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 やがて、ボールの底にベッタリと張り付いていたスライム状の物体は、生クリームが投入された後、それなりにチョコらしく変貌を遂げた。

 だが、お役御免とばかりに撤収しようとした僕を、茜が開放してくれる筈もなく、僕らは半液体状のチョコレートを小さな球体に丸めて銀紙のお皿に入れるというチマチマした仕事を延々と続ける事になった。


 真剣な表情でチョコをこねている茜の横顔とそこからはみ出してる長い睫毛が神経質そうにぱちぱち動いているのを、僕は眼鏡の奥から密かに観察していた。

 小さな事からかわいい女の子ではあったが、最近、そこに女らしさが加わって、幼馴染みの僕でも時々ドキっとする事がある。

 学校でも、彼女の黒い瞳が送ってくる意味深な視線に騙される男は多い。

 その黒い瞳がチラリと僕に視線を投げかけてきて、慌てて目を逸らした。


「ちょっとお、ぼんやりしてないでさっさと丸めてよ。バレンタインは明日なんだからね」

「分かってるよ。やるって・・・って、なんで僕はお前に怒られてるんだよ!?お前が男に渡すチョコだろ?僕の家で作って、僕に手伝わすのっておかしくないか?」

「いいじゃない。ユッキーにも余ったらちゃんとあげるから。義理で良ければ」

「ああ、そう。ありがとうな


 こんなに蔑まされてんのに、どうして僕はいつも茜の言いなりになってしまうのか。

 理由は我ながら薄々感づいてはいたが、敢えて気がつかないようにしてきた。

 実りがないと分かっている行動を敢えてするほど不毛な事はない。

 例えば、僕が茜の事が好きだと言ったところで、僕と彼女では進路も違うし、人生に於いて、彼女と接点が生まれる事はないと分かっている。

 一時的な感情を伝える事で、それがしがらみになって、後々面倒な事になるのは、僕としては避けたかった。

・・・なんて、偉そうな理論武装を立ててはいるが、イケイケモテ女の茜が僕を相手にする筈もない事も分かっている。

 玉砕覚悟で告白して、予想に違わずあっさり振られるのが怖いだけなのだ。

  

 隣で小さな銀紙と格闘している茜が、ふと、知らない女の人みたいに見えて、僕は眼鏡を押し上げた。

 東京の専門学校に行くつもりだったなんて、今、初めて聞いた。

 幼馴染みで勉強まで教えてやってる僕に何の相談もないなんて、ちょっとひどいんじゃないだろうか。


「お前、本気で東京行くつもりなの?」


 ぼそっと僕は聞いてみる。

 茜は悪戯が見つかった子供みたいに、テヘヘと首を竦めて笑った。


「もちろん、まだ決定じゃないよ。三年になったら志望校も絞っていくけど、現時点では第一希望は東京だね」

「だから、何で東京なんだよ?専門学校だったら、別に東京じゃなくても通える所でいいじゃん」

「あたしがやりたい事は東京の学校卒業した方が有利になるの。狭き門だから、その学校卒業したからって職につける保証はないけど、チャンスは少しでも多い方がいいでしょ?」

「保証がないんだったら、尚更、通える所でいいだろ。何の職に就きたいのか知らないけど、ダメだった時にリスクが少ないほうがダメージも少ないよ」


 揚げ足を取るように屁理屈を並べる僕を、茜は呆れたように見つめた。

・・・軽蔑されてる。

 言ってる自分も、小さい男だなってうんざりしてくるのに、何故か口が止まらない。

 茜は僕を睨みつけてから、思った通り反論してきた。

 

「ユッキー、あたし、まだ若いんだから可能性を諦めたくないのよ。そりゃ、ダメだった時のダメージもあるけど、東京の学校を卒業するだけで人生の選択肢が広がるなら、賭けてみてもいいと思わない?」

「そりゃ、タダならね。東京行ったら、無駄な出費は増えるし、苦労するのはお前の親御さんだろ?賭けた結果が出なくてリスクを負うのはお前じゃないじゃん」


 ああ・・・僕はなんでこんな事言ってるんだろう。

 こんな事じゃないんだ。

 僕が本当に言いたいのはこんな事じゃない。

 なのに、僕の口からは止め処なく罵詈雑言が吐き出されてゆく。

 

「大体さ、今の時点で追試を受けてるような状態で、志望校とか決めるの早いと思うよ。専門学校だって試験はあるんだし、入れてもらえるかどうかだって分かんないじゃん。三年になってから考えたっていいんじゃない?」

「・・・ユッキーはバカは東京に行くなって言いたいのね?」

「え、違うよ、何でそうなる・・・」


 そこまで言いかけた僕の顔に、空になったボールがパカーン!と小気味良い音を立てて命中した。

 至近距離でボールをぶつけられて、一瞬、視界が真っ白になった後、冷たく僕を見下ろしている茜の姿が目に入った。

 くるくる表情を変えるさっきまでの顔から、感情が消えている。

 白い顔には怒りの表情すらなく、茜を本気で怒らせてしまった事を僕は悟った。


「・・・もういいわ。ユッキーなら分かってくれて、応援してくれるかと思ってたのに。やっぱりあんたも分かってくれないのね。もういい、あたし帰る」

「え、あ、ちょっと、待てよ・・・」


 吹っ飛ばされた眼鏡を探して僕が床を這いずり回ってる隙に、茜はチョコ入の銀紙がズラリと並んだトレイをさっと抱えると勝手口のドアから外に出て行った。

 バタン!と音を立てて勢い良く閉められた勝手口のドアを、僕はしばらく呆然と眺めていた。

 

・・・な、なんでだ?

 なんで、こんな事言っちゃったんだ?

 冷静沈着の理系男子と呼ばれてる僕が、意味不明の理屈をこね回して、茜の夢を壊すような事をしてしまったのだ。

 自分でも信じられない言動を思い返して、僕は頭を抱えた。

 後悔先に立たず。

 僕は、ただ、今のままもう少し茜と一緒に居たいだけだったのに・・・。

 

 

 そして、翌日。

 日本中の男達が密かに期待に胸を膨らますバレンタインデー当日・・・。


 当然の事ながら、昨日の茜との一件で、僕の心境はバレンタインどころではない。

 これは完全に僕が悪かった。

 何とかして、彼女の機嫌を直してやらなければ・・・。


 寝不足の頭を無理矢理覚まそうとインスタントコーヒーをブラックのまま胃に流し込み、2月の冷たい水で顔を洗う。

 洗面所の鏡には目の下にクマを作った、僕の冴えない顔があった。

 今日は何とか早目に帰って、茜と話しなきゃ・・・。


 そんな事を考えながら玄関の外に出た時、僕は驚いてその場に立ち尽くした。

 僕の家の玄関の前には、制服姿の茜が僕を待ち構えるように立っていたのだ。

 だが、仏頂面で僕を威嚇するような視線を投げてくるあたり、彼女の機嫌が昨晩よりも改善されているとは考えにくい。

 僕が恐る恐る声を掛けようとした時、茜の方が口を開いた。


「ユッキーにお願いがあるんだ」

「え、お願い?」


 茜はトートバッグから綺麗にラッピングされた長方形の箱を取り出した。

 いかにも手作り風なその箱の中身が、昨日僕らが作ったチョコトリュフであろうことは間違いない。

 ま、まさか・・・これ、僕に・・・?

 と、鼓動が速くなりかけたその時、茜が言った。


「これ、渡して欲しいの・・・あんたの陸上部の友達の浅田君に・・・」




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