第20話~変人の前世~
「この世界には二つの大陸がある」
自分の話をする前に、まず知っておかなくてはならないことがある。そう語ったサートは最初にこの世界の地理についての説明を始めた。
「東の旧大陸『エ=ルー』と、西の新大陸『ファ=ルー』の二つだ。
いや、正式な発音は『イエン=ルウ』と『ファン=ルウ』だったっけ? まあいいか、ここら辺じゃ通じないし」
とにかくこの二つの大陸がある、とお茶請けとして用意した黒豆大福を咥えながらサートは続ける。
「そして俺達が今いるのは西の新大陸、ファ=ルーの方だ」
そう言って簡単に描いたこの世界の世界地図に指で軽くコンコンと叩いて場所を示す。
300年ほど前に旧大陸に存在した国の、ある一族とその一派が流れ流れてたどり着いたのがこの新大陸『ファ=ルー』である。
どうしてこんなところまで流れ着いたのかは分からない。戦争に敗れて追放されたのか、それとも新天地を目指して自分たちから国を飛び出したのかもしれない。
だが人々がエ=ルーから渡って来た名残は今でも強く残っている。
使用している言語もそうだが、例えば一緒に救出部隊に参加した貴族の魔術師ことギアール・エルマルドラ。
彼の家名であるエルマルドラの語源を辿ると『エ=ルー・マ・ルドラ』となる。その意味は『旧大陸のルドラ家』ということを示す。
そしてこのアルバの町の由来ともなった勇者アルバも元々貴族ではなかったが、その妻の実家であったリオン家を入り婿として継ぐ際に『エルマリオン』の家名を当時の建国王から送られている。
数少ない貴族であることを表す名字付き、その中でもこの大陸で家名の頭にエ=ルーを示す語を付けることが出来るのは、最初にこのファ=ルーに訪れた一族とその一派の子孫だけにしか許されていないある種の特権なのだ。
「最初にこの大陸に人間が降り立ってから300年以上経つけど、未だにこの大陸の全貌は明らかにされていない。理由は単純に広すぎるのと、森が深すぎるから。そして何より、人手が足りないからだ」
今でこそ旧大陸からの移民も増えて立派な国ができるほどの規模になったが、それでも大陸中を廻るにはまだまだ人口も時間も足りない。
神秘が未だ色濃く残るこの大陸には人智を超えた存在と不思議が数多く眠っている。サート達が潜る迷宮もその一つ。
昔は数えきれないほどの、本当の意味での冒険者が前人未到の大地を開拓しながら未知なる神秘とこの大陸の果てを目指して冒険をしていた時期もあるが、今はそういった冒険者は殆どいなくなってしまった。
今でも多くの人がこの大陸に夢と一攫千金を求めて訪れるが、その目的は開拓ではなく、この大陸に存在する迷宮で金を稼ぐことである。その方が確実で、安定しているからだ。
「まだこの新大陸を開拓しようという人間が多かった全盛期の時代に、このファ=ルーに移り住んできた移民は各地に開拓村を作った。前世の俺はその幾つも造られた開拓村の中の一つで、時代の流れで今では寂れてしまったどこにでもある普通の村で生まれたんだよ。それも貧農の三男に」
大福を食べ終えたサートが今度は煎餅を齧りながら続ける。
半分は地だが、もう半分は意図して相手の緊張を和らげるように演技をしていたのが功を奏したのか、ちらりと朝斗の様子を窺うと彼も余計な遠慮することなく数年ぶりの甘味を楽しんでいた。
「(でも俺絶対変な人だと思われてるよな。いや、間違ってないんだけど)」
少し微妙な気持ちになるも、しかしすぐにまあいっかと開き直って話を続ける。事実、変人なのだから。
「寂れた村の貧農の三男って時点でもう想像はつくと思うけど、案の定村に飢饉がおこったときに真っ先に口減らしの対象にされたよ。その時は子供ながらに己の不運を嘆いたね。
……日本で普通の生活しているときにいきなり言葉の通じない異世界に身一つで放り出されるほどじゃないけど」
そういって朝斗を見る。
「まあでも、家畜みたいに殺されて食われるんじゃなくて村を追放って形だったからまだマシだったか? で、途中で運に恵まれてなんとか近くの町まで辿り着けたまではよかったんだけど、そこでの生活も大変でなぁ。
人権なんて概念がまだ生まれてないこの世界の奴隷ほど悲惨ではなかったけど」
見られた本人は自覚もなさそうにどら焼きを食べながら、そうなんですかと暢気にサートの話を聞いているだけだった。
「町には自分と似たような境遇の奴なんていくらでもいたし、それからはずっとそいつらとスラムで命をかけた生存競争よ。
いや、流石に消耗品扱いされるぐらい死にまくってる迷宮奴隷ほど殺伐ではなかったけども」
その反応にこいつは実は大物なのかもしれないと心の中で思った。
「死に物狂いで仕事を見つけても賃金なんてたかが知れてるし、あの頃の生活はキツかったな。なんで俺はこんなに不幸なんだと運命を呪ったもんだよ。
うん、まあ、君ほどじゃないけどな」
「(えーと、もしかして僕は褒められているのかな?)」
自分で突っ込みを入れながら自らの前世の過去を語ったサート。だが朝斗の反応を見てあまり自分の境遇の酷さというものを自覚していないことを察する。
そしてサートはコップの中に残ったお茶を一気に飲み干し、一つ溜息をついた後に続けて言う。
「なあもうこの話やめていいか? 比較対象が悪過ぎてなんだか自分がすごく小さく思えてきて恥ずかしいんだが」
「(これはなんて返事をしたらいいんだろうか)」
どう受け答えをしたらよいのか分からずに生返事になっている朝斗は、誤魔化すように愛想笑いを浮かべるしかなかった。
不幸自慢にはそこそこ自信があったのに、おっかしいなーと頭を掻くサート。
明らかにやる気が削がれている様子だったが、さすがにここまで話しておきながら途中で止めるのは中途半端すぎると思ったのか、しぶしぶながらも話を続ける。
「とにかく、そんな感じで何とか生き延びてはきたんだけど、ある時ちょっとしくじって足を負傷してな。学もなくて肉体労働でしか金を稼げないのに、働くことが出来なくなったんだ。
だから雀の涙ほどの貯金が尽きるまでに足が治らなかったら、やべえ飢え死ぬしかねえ、って時に噂を聞いたんだよ」
その噂とは、たった一つの条件を飲むのなら罪人だろうが亜人だろうが関係なく、老若男女、人種を問わずに望むのなら誰であろうと弟子にしてくれる魔術師がこの町に来たという噂だ。
改めて考えれば怪しいなどというものではないが、それまで魔術師を実際に見たことのない田舎者からすれば、常人には扱えない特別な力を操るどこか浮世離れした魔術師という存在ならば何をしても可笑しくないという先入観があった。
現代人が仙人や道士に対して抱くイメージに近かったかもしれない、とサートは言う。
「その時は少なくとも自分の弟子を飢え死にはさせないだろうって根拠もない考えで、藁にでも縋る思いでその魔術師を探したんだ」
今思えばこれが佐藤聡の前世であるサトラクの人生のターニングポイントだったかもしれない。
「魔術師はすぐに見つかったよ。街の中でも人通りが多い広場の、見つけやすい場所にいた。
魔術師なんてかなり珍しかったから、そいつに間違いないと思ってすぐに弟子にして下さいって言ったら、あっさりと認められたよ」
それどころかそのままでは辛いだろうと、サトラクの足の怪我まで治してくれたのだ。
「その時はこの人は聖人かと思ったね。まあ違ったんだけど」
前世のことを思い出したのか、死んだような眼でここではないどこか遠くを見つめだしたサート。そんな彼を現実に戻すため、朝斗が質問を投げかける。
「えーと、そのたった一つの条件って何だったんですか?」
「ああ、条件? 最初に自分の研究の実験体になることだよ」
朝斗の顔が一瞬強張った。それをあえて無視をしてサートは続ける。
「その誰でも弟子にするっていう噂も自分から流していたみたいでな、要するに弟子という名のモルモットを集めていたってわけだ」
運よく実験に耐えて生き残ればそのまま弟子にする。もし実験に耐えきれずに死んでも本人には何の影響もない。
魔術師の研究の実験体となるというのは、もちろん現代の治験のように可能な限り被験者の安全を考慮したようなものではない。しかし最初から弟子入りの条件は明示しており、それでもなお弟子になりたいというのならば、あとはどうなっても自己責任であるというのがその魔術師のスタンスであった。
「佐藤さんはそれを聞いても弟子になろうと考えていたんですか?」
「ぶっちゃけ頭が悪かったからあんまり危険性を理解できていなかっただけだな。多分それも狙って田舎にまで来たんだろうけど」
「どんな、実験だったのか聞いても……?」
恐る恐るといった様子で朝斗が尋ねた。
「そりゃあもう、バリバリの人体実験よ。
その魔術師の研究内容っていうのが、キメラみたいな合成生物やホムンクルスみたいな人造人間を製造する、要するに人工の生命を生み出すことを目的とした研究だったのさ」
その町でサトラク以外にその魔術師に弟子入りをした、要するにサトラクの同期といえる人間も何人かいたが、最終的には全滅をしている。
無論、サトラクも含めて。
「……」
「お? 今想像したな? 多分その予想はあってるぞ
マッド・人工生命体・人体実験、このワードで出来るだけグロい実験をイメージすれば大体その通りだから他の奴らがどんな目にあったのかは詳しくは言わないでおくよ。
あ、因みに俺が受けた実験は―――」
「それは言うんですね」
「大丈夫大丈夫、俺が受けたのは比較的グロくなかったから。ただ、後天的に魔術師としての才能を伸ばせないかを試すために投薬やら儀式やらやっただけさ。あんまり成果はなかったけどな」
まあ、だから死なずに済んだんだが、と最後に付け加える。
それから本当に運よく生き残って魔術師の弟子になったサトラクだが、今まで想像していた魔術師のイメージと現実はかなり違うものであった。
今まで魔術師はもっと神秘的で俗世とはかけ離れた存在であると思っていたのに、現実は引きこもりのどこか頭の螺子の緩んだ学者とそう違いはなかったのだ。実際、魔術師とはほとんどが研究者と同質であり、魔術師の町アーリンでは自らの研究をし始めてようやく半人前になるという認識が常識であった。
更に、魔術師の弟子といっても好きな魔術を習えるわけではない。まず第一に弟子総出で師の研究の手伝いをし、その次に兄弟子たちの研究の手伝いをする。それ以外は雑用ばかりで最初はとても魔術を覚えられるような時間なんてものは存在しなかったと語るサート。
そしてサトラクがようやく教わることが出来た一番最初の魔術は、師の研究の補助をするために必要な魔術だった。その次も、またその次もあくまで研究を補助するための魔術を教わった。
サートの使う風魔法の大半はこの時に覚えたものだ。
たまたま風魔法に対する親和性が他よりもマシだったからそれらの魔法を覚えさせられただけで、他にもそれぞれ火の魔法、水の魔法を覚えさせられた者たちもいた。
それからしばらくは言われるままに研究の手伝いをして、空いた時間に魔術の勉強をこなすだけの毎日だった。
だがそんなある日、師からお前もそろそろ自分の研究を見つけるようにとの指示が下る。
「それから佐藤さんもようやく本格的に魔術師としての研究をし始めたんですか?」
「まっさかー。お前俺がそんな真面目な奴に見えるか? 見えないだろう? 言っとくけど性根は前世とあんまり変わってないぞ俺」
「えぇ……」
そんなことを自信満々に誇られても反応に困るといわんばかりの朝斗の表情。
それを見てやっと本来の年齢と不相応な堅苦しさも取れ始め、だんだんと朝斗の顔にも生気が戻ってきたのを感じとる。とても良い傾向だが、同時に自分の魔術師としての威厳や年上の貫録というものが代わりに犠牲になっているような気がしてならないサートだった。
ああ、間違ってないとはいえ多分また変な大人だと思われるんだろうなー、と思いながらも話を続ける。
「魔術師の弟子になって、とりあえず飢え死にする心配だけは避けることができたからな。それだけで十分満足していたのに、何でそんな面倒くさいことをしなくちゃならないんだって言ったんだよ」
「(ああ、すごく言いそう)」
まだ知り合ってそれほど時間が経っているわけではないが、この人なら言いかねないということは分かってきた朝斗。
そんな駄目人間的な発言を堂々と師に向かって言い放ったサトラクは当然折檻をくらい、とりあえず他の弟子を参考にしろと放り出され、悪態をつきながらようやく行動を始めたのである。
「んで、しぶしぶ兄弟子たちに何か参考になることはないか色々聞き取りとかして分かったことがある」
サトラクのように食べるに困って魔術師の弟子になった者はいなかったわけではなかったが少数派だった。そのほかの大多数の弟子たちは、皆何かしら強い野心を秘めている者ばかりであった。
サトラクの師は魔術師の中でもトップクラスに弟子を多くとっており、周りには色々な者たちがいた。
死んでいく者もたくさんいたが、それ以上に新しく入ってくるものも多かったのだ。そして、研究の実験台になるという洗礼を生き延びた弟子たちは、まるでそのせいでどこか頭のリミッターが外れてしまったかのように一癖も二癖もあるキワモノ揃いであるとアーリンでは非常に有名だった。
「いろんな奴がいたけど、みんな共通して最初は自分がやりたいこと、やりたかったこと、子供のころの夢や野望といった『願望』がきっかけで今の研究を始めたということだったな」
弟子たちの中には、師に負けず劣らずなかなかに人の道を外れた研究をしている者もいれば、純粋に魔術そのものに興味を持って魔術師になった者もいた。中には師の実験のせいでボロボロになった自分の体を完全に元通りにするための研究をしているという者もいた。
目的はそれぞれ違っていたが、そのどれもが始めは些細な願望から始まったのである。
「それを参考に、人生で初めて自分が何をしたいのか、どうしたいのかを考えたんだよ。今風に言うなら自己分析とかそういうやつだ」
いつの間にか飲み干して空になっていた朝斗の湯飲みにお茶のお代わりを注ぎながら続けるサート。
「でもいかんせん頭が悪かったからな。最初と比べたら多少マシになったとはいえ、それでも元が元だ。
自分の願望とは何か、精いっぱい考えに考え抜いて出した結論が『もっと楽に生きたかった』だもんよ」
しょぼいだろと笑うサートに、その言葉の意味がいまいちピンと来ないという顔をする朝斗。
「難しく考えなくても、言葉通りの意味だよ。
つまり、子供のころは働かずに毎日遊んで過ごして、いつもお腹いっぱい美味いご飯を食べられて、口減らしとしていつ捨てられるかに怯えずに、夜は温かいベッドの上で寝る。そんな人生を送りたかったってことだ」
そのサートの言葉を聞いてようやく意味を理解をした朝斗だが、同時にそれだけなら別に何も難しいことはないのではないかとも思った。
今までの話から察するに魔術師とはこの世界でもかなり珍しい存在なのだろう。それも火の玉や治癒といった目に見える証拠があるために、地球のように怪しい詐欺師という見られ方をされているわけでもなく、特別な技能を持つ者たちという風に捉えられていると推測できる。
魔術の使い方によっては普通の人の何倍もお金を稼げるだろうし、お金さえあればこの世界でも不自由しない裕福な生活が送れるはずだ。
当然そんなことは誰に言われなくても十分理解していただろうはずなのに。だがサートの話す雰囲気から、そうはしなかったのだということが感じ取れた。何故しなかったのだろうか。
もしもサートの言う通り前世と性根は変わっていないというのが本当ならば、自分の目の前にいる人物の性格からすると、これからの人生を楽に生きるために必要なのだと判断したら躊躇なく魔術を利用してお金を稼いだりしそうなものだ。
それこそ、やると決めたら誰に何を言われようとも自分を曲げずに突き進みそうなのに。
そしてもう一つ、どうして『楽に生きたい』ではなく、『楽に生きたかった』と過去形なのかということが朝斗は気になった。
そのことを聞こうとした朝斗が口を開くよりも先に、朝斗の疑問を先読みしていたサートがその理由を言った。
「寿命がもう無かったんだよ」
「後天的に魔術師としての才能を伸ばすために投薬やらなんやらをしたと言ったろ。その副作用というか後遺症だ」
師の実験はすぐに死ぬようなものではなかったが、それでもやはり身体に相当大きな負担をかけるものであったのだ。
感覚的に後数年の命だったかなぁと語るサートの口調は、その話す内容と比べるとかなり不釣り合いな軽いものだった。
それが前世のことだからなのか、それとも本当に大したことだと思っていないからなのかは朝斗には分からない。
「延命のために更にガチガチに薬漬けにしても十年かそこらが限界だっただろうな。もちろん、一日の起きている時間の全部を延命のために費やして、それ以外のすべてを犠牲にした場合だぞ?」
そんな状態でどれだけ金を稼いでも意味など無い。どうせすぐに死ぬのだから。
だから自分の願望とは何かを考えたとき、何がしたいのかではなく、何がしたかったのかという過去形になってしまったのである。
「……今更だけど、こんな状態で自分のする研究を探せという師匠もなかなかの鬼畜だと思うんだけど、どう思うよ?」
だが幸か不幸かサトラクの師は、自分の弟子の寿命が残り短いことを理由に妥協を許す性格ではなかったし、もうすぐ死ぬかもしれない弟子の育成に手を抜くような人物でもなかった。
もう諦めて他の適当な研究に変更しようと何度も考えたが、一度知ってしまった自分の根源に近い願望はそう簡単に忘れられるものではない。残された時間のカウントダウンの音と、自分の奥から聞こえる願望の叫びに挟まれながら葛藤する日々が続いた。
サトラクのやる気の無さも、元々自分の寿命があまり長くないというのを悟っていたというのも多少影響していた。だがこの時初めて、何故あんな無駄な時間を、とサトラクに後悔という感情が湧きあがったのだ。
自分のやりたかったことを見つけても時すでに遅し。子供時代に戻ることも出来なければ残された寿命も少ない。人生にはやり直しも後戻りも出来ない。
サトラクの願望はもはや何をどうしようと絶対に叶うことのない幻の夢となったのである。
そのはずだった。
「でも頭の悪いサトラク君。馬鹿だからそんなことに気付かない!
往生際の悪く、何かないかと無い頭を更に振り絞って考えました! 寿命がすり減るほど考えました! そして思いつきました!」
『――――――そうだ、来世に期待しよう』
「……んん?」
いや、駄目じゃないかそれは。
朝斗は心の中で突っ込みを入れた。
てっきり師や他の仲間の手を借りるとか、残された時間を精いっぱい生きるとか、そういう方向に行くのかと考えていたのだ。だが今までの真面目な話の内容にのめりこんでいたせいもあり、急に変わった話の方向性の変化に頭が混乱をしてしまう。
「(来世に期待するって……。来世て……)」
こういうのを予想の斜め上を行かれる感覚というのだろうか。しかし同時にもしかして、という一つの予想が朝斗の頭に浮かび上がってくる。
「馬鹿だろ?」
色々と考えを巡らせている最中、サートに掛けられたその言葉に何と返答すればよいのか困る朝斗に、その朝斗の様子を見て言わなくても分かっているとばかりにうんうんと頷くサート。
一応この世界にも輪廻転生の概念自体はあったが、そこまで広く知れ渡っているような考えではなかった。だが、過去の魔術師の中には魂の研究をしていた者が何人もいたし、それらの魔術師が残した研究資料から輪廻転生という概念を学ぶことができた。
そこでサトラクは更に考えた。
来世に期待をするのは良いが、この世界は裕福な者よりも貧しい者の方が多い。だから生まれ変わったとしても、次もまた貧しい家に生まれる可能性が高い。流石にどの家に生まれるかなんて、そこまで具体的に狙いを絞って生まれ直すことは不可能だろう。
だったら裕福な者が多い世界に生まれればよいのだ。たとえ全ての人間が裕福でなかったとしても、安全で食べ物に困ることのない国という広い範囲であるなら、これからの研究の成果次第では指定することが出来るようになるかもしれない。
食べ物に困ってひもじい思いをすることもなく、子供のときから手の皮が剥けるような仕事をしなくてもよい夢のような世界。今度はそんな世界に生まれるのだ、と、この時サトラクは強く決意した。
「そう、馬鹿だったんだよあの頃はマジで」
そしてついでにサトラクは思ったのだ。
『俺って、超天才』
「でも馬鹿だからこそ出来た無謀というかなー。大真面目に自分で研究してて、後であれ? これ駄目なやつじゃね? って気付く程度に知性が身についた頃にはもういろいろ後戻りできないところまで行っちゃっててさ。それからはもう殆ど意地で研究を続けたんだよ」
この時が人生で一番本気で魔術の勉強をした時期だったと懐かしそうに当時を振り返る。
どうせ長くない命ならばと開き直って自らの体に直接魔術陣を幾つも刻みこんだり、危険な魔術の実験を繰り返したりと多くの無茶をして、本気すぎて兄弟子どころか師にも少し引かれることがあったほどである。
サートの使う影を利用した異空間や転移魔法も、この時の研究過程の副産物として覚えたものだ。
こことは違う平和な世界を探すために異空間を操る魔術を研究し、そしてその世界に渡るための手段を得るために転移魔法の研究をしたのである。
「(これは、言わなくてもいいか)」
そしてサートはあえて朝斗には語らなかったが、寿命が残り数年、長くて十年というのはあくまで常人のままだった場合の話だ。当時のまだ頭の悪かったサトラクでも、十年という期間は魔術の研究をするにはあまりにも短すぎるということを理解していた。
故に―――
『俺の命をやる。だから俺に時間をくれ』
故に、悪魔と再び取引をしたのである。
サトラクの師であったユーザスは、人工の生命体を生み出す研究をしていた。
多くの生き物を解剖し、造り直し、壊していく。外道、非道、残酷、禁忌、それらの言葉だけでは言い表すことのできない実験を繰り返し、最終的に神をも超える生物をその手で造り出そうとしていたユーザスは、当然のことながら人体の構造にも非常に深い理解があった。
『実験体だろうが生贄だろうが構わない。人間でなくなったとしても関係ない。それで時間を手に入れられるのなら死んでもいい』
サトラクはそう言いきった。
現世の人生を完全に捨てた馬鹿だからこそ提案できた取引である。
サートは、このどこか矛盾を含んだ取引を真剣な顔をして持ちかけた時、ユーザスが心底愉快そうに、高らかに笑い声をあげていた顔が今でも強く印象に残っている。
楽しそうに、面白そうに、馬鹿にしたように、そしてどこか嬉しそうな笑い顔だった。
「(まあ今まで一、二を争うほどやる気の見られない弟子だった奴が、いきなりぶっちぎりで頭のいかれた弟子の筆頭に変わればそりゃ笑うか)」
師はサトラクの持ちかけた条件を飲み、取引は成立した。
その後、サトラクが師の実験によってどれだけ人間という枠からはみ出た存在に成り果てたのかは正直本人も分かっていない。だがこうして命を投げ売って稼いだ時間をサトラクはまさに死に物狂いで魔術の探究に費やした。ここではないどこか平和な世界を探し出し、そしてその世界で人生をやり直すために己の全てをかけたのだ。
「本当はニートでも遊んで暮らせるような世界に生まれたかったけど、さすがにそこまで都合よくは行かなかったね。ご飯が美味いから満足はしてるけど」
ここまで話を聞いたら流石に朝斗も確信が持てた。
「もしかして、佐藤さんが前世で研究していたことって」
そう、サトラクが最終的に目指していたのは輪廻転生のコントロール。
研究テーマは―――――
「異世界と、転生さ」




