからくしを取り出して髪を軽く整えてから首の後ろあたりにそれを着けた。

 孫の髪を結んだ経験はあるが、ライアの長く綺麗きれいな髪をあえて束ねなかったのは、彼なりのセンスの現れである。その甲斐かいあってか、金色の髪に銀のアクセントが良く映えて見えた。

「お似合いですよお嬢様」

「そ、そうかな……えへへ」

 着飾ろうと思った事はこの六年間一度も無かったライアだが、テオドールに言われて照れくさそうに微笑んだ。

「それと……お嬢様の日記と旦那様からの贈り物はバッグに入れておきました。少々重いかもしれませんが、大切にして下さいませ」

 贈り物とはツェーザルが直筆した本の事で、中身は騎士道精神や剣術のいろはについての内容が多いが、道に迷った時に方角を知る方法や大きな町での情報収集のやり方など、ツェーザル自身が書いた実用書であった。

「お話中失礼致します。よろしいでしょうか?」

 ディータに鞍を装着し終えたフォルクハルトが、テオドールと話しているライアに断りを入れて注意を促した。手には騎乗用のベルトを持っている。

「あっ、お世話になります」

 ベルトを受け取ってライアは自分の腰に回し、フォルクハルトの手を借りて三つもある固いバックルを留めていった。

「これはハウンド用の食事になります。時々食べさせやって下さい」

「お水と一緒にあげればいいのですよね。わかりました」

 ライアは鞍に渡された袋を吊るした後ディータにまたがった。

 鞍から伸びる丈夫に編まれた革紐かわひもを手に取って、先端の金具とベルトを繋ぐ。これは低速時に起きる左右に大きな揺れで、ずり落ちるのを防止する為の器具である。

 ディータに乗るライアには使用人として働く娘ではなく、ツェーザルと剣を交えている時の凛々《りり》しさが見て取れた。

「テオドールさん、先程の件ですが、わかりました。ずっと大事にします」

 返事をすると、テオドールはにこりと笑ってから言った。

「しかし、大きくなられましたね。旦那様からライアお嬢様が、しゅのお告げを授かったというお話を聞きました。大変誇らしげに語っておいででしたが、私はいささか心配しておりました。しかしそれが思い過ごしだった事は今のお嬢様を見ればよく解ります。フランクリン家とアルバート家の血を継いだ者として、誇りを忘れず生きて下さいませ。じいはもういい歳ですし、次に会う事はかなわないかもしれません」

 その場でひざまき、右手を差し出す。

「なので、ご無礼をお許し頂きたいのですが」

 ライアはリディがライセンスを取りに行った事は幼かった為に覚えていないが、レオナが十八歳の時に王都へ出掛け、戻った二年後の事であったと記憶している。

 テオドールはそろそろ百歳を迎え、エルフ族の平均寿命に届く。数年後、もしかしたらそういう事もあるかもしれない。

 お礼も言えずに会えなくなるのは嫌だ。そう思ったライアは「そんな事言わないで」と言おうとして開けた口をつぐんで、テオドールの手に自分の右手を重ねた。

 テオドールはライアの手の甲に口付けをして自らの額に当てた後、ゆっくりと立ち上がる。

「良い思い出をありがとうございます。フランクリン家に仕えられ、爺は大変、うれしゅう御座います」

「いつも、私達の為にありがとう。これからも家族を、よろしくお願いします」

「かしこまりました」

 テオドールが笑みを深くして礼をすると、その静かな空気を吹き飛ばすようにツェーザルが両手に剣を抱えて帰って来た。

 ライアが稽古の時にずっと使っていたレイピアは、耐食性の高い超硬質クロム鋼でめっきされていてびないのが特徴だ。また、白銀色に輝くクロム鋼は魔を断つ事が出来ると信じられており、聖十字騎士団アイリヒクロイツリッターオルデンに制式採用されている程、信頼性の高い逸品となっている。

 それを受け取ったライアはツェーザルの前で構えて見せた。

「ふむ、様になっているじゃないか」

 ツェーザルは満足気に何度もうなずいて娘の勇姿を見ていたが、えも言われぬ不安に襲われて眉間にしわを寄せた。

「ライア。啓示があったからと言って、何にでも立ち向かわなくていいんだぞ。辛かったら、帰って来てもいいんだからな」

「父さんこそ、寂しくなったって飛んでこないでね」

 柄になく神妙な面持ちで話すツェーザルに、ライアはいたずらな笑みを返した。

「ははは! それでこそ私の娘だ!」

 互いに人の目を気にせず盛大に笑うと、テオドールもフォルクハルトも釣られて一緒に笑った。

「ま、今生の別れという訳ではないのだから。そろそろ行きますね」

 ライアはレイピアをベルトにるし、手綱を握った。

「ああ、気を付けて」

 ツェーザルは手を振って言った。名残惜しそうではあるが、湿っぽいのは苦手なのだ。

「道中お気をつけて、行ってらっしゃいませ」

 テオドールは礼をして送り出す。

「ライア様に神のご加護がありますよう、お祈り致します」

 フォルクハルトとアウリッシュは敬礼をした。

「行ってきます」

 ライアも皆に手を振ってから、ディータに指示を出した。そして一度畑に寄り、ホルストに挨拶をしてから出発して行った。

 見送りをした三人が屋敷に戻ろうとした時、タイミングを伺っていたかのようにヒルダが玄関から出てきた。

「行きましたか」

「ああ。次会えるのは何年後になるかな」

 ツェーザルが少し寂しげに言うと、ライアが去った方に向かってヒルダは胸の前で十字を切った。

 しばらくしてレオナとリディも表に現れた。

「お母様、私も行く事に決めました」

「どういう事だ?」

 ツェーザルは首を傾げて言った。

「先日エルムの森に救援に行きましたよね。レオナの働きが評価され、聖十字騎士団に招きたいという誘いがありました」

「その件で相談を受けて、あたしはいいんじゃないかって答えたわ。レオナならきっと立派にやっていけると思ったから」

 ヒルダが答えると、リディも事情を説明した。

「決心がつきましたか。では迎えを呼ぶ事にします。テオドール、準備をお願いしても?」

「かしこまりました」

 小走りで屋敷の中へ入っていくテオドールを見送りながらツェーザルとリディは顔を見合わせた。

 本人達の気持ちと将来を考えるならば、個人のわがままで止める事は出来ない。

「それでは、哨戒しょうかいに行って参ります」

 フォルクハルトはアウリッシュに乗って森の中へ入っていった。それを見送ってからヒルダは上を見上げる。

「ハドレー、いらっしゃい」

 カーと一声鳴いてハドレーが舞い降りて来る。

「レザーヌ枢機卿カルディナールへ伝令。迎えを寄越すようにと」

 指示を受領した事を示すように再び鳴いてからハドレーは森の上空へ舞い上がった。そしてあっという間に視界から消える。

「支度をしに行きますよ」

 レオナはヒルダに付き添われて中へ入って行った。

「やれやれ、寂しくなるな」

「まぁ、ライアの事だからすぐ帰ってくるでしょ。レオナも夢が叶ったんだから、喜んであげなくちゃ」

 残された二人は今後の寂しい生活を想像しつつも、二人の成長を祈った。

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