第2話~週末冒険者の日常~
金曜日、聡は今日も定時5時に仕事を終わらせ、帰宅の準備を始めていた。
周りも皆同じように帰宅の準備を始めており、そこに残業をしていけといった無言の圧力なんてものは全く存在しなかった。
それがこの会社の唯一といってもよい取り柄だった。当然その分給料も安いが、特に金のかかる趣味も相手もいない聡にとってはただ生きていくだけならば十分な額でもあった。
だが、貯金はなかなか貯まりづらい。老後のことを考えると心もとない稼ぎというのも事実であり、社員の中には平和な老後生活と、もしも万が一の場合に備えての資金を得るために隠れて副業をする人も少なからずいる。聡も例に漏れず明日の冒険のために準備と英気を養うため何か旨いものを食い溜めておこうと思った矢先、
「おーい佐藤、これから飲みにいかないか?」
「ご馳走様です」
「奢らねえよ」
といった流れで駅前の居酒屋で職場の先輩達と肴をつまみながらちびちびと酒を飲んで談笑していた。すると話題は最近の休日の過ごし方について移り変わっていく。
「お前最近どうしてんの?余裕ねえのは分かるけど」
「まあ、秘密の副業ですよ、老後の蓄えが少しでも欲しいんで」
「あんまり無理すんなよ。いや、まあ仕方ないのは分かるけども」
「ご馳走様です」
「だから奢らねえって」
こうして職場の同僚と友好を深め、しっかりと英気を養った翌日の朝、聡は食事と歯磨きを終えるとパン、と両手をたたいた。すると聡の体を黒い影が覆い、数瞬後には灰色のフードと背丈ほどある杖といったいつもの冒険者スタイルが現れた。
因みに、下着や靴は現代日本のままである。現代の運動靴が有能すぎて、向こうの世界のブーツなんてもう履けなくなってしまったのである。よって、なるべく目立たないように選んだシンプルな見た目の運動靴は毎回決して欠かせない最重要品目の一つとなっていた。
ついでに言うと、杖はただのブラフである。格好つけ以外の理由はない。無くても普通に魔術は使用できる。
荷物や服装の確認を終えた後にもう一度手をたたくと、聡の体は一瞬のうちにこの世界から消えてしまった。
そして聡は今、冒険者サートとして、冒険者たちの町アルバにある迷宮の中階層に来ていた。
この迷宮は通称アルバ迷宮と呼ばれ、数百年前にこの迷宮を発見した冒険者アルバに因んで名づけられ、さらにこの迷宮を中心に発展した町にもそのままアルバという名が根付いたのだ。
このアルバ迷宮は現在地下35階まで到達されており、その大きさはこの大陸の中でも上位に入るほどの規模を誇っていた。その中階層というと20階前後を指すのだが、迷宮の中は広い、とてつもなく広い。
当たり前だが、人が歩くことを想定されているはずもない道ともいえぬ道に、険しい地形。さらには下層に行けばいくほど強く、厄介な魔物がわんさかと存在し、冒険者の行く手を阻むのである。
その困難さをわかりやすく言うのなら、数百年もの時間をかけてもまだ35階までしか到達できていない事実を考えれば理解できるだろう。
そんなまさに魔境ともいえる迷宮の中を数百年かけて人が通りやすいように道を整備し、地図を書き、情報を集め、後世に伝えた偉大なる先達のなかにはこの町の名の由来にもなった冒険者アルバの名も含まれている。
しかしそれでも中階層に到達するためには最低でも数日、慎重にいけば十数日はかかることは確実なのだ。しかもそれは長年連れ添った迷宮探索の実力もチームワークもある複数人のパーティであることが前提である。一人で迷宮に入れば常人ならまず間違いなく最初の数階で野たれ死ぬだろう。
では何故サートが僅か一日という短い時間でこの階層まで来ることが出来たのか。
曰く、
「異世界転移まで出来たのにこのぐらいのことが出来ない筈がない」
と思い試しにやってみたら出来たらしい。
そんなサートであるが、彼は今その迷宮の地下22階で鉱石を掘っている。
地面を掘るというよりは穴に潜って壁を削っているといった感じである。彼は他の冒険者がいないのを良いことに、ピッケルも何も持たず、周囲に転がっているそこそこの大きさの石を魔法で浮かせて、そのまま猛スピードで壁に向かって射出し、打ち砕きながら削るという非常に乱暴な真似をしていた。
半径百数十メートルほどを薄く広げた風魔法で警戒しながら、たまに岩の砕ける音につられてやってくる魔物に対して、毛皮などを取らないタイプの魔物には作業しながら視線さえ向けずその石をマシンガンの如く連続で射出しては始末し、毛皮に傷をつけたくない場合は相手を魔法で地面から浮かせた状態にして同時に窒息させる魔法で始末する。
まさに魔法万歳状態であった。
因みになぜ後者の方法ですべて倒さないかというと、単純に難易度の問題である。窒息の魔法は周囲の酸素濃度や空気成分をいじって窒息死にまで至らせる原理のため、精密な技術力と集中力が必要で、そういった細かいことが苦手なサートではさすがに片手間で出来るほどではないのだ。
また、この魔術は現代に転生してから読んだ漫画を元に考え付いた魔法で、まだ使い慣れていないのも理由だった。そして一気に真空状態にしないのは、その状態でも魔物はしばらく動けるし、死ぬまでにそれなりに時間がかかるからである。
しかし、人間はほんの少し空気の成分の比率が変わるだけで一瞬で昏睡状態に陥ることもある。そこからサートは弱い魔物や小動物らで色々と試行錯誤をしてこの術を開発したのだ。
更にいうと、もっと下の階層に行けばより純度が高くて貴重な鉱石が多くあるのだが、その分魔物も手強くなってくる。
リスクとリターン、疲労と時間のコストパフォーマンスを考えると、この階層でもうすでに単純な作業ゲーと化している採掘が一番効率がよいのである。
何より、あくまで老後のための貯蓄を稼ぐのが目的であるのに、わざわざ余計な危険を冒す必要などなかったし、安定して稼げる現状に十分満足しているのが最大の理由であった。
「ただ、精神的にちょっとキツイ。刺身にタンポポのせてる気分になるわ」
そこで今日の飯は、ハーブで臭み取りなんてしていない生臭くて不味い魚の煮つけと、塩辛くて不味い魚の保存食のどちらにしようか迷いながら、今日の収穫を影にしまって帰路に就くサートであった。