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 2月13日。

 それは、日本中のモテ男達が期待に胸を踊らせ、非モテどもが屈辱と嫉妬に苛まれながら悶々した夜を過ごすバレンタイン・デー前夜。

 男にとって、繊細なガラスのハートが更に壊れそうになってるそんな夜なのに・・・。

 

 その日、家に帰ったらアイツがいたのだ。


「おかえり、ユッキー!今、チョコ作ってるんだ。手伝ってよ」


 玄関から台所に入った瞬間、デカい声で迎えられた僕は唖然として立ち尽くした。

 硬直した僕の肩からジャージの入ったリュックがズルリと下がり、そのまま床にドサリと落ちる。

 人の家の台所でボールを片手に何かをかき混ぜているこの女、村山茜むらやまあかねは、ポニーテールにした黒髪を揺らしながら、僕を振り返った。

 その白い頬には黒い墨みたいなチョコレートがベタっとついている。

 制服のままでエプロンをしているところを見ると、高校から直行してきたらしい。

 僕は呆れた。

 ただでさえ微妙な夜なのに、仮にも男である僕の家でチョコレート作るなんて、非常識にも程がある。

 大体、いくら幼馴染みで家が隣だからって、人の家の台所で作る意味が分からない。

 僕は溜息をつきながら、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。


「あー!ユッキー、何寛いでんのよ!?暇そうに座ってんなら、ちょっと手伝ってよ」


 ユッキーというのは『河合信行かわいのぶゆき』という何の変哲もない僕の本名からとった呼び名だ。

 尤も、身長175cmで眼鏡のダサ系高校男子になってしまった僕の事をそう呼ぶのは、彼女だけだ。


 茜は口を尖らせながら無反応な僕の前にやってくると、抱えていたボールをドン!と目の前に置いた。

 直径30cmくらいのボールの底には、半溶けになった黒いチョコレートがベッタリとくっついている。

 この黒いスライム状の物体が これからどう進化するのか知らないが、今の時点では食欲が増進されるようなシロモノではない。

 ボールの底を覗いて、僕はうわあ・・・と呻いてから返事をした。

 

「自分の家で寛いじゃ悪いか? てか、僕は暇じゃない」

「いいじゃん、ボケっと座ってんなら、ホラ、これ押さえてて」

 

 強引な茜に言われるまま、僕はしぶしぶボールの底を両手で抱えて、回転しないように押さえ込んだ。

 茜は僕の傍らに立ったまま、木べらでグルグルと掻き回し始める。

 ビジュアル的にはイケてないチョコレートから仄かに甘い匂いが湧き上がってきた。


「茜、高校からそのまま来たの?」

「そうよ。ユッキーのお母さんは今買い物に行っちゃった。すぐ帰るって」

「ああ、そう・・・」


 女子高生を誰もいない台所に上げて、買い物に行っちゃう母親ってどうよ?

 しかも、同じ年の自分の息子と二人っきりになっちゃうのも分かってるだろうに、全く心配しないのだろうか?

 僕だってもう男なんですけど。


・・・なんて、頭の中でボヤきながら、僕はボールを抱えたまま彼女を見上げた。

 幼馴染みだった僕がいつのまにか男になっている事など全く眼中にないであろう茜は、眉間に皺を寄せ、必死で木べらを回している。

 このチョコレートの行き先も聞かない方がいい。

 少なくとも僕にではない事はもう分かっているんだから。

 いくら非常識な茜でも、男にあげるチョコを本人の家で作って、しかも、本人に手伝わせる訳がない。

 

「茜、これ、バレンタインデーのチョコなの?」

「失礼ね、見れば分かるでしょ?当たり前じゃん!」

「じゃ、なんで僕の家で作ってるの?」

「だって、こんなの一人で作るの大変なんだもん」

「・・・最初から僕に手伝わそうとしてた訳?」

「いいじゃん、二人で作った方がきっと楽しいよ」


 そう言って、茜はテヘヘ、と笑った。

 なんなんだ、その理屈は?

 そのチョコにありつければまだマシだけど、他の男にあげるチョコを二人で作って楽しい筈がない。

 僕は呆れて、下がってきた眼鏡を鼻の上に押し上げた。

 元から黙っていられない性分の茜は、ポニーテールを揺らしながら手は休める事なく話し続ける。


「でもさー、ユッキーとこんなに話すの久し振りだね?陸上部、忙しいの?」

「まあね。冬の間は駅伝があるから、馬みたいにひたすら走らされてた。てか、茜とはテスト前に会って勉強教えてやったばっかりじゃん。久し振りじゃないよ」

「えー?あー、そーだったっけ?」

「結果、どうだった?」

「全然ダメダメ、もー、追試受けたよ。あたし、頭悪いもん」


 アハハ・・・と明るく笑って、茜はシュールな事をサラリと言った。

 その言葉に唖然とした僕は、眼鏡の奥から上目遣いに茜を見上げる。

 この僕がテスト前に教えてやったのに、全然ダメダメで追試まで受けたってどーゆーことだよ!?


「な、なんで?どの教科が悪かったの?」

「うーん、もう全面的にダメダメ。あたし、ユッキーみたいに頭良くないから、教えてもらってても多分分かってなかったのかも」

「なんだよ、それ。分かんなかったらその場で言えよ」

「なんか分かってる気がしてたんだって、その時はね」


 大して気にした様子もなく、茜はテヘヘと照れ笑いしている。

 だが、僕に言わせれば、全く笑っている場合ではない。

 高校二年の学期末テストで追試だったら、自殺モンにショックだ。


「ごめん、茜。上手く教えてやれなくて」

「やだ、ユッキーが謝る事ないよ!あたしがアホなだけだからさ。寧ろ、期待に沿えなくてこっちがゴメンだって。それにウチの高校って進学校じゃないから、みんなこんなもんだよ」

 

 あっけらかんとした茜を見上げて、僕は溜息をついた。

 確かにそうかもしれない。

 茜の高校では僕が心配する程、勉強が重要視されていない。


 家が隣の茜とは保育園から中学校まで同じだったが、高校は離れてしまった。

 自慢ではないが僕は地元ではトップクラスの進学校、茜はお世辞にも学力があるとは言えない私立の女子校に進学した。

 成績優秀だけは優秀だけど、眼鏡のダサ男だった僕に比べて、かわいくて社交的だった茜は成績は悪くてもいつもクラスの中心的グループの真ん中に君臨していた。

 友達も少なくて目立たない僕から見たら、茜は女王様みたいな存在だったのだ。

 別々の高校に進学した後も、地味な陸上部で馬のようにひた走ってる僕に比べて、茜はバイトしたり、コンパしたり、ハイスクールライフを謳歌している。

 バイト先で知り合った大学生と付き合ってた時期もあったらしい。

 家が隣で親同士が仲がいいと、聞きたくもないいろんな情報が飛び込んでくるものだ。


「ユッキーは大学行くんでしょ?」


 長い睫毛を少し伏せて、茜が僕を見下ろした。

 黒い瞳に見つめられて、僕は何故かドキドキしながら目を逸らして応える。


「・・・まあ、そのつもり。でも、ここから通える範囲の国立志望だよ」

「だめだよ、頑張んなくっちゃ。東京とか行けばいいじゃん」

「いやだよ、東京なんて。ただでさえ友達いないのに、都会に出たら孤立して下宿先で孤独死しそうだ」

「アハハ・・・上京した大学生が下宿で孤独死かあ・・・ユッキーならアリだね。確かに危険だねえ」

「ほっとけよ。茜は進路どうすんの?」

「あたし?あたしは東京行くよ、東京の専門学校」

「ああ、そう。お前が東京にねえ・・・え・・・ええっ!?」


 突然の爆弾宣言。

 僕は唖然としてこの幼馴染みの顔を見上げた。



 

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