一章 十一話
レオナからインクを分けて貰ったライアは、お茶をご馳走になった後に自室へ戻った。
書き掛けの日記には、先日の魔物との戦闘中に感じた事や心境の変化などを思い出しながら『生きる為には迷わない事』と加え、レイナルドに言われた事と目覚めてから四人で話した事を思い出して『夢』『ラングリュード』の二語も足した。
水汲みに出掛ける前の自分の様に、助けを求める事が出来なくて困っている人が居るならば救ってあげたいとライアは考えていた。その為にはまず、敵と相対した時に迷わない事が必要で、その戦いに生き残る意志を強く持つ必要性を感じた。
何年掛かるか予想が付き辛い理想の庭園像を形にするという庭仕事を経験してきたライアにとって、目標は高く遠い方がやり甲斐があるという感覚があり、おとぎ話に出てくるラングリュードの様に、強く立派な金属変成術士になりたいという夢を明確に持つ事にした。
夢を叶える為に苦難を乗り越えようという単純な考えではあるものの、ライアは満足して「よし」と大きく頷いて日記を閉じた。
そして先日レオナに借りた本を手に取り、ページを捲った。
内容はロレンティスに伝わる創世記である。
序盤にはディルジア大陸は創造、維持、破壊の三神が創ったという事、ディルジアには精霊達が暮らしている事、人類は神を模して創られた存在であるという事などが書かれていた。
中盤はレイナルドがいかに偉大な人物であったか、についてだ。
レイナルドは大戦期に人道支援活動に従事し続けた功績から神に認められ、死後に新たな神として迎え入れられた。
レイナルドに仕えていたラングリュードもまた、彼女の活動を全面的に支援した事から神に認められ、オリヴィエ教における副神として祀られている。
主神と副神の複数の神を認めているオリヴィエ教は、信仰に関わらず他者が信じる神を否定してはならない。
そしてレイナルドは今もなお、魔物の脅威から人々を救おうとしているのである、と書かれていた。
ライアは難しい顔をしながら読み進め、自分を信じて突き進んだ結果として人々に支持されたのだろうと考察した。
こういった立派な人間になりたいと感じたが、かと言って人を導く程の力が自分にあるとライアには到底思えなかった。
そこでラングリュードのように、誰かを支えられるようになりたいという憧れが更に強くなった。
コン、コン、コン、コン。
来客の知らせだ。
四回の音は初めて訪れる時、もしくはあまり親しくない間柄やビジネス相手にかしこまって使うものだ。
読書に夢中になっていたライアは焦って本を閉じ、ベッドから降りてドアを開けた。
「お母様……」
「入っても、宜しいかしら」
「はっ、はい。どうぞ」
ライアは少したじろいでから、ヒルダに道を譲った。
ヒルダは部屋に足を踏み入れるなり中をぐるりと見回し、二人が掛けられる椅子が無かった為にベッドへ腰を下ろした。
振り返ったライアが入口から見たヒルダの表情は、窓から差し込む夕焼けで逆光になっており見る事は出来ない。
「ライアさん。大事な話があります」
それを聞いてライアは一瞬固まった。
しかしヒルダが座れとでも言うように自身の横をトントンと叩いてるのが見え、特に拒否する理由も見当たらなかったのでそれに従った。
「な、何でしょうか」
ライアは漂う濃厚な酒気を嗅いで眉を顰めたが、ヒルダに正面から目を合わされて意識的に引き締まった表情を作った。
「フランクリン家は法道の名門。よって、法術の使えない貴女がここに居る意味はありませんし、意義も見い出せませんでした」
名門、法術、意味、意義。
その言葉を聞くライアの瞳孔が開かれていく様をヒルダはしっかりと見ている。
ヒルダは一瞬視線を逸らし、ライアの手を両手で包み込むように握った。
ライアは先日よりもヒルダの手を熱く感じた。それと同時に微かに震えている事に気付きハッとして眉を上げる。
「ロレンティスは防壁も無く、森も深く、いつどこで魔物に襲われるか解らない危険な土地です。故に、戦える者は多い方がいいのです。貴女の職務は今後、使用人としてではなく、金属変成術士としての内容に変更するつもりです」
ヒルダの手に徐々に力が入っていくのが解り、ライアは優しく握り返した。
「従って、一人前の使い手である事を自覚、証明する必要があります。バリエントグラム王国へ行き、ライセンスを習得していらっしゃい。それが出来たならば当家が高待遇で雇いましょう」
貴族社会において、家を継げない次男や次女が実家に雇われるというのはよくある事だ 。現にレオナは、夢を叶える為の修行を兼ねてフランクリン家に雇用されている。
ヒルダの口振りは普段と差して変わらないが、どことなく言葉を選んでいるようにライアには感じられた。
「もし他にやりたい事があるなら聞きます。遠慮無く言いなさい」
ヒルダの問いの答えをライアはじっくり時間を使って考えた。
ライセンスを取得すれば自分に自信を持つ事が出来るはずだ。まさに今日、日記に書いた夢に近付く第一歩のように思えた。
他にやりたい事もすぐに思い付かなかった為、ライアはヒルダの目を見て口を開いた。
「わかりました。ライセンスを取りに行きます」
「……そう。では、この免罪符を。餞別という訳ではありません。実はツェーザルと互角に打ち合ったと聞いて、渡そうとは思っていたのですよ」
「あ、ありがとうございます」
ライアは夢にまで見た免罪符を手にしたが、本当ならばツェーザルに勝利した証として受け取りたかったので素直に喜ぶ事は出来なかった。
「向かうのは王都にある錬金術師組合です。移動手段や持ち物に関してはテオドールを訪ねなさい。それと、旅立ちはいつでも構いません。十分に準備をして、くれぐれも気を付けて」
ヒルダは早口で要件だけ伝えると、ライアの返事を聞かずに早足に部屋から出ていった。
ゆっくりと足音が遠ざかる足音を聞きながら、ライアはヒルダの事を考えていた。
まず、先程の話は法術が使えない事を責められた訳では無かった。それにやりたい事があれば言いなさい、と自分の気持ちも尊重してくれた。普段はフランクリン家当主として毅然とした態度を取るヒルダだが、実は思っていた以上に優しい母であった事に気付いた。
そして以前、ツェーザルが言った「我が子の事を一番考えているのは間違いなく母さんだ」という言葉は、やはり本当だったのだと解った。
ライアは考え事をしている内に、今まで自分がいかに狭い視野で物事を見ていたのかを実感した。
両親は家族の幸せを願って行動し、レオナはそれと同時に自分の夢も追っている。
当たり前の話ではあるが、人はそれぞれの立場で考えを持って行動しているという事をライアは再認識した。
そして思考を巡らせているうちに、じっとしていられなくなったライアはペンを取って机に向かった。
旅立ちに向けて何が必要になるかを考え、書き出していく。
『食料』『水袋』『お金』『剣』『ランタン』『服』ここまではすぐに思い浮かんだ。
しかし実際に旅をした事が無い以上、想像の域を出ない。
そろそろ皆、自室に戻っている時間になっていた。
こういった時に頼れる人の心当たりは少ない。少ないが故に、迷わずその人の部屋へ向かった。
テオドールの所である。
コン、コン、コン。
ノックをすると間もなくドアが開けられた。
「おや、ライアお嬢様でしたか。何かお困り事でしょうか?」
「爺や。お休みのところ、ごめんなさい。旅をするのに必要な道具を調達したいのだけれど……」
テオドールはライアが王都にライセンスを取りに行くかもしれないと、既にヒルダから聞いていた為、特に驚く事は無かった。
「じいや、ですか。懐かしい響きですな」
ライアの真剣な眼差しを見て、テオドールは優しい笑顔を浮かべる。
「今のお嬢様には何かを成そうとする決意を感じられます。使用人としての仕事をしていた時とは打って変わって、とても笑顔がお美しいですね。この爺に出来る事ならなんなりとお申し付け下さいませ」
テオドールは夢に向かってひたむきに働いた若かりし頃を思い出しながら言った。
「ありがとう」
ライアは背伸びをしてテオドールの頬に口付けすると、日記帳を見せた。
「旅の支度ですな。目的地は王国でしたか?」
「ええ、錬金術師組合に行きたいの」
「そうですかそうですか。となれば足が必要になります。ハウンドの手配はお任せ下さい。その他の準備も、ご希望とあらば今すぐにでもご用意致します」
「えっと……申し訳ないのですが、出来れば明日すぐにでも出立したいの」
「仰せのままに。それでは行って参りますので、先にお休みになっていて下さいませ。用意が出来次第、お部屋の前にお持ち致します」
「いつもありがとう」
テオドールは笑顔を返して、ツェーザルから預かっているチップを数枚持って部屋を出ていった。
彼に任せれば小一時間で用意が出来る事だろう。
逸る気持ちを抑え、ライアは部屋に戻った。
いよいよ一人立ちに向けた、旅の始まりである。
一章は序章を含め、旅立ちまでの物語となっています。
誤字に脱字に衍字、読み返す度に修正はしていますがまだあるとは思います。
また、文章作法的におかしなところもあると思いますが、ここまで読んで下さった方、本当にありがとう御座います。
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