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一章 十話

  ディルジア歴一七三年五月一二日


 二日後。

 ライアが目を覚ましたのは夕方の事だ。

 久々に仕事を忘れて惰眠。いや、静養していた為、ライアの生活リズムはすっかり昼夜逆転していた。

 夕飯の時間が過ぎ、レオナが訪れた時にもライアは眠っていたので、丸一日何も食べていない。

 大広間では今、夜間勤務の守衛達が食事をしている。その大半は騎士見習いであり、ライアは顔を合わせた事の無い者が多い。

 目覚めてからぐーぐーと鳴り止まないお腹をさすっているライアも、さすがに見ず知らずの男性に柔肌をさらすのは気が引けた。というのもライアは今、レオナのお下がりであるサイズの合っていない肌着姿だからだ。

 ライアは寝巻きと使用人の制服を交互に着る生活が続いて居た為に、ツェーザルが稽古用に用意したブラウスとズボンの他には私服を持っていない。

 昨日それを着て過ごしてしまった為に今日着る服に困っていたところ、レオナが古着をいくつかくれたのだが、どれもサイズが合わなかった。

 その為仕方なく、丈も長過ぎれば胸元もスカスカという白いワンピースで我慢していた。

 エルフ族は一次と二次の、短期間で大きく体型が変わる程の成長期を迎える。レオナもリディも二次成長期を終えており、既に女性らしい体の線をしていた。

 対してライアはヒューマン族の少女、概ね十五歳頃の体型に近い。ハーフエルフである事から二次成長期が訪れる保証も無く、いつ姉のお下がりが着られるかは全く予想がつかないのが現状だ。

 ツェーザル、リディ、レオナ。誰に頼んでも新しい私服を買って貰う事は出来たが、ライアはそれだけはしたくなかった。小さな幸せでも自分の腕で勝ち取れるようになりたい、そう考えていたからだ。

 ライアは空腹を紛らわす為、久々に日記を着ける事にした。キャビネットから分厚く立派な日記帳を取り出してページをめくる。

 生まれ来る子供達へ日記帳を贈る風習がディルジアに根付いたのは、魔物が現れた事に起因して各国が停戦協定を締結した頃だ。

 大戦が終わった頃、ある者は先に逝った仲間達へ手紙を書くようにペンを取った。またある者は人と人とが争わないでいられる新世界を記録に残そうと日記帳を作った。とある教会では子供達に読み書きを覚えさせようと筆記用具を配った。

 そして現在のディルジアにおいて、日記を付けるという事は魔物が蔓延はびこるこの世界で人々が生きていく理由の一つに成りつつあった。

 ライアは先日の魔物モンスターと、レイナルドとの出会いを思い出してペンを取った。

 読み書きには疎く、字が汚いと自覚しているライアは、思い出した事や思いついた単語を羅列し、関連する語を線でつないでいく事で記録を残していた。

 まず『ディルジア』『レイナルド』『善神オルマズド』『魔物』『法術』『金属変成術メタルルギー』『姉様』『父様』と書き、ディルジアと魔物、善神とレイナルド、姉様と法術、父様と金属変成術の間にそれぞれ線を引いた。

「ふーむ……」

 ライアは難しい顔をした後、ペンを取って『幸せ』『ディルジアを救う』『金属変成術士シュタールシュミート』『ライセンス』『運命の歯車』を書き足した。

 次にライアは苛酷という字を書こうとしたが、記憶に無かった為に諦め、『カコクな運命』とした。

 ロレンティスには学び舎は無く、フランクリン家のような貴族には学のある下級貴族が家庭教師として雇われていたのだが、ライアが使用人の仕事を始めた頃から暇を出されていた。

 一般家庭の子供にとって同じ〝森〟に住む人々は家族も同然であり、教師役を担える多数の大人達と共に暮らしている為、働きながらでも学ぶ機会が全く無くなることはない。教育という面で見れば、ライアは恵まれていない事になる。しかし今のところは持ち前の記憶力の良さで、何とかカバー出来ていた。

 最後に『わたし』とライアは書き加えた。

 そして金属変成術士とライセンス、運命の歯車とわたし、わたしとカコクな運命を線で繋いだ。

 ライアが家族と自分の将来について考えていくと、次の言葉を思いついたが、インクが底をついた事に気付いた。

 ずり落ちていた肌着の肩紐かたひもを整え、ライアはベッドから降り、レオナの部屋へ向かおうとした。

 屋敷の南西の二階にライアの部屋があり、そのすぐ隣には三階への螺旋階段が。階段を上がるとリディの部屋だ。レオナの部屋はその反対側にある。

 二階の廊下は守衛の詰所と大広間を完全に避けて通る事が出来ないので、一番近くの階段から上がり、三階から行く事にした。

 胸元を抑えながら歩く廊下はいつも通り明るく、今が夕刻だという事を忘れてしまいそうだ。

 三階廊下の中程、ヒルダとツェーザルの部屋に差し掛かったあたりでライアは声を聞き、思わず立ち止まった。


 ヒルダ・フランクリンは大戦期に英雄を輩出したフランクリン家に生まれた超一流法術士である事の他に、魔道具の原動力となるアストラル結晶を精製する事においてはディルジアで最も優れた技術者である。

 ツェーザル・アルバート・フランクリンは、ディルジアの南西に位置するハーデンベル大公国にある武道の名門、アルバート家の出身だ。家柄もさることながら世界規模の闘技大会や、著名な貴族が集う狩猟祭などで優勝した経歴を持つ剣聖でもある。

 身分も相応で互いに高い能力を認め合える仲である上、意固地になりがちな性格のヒルダをツェーザルが優しくフォローする事で、実に円満な夫婦関係を築いていた。

 そんな二人の寝室兼私室は、当然のように同じ部屋である。

 入り口の分厚いドアの前に立つと、一番最初に見えるのは清潔感のある天蓋付きのベッドだ。

 右手前にはヒルダとツェーザルの結婚式を描いた絵画が掛けられた大きい暖炉、左手前にはクローゼットと化粧台、そして中央にはガラス天板の机とコの字型のソファーが置かれている。

 壁紙と絨毯じゅうたんは赤を基調としており、家具は木が持つ茶色が活かされていた。全体的に暗めな印象だが、机の真上からシャンデリアが温かい光で照らしていた。

 二人は特に貴族らしい事はしない過ごし方がお気に入りで、今日はヒルダが詩を書き、隣に座ったツェーザルは読書をしている。

「はぁ、どうしましょうかね」

 ペンが止まったヒルダが、不意につぶやいた。

 ヒルダは憂鬱な表情でペンを置き、ガラスの机に置かれたグラスを弄り始めた。その表情からはフランクリン家当主としての顔では無く、悩める母親として素顔が垣間見える。

「どうしたんだい、急に」

 ツェーザルは片眼鏡を外してヒルダを見た。

「あの子は気が小さいですから、このまま使用人としての仕事をさせる事が、本当に正しいのかが判らなくなりました」

「ライアの事か。確かに彼女のような者が上司となれば、また同じ様な事態が起こらないとも言い切れないな」

「そう言えば、()家政婦長(ハウスキーパー)の行方は見つかりましたか?」

「いいや、まだ見つかってはいない。値打ちのある調度品を幾つか持って消えてしまったよ。ライアから事情を聞いた後すぐに是非を問おうと探したんだが、既に屋敷には居なかったんだ」

「ふむ……まぁ、いいでしょう。ライアが無事だったのですから、安い授業料だと思っておきましょう」

「そう言うと思って、テオドールに彼女の退職金の計算を頼んでおいた。本人の行き先も分からない事だし、実家へ届けるつもりだ」

「ええ。不逞者ふていものを寄越した責任は、使用人組合サーヴァントユニオンに取らせます。そんな事よりライアの問題ですよ。剣士としての腕はかなり上がっているようですが……この先、魔物討伐を主な仕事に出来る程の成長は見込めますか?」

「金属変成術は君譲りのアストラルでかなり使いこなしているよ。この間はかなり精度のいい鋼線を出したみたいだしね。応用力、発想力、対応力、そして想像力。どれも優れていると言えるよ」

「親馬鹿という色眼鏡で見ているとしても、貴方にそこまで言わせるとは思ってもみませんでした。という事はあとは心の問題ですか……」

「君の娘なんだ。すぐに慣れるさ」

「けれどわたくしは心配ですよ。レイナルド様は王都で金属変成術士のライセンスを取得するよう仰ってましたが、護衛させられる程信頼の置ける相手で、しかも手の空いている者は今のところおりませんから」

「ハウンドが居れば、護衛まで付けなくても大丈夫だろう。リディもレオナも一人で行ったんだ、ライアも同じように出来るはずさ。それと、正直ロレンティスの神様の事は良く知らないんだが、昔お前が会った事があると言っていたのを覚えているよ」

「ええ。詳しくは話していませんでしたね。先夫が関わる話を貴方にするのも悪いかと思っていたので」

「今更何を。俺とお前の仲じゃないか」

 ツェーザルがヒルダの肩に手を回し、頬にキスをした。

 ヒルダは目を閉じ、ツェーザルの唇に口付けを返す。

 ゆっくりと顔を離したヒルダは微笑みながらチョコをかじった。

 そしてラム酒の入った瓶をおもむろにつかむと、ゴクゴクと喉を鳴らしながら豪快にあおった。銘も製造年度も書かれていない、正真正銘の安酒(・ ・)である。

「ではお話しましょう。先夫を魔物に殺されたというのはご存知でしたよね」

「ああ。お前と出会った時に聞いたよ」

「その魔物は聖獣と呼ばれる三匹の幻獣で、未だに国内で最大最凶と恐れられています。奴等は神出鬼没で、アストラルを感じる事も、精霊を頼り探す事もままなりませんでした」

「ふむ。お前が苦労する相手なんて想像出来んな」

 ツェーザルは首を捻りながら机に置かれていたグラスを手に取り、ワインを一口飲んだ。

 それが入っていた瓶には古いハーデンベルの文字で『大公国暦八〇〇年記念・ブールジーヌ酒造』と書かれている超が付く高級酒だ。

「あの頃の私は今のリディと同程度の実力だったかしら。殺された夫のかたきを取ろうと躍起になっていた時、突然レイナルド様が現れて、復讐ふくしゅうは何も生み出さないと私を諭したのです」

「神様もやっぱり神出鬼没なんだな」

「ええ。それでもあの方がレイナルド様である証拠がありませんでしたから、出来るだけ気にしないようにして魔物を探しました。そしてやっとの思いで聖獣の内の一匹を見つけた時、貴方がそいつと交戦していたのです」

「ガハッ、ケホッ!」

 ツェーザルは飲み掛けていたワインをグラスの中に吹き出し、むせた。

「あの翼を持つ獅子ししは、聖獣だったのですよ。言っていませんでしたか?」

 ヒルダは悪戯そうな笑みを浮かべた。

「ハハハ、面白い冗談だな」

 ヒルダがあまり冗談は言わない事は承知の上だが、ツェーザルは乾いた笑いで流そうとした。

「私が居なければ、貴方は間違い無く死んでいました。その後は知っての通りですよ」

 ツェーザルは苦い顔をして、瓶の水滴をたっぷり吸ったタオルで顔を拭った。

 ロレンティスの脅威の代名詞である聖獣は、百名規模の聖十字騎士団員派遣に対して生き残った過去がある。

 それ程の強敵ではあるものの、積極的に集落を襲うような事が無いのが唯一の救いであった。

 三匹が集まった時に特に力を発揮する性質を持つが、ヒルダとツェーザルが交戦した時は偶然にも一匹であった事が生還出来た理由だろう。と言ってもその時は相手に逃げられ、ツェーザルは瀕死ひんしの重症を負った。

 そこで偶然居合わせた形になったヒルダの治癒法術によって、一命を取り留めたのだ。

「私があの方をレイナルド様と信じた理由は、貴方に法術を掛ける際の負担がいつもより極端に少なかった事にあります」

「なるほど、場の属性……ってやつか。神様が現れたからその人の力を使い易くなった、と?」

「ご明察。精霊は実体を見る事こそ出来ませんが、全ての出来事には必ず原因と結果があるという定義を用いる事で、精霊が存在している事の証明は容易に行えます」

「難しくなってきたな……簡単に言うと?」

「精霊が場に現れると、法術の効果に影響を及ぼすのはご存知ですよね?」

「ああ、リディが水の法術を使って、お前が風の法術を使ったあれだな」

「そうです。その例で言えば風の法術が強化される結果を得た場合、原因は水の妖精が場に存在しているという証明になるのです」

「なるほどな。それで言うと、神様の場合は?」

「神の力を借りる法術を行使して神を場に降ろすと、次に行使する術のアストラル消費が軽減されます。レイナルド様と契約して治癒法術を続けて使う場合などですね」

「それでその人が神様だと信じた訳だな。少し難しかったが、意味は理解した」

 ツェーザルは神という存在についてはあまり深く考えた事が無く、レイナルドが存在するという話を鵜呑うのみにするつもりはなかった。

 しかしヒルダが他人にだまされるような玉で無い事を考慮し、少なくとも危険人物では無いのだろうと推測した。

「ところで、ライアはオリヴィエ教徒として活動しているのかい?」

「いえ、十二歳までは私達と同じようにしてきましたが、それからは何も」

「ふむ……」

 ツェーザルはヒルダの髪を弄びながら思案した。

「実は、あの子には法術士として高い期待を持っていました。保有アストラル量はリディ以上、もしくは私を超えていて……正直測りあぐねています」

「そんなにか? なら先日の相打ちにも合点がいくな」

「どうやら腕の差を埋める、何かがあるようですね」

 ヒルダは微笑みながら言い、ツェーザルの口の前で人差し指を立てた。しゃべるな、という意味だ。そしてペンを取ると紙に『ライアに聞かれています』と書いた。

「そういえば先日の取引先なんだが……なんて言ったか」

「ヴィクトール・グラムスミス・フォン・マティアス殿下ですわね」

「ああ、そうだった。長すぎて覚えられないのだが、何かコツは無いのかい?」

「そうですね。バリエントグラム人はファーストネームが名。セカンドネームは職、ファミリーネームが姓で構成されていますわ。これは男女変わらずです。王家の血が交じる方は、間にフォンが入りますけれど」

「……すまん、別の話にしよう」

「そ、そうですわね。ならばこんな話はどうかしら。魔女ヘクセのはしご」

「ハ、ハハハ……」

 ヒルダがニヤリと笑みを浮かべると、ツェーザルは口の端をヒク付かせながら笑い返した。

「一本のひもを用意して結び目を一三個作ります。それを結ぶ時、はっきりと口に出して自分の欲望を述べなければなりません」

「た、例えば?」

「そうですね、憎きあの人が死にますように。フフッ、フフフ……」

「やっぱり黒魔術の話か……」

「その紐を呪いたい相手の住む敷地内に埋めると、あら不思議。真綿で首を締められるようにじわり、じわりと呼吸が苦しくなり、いずれ死に至ります……」

「対処法は無いのかい?」

「それを見つけて、結び目を解けばいいのですよ。簡単でしょう?」

「目印の無いところに埋められたらどうしようもないじゃないか。いくらなんでも理不尽過ぎる」

 ツェーザルはもし自分がこういった得体の知れない術で狙われたらと思うと、背筋に悪寒が走った。

 鍵穴から漏れる声に聞き耳を立てていたライアもヒルダの事が怖くなってきて、今の話がただのオカルトである事を願いながらそっとドアから離れ、レオナの部屋へ向かった。

「……行きましたね」

「ふぅ……」

 ヒルダに言われ、ツェーザルは緊張を解いた。

「何で分かったんだ?」

「ライアのアストラルを感じたのですが、扉の前で止まっていたので盗み聞きかと。教育が必要なようですね」

 ツェーザルは目を細めたヒルダに対し、苦笑しながら同意を示した。

「しかし先ほどの件、悪い話ではないな。ライセンスを取れば自信も付く事だろうし」

 ヒルダはソファーに沈んだ尻をゆっくり持ち上げると、まっすぐ歩いて化粧台の上にある絵を手に取った。

 額縁に入った小さめの絵画で、約十八年前のフランクリン一家を描いたものだ。

 ヒルダの泣きぼくろまでしっかりと描き込まれた精巧な逸品で、リディとレオナはツェーザルと手をつなぎ、小さいながらもしっかりと自分の足で立っていた。乳児のライアはヒルダに抱かれて眠っている。

「そうですね。寂しくなります……が、私は覚悟を決めました」

「リディもレオナも、私の事を父と慕ってくれている。だからもう、そういうのは止めにしないか」

 ヒルダは娘達の前では厳しい母という役割を徹底してきた。それは家業に追われて世話を焼いてやれない事もあるが、何より血の繋がりの無いツェーザルを、意図的に頼れる父とする事でその溝を埋めようとしてきたのだ。

「母として、フランクリン家当主として、これは譲れません。それに、憎まれ役は魔女ヘクセ十八番おはこですしね」

 言葉とは裏腹にヒルダは目を伏せた。

 ツェーザルはヒルダの背中を見ていただけでそれを察し、静かに歩み寄って後ろから抱き締めた。

「君という人は本当に……いや、何でもない」

 言いかけた言葉を飲み込んだツェーザルはヒルダの顎に手を当てて振り向かせると、唇にキスをした。長い長い、情熱的な口付けだった。

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