第35話~魔術師は大体こんなやつらばかり~
少し時は遡り、フェルマリス一行に場面は移る。
「先生方、危険ですからあまり遠くへ行かないでください!」
「時間は限られておるのです、姫様。危険が怖くて学者などできませぬ」
サートとゴッツが薬を作り続けている森から少し歩いたところにある川辺。
そこではフェルマリスとその護衛の部下を始めとした王都からの調査部隊、そして迷宮都市アルバで依頼を出して雇い入れた冒険者達が様々な方法で今自分達のいる場所について調査をしていた。
初めは不思議な銀色の光を発する川や、色素を失ったかのような白い森といった初めて見る光景に皆言葉を失っていた。更にはここが迷宮の中でもかなりの下層部だと言うことも重なって少しの物音にも過剰に警戒していた。
だがそれもつかの間、今では見るもの触るもの全てが宝物にでも見えているかのように興奮冷めやまぬといった様子で、人によっては笑みすら浮かべながら近くにあるものを手当たり次第に観察している。
「草も木も、種類関係なく全て白いの。むう、実に興味深い」
「噛まないでください! 毒だったらどうするのですか!」
「ほ、川の水が光り輝いとるわ」
「飲まないでください! ええい、少しは自分達が国の宝であるという自覚を持ってください!」
やんちゃ盛りな幼い男児でももう少し落ち着きがある、そう感じるほど好き勝手にあちらこちらで暴れる老齢の学者達。
王国の頭脳とも言える彼らに敬意を払いフェルマリスも先生と呼んでいるのだが、この状況ではどちらが先生か分かったものではない。
特にやる気のありそうな人物を選りすぐってこの街に連れてきたとはいえ、放っておけば今自分が立っている地面の土の味でさえも実際に確かめようとする姿には流石に引く。
「つ、疲れる…………ん? なんだ、叫び声?」
王国としても迷宮都市で起こった一連の出来事の詳細を調査するために人材を派遣しなければならず、事が事なので素人や下手な人材を送るわけにもいかない。そのため高名な学者を中心とした調査隊を組織したのだが、そういった学者は高名であればあるほど偏屈で頑固なのはどこの世界でも変わらなかった。
そんな個が強すぎる彼らを纏めるためのトップとして、選ばれたのがフェルマリスである。酒場でサートに話しかけたのも、元々はこの調査のための協力を依頼するためであったのだ。
しかし、如何に高名であろうと彼らのスポンサーの親玉である王族の権威の前には意味をなさない、という見立ては少々甘かったと言わざるを得なかった。天性のカリスマを持つフェルマリスがトップにいるからまだチームとして機能しているが、これが他の人物であれば即学級崩壊だっただろう。
貪欲に調査をする調査隊は頼もしいが、頼もしすぎて逆に人選を間違えたかもしれない。と、彼らを監督しながら思い始めているフェルマリスの耳に、どこかで聞いたような声が僅かに届く。
「……一瞬、サートの悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、もしや何か緊急事態でも起きたか?」
ここに来る前にサートから森の中の魔物は殆どいなくなったと聞かされていたが、もしや生き残りがいたのだろうか。
なにしろここはアルバ迷宮の中でもかなり最下層に近いだろうと思われる場所だ。基本的に迷宮は地下に、奥に行くほど強力で厄介な魔物が生息するという傾向があることは分かっている。しかも今まで殆ど人が訪れたことが無く、情報が皆無に等しい場所なのだ。想定外のことが起こっても全く不思議ではない。
「んー、確かにサートさんの声ですけど、これは……」
「あいつなら別行動をしても問題ないだろうと判断をしたが、甘かったか……!」
フェルマリスがそう考えて真剣な顔で剣に手をかけながら周囲の警戒をするが、その近くにいたミラも同じような声が聞こえたにもかかわらず何故か微妙そうな、なんとも言えないような顔でそれを否定する。
「いえ、この声の感じは多分、心配しなくても良いと思います。無視しましょう。」
「……本当に良いのか?」
「ええ、本当に心配いりませんよ」
悲痛ながらもどこか余裕を感じさせる叫び声から、どうせまたゴッツとふざけて遊んでいるのだろうとミラは推測した。大正解だ。
もし本当に危険が迫って声を上げているのなら、サートならば今この瞬間に転移をしてきて「なんかやべえのが現れたから帰ろうぜ!」とでも言っている筈だ。それが起こっていないということは、サートに取っては大した危険ではないか、もしくは遊んでいるかだ。
サートという人物の人となりを知っていれば、それほど長い付き合いで無くてもこれぐらいは簡単に想像できる。
「しかし、元々これほど巨大な魔物が住処としていた場所だろう? 万が一ということもある」
そう言ってフェルマリスは、目の前にある氷漬けにされた巨大なサンショウウオの様な魔物の死骸に手を当てた。以前主級を甘く見て一度痛い目どころではない経験をしたフェルマリスであれば、不安になっても仕方がないだろう。
「あの二人なら大丈夫ですよ。それに」
サートに限って言えば、何かあればすぐに転移魔術で逃げることが出来る。そして何よりもここにはとても頼もしい護衛が控えているのだと、その意を込めてミラはサートから渡された杖に視線を向けた。
「ロマールがこちらにいますし」
たとえこちらの方に敵が現れたとしても、サートが護衛役として残してくれた使い魔の黒丸がすぐ傍にいる。相変わらず杖にぶら下がったまま寝ているク・ロマールこと黒丸である。サートが常々自分よりも強い疑惑がかなり濃厚なんじゃないかと言っている小鳥だ。
黒丸という発音が耳慣れないのか、いつの間にかク・ロマールと周囲には認知されていた。指先で腹をツンツン突くと偶に小さく身動ぎする可愛らしい姿からはとても戦う姿が想像がつかない。でもサートがそこまで言うのなら嘘ではないのだろう。
何なら普段の言動が適当な時が多いサートよりも、ある意味こちらの方がずっと頼もしいかもしれない。
そのことをミラがかなりオブラートに包んでフェルマリスに伝えた。オブラートに包んであげたのは純粋にミラの優しさだ。
最初は半信半疑で杖にぶら下がるその奇妙な小鳥を見ていたフェルマリスも、ミラに釣られてその腹を指で擽ってみると、返ってくる愛らしい反応に思わず顔を綻ばせる。
そのおかげで必要以上に張りつめていた緊張も適度に解れたのか、冷静な思考を取り戻したフェルマリスは、その上で改めて周囲に警戒をするように指示を出した。
これでもう大丈夫だろうと判断したミラは、落ち着かせるためとはいえ勝手に名前を利用することになってしまったサートに対して心の中で小さく謝りつつ、自分の目の前にある巨大サンショウウオの氷漬けの観察に戻った。
「これ、本当に私がやったんですかね」
「正確にいえば、お前の身体に乗リ移ったお前の母が、ラしい。詳しいことは俺も知ラんが、サートがそう言っていた」
以前一度この場所に来たことがあるということで、ミラと同じく急遽アドバイザーとして一緒に雇われたガランが答えた。
サート達が前回この場所を訪れてからから一月以上の時間が過ぎているが、未だにこのオオサンショウウオの様な魔物の身体を覆う氷は融けきっていない。
これを見た時、サートが「またか……」というような顔をしていたが、流石にミラの魔術が暴走した時ほど強力ではなく、最初と比べれば多少氷は小さくなっていた。それでもこのペースではあと半年以上は経たないと完全に融けきらないだろう。
「これほどまでの大物なら、単純に素材としてだけでなく学術的な意味でも価値が出てくる。出来れば是非回収をしたいのだが……」
フェルマリスがミラとガランに尋ねてみるも、二人とも首を横に振る。
今も数人の冒険者がハンマーやこん棒で氷を砕こうと悪戦苦闘をしているが、氷が硬過ぎて少しずつしか砕いていけない。息を切らせながら先ほどからずっと鈍器を振り回しているが、まだ片足の皮膚が見え始めたばかりなのだ。
「氷を溶かす時間も、解体をする時間もありませんし、あとはサートさんにお願いしてこのまま丸ごと持っていくしかないですね」
「またあの男か」
能力は頗る優秀なんだがなあ、能力は。そう言って腕を組みながらなんとも複雑そうな顔をするフェルマリス。というのも、全てはサートという男の得体の知れなさが原因である。
「ううむ、サートなあ……」
フェルマリスは眉間に皺を寄せながら悩ましそうに唸った。
魔術師としての力量は文句なし。貴重な転移魔術の使い手であり、話を聞く限りでは実戦経験も豊富そうである。それに加えてこのような大物の魔物でも、大量の物資でも、魔術を用いて持ち運びをすることが出来る。
礼儀作法や言葉遣いも、一応やろうと思えば出来なくも無いのは酒場でのやり取りで分かった。非常に気持ち悪かったのですぐに止めさせたが。
性格に関してもまあ、仮にも一国の王族を相手に無礼の許容範囲ギリギリを狙ってくる糞度胸だけは評価してやっても良い。
総合的に見れば、正直色々と便利すぎて何としても囲い込みたくなる魔術師だ。
そんな魔術師を今回、半ば相手の自業自得とはいえ元々想定していた金額よりもかなりの安値で雇うことが出来たことは非常に幸運であった。だが、それですべて良しとはならないのが上に立つ人間の悩みである。
「……あの男は、一体どういう者なのだ?」
別にサートの人となりを聞きたいわけではない。正確なニュアンスで分かりやすく伝えるならば、『あいつ、マジ何なん?』といったところだろうか。
是非とも囲い込みたい魔術師であるが、何を以て縛りつければ良いのか見当もつかないのだ。案の定、ガランとミラも分からんといった顔をしている。
こういう時にまずは一番初めに頭に浮かぶのは金銭だ。しかし、数時間前に全ての金銭を寄付したと聞いたばかりである。勿論全てが善意ではないだろうが、それでも金よりも優先する物があったということだ。
次に権力。そんなものに興味があるなら少なくとも自分にあんな舐めた態度はとらないだろう。論外。
後は女。これに関しては一先ず保留だ。自分も、そして今自分の前にいるミラも、人並み以上に優れた容姿をしているという自覚があった。だがサートがそんな自分達を見る目は何と言うか、老人が孫を見る目とまではいかないが、伯父が姪を見る目に近しい物があるとフェルマリスは感じていた。
熟女好きか、はたまたその逆か。どちらにしろ現時点では判断が付けられないことであるため、フェルマリスはひとまず心のメモ帳に書き留めておくことにした。
こうしてサートは知らずの内に特殊性癖予備軍として認識されるのであった。
「他に考えられるとすれば、魔術師としての知識欲か? それともそれ以外に何か事情があるのか……。ええい、変人の考えることは分からん!」
元々七日に一度しか姿を現さなかったり、金があっても安い食事を注文している変人として、このアルバにいる冒険者達からはちょっとした珍獣扱いを受けているサートだ。今更だな、とミラとガランはそんな気持ちでフェルマリスを見ている。
その二人の慣れたような反応に、フェルマリスはそういえば一番初めにサートと深く関わり合ったのはこの二人の所属するパーティだったらしいなと思いだす。それならば丁度良い、とサートについて何か知っていることは無いかと聞いた。
しかしそれを聞かれたミラとガランもお互いに顔を見合わせては首を捻るだけで、なんとも言えないような様子だ。そもそも出会いからして……、と二人はフェルマリスに珍獣サートとのファーストコンタクトについて語り始めた。
「初めての実戦を経験する前に少し不安になっていた私に、『じゃあ、助言してくれる魔術師を探してくる』といってゴッツがふらりと出掛けて行きまして……」
「何でも酒場で意気投合したようだ。まさかその日の内に連レて来ルとは思いもしなかったが。そレ以来、何だかんだで縁があル」
「そのゴッツとやらも大概だが、本当に何なんだあの男は……」
「「さあ?」」
正確なニュアンスで分かりやすく伝えるならば、『何なんあいつ? マジで』『知るか』といったところだろうか。
「ただいまー……あれ?」
サートとゴッツが森の中で十分な量の薬を調合し終えて調査団が集まっている川辺に戻ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
今回サートがフェルマリスの依頼で連れてきた調査団の人数は、護衛役も合わせて二十人以上に及ぶ。そこにミラやガランといった一度この場所に来たことがあるアドバイザーや、現地で雇った人足代わりの冒険者と護衛も合わせれば合計三十人以上の大所帯になる。
その中でも一際目を輝かせながらあちらこちらを忙しなく動き回っている、恐らく学者か研究者と思われる集団が非常に良く目立つ。見たところかなり高齢の学者が多く、枯れた老木の様に痩せた身体をしているにもかかわらず目だけはギラギラと輝き、不気味な笑みを浮かべながらペンを走らせている。
良く見ればそこらに生えている草を齧ったり、土を口に含んだり、川の水を直接飲もうとしたりしている様子が見えた。そんな放っておけば裸で川の中に飛び込もうとしかねない元気すぎる老人達に、体格の良い冒険者達が必死に止めようとして振り回されている様は一体何の冗談かと言いたくなる。
「うわ、カオス」
その一言でその場の惨状を表現したサートはゴッツと顔を見合わせ、気配を消しながら少し離れた場所で釣りの準備を始めるのであった。
――――――
「お、お? ゴッツ、網! 網持って来て! 何か釣り竿がすげえしなってる! 大物だぞ!」
「今手が離せねえんだよ! こっちも大物だ!」
「帰ってきたと思ったらそのまま釣りに……。いい加減お主ら蹴飛ばして良いか? 良いな? 蹴る」
「だって俺の仕事半分終わったようなもんですし。後は地上に連れて帰るだけですもん。ぶっちゃけ暇」
「暇なら調査を手伝ってくれても良いんじゃぞ? 正直何もかもが想定以上で、人手はいくらあっても足りぬと思っておったところだ」
「だからこうして水棲調査をしてるんじゃないですか。誰も釣り竿持っていないみたいだし、これも必要なことですって」
「……むぅ、それもそうじゃの。ああもう分かった、好きにせい!」
「よっしゃ、姫様の許可が出たぞゴッツ! 早く網持ってきてくれって、あーくそ逃げられた」
「おう、こっちは鰻っぽい奴が釣れたぞ! 食うべ食うべ」
「お主ら自由過ぎるじゃろ。それと釣れた物は後で私にもいくらか寄こせ。鰻は好物じゃ」
「……姫様、なんかすごい逞しくなりましたね」
「お陰様でな。鰻、忘れるなよ」
そう念を押してフェルマリスは暴走する学者たちを鎮圧するために、ドスドスと早足で部下のもとに向かっていく。
サートは何だか以前噂に聞いていた評判や、例の主級騒動で接した僅かな時間から感じ取った性格よりも、一癖も二癖もある性格になっているなという気がした。多分あれから色々あったのだろうということは容易に想像が出来るが、果たしてどんな経験をすれば世間知らずの娘がこんなに逞しくなるのだろうか。
ああいうのが将来女傑と呼ばれたりするようになるのだろう。既にその片鱗がチラチラ見え隠れしているし、今のうちにもう少し媚び売っておこうかなと真剣に考えるサートであった。
「よいしょ、っと。竈はこんなもんで良いか」
「こっちも結構釣れたぞ。いやー、入れ食いで楽しいね」
それから暫く釣りを続けた後に、河原から少し離れた場所でゴッツが釣り上げた鰻をどうやって食べようかと悩みながら、とりあえず火を使う竈だけでも作っておこうと作業をしていた。その間もサートは釣った魚が全員に行き渡るようにと釣りを続けていたようで、魚が詰まった網を浮かばせながらゴッツのいる場所まで歩いてきた。
どうも釣られるということに慣れていないのか警戒心が薄く、鰻以外にも良いサイズの魚が次々と餌に食いついてきた。自身の釣果を見せながらゴッツにそう語るサートの顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。
「で、ここまでやっといてあれだが、そもそも食えんのか? 毒持ちの魚を食うのは流石に俺様も勘弁だぜ?」
「それな。俺も釣りが楽しくてそんなこと考えてなかったけど、どうしようか?」
魚の身をドロドロに磨り潰して試験管の中で反応を見る方法でなら、毒があるか無いか調べることは出来る。しかし、その方法は時間がかかるうえに食欲が減衰するためやりたくはない。
「まあ、まずは焼くだけ焼いてみるか。内臓さえ食わなきゃなんとかなるだろ。おいサート、薪がねえぞ」
「鰻の捌き方が分かんねえ……。頭を釘打ちするんだっけ? 釘なんて無いぞ。ついでに、まな板もねえ」
あーでもないこうでもないと二人が非建設的な議論を交わしていると、それを遠目で見ていたミラが何をしているのだろうと近づいていく。そして近づくにつれて聞こえてくる二人の会話の内容と、あまりの段取りの悪さにミラは呆れた顔をしながら手伝いを申し出た。このまま二人に任せておいたら何がどうなるか分かったものではないと不安に感じたからだ。
「あの、手伝いましょうか? 道具なら氷で何でも作れますし、毒を判別する魔術も使えます」
「女神」
「天使」
「はいはい。では使徒よ、まずはこちらの魚の鱗取りと内臓の処理をお願いしますね」
ここ最近で二人に対する扱い方を心得てきたミラは軽く受け流し、魔術で創りだした氷の板をまな板代わりに魚を捌き始める。
こっちも逞しく成長したなあと涙を拭う素振りを見せながら、ゴッツは薪に使えそうな枝を集めに行き、サートも同じように泣き真似をしながら魚の下処理をしていった。
「あ、そうだ。丁度良いや」
「どうかしましたか? サートさん」
しばらくナイフで魚の鱗取りをしていたサートが、突然閃いたかのように声を上げてミラを手招きする。もしかして飽きたのかと一瞬思ったミラだったが、どうやら飽きたわけではなく、影の中から取り出した数本の試験管の中身について確かめたいことがあるようだった。
「それは?」
「前にミラが使った秘薬があるだろ。その秘薬の親戚というか、先祖? の素になる材料その一」
何の事だか分からないといった顔で首を傾けるミラに、まあ見てな、と先ほど森の中で抽出した液体を、内臓を抜き取られてピクリともしない魚にバシャッと振りかける。
一体何が起きるのかと興味深々でサートの傍で観察をするミラだが、その好奇心に充ち溢れた顔も次第に怪訝な顔に変わっていく。
「……あまり変化がありませんね」
「まあこれは予想通り。本命は次だ」
ゴッツの潰れた血豆に振りかけたものと同じものだが、魚に変化は見られない。唯一見られる変化といえば、剥ぎ取られた鱗の一部が僅かに再生していることぐらいだろうか。やはり生きていない相手にはあまり効果は無いようである。
それでも大きな変化といえば大きな変化なのだが、先にあの秘薬の親戚と聞いていたせいもあって、なんだこんなものかとミラは思ってしまった。
これだけですか? と視線で問うてくるミラに、サートはまあ見てなと、今度は光り輝く水の入ったペットボトルを取り出した。
「材料その二! というかただの『アルバの大蛇』本体からどさくさに紛れて採取した、例のあれ」
そしてその材料その一と材料その二を混ぜ合わせ、サートは再び目の前に氷のまな板の上で横たわる魚にかけ、ミラとサートは上から覗き込むようにしてその変化を見守った。
「これは一体……え? わ!」
「はい予想的中、流石俺! ……マジかあ、どうしよ」
二人の目の前にはビチビチと勢いよく跳ねまわる魚が一匹。
元気が良すぎて尾鰭がサートの顔面に直撃するほどだった。とてもついさっきまで死に体で横たわっていた魚とは思えない。しかしその魚は間違いなく、先ほどサートが腹にナイフを入れて中の内臓を掻き出した魚だ。その証拠に、すぐ隣にその魚の腹の中に入っていた内臓が置かれているのだから。
いくら釣ったばかりで新鮮だと言っても、完全に命は途絶えていた筈なのだ。
(いざ目の当たりにしてみると、ビビるなこれ)
『流星の川』の光を浴びた者は、死を待つばかりの重病人の命すら蘇らせたという。ならばその残光をかき集めて濃縮すれば同じ事が出来るのではないか? 最初はそんなちょっとした好奇心だったのだ。
「ああ……、やはり水の無い所だと長くは持ちませんか」
だが、水を求めてしばらく元気に跳びはねていたその魚も次第に弱っていき、そのうち元の様に動かなくなっていった。ミラの言う通り陸で窒息したかのように見えるが、サートはそうは思っていないようである。
「もう一度捌いてみるぞ」
完全に動かなくなったことを確認したサートは、二度も命を失わせるということをさせてしまった魚に対して両手を合わせる。そして先ほど開いた筈なのに痕も無く綺麗にふさがっている腹に再びナイフで切れ込みを入れ、その中を確認した。
「なるほどこうなるのね。『内臓がないぞう』、なんちって。……はあー、笑えね」
「この状態であんなに激しく跳ねまわっていたんですか……」
朝斗以外、この世界にいる誰もがが理解できない日本語の洒落をサートが言っているのを無視して、ミラは魚を手に持って真剣な顔で観察をしていた。何せその魚の腹の中には何も無く、空っぽだったからだ。
「傷は治せても失った臓器は再生しないということですかね。鱗も新しく生えてはこなかったですし……」
ミラはなるほど、と呟いた。この魚がまた動かなくなったのは地上での窒息以外にも、臓器が存在しない故の影響もあったのだろう。恐らくサートが内臓を取り出す前であればもう少し長生きをしたかもしれないし、その状態で元気が無くなる前に川に戻してやればそのままずっと生き続けたのではないだろうか?
と、ミラはそこまで考えた辺りである一つのことに思い当たった。
目の前の現象を見れば今更なことである。しかし、当たり前のことといえば当たり前のことなのだが、あまりにも現実味が無さ過ぎて頭の中からその単語が除外されていたのだ。
「あの、ということはこれは……、『生き返った』ということで良いのでしょうか?」
万が一にでも周囲に声が漏れないよう、お互いの額がくっつきそうになるまで距離を縮めてひそひそと小声で話すミラに、サートはいつか見たような怪しい笑顔で返事をする。
「それに近いことが起きたんだとは思うよ」
「あの、あの! お聞きしても良いですか!」
まるで肩の重荷が下りたかの様に、やけにすっきりとしたサートの表情に疑問が浮かぶが、そんな些細な事よりも重要なことがある。そう思ったミラは、今目の前で起きた一連の出来事について好奇心のままに次々とサートに質問をしていく。
ただ、なにせ事が事だ。命を蘇らせる薬など、当然魔術師として秘匿しておきたい知識だらけだろう。
正直、何も答えてはくれないだろうとミラは予想していた。だが、それでも駄目元で聞いてみようとまずは当たり障りのないところから質問をしていけば、予想に反してサートは全く隠し事をせずにミラの質問に全て答えていった。
「なるほど……、サートさんはそこから発想を得たんですね。言われてみれば確かに」
「他に何か聞きたいことは? 何でも教えちゃうよー」
今回が初めての実験でまだ一度しか試していないため不確定要素は多々あるが、現時点で分かっていることをサートは全て答えた。
元々リラが言った、この光る水には魂を活性化させる効能があるという言葉からヒントを得たとか、サート特製スペシャルブレンド栄養ドリンクの元になったレシピに違和感を感じたとか、その他色々、まるでミラに言い聞かせるようにサートは語る。
それどころか、材料その一、もといこの階層にある白い植物から抽出した成分の持つ効能からその抽出方法まで、核心に触れる情報すらサートは隠さず伝えた。妙に爽やかな笑顔で。
「はえー」
サートの話を聞いて思わず出た感嘆の溜息に、ミラは慌てて自分の口を塞ぐ。
今までの冷静沈着な自分のイメージとかけ離れた声だったため、恥ずかしかったのだろう。心なしか頬が赤くなっているのが分かる。
珍しい物を見たという顔をするサートに、ミラは誤魔化すように何度か咳をした後、再び額を付き合わせて小声で言った。
「つまり、材料その一は肉体に、材料その二は魂に働きかける効能があると。そしてそれら二つを掛け合わせると、互いに効果を増幅し合う、ということですか?」
「多分、大元はどちらも『アルバの大蛇』だと思うよ。魂に影響を与える力が大きすぎて目立たないだけで、肉体にも何かしら変化をもたらしてる筈だ」
最初にここに来た時、この銀色に光り輝く川の光を浴びただけで身体の疲労が回復していったことをサートは思い返す。
病は気からというが、気合だけでは肉体の疲労は消えはしない。同じように魂と肉体が連動しているとはいえ、いくら魂が活性化しようと、それが物理的に疲労が消えるほどの効果が表れるとは考えにくい。
「それに、あっちの学者様方を見れば一目瞭然でしょ」
「ええ、まあ。凄い元気ですよね」
二人で視線を横に逸らしてみれば、そこには30年は若返ったのではないかと思いたくなるほどに、きびきびとした動きで護衛の冒険者を振り回す老人達が見える。
あそこまで生き生きと行動できるのも、川から発せられる光によって疲労が軽減されているのに加え、恐らくは体中の関節痛やら何やらを感じなくなったからなのではないか、と推測できる。もしかしたら老眼も多少治っているのかもしれない。『流星の川』の光を浴びた者の病が治ったという話からも、この光り輝く水には魂と肉体に作用する力があるのだと考えるべきだろう。
「この光を受け続けて成長したからなのか、この場所に生えている白い植物達の中にはその肉体に作用する力が段々と凝縮されていったんだと思う。どんな原理かは知らんけど」
学者たちと目が合ったら絡まれそうなので、そうならない内に二人は視線を戻して内緒話を続ける。そしてサートは、ここからはただの推測で抽象的な表現になるが、と前置きをして自分の考えを述べていった。
そしてその凝縮された肉体に作用する力と、元々強い魂を活性化させる力が合わさることにより云々―――と、これまた丁寧に解説をしていくサート。
弟子でもない相手にここまで解説するなど、本来魔術師としてはあり得ないことである。しかし今まで積み重ねてきた信頼の賜物か、ミラは少し怪訝に思いながらも楽しそうにサートの話を聞いていた。
「それで、サートさん。これからどうするんですか?」
「うん、それね。どうしようかね?」
これは間違いなく大発見で、サートには何か考えがあるのだろう。だから自分の質問にもこうして丁寧に答えてくれたのだ、と思っていたミラ。故にこの歴史に名が残ることが確実であろう死者をも蘇らせる特別な薬を生み出したサートに今後の展望を尋ねたのだが、何故か逆に聞き返されてしまい困惑をする。
「えっと……?」
「さあ、この厄ネタをどう処理しようか、一緒に考えようじゃないか」
ここでようやく雲行きが怪しいことに気が付いたミラだが、もう遅い。逃がさんぞと言わんばかりに両肩をがっしりと掴むニコニコ顔のサートと予想外の展開にミラはひたすら困惑した。
「分かる? 俺がこの薬の可能性に気が付いてから今日までの、この欲望と恐怖が入り混じった葛藤。ほんっと、健康に悪かった……」
でも今は超スッキリ、そう言って笑みを崩さないサートの顔を近くで見れば、目の下にはらしくもない隈の痕が僅かに見える。
サートが厄ネタと言っている理由はミラも理解ができる。死者を蘇らせる薬などという物が出てくる話には、本物・偽物を問わずおとぎ話の時代から現在に至るまで碌な結末になったためしなど無いのだ。
それでも根は魔術師と言う名の研究者。少しでも可能性を感じてしまった物を完全に忘れ去られる程サートの心は強く無い。
でも、だからこそサートには何か考えがあるのではと思っていたのに、どうしてこうなったのか。
「作ったのサートさんじゃないですか。責任取って何とかしてくださいよ」
「馬鹿め、お前も既に共犯だ。何のために懇切丁寧に解説したと思っている」
「……まさか」
「『魔術師を信用するな』って母親から教えられなかったか? 魔術師の腕と外道さは比例するという言葉に聞き覚えは? 大体こんな奴ばっかりだぞ、魔術師なんて」
良い勉強になったねとでも言いたげにポンポンと自分の肩を叩くサートに、ミラは両手を地面に着いて項垂れた。
「は、嵌められた……。信じていたのに、私の心を弄んだんだ……!」
「真面目な話、顔見知りとはいえ最近ちょっと気を抜きすぎ。初対面のあの警戒心はどこにいったのか。あと、そのセリフは誤解を生むのでやめてね。誰とは言わんけど俺殺されちゃう」
師曰く、魔術師なんて生き物は裏では人には言えないあくどい事の一つや二つあって当然。それがどうしたと涼しい顔が出来るぐらい面の皮が厚くなって初めて半人前であるらしい。
その上で、本当はこんなことしたくないけれどそれでも……! と同情を買う演技でスポンサーを得ることが出来るなら見込み有りであるとは、ミラの母親であるリラの言葉。
今まで色々と手助けをしてもらい、少しずつ信頼し始めていたサートに騙されたことがよほどショックだったのか、ミラは暫く俯いたまま動く様子を見せなかった。
しかし母親譲りの精神の強さというべきか、それともただ単に諦めたのか、すぐに気持ちを切り替えたミラは下を向いていた顔を上げ、サートの顔をしっかり見て堂々とこう言った。
「見なかったことにしましょう」
「おめでとう。君は今、魔術師半人前に昇格した。そのまま厄ネタに巻き込む側になったら一人前らしいぞ、引き続きがんば」
おめでとうと言われてもミラは全く嬉しくなさそうだった。軽く人間不信になっているのだろう。良い傾向である。そんなミラとは対照的に、サートは楽しそうにけらけらと笑っている。自分が一足先に一人前になったのがそんなに嬉しいのだろうか。
「それじゃ、見なかったことにするということで」
はい決定ー、と言って魚を捌く作業に戻るサートがミラにとっては少し意外だったようで、肩透かしを食らったような顔をしている。
どちらにせよ、迷宮の最下層に近いこの場所に辿り着けなければこの薬の材料は手に入らないのだ。この白い植物達を迷宮の外で栽培することも難しいだろう。
それに、『アルバの大蛇』が目覚めた後でも未だに銀色に輝く光を失わない川であるが、サート達が初めてここに訪れた時と比べるとその光は大分弱くなっている。加えて、『アーイ』が新たな迷宮の主となったことで、もしかしたら水の性質も変わるかもしれない。
サートの手持ちの輝く水を使い切ったら、あとはもう『アルバの大蛇』本体に出会わない限りもう二度と作れない薬になる可能性が高いのだ。ミラもそのことを分かっているから見なかったことにしようと提案したのだが、こうもあっさり承諾されるとは思っていなかった。
何しろさっきの今だから、ここからもっと深くて悪いことに巻き込むつもりなのではないかと身構えていたというのに。
こういうところがあるからやっぱりサートという人間はよく分からないのだ、とミラはそう思った。
「私が言うのもおかしいですけど、サートさんは惜しいとは思わないんですか?」
「売ったら大金になるのになあとか、このまま行けばもしかしたら不老不死が、とは思うよ。けど、もう別にいいかな」
前世ならともかく、今の自分には必要無い。そう思いながら、サートは自分の腰にぶら下げている薄灰色の珠に目を向ける。
最初は光を全く反射しない真っ黒な球体だったのだが、サートの師であるユーザスを生き返らせるために力を全て使い果たした影響か、色が抜けてしまったのだ。今は時々余った魔力を注ぎ込んで補充をしているが、元通りになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
(代替品になれば、と思ったんだけど、やっぱりそんな上手くいかないか)
元々は神族まで辿り着くことの出来なかった『アーイ』候補の魔核をユーザスが加工したものだ。それをサートが卒業祝いとしてユーザスから譲り受けた。
その珠の持つ力、それは簡単に言えば『第二の命』である。
保持者が命を落とした時は身代わりとなり、同時にあらゆる欠損や傷病をも完治させる。そして、死者を蘇らすことも出来る。流石に連続で何度もとはいかないが、それでも保険という意味ではこれ以上の物は存在しないだろう。
怪我の治癒、死者の蘇生という意味ではこの薬も同じ効果があるのだが、失った四肢や臓器は再生できない。そして何より重要なのが――――――
(死んだら自分に使えないじゃん)
もしサートが何かの理由で即死した場合、誰かにこの薬を使ってもらわなければ生き返ることが出来ないのだ。
使い魔の黒丸にもしもの時の指示をしておいたとしても、サートの影の中に保存されている薬を取り出せなければ意味がない。今のところはせいぜい予備を一、二本ミラか朝斗に持たせて、死んだらよろしく! とお願いするくらいしか出来ない。
しかし、そんな誰かに知られたら間違いなく狙われるような物なんて誰も手元に置きたがらないだろう。
「そういうわけで、今回は縁が無かったということで。さあ、作業に戻ろうか」
「それはそれとしてサートさん。私、酷く傷ついたので後で一度頬を叩かせてくださいね」
「デコピンで何とか」
「ダメです。パーです」




