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今日は3月13日。
言わずもがな、明日はホワイト・デー。
チョコを貰って調子に乗ってる日本中の男どもが、チョコをくれた女の子にクッキーをお返しをするという、貰えなかった非モテ男子にとって更なる屈辱の日。
製菓会社の販売促進事業であったバレンタインデーだけでは飽き足らず、男子にお返しさせる事で二匹目の泥鰌を狙ってくるという悪どいイベントだ。
・・・などと、去年までの僕は毒づきながら、僕の高校では数少ないカップル達を横目で睨んでいた。
我ながら、非モテ男の哀しいヒガミだ。
だけど、高校二年のホワイト・デーは少し違った。
「おかえり、ユッキー!」
部活が終わって自宅に帰った僕を待っていたのは、台所に立っている茜だった。
片手にボールを抱えて、木ベラを使って何かを練りたくっている。
以前、どっかで見たような光景に、僕は一瞬、ギョっとして目を見張った。
呆然と立ち尽くしている僕に、彼女は腕まくりした手を上げて手招きする。
顔についた白い粉が小麦粉であろうことは、すぐに察しがついた。
「ユッキー、これ、ホワイトデーのクッキーなんだ。一緒につくろうよ」
「・・・だから、なんでお前が作るんだよ? これって、チョコもらった男が女の子にあげるモンじゃないの?」
「そうだよ。だって、あたしからのバレンタインのプレゼント貰ったでしょ? ユッキーからお返し貰わなくちゃと思って。一緒に作ってあげないと、ユッキー忘れそうでしょ?」
「・・・まあ、貰ったけど、チョコじゃないし・・・なんでお前が自分のお返しのクッキーを自力で作ってんだよ?」
「まあ、いいじゃん。二人で作った方が楽しいよ。ホラ、早く」
僕は渋々、制服の腕をまくりながら、彼女に近づいた。
一ヶ月前とまるで同じシチュエーションに、僕の胸の鼓動が早くなる。
彼女から手渡されたボールに視線を落とすと、小麦粉でバサバサした白い塊が底のへばり付いていた。
これが、どうやってクッキーまで進化を遂げるのか。
ボールを押さえてやると、茜は再び、木ベラでその塊を練り始める。
「・・・これ、ちゃんとクッキーになるのか?」
「多分、大丈夫よ。分量はレシピ通りだから。まあ、おいしくなくても、どうせ一緒に食べるんだから、細かい事は気にしない」
茜は笑いながら適当な事を言った。
相変わらず、大雑把な性格だ。
僕は苦笑して、彼女の顔を見上げた。
家が隣でいつも一緒だった茜と、この先、離れ離れになって別の人生を歩んでいくなんて、正直、この前のバレンタインデーの時まで考えたこともなかった。
高校三年になるまで、あと二週間。
そしたら、卒業するまで一年しか残っていない。
茜とこんな風に一緒に過ごせる時間は、もうほんの僅かなのだ。
その事に気がついたら、彼女と共有しているこの時間がすごく貴重な事に思えた。
「茜・・・あのさあ」
「・・・何?」
俯いたまま、彼女は僕と視線を合わせずに聞き返した。
あのバレンタインデーの日から僕なりに考えていた事を、今、彼女に伝えようと思っていたのだ。
茜と違って優柔不断な僕は、この期に及んで、まだ進路も決められないんだ。
だけど、今は、僕ができる最大の努力をして、選択肢を増やしておくよ。
もしかして、茜が東京に行くときには、僕も東京の大学に一緒に行けるかもしれない。
地元の大学に行くことになっても、茜が僕を忘れない限り、僕は待ってる・・・。
いや、そこまで言ったらちょっと重いな・・・。
「・・・いや、何でもないよ」
「何!? 言い掛けて止めないでよ。気になるじゃない」
「来年のバレンタインデーも、チョコ一緒に作れたらいいなって、思っただけだよ」
言いかけた告白を飲み込んで、僕はそう言った。
茜は頬を赤らめて俯くと「そうだね」と小さな声で呟く。
人生の岐路に立つ僕達は、もうすぐ別の道を歩き出す。
それでも、この年のバレンタインデーを僕達はきっと忘れないだろう。
生地を練っている茜のポニーテールが揺れるのを眺めながら、僕は考えていた。
はたして、先日のお返しはするべきか否か・・・と。
Fin.