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2月半ばにしては、寒い夜だった。
比較的温暖な気候であるこの地域は、雪こそ降らないものの、太平洋から吹き付ける強風の為に体感温度は実際よりもかなり低く感じる。
肌が切れるような強風を顔に受けながら、僕を含む4人の非モテ陸上部員は、チョコのバーゲンで華やいだ商店街を横並びに闊歩していた。
どうでもいい情報だが、他の三人は後輩の一年生で、幅跳びの山田、ハードルの鈴木、僕と同じ長距離の田中。
いずれも市内大会4位という微妙な自己ベスト記録を持つ、頼りにならない後輩達だ。
こいつらがチョコを貰えなかった事について何の疑問も持たないが、自分が仲間と思われると激しく悔しい。
一体、何が悲しくて、この寒さの中、こいつらと一緒に出掛けなくちゃならないのか。
いつもの僕ならクールに放置しただろうが、今日は浅田の事があって悶々としていたのもあって、思わず流されるままに出てきてしまったのだ。
アホみたいに騒いで気分転換したい、という願望も、実のところあった。
こんな風に言うと、僕が浅田と茜の事をメチャメチャ気にしているみたいだけど、実はそのとおりだ。
こんな不完全燃焼な気分のまま家に帰ったら、夢にまで見てしまうだろう。
直接本人に聞けば良い話だったけど、僕の山より高いプライドはそれを許さない。
茜に「なあ、メッセージなんて書いたの?」なんて聞いて、「あんたに関係ないでしょ」なんて冷たくあしらわれるくらいなら、昨日からの一連の出来事の記憶を脳内から抹消してやる。
それにしても、小さな街の商店街はバレンタインデーモード一色だった。
たかが、製菓会社が販売向上の為にでっち上げたイベントが、こんなに国民的行事として崇め奉られている。
祭りに乗り易い日本人の性を思うと悲しくなるが、それは便乗できない自分に対する憤りである事は自覚している。
少なくとも、本日浅田の手に渡ったあのチョコレートが僕のものになっていたら、これほど憤りは感じていなかっただろう。
店頭にワゴンを並べて、ウィンドブレーカーを着たバイトの女の子が「チョコいかがですか~?」とマッチ売りの少女さながらに客引きをしている。
この寒いのにご苦労な事だ。
まあ、彼女達は報酬があるだけ、無駄にフラフラしている僕よりは有意義だと言えるかもしれない。
不貞腐れている僕の思惑など気にする事もなく、ハードルの鈴木が無邪気に話し掛けてきた。
「先輩、寒いから牛丼でも食っていきます?」
「・・・なんで、バレンタインデーにお前らと牛丼食べなくちゃなんないんだよ?」
「だって、ラーメンとか4人で食ったら意外と金掛かりますよ?先輩に悪いッスよ」
「悪いッスよって、なんで僕がお前らの分まで払う事になってんだよ!?」
「えー、だって、浅田先輩はいつも試合の帰りとかに奢ってくれますよ」
「浅田が奢る・・・お前らに!?」
「因みに、牛丼じゃなくてラーメンですけど・・・餃子付きで」
「・・・・・・」
浅田がこいつらに280円の牛丼でなくて、餃子付きでラーメンを奢ってやっているとは、僕も初耳だった。
こいつらに奢った所で、先輩としての株が上がるのかどうかも微妙なところだ。
そんな無駄金払うくらいなら、ユニセフに募金した方がよっぽど有意義だってもんだろ。
だが、今、このタイミングで浅田の名前を出されたら、僕としては引くわけにはいかない。
顔だけじゃなくて、人間としての器の大きさまで浅田に劣っていることを自他共に認めるようなものだ。
「・・・分かったよ。ラーメン餃子つきで奢ってやるよ」
「うわ、マジッスか!?やったあ!」
「さすが河合先輩! 懐デカイッス!」
デカイどころか、本当はバイトもしてない僕の懐は冷え冷えだった。
が、もうなんかどうでもよくなってきた僕はヤケクソになって言った
「よし、じゃ、餃子の角行でも行くか」
「行きましょう!」
意気投合した僕たちが歩みを進めた時、幅跳び山田がふいに立ち止まった。
「なんだよ、山田」
「あれ・・・、浅田先輩じゃないですか?」
浅田の名前でギョッとして立ち止まった僕たちは、幅跳び山田の指差す方向を一斉に見つめた。
その先にあったのは、全国的フランチャイズである何の変哲もないファミレスの窓ガラス。
だが、その窓に面した席に座っているのは、確かにさっき部室で別れたばかりの浅田ではないか!?
しかも、ヤツは一人ではなかった。
ヤツの向かいの席には、制服姿の女子高生が座っている。
その女の子に見覚えはないが、茜でないことだけは確認できた。
「あれ、浅田先輩ですよね?」
「うわ、やっぱり、女の子と約束してたんですね」
「でも、ウチの学校の制服じゃないっぽいですよ、ねえ、河合先輩?」
スクラムを組んで話し合っている後輩どもの話に耳を傾けている余裕は、もう僕にはなかった。
浅田が誰とフェミレス行こうと僕には関係ない。
問題は、その子が茜ではない女の子だという事実だ。
向かい合って座っている二人は、遠目に見てもイイ感じのカップルで、いつもは無表情の浅田も愛想笑い浮かべて楽しそうに談話している。
ストレートの長い髪が清楚な、普通にかわいい子だということはすぐに分かった。
僕の驚愕と後輩達の羨望の眼差しを一身に受けているとも知らず、二人はあたかも別世界にいるかのようにハッピーな時間を過ごしている。
僕は胸の中に沸々と殺意が沸いてくるのを感じた。
・・・あいつ、真面目くさった顔して、ちゃっかり別の女の子と付き合ってるじゃないか。
だったら、さっき茜から受取ったチョコレートはなんだったんだ!?
このバレンタインデーの夜にデートする女の子がいるクセして、なんで茜のチョコを受取った!?
浅田のクセして、まさか二股するつもりじゃないだろうな?
だとしたら、許せない。
茜の方をキープにしておくなんて、そんな事は僕の屍を乗り越えてからやってもらおうか。
あのチョコは・・・あのチョコは・・・。
本当は僕が欲しかったんだ・・・!!!!
そう思った途端に、僕は真っ直ぐファミレスの入り口に向かって突進していった。
何事かと顔色を変えて後輩どもも慌ててついてきたが、もうそれも目に入らないくらい僕は激昂していた。
いや、ある意味、非常に冷静だったのか。
僕はツカツカとファミレスの内部に突入し、真っ直ぐ浅田の席に向かってズンズン進んでいく。
その時の僕を、もう誰も止める事はできなかっただろう。
「浅田ああああ、この裏切り者があああああ!!!!」
僕の怒鳴り声でポカンとした顔を上げた浅田の襟首を、僕は力任せに掴んで引き摺り出した。
同席していた女の子が悲鳴を上げてテーブルから立ち上がる。
浅田はテンパった顔で僕を見上げた。
「の、信行!? ど、どうしたんだ?」
「うるせえ!この二股男が!!!!」
僕の拳が浅田の顔に命中する前に、ようやく追いついてきた後輩三人組が、僕の後ろから抱きついた。
「か、河合先輩、何やってんですか!?」
「うるせえ、離せ!これはこいつと僕の問題なんだ」
「ダメですよ、店の中で暴れちゃマズイですよ」
ネクタイをした店のマネージャーも何事かとカウンターから飛び出してくる。
冷静沈着の僕には有り得ない行動だった。
だけど、こうせずにはいられなかった。
茜の恋が実るなら、僕は振られたって構わない。
チョコを渡すキューピッド役だって引き受けてやる。
茜が幸せになるなら、僕は喜んで身を引くだろう。
だけど、茜を不幸にするなら、僕はどうしても許すことができない・・・!
「ユッキー!?何してんの!?」
その時、ふいに聞き覚えのある声がして、僕はハッとして我に返った。
ガッチリ羽交い締めにされた僕の前にフワリと立ちはだかったのは、朝と同じ制服姿の茜だったのだ。