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序章 経験と成長は何物にも変え難い

   ディルジア歴一七三年五月八日


 ライア・フランクリンは愛剣を右手にぶら下げ、左手に光を放つ盾を持って立っていた。

 ここは深い深い森の中。首を巡らせても文明のブの字すら見る事は出来ない。

 湿った土を覆い隠すようにびっしりと草が生え、幹がこけむした幾本もの巨木が根を張っている。

 屋根のような枝葉に遮られ、見上げても空は無く、月明かりに照らされた葉だけが星のように瞬いていた。

「よろしくお願いします」

 ライアは可愛らしく切りそろえられた前髪に不相応な、りんとした声で言った。

 尻まで届く長髪と量感のある睫毛まつげが印象的な少女で、平坦へいたんかつ小柄な体型を地味なブラウスと緩めのパンツで隠している。泥だらけになる事を前提に親が子供に着せるような、至って簡素なたたずまいだ。

 ライアは少々くすんだ金色の髪を夜風に揺らしながら、細身の剣身と柄の装飾が美しいレイピアを十字架に見立てて眼前に掲げた。そして透き通った藍色の瞳を閉じ、神に祈りをささげる。

 その正面。大股で二、三歩行けば剣が届く距離にツェーザルは立っていた。

 八対二で分けて流された短い頭髪、整えられた口髭くちひげ、引き締まった体を持ち、ハイカラーのシャツにシルクのスラックス、いわゆる紳士服を着ている。清潔感とたくましさを併せ持った、貴婦人をたちまち虜にしてしまいそうな男である。

 右手には湾曲した刀身とアームガードが特徴的なサーブルを持ち、左手はライアの持つ物と同じ形の盾を装備している。

「こちらこそ手合わせ願おう」

 余裕が感じられる声色でツェーザルが答えた。ライアと同じように刃を下にして握ったサーブルを胸の前で静止させ、目をつむった。騎士流敬礼の一つである。

 暗闇を照らす光源は、二人の持つランタンシールドから放たれていた。それは名前通りランタンを入れる事が出来るようになっている夜間戦闘用の装備で、丸型の防面に開けられた複数の小さな穴から明かりが漏れている。と言っても炎は揺らめき、穴は小さい。辛うじて互いの全体像を把握出来る程度の弱光だ。

 前置きが終わると、ライアは切れ長の目を釣り上げてツェーザルをにらみ付けた。

戦女神ラングリュードよ、我と契りを交わせ」

 レイピアが銀色の淡い光に包まれていく。

 それと同時にツェーザルのサーブルも光を放つ。

 ライアが先に地を蹴った。

「はッ!」

 全身のバネを使った素早い突き。

 ツェーザルは一歩後ろに下がり、容易に射程外へ出た。

鋼の誓約(シュタールアイト)、ランツェ!」

 いや、出たはずだった。よく響くライアの声に呼応して、レイピアの先端が喉笛にらいつかんとやりの様に伸びる。

 鉱物からなる物質の形を思いのままに変化させる、金属変成術メタルルギーを使ったのである。

 ツェーザルは冷静に体を左へ振った。腰溜こしだめに構えていたサーブルもそれに倣う。避けてからの攻撃と言うよりも攻撃の一動作内に回避が組み込まれている。

 その洗練された動きにライアは一瞬焦りを見せたが何とか膝を落として避けると、追撃を諦めて後ろに跳んでから素早く周囲を見回した。

 巨木の他にもつるや木の根、転がっている石や背の高い草などの障害物は多い。攻防を有利に進められる――少なくとも不利にならない――位置を取り続けなければならないからだ。

 振り切った姿勢のまま、ツェーザルが微笑んで口を開く。

「いい判断だね」

 それを聞いたライアの口角が上がった。褒められて喜んだのでは無く戦いそのものを楽しんでいる、そんな野蛮さを秘めた笑みだ。

 ツェーザルが持っていたのはサーブルであったはずだが、今はメイスを握っている。ツェーザルもまた、金属変成術の使い手であった。それも詠唱の類を必要としない、高等な。

 手首を返さなければ追撃出来ないサーブルの時とは違い、ライアが攻撃を続けていれば直撃を受けていた事だろう。

「今日こそは……今日こそは父さんに勝って、免罪符を手にします」

 ライアが決意を口にすると、手にした銀光が輝きを増す。

「その意気は買おう。でも親離れには少し早くないかい?」

 ツェーザルは困った顔をして臨戦態勢を解いたが、ライアは問答無用と言わんばかりに構え直した。

 しばしの沈黙が流れる。

 ライアは早く一人前の大人になりたかった。自立すれば窮屈な生活から抜け出す事が出来るからだ。

 ツェーザルと共に鍛錬を積んで二年目に差し掛かる頃だが、本質的な戦闘、命のやりとりというものについて尋ねると、いつもはぐらかされていた。自分の実力を認めさせられば、自ずと答えは出ると信じて疑わない。そんな信念を秘めた瞳でツェーザルを見ている。

 ライアと真正面から視線を合わせたツェーザルは得物を逆手に持ち直し、口髭を指先で整えた。不躾ぶしつけなのは本人も承知しているが、楽しくなるとついやってしまう癖である。

「よし! 全力で受けて立とう」

 その言葉にライアは酷く感奮かんぷんし、瞳の奥でギラギラとした何かがうごめくのを感じた。木剣の握り方から教わった師から、とうとう()()の言葉を引き出したのだ。

 ツェーザルが構え直すと二人の間に緊張が走った。全神経を集中させ、互いに間合いを計り、じりじりと歩を進める。

 レイピアの切っ先がぴくりと動いたその瞬間、ツェーザルは先に距離を詰めた。

 タイミングを見誤ったライアは仕切り直そうと下がったが、轟音ごうおんと共にサーブルが風を切り裂く。

 ライアは横一文字に放たれたそれに合わせるように、斜めに左手を上げた。

 金物同士が擦れ合う、身の毛がよだつような音が短く鳴る。上へ軌道を逸らしたサーブルを頭を下げて潜り、ライアは突きを繰り出した。

 しかしツェーザルの持つランタンシールドに弾かれ、反撃を許した。返すサーブルがわきの下に迫ったところでライアは後方に跳んだ。


 ツェーザルは腰を落とし、再び距離を詰める。

 もはや今のライアに、続く剣撃を止める手立ては無かった。

 迂闊うかつに打ち合う事は出来ない。軍用のサーブルに対して護身用のレイピアでは、たたき折られてしまう恐れがあるからだ。

 ランタンシールドはランタンを収める為に内部が空洞となっており、耐久性に若干の不安があった。先ほどのように軌道を逸らす程度なら可能だが、これが何度も通用する相手ではない。

 そして何よりも筋力と体格の差があり過ぎる。

 自ずとライアは後退を余儀なくされた。木々に行く手を阻まれないよう背後に気を配りながら、間合いを保とうと必死にステップを踏む。

 鋭い風切り音が立て続けに鳴る中で二人の足音が激しさを増していく。

 そんな中、ライアは臆病風に吹かれつつある自分に気付いた。

 剣聖とうたわれるツェーザルを相手に、気迫だけで勝利をもぎ取る事は不可能だったのではないか、と。

 辛くも直撃は避けられているものの、ツェーザルには心、技、体の全てが整っている。それと同時に今まで交えた剣はあくまで指導の為に振られていたのだと理解出来た。

 攻撃は最大の防御。今のツェーザルはまさにそれを体現している。

 しかしここで挫けては。今まで自分は何を学んで来たのだ。痛い思いもした。苦しい思いもした。それでも夜になれば剣を取った。

 それに、例え相手が強大なドラゴンであっても、立ち上がってあるじの剣となり、盾となる。これこそが寝る間も惜しんでツェーザルが教えてくれた『騎士道』であったはずだ。

 ライアは主導権を握られながらも、必死に邪念を振り払って状況を打開する策を思案した。

 せめてこの想いを精一杯ぶつけたい。そう思った時、具体的に思い付くよりも先に口が動いた。

「鋼の誓約……」

 ライアの声が耳に届くや否や、ツェーザルは武器をフランベルジュに変化させた。

「甘い!」

 炎の意味を持つ波打った剣身を右後ろに素早く構え直し、渾身こんしんの力を込めて振り上げる。

「ツヴァイヘンダー!」

 ライアが叫び、振り上げたレイピアが形を変える。そして身の丈を超える巨大な剣を頭上から一直線に叩き付けた。鋼と鋼がぶつかり合い、銀の花がまばゆく散る。

 その光景は現実を忘れてしまう程に幻想的で、美しかった。


「……父さん?」

 しばらくして、ライアは心配になって声を掛けたが、ツェーザルはじっと自身の手の平を眺めて動かなかった。その表情は複雑を極め、驚きなのか興奮によるものなのか。はたまた笑っているようにも見える。

 ライアは薄闇の中でそれを視認する事が出来ず、ただ両手を広げて首を傾げた。

 二人の足元にはガラス製のランタンが二つあった。

 それは決着の時、二人が剣と盾の金属部を練り合わせて一本の剣として使った為に盾の中身が落ちたものである。

 ライアは沈黙に耐え切れなくなってそれを取り、ツェーザルの顔をのぞき込んだ。

「いや、驚いた。相打ち……だな」

「そう……そうね。でも今まで負けっぱなしだったのだから、次こそは勝……」

 言いかけてツェーザルの顔を見ると、その表情は笑みに変わっていた。

「この調子ならじきに追い抜かれるかもしれない。よーし、次からはもっと実践的な事を教えようじゃないか」

 ツェーザルはライアの頭をつかむようにわしわしと撫で、カッカと笑ってみせた。

 鬱陶しそうに上目で見ているライアは、それでも少しだけうれしそうだ。

炎と鍛冶の神(アンドレアス)。貴殿の任を解く」

「戦女神よ。お力添え、感謝致します」

 二人は戦闘態勢を解き、手近な木の下に腰を下ろした。

 金属変成術というのは運動量以上に体力を消耗するもので、訓練していた時間こそ短いものの、二人が疲れ果てているのはこの術を常に行使しながら戦っていたからでもあった。

 実剣を使った危険な訓練方法ではあったが、先程までは殺傷力を殺した形に変成して使っていたのである。

 金属変成術という負荷を掛けながら、より実戦に近い形式で体と頭を使うこの方法は、ツェーザルが若い頃に剣術の師と行っていたものと同じだった。

 しかしなまくらであっても当たれば鉄の塊で殴られるのと同じ事だ。お互いに怪我をさせたのは一度では済まない。

 万が一の事があれば家族を自らの手で殺してしまう事にもなりかねない。しかしその壁は越える必要があった。己が作り出す仮初めの聖剣を信じ命を預ける機会は、金属変成術士シュタールシュミートとして生きて行くならば必ず訪れるからだ。

 そう思ってこの方式を採用したのはツェーザルなりの、ライアに対してそそぐ最大級の愛情である。

 ツェーザルはライアに剣を握らせる事に最初はかなり抵抗があったが、なんだかんだで頼もしくなったんだな、と感傷に浸っていた。

 そんな事を思いながらふとライアの顔を見ると、 エルフ族の特徴である細長い耳を垂らしながら早くも船をぎ始めていた。

 身体的特徴はどちらかと言えばエルフ族寄りだが、父親のツェーザルは普通の耳をしたヒューマン族である通り、正確に言えばライアはハーフエルフ族という事になる。

 ツェーザルはゆっくりと立ち上がると娘を横抱きして抱え上げた。

「ん、下ろして。ちゃんと歩けるから」

 寝ぼけ眼で言うライアを見て、ツェーザルは笑いながら帰途についた。

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