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アーケードの大時計がキーンコーン・・・とレトロな音を鳴らし始めた。
時刻は既に八時になっている。
日頃は閑古鳥が泣いているこのアーケード街も、今日が特別な日であるせいか、少しだけ人通りが多い。
茜は僕の腕にしっかりしがみつきながら、ピッタリと寄り添っている。
これではまるで、高校生カップルではないか。
人に見られたら、僕のクールなイメージ崩壊だ。
・・・って、心配ももう要らないのか。
イケメン浅田と口さがない後輩達、そして、一番見られたくなかった茜本人の前で大馬鹿振りを披露した僕には、もう捨てる程の恥もない。
その事実に、僕は寧ろサッパリした気分になっていた。
「ユッキー、恥ずかしいんでしょ?一緒に歩いてるところ、人に見られたら嫌?」
僕の胸中を見透かしたように、茜が悪戯っぽい笑みを浮かべて僕を見上げた。
彼女の白い顔が僕の視線の下にある事に、今更ながらに気がつく。
幼馴染みでいつも一緒だった茜は、昔は僕より体も大きくて、しっかり者のお姉さんみたいだった。
月日が経って、茜より体だけは大きくなった僕は、今、こうやって彼女を見下ろしている。
なのに。
子供の頃も、今も変わらず、イニシアティブを取るのは茜の方だ。
体だけ大きくなったって、僕の精神は未だに彼女に追いつく事さえできない。
茜はいつも僕より一歩先を歩いていて、僕を置いてきぼりにしたまま大人になっていく。
だから、せめて、茜の前ではジタバタしたとこ見せずに、大人っぽく振舞いたかったんだ。
学力だけは茜に勝っていたから、彼女に勉強を教える事は、僕がいまだに何とか優越感を味わうことができる唯一の武器だった。
そんな僕の思惑も策略も、茜は気づいてもいないだろう。
寧ろ、彼女はいつも僕のカッコ悪い本質だけを見抜いていた。
・・・敵わないな。
僕は苦笑して、わざと茜の肩を抱き寄せた。
予想外の僕の行動に、茜が逆にギョっとした顔で硬直する。
僕は今までの思いを吐き出すように言った。
「もー、いーよ。これ以上恥ずかしい事、あんまりないからな。なんか、カッコつけてるの馬鹿馬鹿しくなってきた」
「そうだね、ユッキーって見栄っ張りだもんね。たまには己の感情に正直にならないと、ハゲるよ?」
「余計なお世話だよ。見栄っ張りで悪かったな。僕はカッコつけるのが好きなんだよ」
「なんでよ?」
「茜がいるからだよ」
言ってから、自分のセリフにドキッとした。
これって、一般的に、すごい告白なんじゃないのか?
言われた茜の方が、不審げな表情で僕を見返す。
どうやら、さっきの衝撃で、僕の理性は崩壊してしまったらしい。
今までの僕なら口が裂けても出てこないセリフが、サラサラ飛び出してきた。
「僕は多分、いつも茜に追いつきたかったんだ。だから、大人の振りして、冷めた態度でシラけた事言って・・・これがカッコ良いと思ってたんだから、厨二病もいいとこだよ。余裕を見せたかったって言うか、茜に落ち着いた男だって思われたかったんじゃないかな・・・自己分析すると」
「そんなの初耳だよ。大体、いつもあたしの事バカにしてたくせに・・・」
「だから、僕はガキなんだよ」
言いながら、僕は笑った。
僕の告白に神妙な顔をしていた茜も、表情を緩ませる。
小さな街の小さなアーケード街はすぐに終わった。
僕らは街路樹が並ぶ薄暗い歩道を、腕を組んだまま歩き続ける。
凍りつくような二月の夜空には、宝石を撒き散らしたようにな星が瞬いている。
バレンタインデーにこの星空は反則的にロマンティックだ。
もはや神様が味方しているとしか思えない。
今なら何でも言える気がした。
「茜、本当に卒業したら東京行くのか?」
僕の問いに、茜は小動物みたいに小首を傾げて、エヘヘと笑った。
「なんで?やっぱり、あたしの頭じゃ無理だと思う?」
「・・・違うよ。その件なら謝る。僕はただ、茜が一人で遠くに行くのが心配なのと、あと・・・個人的に茜と離れたくないから、ちょっと嫌がらせ言ってみただけだよ。どこに行きたいのか知らないけど、まだ二年だし、頑張ればいいと思う」
「あはは・・・、今日は素直だね、ユッキー」
茜はひとしきり笑ってから、恥ずかしそうに続けた。
「あたしね、将来、ファッションやモデル業界のお仕事したいの」
「モデル!?お前が!?」
いくらお前がかわいくても、そこまでのレベルじゃないだろう?
と、ネガティブな意見が口から出る前に、茜が慌てて手を振った。
「違うよ、あたしがファッションモデルになりたいんじゃなくて、メイクのお仕事したいの」
「メイク!?化粧のこと?」
僕の進路の中の選択肢には絶対入らない聞きなれない単語に、オウム返しに聞き返してしまう。
茜は何故か赤面しながら、手をパタパタ振った。
「ま、まだ、はっきり分かんないよ。でも、メイクのお仕事ってギョーカイじゃん?こんな田舎でそんなお仕事ないもん。就職の時に東京に行くくらいなら、東京の専門学校でコネに強いとこに入った方が就職に有利かなって思って」
「はあ・・・」
「それに、もし、東京で夢破れてこっちに戻ってきても、自宅でヘアサロンやメイク教室開業できるでしょ? 同じ美容師の肩書きなら、地元の美容専門学校卒業より、青山の美容院で修行してきましたっていう方がネームバリューあるじゃない」
「じ、自宅で開業!? そんな先の事まで考えてんのか?」
「そうよ。結婚して子供ができたら会社勤めできなくなるでしょ? そんな時でも免許とネームバリューがあれば、自宅でヘアサロンできるじゃない。将来、どんな道に進もうと、今から東京に出る事はマイナスにはならないと思うのよ。持つべきは手に職よ」
驚いた。
茜がそこまで現実的、且つ、具体的な人生設計を考えていたなんて。
男の僕にはギョーカイのシステムはよく分からないが、社交的でおしゃれに余念がない茜にメイクという仕事は、単純に相応しく思われた。
「ユッキーは?」
「えっ?」
「ユッキーは自宅から通える国立大学狙ってるんでしょ?卒業したらどうするの?」
逆に突っ込まれて、僕は返答に困った。
大学に合格する事だけを目標にしている僕には、卒業してからのビジョンなど今から持っている筈がない。
将来の進路なんて、在学中の4年間の間に決めるものだと思っていた。
「・・・全然、考えてないよ。だって、まだ、入学もしてないのにさ」
「だって、学部とか選ぶんでしょ?将来の目標がないのに大学決められるの?」
「選んだ学部に入れるとは限らないだろ?4年の間に何か見つかるかもしれないし・・・」
「何か見つからなかったら、どうするの?」
「そりゃ、その時、行けるところに行くしかないだろ。公務員試験受けるとかさ」
「公務員になりたいなら、最初からそれに有利な大学に行った方がいいんじゃないの?教育学部とかさ」
「いや、まだ、考えてないんだってば・・・」
歯切れ悪い返事をしながら、我ながら適当な人生プランだと恥ずかしくなってきた。
茜はしっかりと自分の夢を持って人生設計立ててるのに、有名進学校に行ってる筈の僕は、何と幼稚で行き当たりばったりなんだろう。
茜はとっくに大人になっていて、僕のずっと先を歩いている。
横を歩いている茜の横顔が、急に知らない女の人みたいに思えた。
街を抜けても、僕らは腕を組んだまま歩き続けた。
家は隣同士だから、方向は一緒だ。
自宅の門が見え始めた頃、茜は組んでいた腕をスルリと外して、僕を振り返った。
「ところでさ、ユッキーは昨日のチョコ、本当は食べたかったの?」
「今更だけど、正直言えば食べたかったよ。でも、もう、ないんだろ?」
「うん、残念ながら、昨日のうちにヤケ食いしちゃったもんね」
・・・くそ~
やっぱり、チョコないのか。
今年もチョコ0記録更新だな。
ガックリしたその瞬間、僕の制服のネクタイを茜は素早く引っ張ると、僕の頬を自分の口元にグイっと寄せた。
彼女の柔らかい唇の感触がフワリと頬に触れる。
それが彼女からのキスだった事に、僕はようやく気がついた。
ヒラリと身を翻すと、茜はボンヤリしている僕から離れて、恥ずかしそうに笑った。
「チョコなくてごめんね!じゃ、おやすみ!」
そう言い残して、自宅に向かって茜は駈け出した。
彼女の後姿が門の中に消えるまで、僕はバカみたいにその場に佇んでいた。