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第31話~人類共通の夢~

「おい、嘘だろ」


 あのユーザスが死んだ。

 あの、殺しても死ぬ姿が想像できないという言葉がぴったりの、この大陸でその名を知らない人間の方が少ないあの大魔術師のユーザスがこんなところで、こんなにもあっさりと死んだのだ。

 あまりに唐突過ぎてまだその実感が湧いてこない。だが、頭の片隅ではそれが本当なのだと理解している自分がいる事にもサートは気が付いていた。


「待たせたな。こちらもどうにか一段落つきそうだ」


 いつの間にか迷宮から溢れ出す水柱や、地面を這って移動する『アルバの大蛇』も姿を消し、夜空には『流星の川』の光の名残が僅かに見えるだけとなっている。そのことにも気が付かずに、サートは自分の着ていたローブを脱いで地面に敷き、その上でまるで眠っているかのように横たわらせたユーザスの亡骸を前に無言で立ち尽くしていた。

 そこにこの場にいる冒険者たちの指揮を執っていたギルド長が訪れ、サートの前で倒れている人物の姿を確認すると、黙ってそのユーザスの亡骸の前に近づいてサートに話しかける。


「こうして自分の目で直接見ても、全く実感が湧いてこんな。私が子供のころから爺さんで、私が年老いて死にかけるときでもこの人は爺さんのまま変わらず元気だと思っていたよ」


「それは、全く持って同感ですが、ギルド長は昔からこの人と交流があったんですか?」


「……お前は自分がいる街の冒険者ギルドの長の名前ぐらい知っておけ」


 まるで昔からユーザスと知り合いだったかのような話しぶりに、サートがギルド長にそんな質問をすると何故だか呆れたような目で見られてしまった。

 そういえばギルド長の名前を知らないな、とサートが今そのことに気が付いたかのような態度を見せると、ギルド長は呆れたように溜息を吐きながら自らの名前を名乗った。


「『ジエーラ・エルマリオン』それが私の名だ」


「……あー、なるほど」


 『エルマリオン』という家名だけでサートは全てを理解した。思えばユーザスは研究費用の捻出のために、時たま魔術の講師や歴史の生き証人、もしくは教育係として、貴族を相手に授業をしていたことを思い出す。

 その貴族の中にエルマリオン家の名前も入っていたが、その時はただこの国の名家であり金払いが良いからだと思っていた。だが、ユーザスがかつて勇者アルバと共に冒険をした仲間の一人だということを知った今では、金銭だけではなくもっと他の理由も含まれていたのかもしれないということが推測できる。


「私も、私の父も、そのまた父も、代々この人に世話になっていてな。中々頭が上がらなかったのだよ」


「でしょうねえ」


 自分の黒歴史時代を知っている人には、どうしても敵わないものだ。サートはまだどこか呆然としながらも、そんなとりとめのない話をギルド長改めジエーラと続けていると、先ほどからサート達の邪魔をしないように少し離れた場所で見守っていた朝斗が近づいてくる。

 もしやまた何か電波を受信したのかと思ったサートだが、今回はどうやら少し違うらしい。


『サートさん! そこ!』


 朝斗がこちらに走り寄りながら指を指す場所を見ると、ユーザスが横たわっているすぐ傍に、小さな人影がいることに気が付いた。

 それが何者なのか、そして一体いつの間にここまで来たのか、思ったことは色々あったが、そのユーザスを見下ろしていた小さな人影がサート達の方へ振り返った瞬間にそんな疑問も吹っ飛んだ。


「お前は……、『アーイ』か?」


 その小さな人影は人間で言えば大体五歳児ほどの姿をしており、その幼い見た目と辺りが暗いことも合わさって男か女か判断が出来ない容姿をしていた。

 分かるのは人間離れしているほどに整った中性的な容姿をしていることと、どこか金属質な質感を思わせる灰色の髪の毛、そしてその髪の毛と対照的な病的なまでに白い肌の持ち主であることだけだった。

 ユーザスの来ている衣服を簡易コピーしたかの様な衣を纏ったその子供は、一見しただけではどこにも『アーイ』を思わせる特徴は見られない。大きさも違うし、そもそもサート達が見たのはまるで母親のお腹の中にいるような形で黒い巨大な球体の中で丸まっている胎児の姿のみだ。


 だがその気配は覚えている。『アルバの大蛇』とも違う、こちらが押し潰されるのではないかと思うほどのあの圧倒的な存在感。それと同じものが目の前の子供から感じられた。だから間違いない、今サート達の前にいるこの子供はあの『アーイ』なのだ。


「あれだけ大きな胎児だったのに、こんなに小さく育っちゃってまあ……」


『……今目の前にいるのはただの思念体で、本体はまだ遥か上空を漂っている、と言っていますが……』


『あ、そうなの』


 というかこちらの言っている言葉を理解できているのか、とサートは思った。てっきり神族との意思疎通は、こちらから言葉を伝えるのも、向こうの意思を受け取るのも、両方とも勇者アルバや朝斗のように波長が合わないと出来ないものだと思っていた。だが、こちらの言葉を伝える分にはそうでもないらしい。


『心が読めるから言葉もいらない、だそうですよ』


 ただし、逆に神族の言葉や意思を読もうものならば、常人なら一瞬で発狂するのだろう。先ほどからずっと無表情でこちらを見ている『アーイ』を見れば、なんとなくそれが理解できた。存在感の密度が違う。生物としての格が違う。このただの思念体でしかない『アーイ』の前に立つだけでも、まるで自分が単細胞生物になったかのではないか、そんな錯覚すら感じさせられた。

 ギルド長も先ほどから『アーイ』と同じくらいずっと口を開いていないが、神族をこんなに近くで、しかも初めて見たということを考えると、少し冷や汗が出ている程度で取り乱す様子を見せないのは流石勇者の子孫といったところか。

 自分が初見だったら、腰を抜かしてすぐに逃げていただろうなと確信しているサートは、『アーイ』が思念体でここに現れた理由を考え始めた。


 そんなサートの思考を読んだのか、『アーイ』は黙ってユーザスの方へ顔を向けると、再びサートに視線を戻す。


『あの、サートさん』


『ああ、言わなくても良い。分かっているから』


 朝斗が『アーイ』の言葉をサートに伝えようとするが、サートはそれを中断させた。別に言葉に直さなくても、その態度だけで何を伝えたいのかこれ以上なく理解出来たからだ。


「これで宇宙まで吹っ飛ばしたことはチャラな」


 そう言ってサートは自らの影からあるものを取り出す。それは目の前で横たわる人物から弟子卒業の証しとして貰った、黒い珠であった。

『アーイ』はその黒い珠を見ると今まで全く変化させることの無かった表情を初めて動かし、静かに目を瞑った。


「それは?」


 ここで早くも『アーイ』の放つ存在感から立ち上がったジエーラが、サートが手に持ったその黒い珠が何なのかを質問する。朝斗も同じ疑問を抱いていたのか、口に出して尋ねることはしなかったが、視線はサートの方へ向けたままだった。


「『アーイ』になれなかったモノ達のなれの果て」


 サートは短くそう答えた。

 ユーザスが今サート達の目の前にいる『アーイ』を造り出すことに成功するまでに、数えきれないほどの失敗作を生み出してきた。中にはあと少しで神族に手が届くかもしれないところまで辿り着いた『アーイ』候補もいた。だが、結局はその全てが失敗作として処分されることになり、サートもその処分を手伝ったことが何度もあった。

 この黒い珠はそんな本物にあと一歩で辿り着くことの出来なかった『アーイ』候補たちの力を纏めた、言うなれば劣化神族の魔核なのだ。


 それを聞いたジエーラは思わず『アーイ』に視線を向けるも、『アーイ』は目を閉じたまま何の反応も見せること無く、ただユーザスの傍に佇むのみであった。


『朝斗君、突然聞くけど、人間なら誰もが一度は願ったことのある、人類が有史以来ずっと追い求め続けてきた共通の夢って何だと思う?』


『えっと……不老不死、とかですか?』


 その朝斗の返答にサートは「惜しい」と返し、手に持った黒い珠にゆっくりと魔力を込めながらユーザスに近づいてく。そんなサートの行動に朝斗はもしかしてと、とある予想が頭に浮かぶと同時に、そんなことはあり得ないという理性が頭の中を駆け巡っていた。

 ジエーラもサートが何をするのか興味があるのか、その一挙手一投足を見逃さないようにじっと観察を続ける。


『正解は――――――』


 サートが強烈な光を放ち始めた黒い珠をユーザスの胸に近づける。そして何やら短く呪文を唱えると、ユーザスの消滅したはずの両腕が再生し始め、生気が抜け落ちていた顔には血の気が戻ってくる。

 そしてだんだんと光が弱まり始めた黒い珠が完全にその光を失うと、その代わりに今までずっと動かなかったユーザスの体がピクリと動き、一度だけ咳をすると呼吸を始め、ついにその瞼を開いた。


『死者の、蘇生でしたとさ』



 ――――――



「……私は、こんなことをさせるために、お前にそれを渡したわけではないぞ」


「知っていますよそんな事。何年あなたの弟子をやっていたと思っているんですか」


 ユーザスは目を覚まして開口一番、そう言った。しかもサートが前世を含めてもトップクラスに入るのではないかと思うほどの怒りが込められたお叱りの言葉だ。

 決して大きな声を出しているわけではないが、地響きのように低く響き渡るその声は、自分が怒られているわけではないジエーラと朝斗が思わず背筋を伸ばして冷や汗が出てしまうほどに恐ろしかった。


「神様にお願いをするならともかく、神様からお願いなんてされたら断れるわけがないでしょ? しかも、それで宇宙まで吹っ飛ばしたことをチャラにしてくれるって『アーイ』が言うんだから、ねえ?」


(凄いなこの人、この状況で平然と嘘をついている。あ、今『そんなこと言っていない』って電波が来た)


(こいつ実は結構大物なのかもしれんな。それか、ただのアホだ)


 泣く子も恐怖で逆に黙るユーザスの静かな怒りを直接向けられているのに、それでもいつもの態度を崩さないサート。ここまで来ると逆に尊敬が出来るかもしれないと思った朝斗だったが、普段と比べてどことなく早口気味のように聞こえるのは気のせいだろうか。


「『アーイ』が、だと?」


 真っ黒な色が抜けて半透明になった魔核を、サートが指に引っ掛けてぶんぶんと回しながら放った言葉にユーザスは反応をする。


 ユーザスは『アーイ』を造り出した時に埋め込んだ命令、いや、頼んだことがいくつかある。

 一つは『アルバの大蛇』が休眠している近くでその力を吸収し、ユーザスの代わりにそこに辿り着く者が現れるまで、『アルバの大蛇』が目覚めるまでの時間を稼いで欲しいということ。

 二つ目は『アルバの大蛇』が活動期に入った後、再び休眠期に入るまでの約三百年の間代わりに迷宮の主として維持をしてほしいということ。

 三つ目は、その迷宮の仮の主となることについて、ユーザスが何とかして『アルバの大蛇』を説得する時に通訳として間に入って欲しいということ。


 そして最後に、全てが終わった後にこの世から去るだろう自分を、絶対に生き返らせないということだ。


「あの『アーイ』が、まさか……」


 『アーイ』はとても素直で良い子であった。まだこの世に顕現する前から既に神族としての力を備え、ユーザスの過去や今考えていること、そしてこれからしようとしていることを全て理解していた。理解をしたうえでユーザスに協力をしてくれていたのだ。

 実際、『アーイ』はユーザスの意思を良く汲み取った行動をしてくれていたし、サートによって多少の想定外のことが起きた今でも迷宮の仮の主になることを放り出していないようだった。


 なのに、まさかここにきて『アーイ』にとっては一番どうでもよい筈の、最後の頼みについてだけ裏切られるとは。


「いや、そうではないか。確かに『アーイ』は直接私を生き返らせてはいない」


 生き返らせたのはサートだ。だがいくら『アーイ』に頼まれたとはいえ、この弟子が素直にそれに従うとは思いもしなかった。あの魔核の力を使えば、人を一人蘇らせるぐらいのことは簡単に出来る。そしてそれは自分自身にも使うことが出来るのだ。

 つまり、もしもサートが予想だにしないことで自らの命を落とした時、一度だけなら蘇ることが出来る、ということを意味する。


 この世における全生物がどれだけ欲しがっても決して手に入れることが出来ない、二つ目の命を手に入れたようなものなのだ。なのに、この馬鹿弟子はこんな老いぼれのためにそれを手放したのである。


「お前は……」


 一体自分がどれほど愚かなことをしたのか、それを理解しているのだろうか。そんな意図でサートを睨みつけるユーザスだが、その睨みつけられた本人はすーっと目を反らすのみだった。


「あーもー、うるせーなー。貰ったものをどう使おうが自分の勝手でしょ。いーじゃん、せっかく生き返ることが出来たんだし。第二の人生とでも考えておけばいいんじゃないですか?」


「この馬鹿者が! そういう問題ではない!」


 まるで反省をしていないサートに対して、ここで初めてユーザスが声を荒げた。

 その怒鳴り声を聞いたジエーラと朝斗は腹の奥がひっくり返りそうになるほどの恐怖を感じたというのに、怒鳴られている本人はあさっての方向を向いて小指で耳の穴の掃除をしながら、どこ吹く風という態度であった。

 ユーザスから発せられる迫力を除外すれば、まさに学校の頑固教師と問題児そのものといった光景である。


(ここまできたら素直に尊敬ですね)


(すげえよお前)


 これも見方によってはユーザスの怒りの矛先をサート自身に向けることで、それ以外のことをうやむやにして流そうとしていると取れるかもしれない。

 サートがどんな思いでユーザスを生き返らせたのかは分からないが、少なくとも『アーイ』に頼まれたからという理由だけではないのは朝斗達にも分かる。そしてその理由をサートに聞いたとしても、決して本心は語らないだろうということも。


「経験者として言わせてもらうと、第二の人生も良いもんですよ。んじゃ、俺は明日も早いのでこれで失礼します」


(逃げた)


(逃げたな)


 やはりサートもユーザスの説教が全く堪えないわけではないようで、これはまともに相手をしていると長引くと判断したサートは、いつの間にか姿を消していた『アーイ』を見習って自分もさっさと退散することにした。

 それを見たジエーラは、相変わらず引き際が見事だなと感心していた。


『あ、そうだ。朝斗くん、頼みがあるんだけど、この燕を預かっていてくれない? 流石に向こうに連れて行くのは危険過ぎるからさ。因みに名前は「黒丸」ね』


『は、はあ、それは構いませんけど』


『ありがとう。それじゃあまた来週ー』


 ユーザスに何かを言われる前に、これで憂いは無くなったサートは先ほどから少しずつ準備をしていた転移魔術を使って一瞬でこの場から逃げ出した。

 あとに残されたのは、次に会ったら覚えていろと静かに呟きながら、目元を手で隠しているユーザス。

 それと、ユーザスが元気になったのは良いが、これからこの場をどう宥めるべきか頭を悩ませているギルド長のジエーラ。そして、杖ごと渡されてもずっと爆睡をしている黒丸と、サートの真似をしてその黒丸のお腹を指でつつきながら今日の寝床をどうしようかと悩んでいる朝斗だった。




「まじ怖えー。あんなに怒ってるのを最後に見たのはいつだったっけ? 兄弟子の一人が破門された時以来か? いや、それ以上かも」


 正直足の震えを隠すので精いっぱいで、ボロが出る前に逃げ出しただけのサートである。このまま日本の自宅まで直帰をしても良いのだが、サートはまだこの世界に残っていた。

 自宅に帰るのは、先ほどから遠くから魔術で小さな蛇を操って自分の足元に巻き付け、こちらに来いと自分を呼んでいる人物との用事を済ませてからだ。こんなことをするのは一人しかいない。一体どんな要件なのかは知らないが、サートは手早く済ませて早く布団の上で眠りたかった。


「休日とは何ぞや……」


 日本時間ではもう既に翌日に変わっている時刻だ。ただでさえ今日は色々なことがありすぎて疲れ果てているというのに、このまま睡眠時間が少ない状態でゴミ拾いなどたまったものではない。


「このくっそ疲れている時に、更に疲れる転移魔術を使ってまで来てやったんだ。これでくだらない用件だったら頭突きしてやる」


 足に絡みついた蛇が自分を引っ張って行こうとしていたのは、アルバの住民たちが集まっている場所とは正反対の人気が全くない方向だった。そちらの方向で隠れて人と会うことが出来て、且つ自分を呼び出しただろう人物が好みそうな場所はどういう場所だろうか。そんな場所の検討を付けながらサートが歩いていると、前方に人の気配を感じ取った。


「や、サトラク君」


 するとやはりと言うべきか、気配を感じた場所にはリラが物陰に隠れるように座りながらサートを待っていた。

 もう既に慣れてしまったが、この片手を上げながら親しげに挨拶をしてくる人物の中身は、サートの前世のトラウマであるあのリラなのだ。迷宮の中では色々と慌ただしく、サートも現実を否定したい気持ちで混乱をしていたが、こうして落ち着いた場で改めて意識をするとまた憂鬱になってくる。


「何の用件かは知らないけど、俺結構疲れてるから手短にな。あ! お前まさか水を回収し忘れたとかじゃないだろうな」


「大丈夫だよ。こうしてちゃんと回収したさ」


 そう言ってリラは小瓶に入った光る水を取り出し、それを見たサートはホッと一安心する。サートも今更ゴッツ達はどうしたのか、心配はかけていないのかなどとは聞かない。リラのことだからしっかりと誤魔化してきたのだろう。

 それよりも、わざわざ危険を冒してまで『アーイ』を相手に粘った理由の、『アルバの大蛇』そのものである光る水を回収できなかった。もしそんなことを言われたらサートは本気で切れるところであった。


「まあ、俺も念のためにこうして回収してたんだけどな」


 ラーメンを茹でるときに使ったミネラルウォーター、それが入っていた空のペットボトルが数本。サートは隙を見てペットボトルの蓋を開け、その中に水を入れていたのだ。話を聞くに相当珍しい物のようであったし、何かに使えないか、もしくは高く売れたりしないだろうかと思った結果である。


 だが、それが理由でないとしたら一体何故こんなところに呼び出したのだろうか。サートがそう聞くと、リラはいつものように微笑みながら自分の髪の毛を指先で摘みながらこう言った。


「髪を結うのを、手伝ってくれないかな?」


「俺帰るわ」


 リラのその言葉を聞いた瞬間、サートは転移魔術を発動する準備を始める。流石に疲労が重なりすぎているせいでいつものように一瞬で転移をすることが出来ず、その隙を突かれてリラに腕を掴まれてしまう。


「そんなこと言わずにさ、頼むよサトラク君」


「嫌だよ! つーかお前もうすぐ消える筈だろ! 髪型セットしても意味無いだろうが!」


「もうすぐ消えてしまうからさ! その僅かな間に私があの子に残せるものなんて、もうこれぐらいしか無いんだよ」


「……あん?」


 リラらしくない余裕の無い大声。腕を掴む手にも力が入るのを感じたサートは、少しだけ悩むそぶりを見せ、そしてついに自分を見続けるリラの顔に根負けをしてしまった。


「……少しだけだぞ。髪の毛を編み終わったらすぐに帰るからな」


「ありがとね、サトラク君」


―――


「ミラはね、小さい頃はとてもやんちゃで、長い髪なんて邪魔だと言っていつも髪の毛を短く切っていたんだよ」


「今でもその片鱗はあるな」


 迷宮の中の時と同じようにサートはリラの後ろから髪の毛を支え、リラは髪の毛を一つ一つゆっくり丁寧に編み上げながらミラの過去を話し出した。

 ミラはまるで男の子のようにそこら辺を走り回り、近所の悪ガキたちと毎日泥まみれになりながら日が暮れるまで遊んでいたという。今のいつも冷静で、落ち着いた性格をしているミラのイメージとは程遠い幼少期だが、自分の興味がある物に対しては暴走をする姿を見たサートはそのことにも納得が出来た。


「そんな子だったから、私はあの子に髪の結い方を教えてあげることが出来なくてね」


 ミラが髪の毛を伸ばし始めたのはリラが亡くなってからだ。最初は見よう見まねで母親であるリラの髪型を真似したが、どうしても再現をすることが出来ずにいつも中途半端な形で終わってしまっていた。

 こうしてサートに手伝ってもらいながら髪を纏めている通り、慣れている者でも一人で綺麗に編み上げるのは時間がかかってしまうのだ。ただでさえリラから直接習うことが出来なかったのに、このままでは記憶も薄れていって二度と再現をすることは出来なくなるだろう。


「だからせめて、見本だけでも残してあげたくてね」


「ほーん、それは立派な母親だけどさ、俺じゃなくていいじゃん。アーグとかに頼めよ。女子力高いし、ミラと一緒に暮らしてるし」


「それを言うのは野暮というやつだよ、サトラク君」


 そんな身も蓋もないことを言うサートにリラはクスリと笑う。

 だが、髪の毛を編むリラの手は少しずつ遅くなっていき、ついには止まってしまう。そんなリラの変化に一体どうしたのか、とサートが声をかける前にリラが再び口を開いた。


「ねえサトラク君。……君、何で死んじゃったのさ」


「はあ?」


 どんなことを何を言うのかと思えば、どうして死んだのかと訳が分からないことを言いだしたリラ。そんなリラに対して、サートは何を言っているんだこいつは、と思うことしか出来なかった。


「……」


 リラが髪を編む手を動かす気配は一向に見られない。背後に立っているせいで表情は見えないが、答えてもらうまで手を進めないと無言で訴えているリラに、サートは溜息を一つ吐いた。

 そしてサートは全く動きを見せないリラの手から編みかけの髪の毛を奪い、リラの代わりに手早く髪を編み始める。


「え?」


「目の前でこれだけ丁寧に編んでいるのを二回も見たら、そりゃ多少は出来るようになるさ」


 そう言ってサートはテキパキとリラの髪の毛を編み上げ、仕上げに編み上げた髪の毛を髪留めを使って後ろで一纏めにする。そしてサートは最後にリラの頭をパシンと叩いて終了の合図とした。


「あ痛っ! 君今本気で叩いたでしょ!」


「約束通り、髪の毛結い終わったから俺は帰る。ちゃんと成仏しろよ、ラララちゃん」


「ちょっと、サトラク君!」


「じゃーなー」


 最後にそう言い残して、サートは本日何度目になるのか分からない逃亡を果たしたのであった。


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