第25話~白い森~
「そういえばミラにちょっと聞きたかったんだけどさ」
「なんですかサートさん?」
「いやね? ミラが『勇者アルバ』オタクになったのは母親の影響なのかなと(なんか一時期随分と熱心に研究していたし)」
「そう、ですね。家の中で子供の私でも理解できそうな本が『勇者アルバの冒険』しかなかったので、寝る前によく母に読み聞かせをして貰いました」
「ほーう、それはそれは(娘に本の読み聞かせとか、あいつも随分と丸くなったもんだ)」
「この迷宮都市アルバに来ようと思ったのも、実はそれが影響していまして」
「ああ、やっぱりそれが理由だったのか(さーてと、知りたい情報は手に入れたし、後は……)」
「なのでまさかこのアルバ迷宮であんな新発見を間近で見ることが出来るなんて夢にも思はなかったですし、それどころか迷宮の新しい経路まで見つけてしまうなんて、もう本当に――――――」
(このオタクの話をどうやって止めるか考えないと……)
二つに分かれた道、一体どちらに進むのか。
サートがミラと朝斗に講義をしている間にサイス、アイラ、ガランの三人がそれぞれの意見を交わし合った結果、三人共に傾斜の激しい道の方を進むという意思を持っていた。
本来の迷宮探索であれば、大量の物資を乗せた荷車を引いて周囲を警戒しながら慎重に進まなければならない筈だった。だが、サートの魔術のおかげで重い荷物を持つ必要が無く、身軽な状態の自分達が険しい方の道を進み、後続の探索隊の負担を減らすべきだと判断したのが大きな理由だった。
そのことをサート達にも伝えたところ、そういうことならばと特に反対意見が上がることもなく進む道が決まった。
「一番先頭は盾も剣も両方扱えるサイス。次は瞬発力と腕力のあるガラン」
「了解」
「ああ」
「その後ろに、まだ本調子じゃないアシャットとミラを挟んで、二人の様子を見ながらあたしが補助をする」
「はい」
「分かりました」
未だにサート達以外の生き物の気配が感じられない、ランタンの光だけが頼りである仄暗い洞窟の中。アイラの小声でも鋭くよく通る声が、このシーンと静まった空間の中で反響するのが感じられる。
短いながらも的確に、そして迷いなく指示を下すアイラを見て、サートは彼女が以前姫騎士団に所属していた、と言っていたことを思い出した。
これも昔取った杵柄というやつなのだろうか、その堂々とした振る舞いはこの場にいる誰よりも人の上に立って導くリーダーの資質が備わっているということを何よりも証明していた。事実、ゴッツの強烈な印象の陰に隠れているものの、アイラの咄嗟の判断力と人を纏める力はゴッツにも引けを取らない。
そのため、明確に決まっているという訳ではないが、パーティのナンバー2はアイラであるというのがパーティ内及び周囲の者達の認識であった。
「そして最後にサートは魔術で前後の索敵。基本陣形はこれでいくが、何か質問はあるか?」
「特にないっす」
いつの間にかサートではなく、アイラがこの即席パーティのリーダーの座に収まったのも必然と言えるだろうか。
この調査の仕事を依頼されたのはサートなのだから、サートがリーダーとして皆を率いるのが筋なのかもしれないが、当の本人は楽が出来てラッキーとばかりに元気に下っ端その一をやっていたのであった。
「全員ストーップ!!」
「どうした、サート」
隊列を組んで暗闇の中を進むこと数時間。
サート達は途中で分かれ道に遭遇する度にその都度小休止と発光石の目印を付ける作業を行っていった。鑿で壁を削って適度なくぼみを作り、底に発光石を嵌め込むという地味な作業だったが、それを実際に朝斗達に経験させるという目的の一つも達成出来、順調に洞窟の中を進んでいた。
だがしばらくして風の魔術で少し先の道を探っていたサートが何かに気が付いたのか、隊列の後ろから静止の声を上げる。
「懐中電灯ポチっとな」
「そんなのがあったのなら最初から使いましょうよ……」
「電池がもったいなかったんだよ」
一体どうしたのだと皆がサートの方を見るが、口で言うよりも見た方が早いと判断したのか、どこからともなく懐中電灯を取り出してスイッチを付けるサート。
ランタンでは前方を照らすのに光量が足りなかったのか、今まで見たことのないタイプの強い光を放つ道具を見たアイラ達は、こいつまた変なもの出しやがったなといったような目でサートを見ていた。
いい加減サートが変な道具や食べ物を取り出すのにも慣れてきていたため、皆のリアクションが薄くなってきたことに対してそろそろ梃入れが必要だなと心の中で企むサート。
(こいつまた変なこと考えてやがるな)
(薄暗いから分かり難いけど、あれは禄でもないことを企んでいる顔だ)
だがそんな考えも周りには大体ばれていることには気が付かず、真面目を装った顔で懐中電灯で照らした先を見るように指示をする。
「あれは……落とし穴、にしては凶悪すぎるな」
懐中電灯の光に照らされた場所には、サート達の行く手を阻むかのように左右に広がる強大な亀裂が足元に開いていた。まるで崖の様に垂直に切り立ち、向こう岸まで軽く見積もっても人が縦に5人は余裕で並んでも足りない程に距離が開いている。
「ここまで歩いてきた距離と坂道の角度で考えると、深度だけならもう中階層にたどり着いてもおかしくないところまで来ている筈だ」
そのレベルの深さとなると、地殻変動による余波でこの程度の断層が出来たとしてもおかしくはない。実際に迷宮内には数は多くないがこのような断層や、地面が隆起・沈降した形跡のある場所がいくつかあったため、サート達はここも同じようなものだと推測した。
懐中電灯で底を照らそうとしても全く光が届かず、最早谷と言っても過言ではないだろうそれは、本来ならばここで引き返して違う道を探さなければならないほどの障害である。
だがここには風の魔術を扱える魔術師であるサートがいる。わざわざ道を引き返さなくとも、魔術で体を浮かせて向こう岸まで渡るのは何も難しいことではない。
ただ―――――――
「この下から風が流れ込んできているんだよなあ……。それも結構な勢いで」
「ちょっと前からから聞こえていた風切り音の発生源はここか」
風が流れ込んできている、ということはつまりこの谷の下には空気の流れが出来るほどの巨大な空間がある可能性が非常に高い。
この谷を無視してそのまま道を先に進んで行くのも別に悪くないのだが、もしかしたらこの道の行きつく先は……、そう考えたサートがアイラに判断を仰ぐ。
「どうする?」
こういう時に自分より立場が上の者がいると気楽で良いやと思いつつ、全ての判断をアイラにぶん投げたサート。
「とりあえず飛び込んでこい」
しかし上には上の、下っ端には下っ端の苦労があるものだ。
これからどうするかの判断を委ねられたアイラは、一瞬の躊躇も無くサートに向かって飛び降りろという命令を下す。ここでうだうだと悩むよりもそれが一番手っ取り早いと、即断即決で下された命令にサートは一瞬固まってしまう。
「……いや、判断が早くて迷いがないのは頼もしいんだけども、もうちょっと楽な方法をおなしゃす」
「うっせ、さっさと行け。早く帰りたいんだろ?」
非常に合理的な判断であることには間違いなく、自分が逆の立場だったら間違いなく同じことを命令するだろう。そのことを棚上げしてせめてもの抵抗をするサートだったが、アイラはそれを意にも返さない。
「っく、仕方ない。これも全ては明日の清掃活動のため、円滑なご近所付き合いのため! サート、行っきまーす!!」
「こいつ本当に行きやがった」
杖を燕ごとミラに預け、とう!! と、気合を入れて無駄に回転と捻りを加えながら谷底へと飛び込んでいったサートを見てアイラがポツリと呟く。
もっと嫌がられて強く拒否するようであったなら、ここは無視して先に進むことにするつもりだったのだが、案外簡単に飛び込んで行ったサートを見て、あいつ実は言うほど嫌でもなかったのではないかとアイラは思った。
「……戻ってこないな」
「そんなに底が深いのでしょうか」
サートが飛び込んでから既に数十秒が経過し、流石に谷底には辿り着いている筈だが未だに何の音沙汰も返ってきてはいない。
何かに襲われているのか、それとも安全を意識してゆっくりと下に降りているだけなのか。どちらにせよここに残されたアイラ達はサートが戻ってくるのを待つしかできないのだが、更にそこから数分間待っていても状況が変わることは無かった。
「死んだか」
「花の代わりに石でも投げ込んでおきましょう」
「ちゃんと生きてますけど何かー!?」
「お、戻ってきた」
「これがサートの言う『ふらぐ』というやつか。少し分かってきたぞ」
まるで出待ちしていたかのようなタイミングの良さで戻ってきたサート。転移魔術で戻ってきて早々に何やら自分が死んだことにされているのを聞き、半ば条件反射で突っ込みを入れる。
「で、どうだった?」
「色々言いたいことはあるが、今はまあ許そう」
まるで何事もなかったかのように話を進めるアイラ達に一言物申したい気持ちを何とか抑え、魔術を発動して全員の体を持ち上げて宙に浮かせる。
そしてその状態のまま、この下に恐らくこの洞窟の終着点だと思われる空間を発見したことを伝えるサート。
「だから予定通りここで大幅なショートカットをしようと思うんだが、それで構わないか?」
「許可する」
「ちょっと待ってください! 転移で行けばいいでしょう!? ちょ、地面に下ろし―――」
「僕何も言ってないのに、酷いとばっちりだ……」
実に漢らしく、一瞬も悩む様子を見せずに決断を下したアイラ。
「リーダーの了承も得られたことだし、レッツ紐無しバンジィィィ!!!」
それ以外の雑音は聞こえなかったものとして、今度は全員で谷底に飛び込んでいくのであった。
―――
アルミ製の少し大きめな片手鍋にたっぷりと水を入れ、アウトドア用の携帯コンロの上に乗せた後、固形燃料に火をつける。それだけだと火力が弱く、水が沸騰するのに時間がかかりすぎてしまうため、乾燥した木の枝を適度な長さに折って薪として一緒に火にくべる。
そうして湯が沸き上がるのを待つ間に人数分の袋麺と、トッピングとして最後に添える具材として、酒のつまみとして買ってあった瓶詰のメンマを影から取り出す。
具がこれだけでは寂しいと思ったサートは、チャーシュー代わりに影の中に放り込んであった徳用ウインナーを串に刺して、少しずつ大きくなってきたコンロの火の傍でじっくりと炙り始めた。
ついでにそのままウインナーを半分ほどつまみ食いをする。これは食事を作る者の特権であるからして、ばれなければ問題ないのだなどと独りで言い訳を呟きながら、もう半分を先ほどからずっと杖にぶら下がってプラプラと揺れている燕に与えた。
いい加減こいつの名前も考えないとなあ、などと考えながらウインナーを啄む燕の様子を観察するサート。
「美味いか?」
「ピィ」
「おお、お前の鳴いているところを初めて聞いたぞ」
まさか返事を返されるとは思ってもいなかったサートは、上機嫌になってウインナーをもう一つ追加した。普通の燕ならとても食べきれない量だが、早くも半分のウインナーをペロリと平らげてしまったコイツなら問題はなさそうである。
ユーザスから使い魔として譲られたこの燕とはこれからも長い付き合いになりそうだ。そんな予感がしたサートは、人差し指で燕のお腹を軽く擽った後に食事の準備に戻った。
「んー、他になんかあったっけかなあ」
刻みネギやナルトまでは流石に用意してはいなかった。しかし何せ朝から芋しか食べていないのだ、肉とまでは行かなくとも、出来ればもう少しタンパク質を取りたい。
何かないかと自らの影の中を漁っていると、ちょうど先日ウインナーと一緒にスーパーで買ったまま冷蔵庫にしまい忘れていた1パック12個入りの特売の生卵がそのまま入っているのを発見する。
荷物が重いからと影の中に放り込んでおいたまま忘れかけていたそれは、まだ賞味期限は過ぎていないが一人で全部食べきれるほど期限に余裕があるわけでもない。だったらいっそここで全部処理してしまおうと、ラーメンの具材にすることにした。
「これで良し、と。うむ、ラーメンのトッピングで一人につき卵が丸ごと2個とか、すごい贅沢なことをしている気分」
とりあえずこれで食事の下準備は終わり、続いて紙製の器やプラスチック製のフォークなどの食器類の用意をする。そして、後はお湯が沸騰するのを待って麺を茹でるだけという状態になったタイミングで、周囲の探索をしていた他の者たちが戻ってくる足音が後ろから聞こえてきた。
「今戻ったぞ」
「お疲れー。すまん、湯がまだ沸いてないから食事はもう少し待ってくれ」
「それは構わねえよ。それよりも、ミラの様子はどうだ?」
食事がまだできていないことを謝るサートに、アイラは気にすることは無いと返す。
移動中に小まめに間食はとっていたため、まだそれほど空腹状態ではなかったことに加えて、サートには食事の用意と同時に体調を崩したミラの面倒も一緒に見て貰っていたのだ。
薬の調合にはそれなりに時間がかかることは理解していたので、食事の準備が遅れることは想定の範囲内であった。
そしてサートのすぐ傍で横になって寝ているミラを見て、体調はどうなのかとサートに尋ねる。
「体調不良も一時的なもので、今はかなり落ち着いているよ。一応大事を取って寝かせているけど、食事ぐらいなら普通に取れると思う」
「そうか、良かった」
ずっとそれが気掛かりだったのか、サートから問題はなさそうだという言葉を聞いたアイラは大きく溜息を吐いて地面に座り込んでしまった。それに対してサートは労う意を込めて、水筒に入っていたお茶をアイラに渡しながら続けて言った。
「そろそろサイス達も帰ってくる。全員が揃ったらミラも起こして、食事をしながら情報を共有したいんだが、その前に軽くでいいから探索の結果を教えてくれ」
「ああ、そのつもりだよ。多分あいつらも同じことを言うと思うが、ここは本当に変なところだよ、まったく」
そう言ってアイラはサートに渡されたお茶を一気に飲み干しながら、今自分たちのいるこの場所の不自然さを語り始めるのだった。
サート達が断層から飛び込んだ先にあったのは巨大な森であった。
「……光がある」
一番最初にそう呟いたのミラである。
ここが森であると分かったのも、自分たちを含めた周囲全てがまるで太陽かと間違える程の白い光に照らされていたからだ。
「しかも広いな、ここは」
次に声を発したのはアイラだ。断層から飛び降り、この巨大な空間に入ってから地面に着地するまでの僅かな時間の中で、一瞬だけ上空から見えた景色。それは先が見えない程に遥か遠くまで続いていた木々の群れであった。
「木が白いな。幹や枝だけではなく、葉まで白みがかっているとは」
「根が殆ど地表に出ていますが、これで枯れたりしないんでしょうかね?」
サイスとガランが周りを見渡して自分たちを囲っている樹木を観察してみれば、茶色い幹と緑の葉が茂る自分たちの良く知っている木とはかなり異なることが分かった。まるで色素をすべて奪われたかのような白い幹と、白みがかった薄い緑の葉をしたその木々は、マングローブのように根が殆ど地面の上に剥き出しになっていた。
地面に視線を向けてみるとあまり草は多く生えておらず、自分たちが今立っている場所では固い土が露出している。ポツリポツリと間隔をあけて生えている白い草も、まるで水草のような姿をしており、すべてが初めて見る種類の植物であった。
「飛び降りてから地面に着くまでが大体14秒か15秒くらいだった……。だから、大体1000メートル程落ちてきた計算になるのかな? いや、でも風の抵抗を減らしてくれていたみたいだし、正確には分からないか……」
他の者たちが自分たちの周囲に注意を向けている中、朝斗は自分たちが一体どれくらい落ちてきたのかを計算していたが、魔術という物理学に喧嘩を売っているような物があったのだということを思い出して途中で断念をする。
代わりに自分たちを照らしているこの光は一体どこからきているのか、と上を見上げるも白い木の枝と葉っぱに覆われているせいで何も見ることが出来なかった。
「全員警戒。何か近づいてくる」
ここに来るのが二度目であるため比較的余裕のあったサートは、各自がそれぞれ違った反応をしている時に、風の魔術で何かがこちらに近づいてくる足音を感知していた。
先ほど自分一人でここに降りた時には何の気配も感じられなかったのだが、自分たちの発する音を感知したのだろうか。もしそうだとするのならば、相手はこちらを縄張りに入った敵だと思っているのか、それとも餌を見つけたと思っているのかは分からないが、少なくとも友好的な接触となる確率はかなり低いだろう。
それも一匹や二匹ではない。前後左右から数匹ずつ、さらに一回り遠くからその倍の何かがこちらに向かって真っすぐ近づいてきている。囲まれたかもしれない、と既に臨戦態勢に入って周囲を警戒しているアイラ達に告げると、すぐさま指示が飛んできた。
「一番数が少なくて手薄な方向に突っ込んで包囲網を突破する。囲まれるのだけは避けるぞ」
「りょーかい」
命令が下されてすぐさまサイスが殿を務め、突破力のあるガランが先頭に立ってサートが指示した方向へ駆け出す。こういった突発的なアクシデントに対する行動の迷いの無さと早さに確かな経験と実力を感じさせられ、思わず心の中で口笛を吹きそうになるサートであった。
しかし数秒後に自分たちの目の前に現れた敵と思われる『そいつ』を見て、サートは思わず眉を顰めてしまうことになる。
「なんだありゃ?」
「なんでもいい。ガラン、ぶっ飛ばせ!!」
一見すれば巨大な犬型の魔物に見えなくもないが、よく見ると足は蹄で猪のような牙を口から生やし、極めつけは体の右側にだけ脚が一本余分にくっ付いている五本足の獣がそこにいた。
勢いよくこちらに突っ込んでくるその出来そこないのキメラのような見た目をした、体長2メートルはあるだろう『そいつ』をガランは体重をかけた剣の一振りで横にはじき飛ばす。体勢を崩したその隙にサート達は敵の傍を走り抜けていき、吹き飛ばされてもすぐさま後ろから襲いかかろうとしたそのキメラもどきを今度はサイスが盾で見事に受け流す。
そしてそれとほぼ同時にアイラが振り向きざまに放った3本の速射の矢が眼球と首、心臓があるだろう位置に的確に突き刺さった。
「おお、さっすが。流れるような連携技」
「ありがとよ。で、状況は?」
「包囲網は抜けた。でもそろそろ追いつかれる」
何しろ敵は全て四足獣並みの速さでこちらに近づいてきているのだ。このまま走って逃げようとしても、それが出来るのはガランくらいしかいないだろう。
だったら、包囲網を抜けたのならばここで敵を迎え撃つのが最善であるとアイラは判断し、走るのをやめてその場で態勢を整えた。
だが、迎撃の態勢に入ろうと後ろを振り向くと、先ほどアイラに矢を撃たれて絶命したと思われるキメラもどきの死体が、三本の矢だけを残して姿を消している光景が見に入った。
「気を付けろ! 死体が消えている!」
あのキメラもどきは間違いなく絶命をしていたはずだ。眼球に突き刺さった矢は確実に脳に届くまで深く沈んでいたし、そうでなくともあの蹄で矢を引き抜くなんてことが出来るわけがない。
どこかに姿を隠して隙を窺っている可能性を危惧して、警戒を強めるように呼びかける。
(よく見りゃ死体どころか流血の痕もない。つーか待てよ、そもそもあの出来そこないのキメラ、矢で射抜かれたのに一度も鳴き声を上げなかった)
分からない疑問が次々と湧いてくるが、それをゆっくりと考える暇もなくとうとう敵がサート達のいる場所に追いついてくる。
「またキメラもどきか。しかもバリエーション豊かなことで」
目の前に現れたのはまたしても生物として不自然であることが一目で分かるようなキメラたちであった。
胴体は四足動物の体格なのに手足が猿のような犬や、まるで後で無理やり付け足したかのように明らかに体と不釣り合いな小さい翼を複数生やしたネズミ。その他にも最早なんと形容したらよいのか分からないほどに原形を留めていない獣もどきが沢山いた。
(とりあえず吹っ飛ばすか? いや、これ以上大きな音を立てるのも不味いか)
風の魔術で遠くに吹き飛ばして時間を稼ごうかと一瞬考えるが、その爆風の音で更に敵を引き寄せてしまう可能性を懸念し、ここは地道に一匹ずつ討伐することに決めたサート。
ちらりと左右を見てみれば、他の者たちも皆似たような結論に至ったのか、無言で武器を構えていた。
「俺が突っ込む。援護を」
「僕も行きます」
先手必勝とばかりにこちらに向かって来る敵の群れにガランが切り込んでいき、朝斗もそれに続く。
アイラが弓矢で援護して、撹乱役である前衛二人の間を抜けてきた敵はサイスが盾で受け止め、その隙にミラが魔術で撃退をする。見事なコンビネーションで確実に敵の数を減らしていき、サートも風の魔術でサポートをしようとしたところであることに気が付く。
「なんか俺、狙われてね?」
何故か敵の視線が全てこちらに集中しており、執拗に自分に襲いかかろうと飛び掛かってきているような気がしてならないサート。
「正直に言え。お前なにしたんだよ」
「何もしてねえっす」
アイラ達も同じようなことを感じていたのか、心当たりはないのかと尋ねられるも、何故自分が狙われているのか皆目見当もつかないサート。
何か恨まれるようなことでもしたかなー、と考えている間にも敵は次々とサートに向かって突撃をしてくる。
「丁度いいからそのまま囮やってろ」
「ひでえ」
狙われる理由が分からないのならば仕方がない。ここは発想を転換して、サートを狙ってそれ以外の者に対する意識が薄くなっているのならば、こちらはその隙を利用するまでだ。
前衛にいるガランと朝斗も、敵がサートに意識を集中していることに気がついてからは、それを利用した戦い方で敵の殲滅のペースを上げていた。
「狙われる理由なあ……。んー、もしかして……」
自分が狙われている理由を顎に手を当てながらあれこれ考えてみた結果、もしやと思い自分の腰に吊り下げていたある物を取り外して思い切り遠くへ投げ飛ばしてみるサート。
自分が狙われる理由など全く分からないが、それでも敢えて言うならこれが一番可能性が高いと思っての行動であった。
そして案の定というべきか、敵が面白いように一斉にサートが投げ飛ばしたある物を視線で追いかけ、それを奪い取ろうと突進をしていく。
「おお、やっぱこれだったか」
「なんだよ、心当たり有ったじゃねえか」
「文句ならこれを渡したどっかの爺さんに言ってくれ」
サートが言い訳をしているうちに敵のキメラの一体がその投げ飛ばされたある物に追いつき、空中でキャッチをしようとする。だがその瞬間、あと少しでそのある物に届くというまさにその時に、いきなりそのある物が横からもの凄いスピードで掻っ攫われてしまった。
「おかえり」
そのある物を掻っ攫っていったのは、まだ名前も付けられていないサートの使い魔である黒い燕だ。
そしてその燕の口に咥えられていたのは、サートが弟子からの卒業祝いとしてユーザスから送られたあのビー玉のような黒い石であった。
「そーかそーか、お前らはこれが欲しいのか。へー、ほー、ふーん」
敵が狙っている物がこの球であることが分かったサートは、表情こそ変わらないが如何にも何か悪い事を考えていますという雰囲気を醸し出す。近くにいたミラなどは、その怪しげな雰囲気を感じ取って無言で半歩ほどサートとの距離を空けている。
そんな反応をされていることに欠片も気が付かないサートは、今度は先ほどと違う方向にその球を思い切り放り投げた。
それに釣られて敵が球が放り投げられた方向に意識を向けると、その隙をついてガラン達は確実に敵を仕留めていく。そして投げられた球が敵に奪われそうになると、また燕がその球を横から攫って行ってサートの手元に戻る。
「次はこっちだ! 行ってこーい!」
なお、本当に『行って来る』だけである。
多数の敵に襲われているこの状況で、ワハハハと汚い笑顔で実に楽しそうに笑っているサート。その様子に周りは余裕そうだなこいつ、と呆れるばかりであった。しかも地味に囮として効果抜群なのだからたちが悪い。ミラは黙って更に一歩分の距離を空けていた。
その後も下手をしなくてもいじめにしか見えないフリスビーごっこを何度か繰り返し、見事敵をばらけさせることに成功するサート。そしてガランと朝斗を巻き込まない範囲まで遠くに逸れたキメラもどきたちへ、いつものように魔術で空気の成分と濃度調整をして窒息死を狙った。
「……! おい、こいつら呼吸をしてないぞ」
しかし敵のあまりの変化の無さに流石にサートもおかしいと思い、空気の流れに意識を集中すると、相手が全く呼吸をしていないことが分かったのだ。
呼吸をしない獣など初めて見たサートだったが、しかし次の瞬間にそれをも上回る衝撃の光景を目の当たりにする。
「死体が、消えた……?」
ガランと朝斗によって首を切り取られて地面に倒れ伏したキメラもどきが、まるで崩れ落ちるかのように黒い塵となって消えていってしまったのだ。
目の前でまるでゲームの雑魚敵のように綺麗さっぱりと跡形もなく消えてしまった光景を見て、サートは不思議に思うよりも先にまず納得をしてしまった。
(呼吸をしていないんだから鳴き声を上げるわけがないし、消えてなくなるんだからそりゃ死体も血痕も残らないわな。納得納得……じゃない! やべえ、俺だけ碌に仕事してねえ)
囮役と索敵をこなしている時点で仕事をしていないということは有り得ないのだが、敵を一体もまともに倒していないというのもまた事実。楽が出来るのは願ったりなのだが、サボっているとは思われたくない小心物の性格が見え隠れする。
かといって混戦状況になりつつある今の状況で、効果範囲が広い攻撃魔術しか扱えないサートが味方を巻き込まずに敵だけを倒す方法など殆どない。
焦ったサートはせめてもの貢献アピールとして、敵を一体一体宙に浮かび上がらせて身動きを取れないようにするぐらいしか出来なかったが、時すでに遅かった。
「結局俺がほとんど何もしない内に終わってしまった。強すぎだろお前ら、もうちょっと苦戦しても良かったのに……」
それから数分もしない内に全ての敵がサートを除く他の者たちの手によって討ち取られ、姿を消した。
「でも、最後の方はサートさんのおかげで止めを刺すだけの流れ作業になっていたじゃないですか」
「嫌味かこん畜生。言っとくけどお前が一番おかしいんだからな? なんで接近戦で獣人とタメ張る活躍してんだよこの人間詐欺め」
称賛とも愚痴とも言えない言葉を口にするサートに、朝斗が気を使ってフォローをするが、それは逆効果であったようである。
サートの言う通り、この戦闘でひときわ異彩を放っていたのは敵のキメラもどきでもサートでもなく、朝斗であったのだ。
身体能力に恵まれ、経験も豊富な獣人のガランが次々と襲いかかってくる敵を屠っていくのは流石実力者と言ったところである。だが、そのすぐ横で同じくらいの勢いで敵を倒していく人間がいるのだ。
サートが中古で買った軽装の皮鎧と、逆手に持った数打ちの短剣二本のみで敵の攻撃をいなして的確に相手の急所を突いていく様は、とてもではないが普段の朝斗からは想像できない程に鋭い動きであった。しかもこれでまだ病み上がりで本調子ではないというのだから末恐ろしい。
しかし改めて思い返してみれば、あの蟻の主級<アント>相手にたった一人で対峙しながらも生き延びた男なのだ。朝斗がまともに戦う姿はその時以来初めて見るが、不死身と言われているのにもそれなりの理由があるのだと実感したサートであった。
「今からお前のことを『ゴッツ亜種』として認識することにするわ」
「褒められていると受け取って良いんですよね?」
なにはともあれ無事に敵の襲撃を凌ぎ切ったサート達は、今の戦闘音でまた敵が寄ってこない内に素早くその場を離れ、一息つける場所を探したのである。
「川が光っている……」
戦闘のあった場所から離れてしばらく森の中を進んで行くと、途中でミラが水の気配を感じ取る。このまま森をさ迷い歩くよりも水場があるのならばそこへ向かおうと、ミラの誘導で水の気配がする方向へと進んで行くと、大きな川が流れている場所にたどり着いたのであった。
向こう岸が軽く霞んで見える程度に幅の広いその川は、流れはあまり急ではなく水質も透き通っていて非常に綺麗な川に見えた。
ただ一点、川全体がぼんやりと銀色に発光をしていることさえ除けば、ここで水浴びをしたいと思える程に理想的な川であった。
「……一応魚は泳いでいるっぽいな」
「毒に適応した魚とかじゃないなら安心なんですけどね」
銀色に発光していると言ってもケミカル発光のような毒々しい光り方ではなく、まるで自然光のような安心感を人に与える光であった。それでも初めて見る現象に警戒の色を隠せないサート達だったが、目的が調査である以上、遅かれ早かれこの川の水が安全かどうかを確かめる必要がある。
サートが宙に浮かんだ容器を操って直接手が触れないように川の水を汲み、その成分を確かめる。不思議なことに、川から汲んだ水はもう銀色に発光することもなく、見た目もただの水と変わりなかった。
指で軽く触れても皮膚が融けて焼けつくようなピリピリとした痛みもなければ、異臭もしない。何よりサートの使い魔である黒い燕が、この水は安全であると示すかのように容器の縁に留まって水を飲み始めたのが決定打となった。
ここまでやって問題が起きていないのならば大丈夫だろう、と油断をしたのがいけなかったのか。
飲み水はサートが影の中に大量にストックしてあるので、それに関しては問題は無い。それでも万が一の為に今まで水分補給以外の用途には水を使用してこなかったのだが、目の前に川があるのならばその水を使ってここに来るまでの道中や、先ほどの戦闘で汚れた身体を拭きたいと思ってしまうのは無理もない。
そして意を決したサイスが自ら率先して川の水に直接手を入れ、それでも何も変化が起こらなかったことで皆完全に安心しきってしまった。それを皮切りにアイラ達も川の水を使って手を洗ったり顔を拭いたりし始める。
「ミラ!? どうした、しっかりしロ!」
しかし、唯一ミラだけが手に持った布を湿らそうと川の水に手が触れた瞬間、突然力を吸い取られてしまったかのように身体に力が入らなくなり、その場に倒れ伏してしまう。
原因は不明。ただ一つ分かるのはこの川の水に触れた途端に異変が起こったということだけだ。体に力が入らず、歩けないミラをガランが抱えて川の傍から素早く引き離すが、それでも体の状態は変わらなかった。
「熱も出始めているな。ちょっと失礼。セクハラじゃないよ」
地面に敷物を敷いて、その上に楽な姿勢になるように寝かせたミラをサートが診断していく。
病み上がりに無理をしすぎて、ここにきて限界が来たのかとも思ったが、倒れる直前のミラの様子からはそういった前兆は全く見られなかった。顔色や体温、汗の出方から見ても、疲労が溜まった結果引き起こされた体調不良でないことは間違いない。
「……ここまでだな。アイラ、ここで撤退することを提案する」
ミラが倒れた原因が分からない以上、このままここに留まるのは得策ではない。幸い今は近くに敵の気配を感じないが、いつまた襲われるとも分からないこの場所にいるよりは地上に戻った方が色んな意味で安全である。転移魔術を使える自分がいるからこそ取れる選択を、サートはアイラに提案した。
アイラもサートと同じ考えに至ったのか、リーダーとしてここで撤退する決断を下してそれを皆に伝えようとする。
「待ってください……!!」
だがしかし、アイラが口を開いてそのことを声に出す直前に、ミラの精一杯力を振り絞ったような掠れた声によってそれは一時中断されてしまう。
「お願いします……。私が足手纏いになっているのは分かっています。でも……!!」
恐らく腹部に力が入らないのだろう。そのせいで声こそ大きいものではないが、語気や言葉の内容から実際は殆ど叫び声に等しいということがサートには分かった。
「この短時間でここまで来れたんだ。調査としては十分すぎる成果だろ。」
本来ならばここにたどり着くだけでも何日もかけなければならない行程を、無理やりショートカットしてきたのだ。ここで引き返すのは何も恥ではないし、何よりこの調査の仕事に誘ったのは自分である。だから責任を持って五体満足で生きて帰還をさせなければならないというのがサートの考えであった。
「別に日を改めてまた来ればいいだろう。その時はまた付き合ってやるさ。何も今回が最後ってわけじゃないんだ」
『今日、このアルバの街は滅びる』
サートのその言葉を聞いたとき、アイラは今朝ユーザスからの伝言の対価として聞いた言葉が頭を過っていた。恐らくサイスとガランも同じことを思い返しているのだろう。
「今日でなければならない、予感がするのです。だからもう少しだけ……、待ってください。必ず、必ずすぐに元気になりますから……、お願いします……!」
『そんな未来を回避したければ、ミラが起こすだろう行動を邪魔してはならない』
ミラも不穏な何かを感じ取っているのだろうか。彼女があそこまで必死になっている姿をアイラは初めて見た。
サートがお前も何とか言ってやってくれというような目をしてこちらを見る。
ユーザスの予言とミラの予感を尊重するのか、それともそれらを全て無視してここで帰還するのか、アイラは決断をしなくてはならなかった。
「……ここで大休憩を取る。その間にミラの体調が回復をしなかったら、誰がなんと言おうと今回の調査はそこで終了だ」
「……ま、リーダーの判断には従うさ」
「ありがとう、ございます」
胃に手を当てながら疲れたように深いため息を吐くアイラの肩を、サイスは優しく叩いた。
―――
「すみません、遅くなりました」
「よし、これで全員揃ったな」
丁度火にかけた鍋の中の水が沸騰し始めた頃、この森の情報収集のために周囲の探索に出ていた最後の一人である朝斗が戻ってくる。
全員が戻ってきたことを確認したサートは、早速ラーメンの袋を開けて鍋の中に放り込んで茹で始めた。流石に六人分を一度に茹でるには片手鍋の大きさが足りないため、半分の三人分ずつ茹でることにした。生卵はそのまま直接鍋に入れると形が崩れてしまうため、一個ずつお玉の上に落としてある程度茹で固まるまでしばらく待ってから鍋に投下する。如何にもザ・男の料理といった見た目だが、野外料理でここまでやれば上等だろう。
そうしてサートがラーメンを作っている間に、寝ているミラを除いた四人はそれぞれが得た情報を共有し始める。
「生き物が存在した痕跡はありました。乾燥した糞や巣らしきものを見つけましたからね。だが肝心の生き物の姿は一度も発見できませんでした」
「葉っぱや草を齧った痕は、ありました。でも、姿は見えません」
「こちラも、地面に沁み込んで乾いた獣の血痕を見つけたが、俺達を襲ってきた敵とは匂いが違った」
やはり気になることは皆同じなのだろう。自分たちを襲ってきたあのキメラのような歪な姿をした敵は、一体どのような生態系の中で生まれたのか、どのような食物連鎖を築きあげているのか、全く想像が出来なかった。
この森の中で生きていた生物の痕跡自体はあるものの、それがあのキメラ達のものとは到底思えない。
そうなると考えられるのは、この森にいた生物たちは全てあのキメラ達に駆逐されてしまったということだ。
「やっぱり一回戻って、日を改めた方がいいんじゃね?」
その話し合いを黙って聞いていたサートがスマートフォンの画面を確認してみれば、最初にこの洞窟に入ってからもう既にかなりの時間が経っている事に気が付いた。恐らく迷宮の外はもう既に日が沈んで暗くなっていることだろう。
このままでは徹夜か、もしくはここで一晩明かすことになりそうだと思ったサートは、もう一度アイラにここで撤退することを提案する。翌日の清掃活動に響くというのもあるが、何より全員の安全を第一に考えての意見であった。
「それは困るなあ」
聞きなれない声がその場に響く。
いや、正確に言えばそうではない。声自体は何度も聞いたことがあるはずなのに、その声に含まれる質が自分たちの知っている物とは全く異なっていたせいで、そうと認識することが出来なかったのだ。
「誰だ、お前は……?」
声が聞こえた方向に目を向けると、そこには先ほどまで寝たきりの状態だったミラが上半身を起こしてこちらに顔を向けているのが見えた。だが、体はもう大丈夫なのかと気遣いの言葉をかける者は誰もいない。
「初めまして。リラ・ラライアと申します」
顔の造り自体はミラと全く変わらない。いつも細かく編み揉んでいる髪の毛が解けているのを除けば、目も鼻も、全てがミラそのものであった。
だがそれでもはっきりと別人だと言い切れるほど、その身に纏う雰囲気がミラとかけ離れているのだ。
「娘がいつもお世話になっています。そして――――――」
お前は誰だと問いかけるアイラの言葉に対して、自らをリラ・ラライアと名乗ったその人物は、ゆっくりと立ち上がって優雅に一礼をする。元貴族であるアイラやサイスをして見事だと思わせるその動作に、誰も何も反応することが出来なかった。
そしてリラはそのまま、信じられない、信じたくないといった表情をしながら目を見開いてこちらを見ているサートに対し―――
「久しぶりだね、サトラク君?」
―――ミラでは決して出来ない、大人の余裕を感じさせる笑顔を向けるのであった。




