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第30話~『流星の川』~

「よう、やっと戻って来たか。結構遅かったな」


「なーんでお前がここにいるんだよ、ゴッツ」


「私もいるわよ」


「アーグまで……。って、それどころじゃない。緊急事態だ、ギルド長に伝えなければならないことがある」


「呼んだか? 私なら既にここにいるし、大体の事情も既に理解しているつもりだ」


「……あの、本当になんであなたまでここにいるんですか? ギルド長」


 サート達が迷宮から出ると、そこにはゴッツやアーグといったこの町の冒険者たちが並び、その奥には冒険者以外のこの町の住人や商人ギルドの者達が集まっているのが見えた。


 全員共通して大きな荷物を持っていることから、恐らくここに避難してきたのだと推測をすることが出来る。だがそれでもまさかギルド長までいるとは想像をすることが出来なかったが。

 一体何がどうなってこんな状況になっているのか、それを全く理解することが出来ていないサート達に、ギルド長が無理もないと言った表情で説明をしてくれていた。


「どこかの糞爺が、各ギルドの上層部を半ば脅すようにして、住民を誘導したのさ」


「ああ、納得。どこかのちょっと魔術が上手い爺さんの仕業ですね」


 これまで何度もユーザスに先読みをされているのだ。ここまでくれば流石に慣れてきたサートである。とりあえずギルド長の相手はサートが受け持ち、他の皆にはゴッツ達から情報を共有するように手信号で指示をする。そのサートの意図を察したアイラ達は、わざと大げさに仲間との再会を喜ぶ振りをして、少し離れた場所までさりげなく移動をしていった。


「あれもあのはた迷惑な爺さんの指示で?」


 サートがギルド長に対して自分に注意を向けさせる意味も込めて、住民が集まっている方向を見ながら質問をする。その場所をよく観察すると、以前一緒に蟻の主級と戦ったことのあるグラルやホヴゥといった実力のある冒険者によって、住民同士の争いや問題が起きないように監視されているのが分かった。そしてそこから少し離れた場所では、やけにテンションの高い魔術師の親子が大規模な魔術を発動するための魔術陣を地面に描いている。


「その通り。全く、付き合わされるこっちの身にもなってほしいものだよ」


「超分かる」


「随分な評価をされているな、私は」


 サートがギルド長と意気投合をしながらユーザスについての悪口を言っていると、その噂の本人が苦笑しながら二人の目の前に歩いて登場してきた。


「出たな妖怪黒幕爺。ここで会ったが百年目! 俺の恨みを食らえ!」


 サートはその姿を確認するや否や空高く跳び上がり、重力による落下を利用して加速して、細かいコントロールは風の魔術で調整して狙いをユーザスに定める。そしてついでに捻りも加えて、昔の特撮も顔負けの大ジャンプキックをユーザスの顔面にお見舞いした。

 だが、当然のことながらそんな隙だらけのキックなどまともに当たるはずもなく、ただ躱されるだけならまだしも、指先二つで受け止められてすぐ横に放り投げられてしまう。


「あだっ」


「馬鹿者めが」


「っふ、運が良かったですね。今は体力に余裕がないので、今日のところはこれぐらいにしておいてあげますよ」


 力尽きたように地面にへたり込みながらも、口だけは達者なサートの負け惜しみを聞いたユーザスは、呆れたように溜息を吐きながら改めてサートに対して馬鹿者めと叱るのだった。


 サートとしても何も本気でこんなキックが通用すると思っていたわけではない。ただ、よくも『アーイ』だのアルバの崩壊だの面倒くさいことに巻き込みやがって、といった積もり積もった鬱憤を晴らすためのガス抜きをしただけである。それをユーザスも理解しているからこそ口で叱るだけで済ませている、ある意味二人のじゃれ合いのようなものであった。


「まあ、お前が言いたいことも理解はできる。だから、全てを教えてやろう」


 そんな思いもよらぬ言葉を言ったユーザスに対し、サートはどうせまた適当にそれっぽいことを言ってはぐらかすのではないかと思い、思い切り疑るような顔をした。

 それに対してユーザスは、やはりこういう反応をしたなと、予想と全く同じ反応を見せる元弟子に笑いを堪えきれなかったのか、声を出して笑った後に続けて言った。


「本当だ。私の目的はもう達成された様なものなのだ。今更隠すことなどありはしない。」


 ユーザスはそう前置きを置き、何故いきなり笑われたのか理解できずに眉間に皺を寄せる疑り深い元弟子に、こういったところは本当に昔と変わらないなと内心で思いながら、はっきりとしたとした口調で言葉を発する。


「私が『アーイ』を生み出したのは、全て今日この日の為なのだ」


「それは―――」


 それは一体どういう意味なのか、それをサートが聞こうとした時、迷宮の入り口から岩が吹き飛ぶような爆発音が響き、巨大な光る水柱が噴き出した。


「うおおう!? マジか、もうここまで溢れてきたのか!? 早いな!」


「来たか。悪いが私は一端ここを離れるよ。全体の指揮を執らねばならんからな」


 迷宮の入り口と、その上にあった地面を全て吹き飛ばしながら噴出するその水柱は、そのまま上り龍の如く天高く舞い上がり、一向に下に落ちてくる気配がない。時刻は真夜中なのだが、その巨大な水柱自体が強い光を発しているため、辺りはまるで昼間のように明るくなっていた。事前に言い聞かされていたのか、冒険者達にはそれほど混乱は見られない。だが、町の住民の中にはパニックになってこの場から逃げ出そうとする者がちらほら現れている。

 それを見たギルド長は自らの役目を果たすためにサート達の元を離れ、近くで待機をしていたギルド職員たちと共に町の住民と冒険者たちの集まる方へと移動していった。



「なるほど、『アルバの大蛇』ね……」


 そんなギルド長たちを見送った後に、とりあえずユーザスへの質問は後回しにして改めて迷宮から吹き出す水柱に視線を戻したサートがポツリと呟いた。サート達が迷宮内で水に飲み込まれたときはあまりに近すぎて分からなかったが、こうしてある程度離れた場所から見とよく分かる。


 あの光る水柱を構成しているのは巨大な蛇なのだ。しかも一匹一匹が人を簡単に丸のみ出来るほどの巨大な大蛇で、それが百匹や千匹では表しきれないほどの数が群れとなっている。今見えている範囲だけで万を超し、下手をすれば億を超えるかもしれない大量の巨大な蛇がその水柱を構成しているのだ。

 水のような蛇なのか、蛇のような水なのかは分からないが、少なくとも普通の生物でないことは確かである。


「何で『アルバの大蛇』の鱗の一つ一つが蛇の頭を模しているのか、今分かったわ」


 数えきれないほど大量の水の蛇が、まるで一匹の蛇のように束になって天に昇る様子は、確かに蛇の頭が鱗に見えなくもない。要するに異世界版ス○ミーだとサートは理解した。


 そしてもう一つ分かったことがある。サート達が通ってきた洞窟は正に水脈であり、この蛇たちの通り道でもあったということだ。そこから考えると、あの光る湖のあった地下空間に生えていたマングローブの様な木についてもそれなりに説明が付く。思わぬところで疑問だった謎を解いてしまったが、他の冒険者や町の住人達はそれどころではなさそうであった。


「来たぞ! 全員結界の範囲内からは出ていないな!」


「息子よ! 出番だぞ!」


「おうよ親父!」


 迷宮から溢れ出る蛇の全てが空に昇って行くわけではなく、地面を這うように移動をする蛇も少なからずいた。一匹一匹が巨大なため、人が巻き込まれてしまったらひとたまりもない。それを避けるために結界を張ったエリアに人を集めてまとめて守っているのだ。

 その結界も真正面から蛇たちを迎え撃つように平行に張るのではなく、蛇たちの流れに対してひし形の鋭角が正面に来るような形で結界を張っている。そうして流れを受け流すようにしなければ軽く結界を突き破られてしまいかねないのである。恐らく、町の建物には相当な被害が及んでいるだろうが、命には代えられない。


 まるで自分達が氾濫した大河川の真ん中に取り残されてしまっているのではないか、そう錯覚するほどの激流が人々のすぐ横を流れ、町を覆い尽くしていく。もしもユーザスが無理やりにでも町の住民をこうして避難させていなければ、まず間違いなく建物に押しつぶされているか、大蛇の水流に流されていたことだろう。


「これがリラの言っていた『アルバの大蛇』の目覚めですか?」


 サートの質問にユーザスはそうだ、と短く答えた。そして、サートも薄々と感じ取っているだろうことを改めて口に出す。


「お前たちが迷宮と言っているこの場所はな、この大蛇の寝床だったのだよ」


 言うなれば、このアルバ迷宮の真の主がこの『アルバの大蛇』なのだと、そう付け加えたユーザスはそのまま空を見上げながら続けて言った。


「『流星の川』とはよく言ったものだろう?」


 この僅かな間で十分に空高く舞い上がった『アルバの大蛇』は、そこから魔華の樹海のある方向に向けて進路を変更していた。


 サートはそれを見て、もしも天の川が全て流れ星に変わったらこのような空になるのだろうかと思った。それほどに美しく、正にユーザスの言う通り『流星の川』という表現がぴったりな景色であったのだ。

 避難していた町の住民たちも、最初はこの未曽有の大災害にパニックを起こしていたが、『アルバの大蛇』が『流星の川』としての姿を見せ始めた頃には、皆その幻想的な景色に魅入られて自然とパニックも沈静化していった。


「三百年前も私はこれと同じ景色を見ていたのだよ。場所と方向は違うがな」


 空を食い入るように見て、全く言葉を発さないサートに対し、ユーザスはまるで独り言のような語り口調で話を続ける。


 三百年前に勇者アルバが仲間たちと共に最初にこの大蛇と出会った時は、ちょうど休眠期に入る直前のことだった。その時もこのように『アルバの大蛇』は天高く舞い上がり、自らが眠りにつく場所まで飛んで行くときに、ユーザス達はこれと同じ景色を見たのだ。その中でもこの光景に特に感銘を受け、『流星の川』という名前を付けたのはリラの先祖であったらしい。


「私たちはその空を駆ける巨大な光る蛇たちを必死に追いかけた。姿が見えなくなっても僅かに残った気配を追い、最後にたどり着いたのがこの場所だった」


 そこで見つけたのは地下に繋がる巨大な洞窟であった。当時のユーザスはアルバ達と一緒に数年がかりで洞窟の最奥まで辿りつき、そこで眠りについていた大蛇と再び出会った。


「アルバは神族の様な高位の存在に非常に好かれやすかった男でな。波長が合うのか、そういった類のものの声を聴くことが出来たのだ」


 そのおかげかどうかは分からないが、まだ眠りの浅かった大蛇がアルバに気が付き、そこでアルバが大蛇ととある契約を交わしたのである。


「……へー、神族の声を聴く、ねえ」


 その言葉を聞いたサートは空から視線を外し、ユーザスに気付かれないように横目でゴッツ達と一緒に空を見上げている朝斗を盗み見た。

 朝斗が神族に好かれやすいかどうかは分からないが、波長が合うのは間違いないだろう。そういう人間は何も朝斗が初めてというわけではなく、過去にも何人か現れている。アルバを始めとしてそういった人間のほとんどが数奇な運命をたどり、最終的には皆偉大な英雄か、悲劇の大罪人として歴史に名を刻んでいるのである。

 既に普通の人間では経験できないような人生を歩んでいる気がしなくもないが、これから朝斗の身に訪れる数奇な運命とやらが比較的マシなものになるように、サートは心の中で合掌をした。


「その契約とやらがどのような物なのかは私も詳しくは分からない。私は神族の声など聞こえないからな」


 アルバも生涯その契約の内容を漏らすことは無かった。もしかしたらそれも契約の内に含まれていたのかもしれない。

 そして最終的にアルバはこの地に根を下ろしてユーザスも含めた仲間たちと開拓をし、いつしか迷宮と呼ばれるようになった洞窟から採れる様々な貴重な資源を活用して徐々に繁栄をしていったのだ。


「だが、それも全ては大蛇がこの迷宮の主として存在しているからこそだ」


 その繁栄も次に大蛇が活動期に入るまでの三百年の間だけのことだとユーザスは言う。


 迷宮の中に済む魔物たちは皆少なからず大蛇の力の影響を受けている。魔物だけではなく、植物も、鉱石も全てこの大蛇の影響を受けて変質をしているのだ。地下なのに最初から明かりのある空間が存在するのも大蛇の力が漏れている影響だ。だからこそ、この迷宮の中では地上では手に入らない貴重な素材や資源が手に入るのだ。


 気がつけばこの土地は『迷宮都市アルバ』と呼ばれ、洞窟も『アルバ迷宮』という名で知られるようになり、この迷宮の奥で眠っている大蛇は『アルバの大蛇』として歴史に名を刻まれた。

 だが、『アルバの大蛇』にとってここはあくまでただの寝床である。活動期に入れば当然ずっと寝床に居座るはずもなく、どこかへ移動してしまうだろう。そうなってしまったらこのアルバ迷宮は徐々に力を失っていき、本当にただの洞窟となってしまうだろう。


「じゃあ、それを回避するために『アーイ』を使って力を吸い取らせて、眠りから覚めないようにしたので?」


「それはあくまで副次的な効果にすぎんし、長くは持たん。私が『アーイ』を生み出した理由は別にある」


 確かに『アルバの大蛇』の休眠期がずっと続けばその分迷宮の力も保たれ続け、この町は今までのように迷宮からの産出物によって大いに潤い続けるだろう。だがそれはあくまで場当たり的な延命処置でしかなく、根本的な解決にはならない。

 何かの拍子で『アルバの大蛇』が目を覚ましてしまった瞬間に崩れ去る、薄氷の上に成り立った平穏などに意味は無いと思った過去のユーザスは、あることを決心した。


『アルバの大蛇』の目覚めが避けられない未来であるのならば、その代わりになる新たな神族を造り出せばよいのだと。


 アルバが青い太陽に心を奪われたように、ユーザスもいつの間にか人智を超越したその存在に憧れていたのかもしれない。そして当時のユーザスは自身の持ちうる全ての知識を使って研究を続けていくうちに、次第に自分自身の手によって神をも超える生物を生み出したいという思いもそこに加わった。


 そして、数えきれないほどの失敗を重ねながらも、ついにユーザスの三百年間の集大成と言える『アーイ』が生み出されたのである。


「そのせいで色々な問題が起きましたよね。主級とか、主級とか、主級とか。あと俺の苦労とか」


「『せい』とは何だ、『せい』とは。『おかげ』と言わんか」


「はーあ? どこがっすか?」


「私が『アーイ』を生み出さなかったら、もっと早くこの町は『アルバの大蛇』によって押し流されていたぞ」


「む」


 確かにそれは一理あるかもしれない。実際に『アーイ』があの光る湖で『アルバの大蛇』の力を吸収して目覚めを遅らせていなければ、とっくにこの町は壊滅状態になっていただろう。そしてある意味、下層の魔物が『アーイ』から逃げ出してきたという前兆があったからこそ、結果的に未来の被害が抑えられたという側面もあるかもしれない。


「じゃあ、俺の苦労については?」


「知るかそんなもの」


 自分が行ってきたことに後悔など微塵も無いと胸を張りながら、サートの罵倒を鼻で笑うユーザス。

 自分のやりたいことをやりながら、かといって他人の恨みを買いすぎないように無視できないメリットも確保する。納得できないところは勿論あるが、少しでもそうかもしれないと思ってしまった時点でユーザスの勝ちなのである。


 長生きしているだけあって、こういったバランス感覚は優れているらしい。それを実感したサートは、もうこの人には何を言っても無駄だということを悟る。そんなサートをユーザスはまだまだ甘いなと笑った後に、本題の続きを話し出した。


「迷宮の力の源である『アルバの大蛇』が活動期に入り、この地を離れている間は『アーイ』が仮の主として迷宮に力を供給する役目を担うことになる」


 そうすれば迷宮の力も枯れることもなく、今まで通りに冒険者たちが迷宮に入って魔物を狩ったり特殊な鉱石を掘ったりすることが出来る。

 今や迷宮から採れる様々な産出物はこの町のみではなく、国にとっても大陸間交易における外貨獲得のための輸出物の一つとして、非常に重要なポジションを占めているのだ。


 もはや国家産業の一つと言っても良いほどに迷宮という存在が身近にあるこのユーラ王国では、当然ながら迷宮に関わる仕事に従事する者たちの数も多い。冒険者や冒険者ギルドの職員は勿論、迷宮から採れる素材を加工する職人とそれを売買する商人たち。その他にもそれらの職業の隙間を埋める仕事に従事する者たちも含めれば膨大な数になるだろう。


 そんな状況の中で、この国の迷宮の中でもトップクラスの規模を誇るこのアルバ迷宮が枯れてしまうとなった時、一体どれほど多くの人間が路頭に迷うのかは見当もつかない。そう考えると今回の『アーイ』絡みでの件で出た被害など微々たるものなのかもしれない。それどころか、下手をすれば未来の王国の問題を解決した、という偉業を成し遂げた人物として評価をされるかもしれない。


「そんなに都合良くいきますかね? 相手は神族ですよ?」


「さてな。先ほども言ったが、私には神族の声など聞こえんからな」


「うおーい、そこが一番重要なところー!」


 唯一、ユーザスが自らの手で造りだした『アーイ』は例外であるが、『アルバの大蛇』がどのように判断するのかを知ることは出来ない。アルバのように神族と交信が出来るほどに波長の合う人間がいれば話は早いのだが、それが難しいということはユーザスが誰よりも知っている。


 三百年という期間は、神族にとっては一瞬にも満たない時間の感覚だろう。その程度の期間であれば案外簡単に了承するかもしれないし、そうでないのかもしれない。まさに神のみぞ知るという状態であった。


「本当ならば『アーイ』を通して意思を確認したかったのだが……」


「さーせん、もしかすると下手したらまだ大気圏外かもしれないっす」


 その言葉に思わず眉間を手で揉むユーザス。ある意味ユーザスの最大の計算違いはサートの魔術師としての成長度合いであったのかもしれない。

 サートが何やら奥の手を隠していることは昔から知っていたが、まさか神族を相手に通用するほどのものだったとは……そう思った時、自分がまだサートのことを見くびっていたことを自覚する。

 いつまでも出来の悪い弟子ではないのだ。だからこそ自らの研究の結晶とも言えるものを卒業の証としてサートに渡したのに、まだ弟子離れが出来ていないことを反省するユーザスであった。


「でもまあ、そこはあまり心配する必要はないかもしれないですね」


 一人反省するユーザスを余所に、サートはこちらに走り寄ってくる朝斗に視線を向けてそう言った。最早見慣れてしまった、頭に手を当てて頭痛を堪えるようにする姿を見て、十中八九また神族の声が頭の中に響いている状態なのだろうと分かったが、その顔には焦ったような色が見えなかった。どちらかというと、頭の中に響く声が一体どういう意味なのかが分からずにこちらに意見を求めようとしている顔だ。

 そして、近くまで走り寄ってきた朝斗はユーザスに一礼をして挨拶をした後、サートが予想した通りの内容を聞いてきた。


『すみませんサートさん、どう判断したら良いのか分からないことがありまして。多分、この水の様な蛇たちの声だと思うんですけれど……』


『ほうほう』


『「綺麗なまま返してね」と言っているんですが、何なんでしょうか?』


『……ははっ、そうか。そーかそーか、クククク』


 綺麗なまま返してね。

 その言葉を聞いたサートはこみあげてくる笑いを押さえることが出来ず、思わず声を出して笑ってしまった。そのせいでユーザスと朝斗に怪訝な目で見られてしまったのだが、こればかりは仕方がない。

 恐らく朝斗は頭の中に入ってきた言葉のニュアンスをそのまま伝えてくれているのだろうが、サートは随分と軽い性格の神族もいたものだと笑いながら空を見上げた。しかも朝斗曰く、この『アルバの大蛇』は目を覚ました時に「おはよう」と言っていたらしいではないか。


 この世のものとは思えない程に美しく、幻想的なこの『流星の川』の本体がまさかそんなキャラクターだったとは。当たり前ではあるが、一言で神族と言ってもそれぞれ個性というものがあるのかもしれない、少しだけ神族という存在に抱く印象が変わったサートであった。


「どうやら問題無いみたいですよ。『綺麗なまま返してね』だそうです」


 いつまでも笑っていては話が進まないと思ったサートは、必死に笑いをこらえながらユーザスに今の言葉を伝えた。するとそれだけでユーザスはそれが朝斗から今もたらされた情報であると悟る。さらにその言葉の内容と朝斗の様子からもしや、と思ったユーザスは珍しく驚きの表情を隠さないまま朝斗を凝視した。


「ふ、ふふ、ふははは」


『俺もいきなり笑い出したから人のこと言えないけど、何かいきなり笑い出したぞこの人。怖え』


『本当に人のこと言えないですよね。僕から見れば、二人ともいきなり笑い出した変な人ですよ』


 当たり前だが、ユーザスは理由も無く笑いだしたわけではない。ただ、やはりこの世には運命というものが存在するのだと、改めて実感しただけだ。

 もうすぐ『アルバの大蛇』が目を覚まそうとする時期に、かつての仲間の子孫であるリラ、その娘がこのアルバで冒険者となったという噂を聞いた時にも同じことを感じた。

 そして三百年先の繁栄のためとはいえ、一時的に町を半壊させてしまうだろう。そのことに対するせめてもの責任感からユーザスが自らこの迷宮都市に訪れたとき、二十年以上も前に死んだ筈の、若い頃の自分にどこか似ていると思っていた弟子を見つけた時に確信をした。やはり運命というものは存在する、と。


(それだけでも十分すぎるというのに、まさか……)


 まさか、あのアルバと同じ素質を持つ者までこの場にいるとは、これが運命ではなくてなんだというのか。

 ユーザスはそんなことを思いながらも、己の身体に起こる変化に気付かれない内に二人に別れの言葉を告げる。


「これで憂いも無くなった。しかも最期に良い土産話まで出来た。礼を言うぞ、二人とも」




 ギルド長を通して後日報酬を渡そう。一通り笑った後にそう言い、後ろを向いて歩き始めたユーザスから感じた、小さな違和感。

 気のせいだと言われれば納得してしまいそうになる程度の小さな違和感だったが、サートは確かにそれを感じ取った。まるで、炎が燃え尽きていくような、目の前の存在が急速に力を失っていく感覚だ。


「最期って、それは―――」


 ―――それは一体どういう意味なのか、そう言ってユーザスを引き留めようと追いかけるサート。いつもならばこんなことなどせず、また今度、と一言返すだけでやり取りが終わっていただろう。

 だが、どれだけ口で引き留めても止まろうとしないユーザスに、やはり様子がおかしいと確信したサートはその肩を掴んで引き留めようとした。


「なっ……!?」


「やれやれ、だから早く立ち去ろうとしたのだがな。まったく、こういう時だけは勘が良いのだから困ったものだ」


 サートがユーザスの肩を掴むと、掴まれた側の手に持っていた杖が倒れたかと思えば、袖から何かがボトリと地面に落ちる音がした。

 地面に落ちたものを見ると、それはユーザスのものだと思われる皺くちゃな腕であり、そしてその腕はそのまま黒い霧となって消えていく。


「これが、私が自分で『アルバの大蛇』の眠る場所まで赴かず、お前たちに依頼をした理由だ」


 流石にここまで来たら誤魔化しきることは出来ないと思ったのか、ユーザスは立ち止まってサート達の方に振り向く。そしてローブで隠されていたもう片方の手を取り出し、『流星の川』から放たれる光に晒す。


 すると、その光に晒された手は瞬く間に先ほどの反対側の腕のように黒い霧へと変わって消滅をしてしまった。普通の人間ではありえない現象であったが、サートはその黒い霧となって消滅するという現象には見覚えがあった。それもつい最近、ここ数時間以内でだ。


『死霊や思念体の様な存在の密度が薄い存在にとっては、この水の光は刺激が強すぎるためか毒となるようです』


 ユーザスの手が消えるのを見たサートは、リラが言っていたこの『アルバの大蛇』が発する光の特性のことを思い出した。そして今のユーザスの手の消滅の仕方は、『アーイ』が生み出したキメラ達が消滅するときと全く同じ消え方だった。


 そしてこの二つの事実から導き出される、最も可能性の高い答えとは何か。

 それを分からない筈がないのに、感情がその答えを受け入れられないサートにユーザスは無情に現実を突きつける。


「これが、私が三百年以上生き続けることが出来た種明かしだ。いや、この言い方はおかしいか。何せもう既に死んでいるのだからな」


 全ては今日この日のために。当時のまだ若かったユーザスの実力では、人のままでは三百年以上先まで生き続けることは不可能であった。

 だったら人のままでなくても良い、生きていなくとも良い。『アルバの大蛇』が再び目覚め、自分の目的が達成されるのを見届けるまで存在し続けることが出来るのならば、悪魔とだって取引をしよう。


『実験体だろうが生贄だろうが構わない。人間でなくなったとしても関係ない。それで時間を手に入れられるのなら死んでもいい』


 これはサートの前世であるサトラクがユーザスに言ったセリフだ。

 あの時はまさか自分と同じことを考える馬鹿がいるとは思いもしなかったため、思い切り笑ってしまったなとユーザスは思い返していた。


 考えていることが自分の若い頃と全く同じで、だからこそ半端な気持ちで言っているわけではないことは分かっていた。それからだろうか、サトラクのことを出来の悪い弟子の一人という認識から、どこか若い頃の自分と似ている馬鹿な弟子だという認識に変わったのは。


「『アーイ』が迷宮の仮の主となる瞬間を見られないのは残念だが、まあ、問題は無いだろう」


 ユーザスは、『アルバの大蛇』が目覚める日に死ぬことを決めていた。何故なら、目的を達成することが出来たのなら、それ以上生き続ける必要もなかったし、何より生きるのに疲れてしまったのである。三百年間ずっと気を張り続けたのだ、もうそろそろ休みたいとユーザスは思っていた。


 自分が死んだあとのことについても心配はしていない。『アーイ』はとても良い子だし、最後の懸念だった『アルバの大蛇』の意思についても問題ないことが分かったのだ。これ以上は高望みというものだろう。

 それにもし何か問題が起きてもサートがいるのだ。この面倒臭がりの元馬鹿弟子は、なんだかんだ言いながらも問題解決にそれなりに手を貸してくれるだろう。何も心配することは無い。


「まったく、三百年以上も醜くこの世にしがみついていた人間もどきがくたばる姿を見せまいとする私の気遣いを無駄にしおって」


 だがそれも今更言ってもどうしようもないことで、今では自分が育てた元弟子に看取られるのも、それはそれで悪くは無いかと思えるようになってきた。

 未だに言葉を発することが出来ずにこちらを見ている元弟子に向かって、最後の力を振り絞ってクックと笑いながら説教をしたところで、ユーザスの意識はそこで途絶えた。


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