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第17話~主級討伐と後始末~

「おーい、佐藤君。今ちょっといいかね?」


「何ですか部長? あ、給料アップですか?」


「上げてやってもいいが、仕事も増やすぞ」


「ですよねー。では」


「待て、逃がさんぞ。

 佐藤君、今日の業務が終わった後に部署全体での飲み会があるだろう?」


「ありましたね。なんか抱えていた大きな案件が無事終わったとかで、その慰労会でしたっけ?


 中止になったんですか?」


「いや、実はその慰労会の余興で隠し芸大会をやることになったんだが、いまいち人数が集まらなくてな。


 で、佐藤君。君なんか隠してる芸とかない?」

 

「因みに俺も出るぞー」


「おお、後藤君。良いところに」


「先輩何やるんですか?」


「皿回しと腹踊り」


「いつの時代ですかそれ」


「参加賞は飲み会の会費が無料だぞ」


「うーん……でもなあ」


「優勝者には金一封もあるぞ」


「うーーーーん……」


「因みに全て部長の自腹だ」


「やります」


「佐藤君、君今どこで参加を決めたのかね? 参加賞か? 金一封か? それとも私の自腹か?


 部長気になる」




「という訳で不肖ながら佐藤聡、マジックをやらせていただきまーす!


 まずはスプーン曲げからー」



――――――



「主級が弱っている今が好機だ! 奴が少しでも回復する前にやるぞ、急げ!」


「急げ急げ! 今日中にけりをつけるぞ! お前ら今まで休んでたんだから力は有り余ってるだろ!」


「馬車が足りねえぞ! 誰かまともに計算できるやつをこっちによこしてくれ!」


「武器なんざ意味ねえ、邪魔だ! それよりも薪だ! 燃えるものを用意しろ! 枯れ葉でもいい、とにかく大量にだ!」


 サート達救出部隊が迷宮から帰還すると、出口のすぐ傍で大勢の冒険者たちが待機しているのが目に入った。

 それが事前にギルド長の手配した予備部隊であると聞かされていたゴッツ達は素早く彼らに救出の結果を報告する。


 もしもの場合は第2陣の救出部隊として、そして間違っても主級が迷宮の外に出さないための最終防衛戦力として、何があってもすぐに対応が出来るように待機していた彼ら予備部隊は、ゴッツ達の報告によって主級討伐隊へとその役割を変えた。

 

 主級を討伐するならば、傷を負って弱っている今が一番のチャンスである。脚と翅を一本ずつ失って機動力が落ち、一番の脅威であった衝撃波も放てない主級だが、明日にはどうなっているか分からない。

 せっかく与えたダメージもすぐに再生してしまうかもしれないし、今でこそ湖の傍で弱った体を休めているが、違う階層へ移って見失う可能性もある。


 恐らく今回の一連の戦闘によって冒険者たちが危険な敵であるということが主級の頭に刻まれたであろう。

 次に接敵するときはより用心深く、手強くなっているはずである。


 であるならば主級討伐のチャンスは敵が一番弱っていて、なおかつ居場所が判明している今を除いて他にはない。


 そう判断したゴッツ達救出部隊と話を聞いた予備部隊の冒険者たちはすぐに行動を開始した。

 幸い、今回の救出作戦で死者は出なかった。また、生傷は多いが動きに支障をきたす大きな怪我をしたものもおらず、馬車での移動で比較的体力に余裕があったため、救出部隊に参加した冒険者も数名を除いて予備部隊と一緒に主級討伐に加わることになった。


 なのだが――――――


「あれ? サートはどこに行った?」


 今回の救出作戦の陰の功労者であるサートの姿がどこにも見つからないことにゴッツが気が付く。


 急げ急げと周りが慌ただしく主級討伐のための準備をしている中、何人かの冒険者が作戦の打ち合わせをしようと同じくサートを探していたが、いつの間にか姿が消えていていくら探しても見つからない。


「おーい、だれかサートを見なかったか? いつも目深にローブを被っている魔術師だ」


「こちラも先ほどかラ探していルのだが、見つかラん」


「……あの、そのサートさんなんですが……」


 数少ない優秀な魔術師で、今回の救出作戦の時にも痒い所に手が届く便利さを発揮したサート。

 件の主級<アント>との戦闘では欠かすことの出来ない重要人物の一人であったその人物を探していると、ミラがどこか気まずそうに声をかける。


「―――は? 帰った?」


『休日なのに朝から働きすぎて疲れたのでもう帰ります。

 余ったキャラメルあげるから許してちょんまげ』


「と、そう伝言だけ残して止める間もなく……」


「うわ言いそう」


「後半の意味が分かラんが。怒ルべきか、そレともここまで付き合って貰っただけでも有り難いと思うべきか……」


「後者にしとけ。その方が精神的にも楽だ。

 でもそうか、サートがいないとなると少し作戦も考え直さないとな」


 幸いというべきか、何よりも厄介だった主級の衝撃波はミラを始めとした魔術師たちの活躍によって当分は放つことの出来ないダメージを与えたため、サートがいなくても一瞬で全滅ということにはもうなりえない。

 

 だからこそサートも帰ったのであるが、主級討伐に彼がいるだけで色々と楽になるためぜひとも討伐隊に参加をしてほしいというのが正直な気持であった。だがいないものは仕方がない。


「お貴族様と姫騎士団の魔術師は当然無理として、サートもいない。あとはミラと、あの親子の魔術師がどれだけ回復できるかだな」


 貴族の魔術師、ギアール・エルマルドラは姫騎士とサートによって気絶させられた姫騎士団の魔術師を含める生き残った姫騎士団員の護送手配で手が離せない。

 そもそも救出作戦くらいならまだしも、本格的な主級討伐にまで参加する義理は無く、立場的にも許されない彼は救出隊に参加した冒険者たちに軽く謝罪をした後、すぐにギルド長との会談に向かってしまった。


「ま、いないもんはしゃあない。上手く作戦がハマれば十分勝算はある。急げ急げ!」


 無い物ねだりをするよりも、ある物だけでどうやりくりをするかを考えよう。

 そう結論に至ったゴッツ達は足早にそれぞれの準備へと戻って行った。




「あの、サートさん面倒事を全部僕に押し付けて行ったんですけど、怒って良いですよね僕」


「まあまあ、サートからの差し入れ食って落ち着け。美味いぞ」




――――――




「よし! 目標を発見した」


「予想通り、まだ湖の傍から離れずにいたか」


「よかった、こレで第一条件は達成だ。皆に知ラせルぞ」



『主級は湖の水で自分の体に纏わりつく炎を消したあと、その場から離れるそぶりを見せない。恐らく、当分の間はあそこから動かずに体を休めると思うよ。多分ね』


 主級が逃亡し、その後を追ったサートから得た情報をもとに斥候に長けた獣人が匂いを手掛かりに主級の居場所を探していると、情報通り湖のすぐ近くで静かに佇む主級の姿を発見した。

 

 いつもならばここで遠吠えで遠くの仲間に情報を伝えるところだが、今回はなるべく主級を刺激しないようにするために僅かな見張りを残し、素早く主級討伐隊の本隊のもとに戻る。


「よぉしよぉし、ここまでは予定通りだ。だが山場はここからだぞ、ビビッて先走んなよお前ら」


「さて、我慢比べの始まリだ」


 斥候からの報告を聞いたゴッツ達は馬車に乗せた大量の薪を人の手で動かせる手押し車に移し替え、主級のいる湖に向けて移動を開始する。

 そしてあと少しで湖にたどり着きそうなタイミングで複数の班に分かれ、主級の位置を確認しつつまるで追い込み漁でもするかのように主級を囲っていく。

 あえて湖の方面にのみ逃げ場を開けた半円上の陣を敷いた討伐隊は、全員が配置に着いたことを一部の獣人にしか聞こえない犬笛の一種を使って全体に知らせた。


「どうやラ準備が終わったようだぞゴッツ」


「こちらも魔術を発動する準備は出来ています」


「なあに、もしもの時は私たちが動きを止めて見せるさ。なあ息子よ」


「おうよ親父。その間に体勢を整えるなり逃げるなりすればいいさ」


「頼もしいねぇ、んじゃやるぞ」


 ミラ達魔術師組の準備も万端だということを確認したゴッツは、もう一度犬笛を使って作戦開始の合図を知らせる。

 そして自分たちの目の前にある大量に積まれた薪に火をつけた。


 火が付きやすいように、そしてすぐに大きな火が出るように大量の獣脂が塗りつけられていたその薪は、狙い通りそう時間が経たないうちに炎の勢いを増していった。

 ゴッツ達だけでなく、主級を囲う様に配置されていた他の討伐隊の班からも同じように勢いよく炎が上がり、辺りにパチパチと木が燃えて弾ける音が響き渡る。


 先ほどから水辺から動かずに体を休めていた主級もその熱と音によって流石に異変を察知したのか、大きな動きこそは見せていないがまるで周囲を警戒するかのようにその二本有る触角をせわしなく動かし始めた。


「よし、ここからだ。……今更だけどよ、超怖いんだが」


「本当に今更だな。重リにしかなラないとはいえ、武器も持たずに主級に近づくのだかラ」


「誰だよこの作戦考えたやつ。馬鹿だろ」


「自分のことをよく分かっていルじゃないか、馬鹿」


 少しでも恐怖を紛らわすためか、軽く愚痴を叩きながらよく油を沁み込ませた松明に火をつけてゆっくりと主級の前に姿を見せたゴッツとガラン。

 左右を見れば同じように激しく燃え盛る松明を手に持った冒険者仲間たちが、緊張でひきつった顔をしながら同じように姿を現していた。

 

「俺様挫けそう」


「真っ先に突撃して翅をもぎ取ロうとした奴が何を言うか」


「そういうのとはまた別なんだよ」


 ゆっくりと少しずつ主級を囲う様に近づいていくにつれて内臓が締め付けられるような恐怖が体を駆け巡る。一歩踏み出す度に気力を削られ、主級がピクリと動きを見せるだけでまるで背筋が凍るような錯覚に陥る。

 

 やっぱりもっと違う作戦にするべきだったと遅すぎる後悔をするゴッツ。

 ただこれ以外の作戦もどれも似たり寄ったりで大した違いのない物ばかりで、せめて時間と戦力にもっと余裕があればと内心で舌打ちをするが、今はただこの恐怖に耐えられなくなって暴走する仲間が出ないことを祈るばかりであった。


「動く……気配はないな」


「サートの予想通り、火を警戒しているのか?」

 

 じわりじわりと少しずつ距離を縮めてくるゴッツ達に対して、主級は大きな動きを見せることはなかった。

 頭の触角を激しく動かし、口の中にある炎に焼かれてボロボロな襞を未練がましくギチギチとまるで威嚇をするように擦り合わせてはいるが、決して自分から近づこうとはしない。それどころか僅かではあるが、ゴッツ達の持っている松明の火から遠ざかろうと後ろに下がってすらいる。


 それを見たゴッツ達討伐隊は賭けに勝ったとひとまず安堵をしたが、それでも危険な対峙には変わりはない。主級と真正面から睨みあい、慎重にまた一歩距離を詰めていく。

 松明を持って主級に近づく者も、周りで作戦の推移を見守る者も胃が痛くなるような緊張の中、ミラは来たるその時に備えてただひたすら集中力を高めていた。


 ゴッツ達が一歩進めばその分主級も後ろに下がり、どこまでいけるか、何時この均衡が崩れるのか分からない我慢比べも、ついに湖の水に主級の体の一部が触れる位置まで下がったところで終わりを迎える。


「よし、ここまでだ。全員止まれ」


 ここまで来たらあとはこの位置と状態を出来るだけ長く維持するのみ。


 ゴッツが手振りで周りにそう伝えると、松明を持った冒険者たちが動きを止め、そしてそれを合図にミラが練りに練って準備をしていた魔術を発動させる。


 パチパチと木が燃えて弾ける音と主級の威嚇する音のみが響く迷宮内で、ずるりと音も無く一匹の水の蛇が湖面から主級の巨大な脚を這い上がっていったかと思えば、パキリッ、とその細長い体を氷へと変えていく。


 そして二匹、三匹と同じように主級の脚元から水の蛇がその巨躯を這い上がってはその身を凍らせていった。


 そう、この魔術こそが主級討伐の切り札であり、ゴッツ達が危険を冒してまで主級を湖まで追い込んだ理由である。


「よーし、後はいかにこの状態を維持するかだな。このまま睨みあいが続いてくれれば良し。時間は俺達の味方だ」


「頼むからそのまま動いてくレルなよ」


 ゴッツ達の持つ松明の炎やその後ろの燃え盛る巨大な焚き火の炎によって主級の注意を引いている隙に、水の蛇たちはどんどん自らの体ごと主級を凍らせていく。


 今回の討伐作戦は言葉にしてしまえば非常に単純だ。


 冒険者の中でも力自慢のホヴゥとゴッツによる全力の攻撃でも掠り傷一つ付かない硬い外殻を持つ敵をどのように討伐するか、そう考えた時に取れる手段は限られている。

 当然だが武器による物理攻撃は論外として、それ以外真っ先に思い付いた案は焼き殺すという方法であった。


 熱で殺せばどんなに敵が硬くとも関係が無い。

 先の救出作戦の時にも実績のあった有力な作戦であったが、しかし強力な火の魔術を扱える魔術師が討伐作戦に参加できないことからこの案は見送られることになった。


 そして次点の策として討伐隊に参加できてなおかつ主級を倒すことの出来る確率が一番高い方法が、ミラの魔術で敵を丸ごと凍らせるという案であった。

 サートの情報によると、幸い敵は湖の傍から離れる様子が無いということでゼロから水を生成する必要が無いため、ミラからも凍らせることだけに集中することが出来ればあの主級の巨体でも氷漬けにすることは可能だという言葉を得ることが出来た。


 後は如何に主級を湖の傍から離れさせず、暴れさせずに時間を稼ぐかを考えた結果が、ゴッツの提案した主級に植え付けられた炎に対する警戒心を利用する方法だったのである。


「あのお貴族様の魔術師、エルマルドラ様だったか? もう足を向けて寝られねえな」


「サートはどうなんだ?」


「サートなあ……。いや、感謝はしてるんだぞ?」


 やってることは一見地味だが唯一無二の働きをしているし、実際サートがいなければ相当の被害が出ていたことは明らかだ。普通に考えたらいくら感謝をしてもし足りないのだろうが、いかんせん普段の言動と性格で台無しなのである。

 酒場で安い飯を食べながら不味い不味いと言っているイメージが強すぎていまいち凄みというものが感じられないサートであった。


「あいつらなんだかんだ余裕そうじゃねえか」


「主級がすぐ目の前にいるのに雑談ですもんねぇ」


 このまま時間を稼ぐことが出来ればそれだけで主級の力を持っても抜け出すことの難しい氷の檻に閉じ込めることが出来る。



 しかし、


「まあそう上手くいくわけねえわな」


 いくら冷点のない外殻で覆われているために冷たさに鈍いとはいえ、流石に違和感を感じたのだろうか。それとも火に慣れてきたせいで主級の注意を引くことが出来なくなったためであろうか、今まで睨みあいを続けてきた主級が大きく体を揺らし始めた。


「ミラ、第一作戦は失敗だ! 次の作戦に切り替えてくれ!」


「はい、分かりました!」


「行くぞ息子よ」


「おうよ親父」


 既に主級の体の三分の一程を氷漬けにしていた氷の檻がバキリバキリと激しい音を立てながら崩れ去っていく。

 初めからこれだけでけりが付くとは思っていなかったが、欲を言えば主級の体の半分を氷漬けにするぐらいまでは時間を稼ぎたかった。そこまで行けば如何に主級とて簡単に氷から抜け出すことは出来なかったはずだ。


 だがまだ主級が完全に氷の檻から抜け出したわけではない。

 脚の半分はまだ氷漬け状態で湖に拘束をされている。他の部位にも氷が張りついており確実に主級の動きを阻害する重りとなっている。


 その状態からさらに主級の動きを封じるために魔術師の親子が結界魔術で主級を拘束していく。


「悪いが魔力がまだ完全に回復しきれていなくてな。長くは持たんぞ」


「いえ、十分です」


 その言葉通り、結界魔術で動きを封じられた主級に対してミラはすぐにあらかじめ準備をしておいた新たな魔術を発動した。

 本来ならば修練が足りずにまだ制御を仕切れていない危険な魔術ではあった。だが水場の傍であるゆえの負担の軽減と、いざという時のために用意をしていた体の負担など度外視な虎の子の秘薬と魔道具の力を借りてドーピングを重ね、無理やり魔術を行使する。


 その魔術は一度だけ母リラに見せてもらったことのある魔術であり、見た目は今まで通りただの水の蛇と変わりはない。

 ただしその性質はえげつないほどに恐ろしいものとなっていた。



 ぽちゃん、と湖から水の蛇が這い出たかと思えばそのまま主級に向かって這いずり上がっていく。

 それだけだと先ほどの魔術と変わりが無いように見えるが、違うのは水の蛇がその体を凍らせるのではなく液体の状態で主級の体に絡みついたままだということ。


 そしてその最初の一匹を皮切りに数十、数百の水の蛇が一斉に湖から飛び出して主級の体を這いずり回る。

 見る物が見れば悪夢としか映らないその光景に、主級も危機感を覚えたのか激しく暴れようとその巨体を震わせた。


「ぬう、やはり魔力が……」


「大丈夫です。どんなに暴れようとも、もう遅い」


 流石は主級というべきか、その桁違いのパワーで氷の檻を振り切り、その身を拘束している結界魔術すら今まさに破ろうとしている中、ミラだけは冷静にすでに決着がついたことを確信していた。


 主級が頭を振り回し、翅や脚を激しく暴れさせて体に纏わりつく水の蛇を振り払おうとするが、どんなに激しく動いてもその水の蛇たちは全くと言ってよいほど振り払われる気配を見せない。

 

 そしてのその間にも水の蛇はどんどん生まれ、今や数千単位の蛇の群れが主級の体を覆い尽くさんとばかりにその体を這いずり回っていた。

 遠目から見れば、それこそ湖から現れた巨大な水の蛇が主級を丸ごと飲み込こもうとしているようにすら見えただろう。

 

  

 強力な粘性を持った水。


 言うならばただそれだけの魔法であるが、その効果は絶大であった。

 既にその巨体の全てを水の蛇に飲み込まれた主級はそこから抜け出そうと必死にもがくが、その動きは非常に鈍い。


 まるで水飴の中で溺れてしまった羽虫の如く、あれだけ恐ろしかった主級が少しずつ動かなくなっていく様子を、誰もが言葉を発さずに只々見守るしかなかった。

 

「……エグイな」


「ミラだけは怒らせないようにしよう……」


 ここまでくればもう誰の目から見ても決着がついたことが分かったが、それだけでは終わらなかった。

 もはや動きを完全に停止した主級を、水の蛇はそのままずるりずるりと湖の方へ引きずり込もうとする。


「ん? おーいミラ、もう十分じゃないか?」


「……すみません、やはりかなり無理があったようで……今魔術が暴走中で制御が出来そうにありません」


「へ?」


「今は全力で距離を開けるようにだけは制御をしているのですが、そのあとどうなるのかは私にも分かりません」


「……因みに、最悪の場合はどうなるよ?」


「……大爆発?」




「総員、退避ーーーーー!!!」



――――――


「とまあ、こんなことがあったわけよ」


「締まらないなー」


「お前にそれを言う資格は無いんじゃないかと思うんだが」


 七日後、見事隠し芸大会で準優勝に輝き、そして皿回しと腹踊りに負けた心の傷を釣りで癒すためにのこのことこの世界にやってきたサートは、出待ちしていたゴッツ達に呼び止められる。自分たちでは手に負えそうもない問題が発生したために少し知恵と手を貸して欲しいと言うゴッツに、サートはすぐに主級に関することだろうと推測した。


 だがしかし、主級を無事討伐したということは既に聞かされているが、その主級に関わる問題にしては日が経ちすぎている。一体何が起きているのか少し気になったため、危険性が無いことを確認したうえでゴッツ達に付き合うことにしたサート。


 そして目的地である迷宮地下4階層まで荷馬車に揺られながら、一週間前にサートが帰ってから起きたことを最初から聞かされたサートは、だんだん親の良くないところに似てきたミラの将来をに不安を抱きつつ、大いに笑っていた。


「主級の真ん前で松明一本で睨めっことか、ないわー」


「上手くいったからいいんだよ」


「ないわー」


 馬鹿ここに極まれり。

 それが一番確率の高い方法だとしても、普通思い付いてもやるかという話である。

 何より付き合わされた他の冒険者たちが可哀想だが、結果を見れば誰も死者が出ずに終わり、本人達的には良い度胸試しとして自慢話が増えた程度に落ち着いているらしい。


 元より、主級討伐なんていうものは大量の犠牲と引き換えになされる偉業であるため、作戦が失敗して死者が出ても大して騒がれることもなかっただろう。

 その分、今回の『紙一重の向こう側作戦』(サート命名)は今後冒険者の間でいろんな意味で長く語り継がれる武勇伝となるだろう。


「もう、サイスが不憫で不憫で。そりゃ白髪も増えるわ」


「それもお前が言う資格は無いと思うんだが」


 こうしてお互いに軽口を言い合うせいで中々話が進まず、話の途中で4階層に到着をしてしまう。


「で、結局問題ってなんなの?」


「見りゃすぐにわかるよ、ほれ」


 向かう先はこの4階層にある湖。

 サートの釣りスポットであり、主級の逃げた先であり、討伐された場所でもある。


 そして、その場所にたどり着いたサートが見た光景とは――――――



「お、おれの貴重な釣りスポットが……」


 湖が一面氷漬けにされている光景であった。


「ワカサギでも釣れってか!?」


 一瞬だけそれも有りかもしれないと思ってしまったが、よく考えたらそんな魚がいるわけがないことに気付き再び絶叫をするサート。


「ミラの魔術が暴走してな、主級を湖の中まで引きずり込んだかと思ったら、そこから凍結し始めて今じゃこの通り湖が全面氷漬けだ」


「おお本当だ、すげえ。氷の中にでっかい蟻んこが埋まってるのがはっきり見える。

 ……ってそうじゃない、魚まで凍りついてんじゃん! 全滅じゃん!」


 ご丁寧に湖の表面だけではなく、底まで全て凍っているおかげで、湖の中の生物は全滅している。


「うーん、この環境保全という言葉に全力で喧嘩を売っている感じ、ここまで来たら逆に感心するわ」


「問題ってのは、この氷が硬すぎてせっかく苦労して討伐した主級を回収できないことなんだよ」


 よく見れば、凍った湖の上で複数人の冒険者がツルハシのようなもので湖面を削っていたり、氷の上で火を焚いて氷を溶かそうと悪戦苦闘している姿を見つけたが、どれも上手くいっているようには見えなかった。

 それを見たサートは近くにあった人の頭ほどの大きさの石を浮かせて、試しに全速力で湖面に向かって射出をする。


 しかし、激しい衝突の音を響かせるも、結果は氷に罅一つ入れることなく石だけが砕け散って終わることになった。


「あ、無理だわこれ」


「今のでもダメかぁ」


「というかこれまだ魔術が生きてるなあ……。どんだけ無茶したの?」


「あの親子も同じこと言ってたな。ああ、本人はいまだに反動で寝込んでいるぞ。命に別状はないらしいが」


 湖全体を凍らせるほどの魔術の暴走である、無理もない。

 きっと今頃ベッドの上で無気力感と倦怠感、そして果てしない飢餓感にこの世の地獄を見ていることだろう。


「で、どうにかなんのか?」


「どうにもならんなー。

 まだ生きてるってことは、つまーり、多少削ったり溶かしたりした程度じゃすぐまた元通りよ」


「……俺達が地道に夜通し氷を削っていた努力は?」


「……良い鍛錬にはなったんじゃないか?」


 その言葉を聞いて膝から崩れ落ちるゴッツを無視し、指を三本立てながらサートが続けて言う。


「選べる選択肢は三つ!


 ひとーつ、時間が解決するのを待つ!」


 ただし、それがどれだけ先になるのかは完全に予測がつかない。


「ふたーつ、この魔術を上回るほどに強力な魔術で無理やり溶かす!」


 そんなことが出来る魔術師がいるのならば今こうして困ってなどいない。


「みっつ、今すぐミラが覚醒してなんかすげーパワーアップして魔術を完全制御する!」


 勿論そんな都合の良いことなど起こるはずがない。

 

「詰んだ」

 

「俺も新しい釣り場を探さないとなあ……」

 

 そうしてそれぞれの悩みを抱えたまま重い空気を漂わせ、湖の氷を何とかしようと悪戦苦闘している冒険者をしばしの間二人して眺めながら黄昏ていると、サートが懐から発される魔力の気配を感じ取る。

 

「ミラめ、後でお見舞いついでにネチネチいじってやる……お?」

 

 これは、とサートは懐からいつぞや見た覚えのある紙を取り出し、その手の上に出した火の玉で火をつける。


『来たか、サートよ』

 

「おお、ナイスタイミング! そうだそうだあなたが居たんでした。今暇ですよね? ちょっと迎えに行くんでこっち来てくださいよ。面白い物見れますよ」


『は?』

 

 仮にも元師匠に対して失礼すぎる態度である。だがこの時のサートの内心はまた碌でもない面倒事に巻き込まれる前にこちらから巻き込んでやるという気持ちで満ち溢れていた。

 

 ただでさえ今日はちょっとした用事が控えているのに、これ以上貴重な休日を潰されてたまるかという強い決心をしたサートであるが、怠けるためにやる気を出すというある意味本末転倒なことになっていることにはまだ気が付いていない。

 

「喜べゴッツ、まさかの選択肢その二が向こうから来てくれたぞ。偶には巻き込まれる側の気持ちを思い知れってんだ」

 

『本音が漏れておるぞ馬鹿者』

 

 自分の弟子から卒業し、一人の魔術師として対等になった途端にこれである。

 サトラクだった時代から時折片鱗は見せてはいたが、流石にその二扱いまではされていなかったというのに。


 そんなに嫌だったのか、と少しだけ今までの自分の分析を修正したユーザス。ただし反省の色は見られない。


「サートお前もさあ、実は結構馬鹿だろ」


 以前ミラを訪ねて来た際に直接ユーザスと会ったことがあったゴッツは、その時に野生の勘ともいえる本能の部分でこの人物の危険さというものを嗅ぎ取っていた。

 そして魔術師について詳しいことは何一つ分からないゴッツでも、ユーザスが飛び抜けた存在だということはミラの態度から察することは容易であった。


 そんな存在に対して失礼とフランクを行き来するサートに対して、今度はゴッツが呆れる番となった。


「それと俺ちょっとした用事を思い出したから、迎えに行ったら後よろしくゴッツ」


「こいつ一人だけ逃げるつもりですよ、良いんですかい?」


『少々卒業の判断を早まったかもしれんなあ……』

 



――――――


「さてと、何とか嵐をやり過ごせたことだし、早いうちに用事を済ませるかな」


 あの後なんとか無事にユーザスの興味をミラの暴走した魔術に対して向かせて、さりげなくその場から離れることが出来たサート。逃げる際に「まあ、今回だけは勘弁してやる」という言葉が聞こえた気もするが、気のせいだということにした。


 実は内心では結構やりすぎたかもしれないと今更ながらにビクビクしていたが、今日中に済ませなければならない用事があるというのも嘘ではない。


 次にユーザスと会う時に機嫌をとるためのお土産を何にしようかと考えながら向かった先は、町の治安の良いところに店を構えている少しだけ高級な宿屋である。

 その宿屋の主人と少しだけ言葉を交わすと、建物の奥にある個人で宿泊するための個室に案内をされた。


「おお、良かった。まだ生きとる」


「それはもう、こちらも特別気を使いましたから」


「我儘聞いてもらってすまんね。感謝するよ」


 そういって懐から貨幣が詰まった財布を主人に渡すサートに、宿屋の主人は小さく礼をするとまた店番へと戻って行く。


「さて、そろそろ起こさないと本当に永眠をしてしまう」


 その部屋のベッドに寝ていたのはアシャットと呼ばれていた迷宮奴隷であった。

 あの主級相手に生き残ったとはいえ、本来であれば所有者である姫騎士団にその身柄が返還されるか奴隷商人に買い戻されるところをサートがギアール・エルマルドラと交渉をして身柄を買い取ったのである。

 ギアールにしても、そして姫騎士にしても元々使い潰す予定であった迷宮奴隷一人の所有権を手放したところで何も影響はない。それどころか忙しい中で少しでも手間が省けて有り難いとばかりにすんなりと奴隷の移譲交渉は終了した。


 とはいえ、ただでさえ身分の高い姫騎士団の生き残り達で現代で言うところの治療院に相当する施設のベッドに余裕がない状況で、奴隷に割ける空きがあるはずもない。

 いくら外傷の治療はしたとはいえ、油断すると今度は衰弱死しそうな人間を放っておくわけにはいかない。仕方なしにそれなりに信頼の出来そうで最低限のモラルがありそうな高級宿に連れて行き、面倒を見てもらえるように頼んだのである。


 勿論十二分な金銭とともに、保険として次に自分が来るまでにちゃんと生きていたら更に倍額を支払うという約束も忘れずに。


 そのおかげというべきか、一番最初に見た時はなぜ生きているのか逆に不思議なほどに衰弱しきっていた顔も、まだまだ痩せ細っていることには変わりはないがそれでも多少生気を感じさせる程度には回復をしてきているようであった。


 サートはそんな青年に影から取り出した瓶に入っている薬を口から少しずつ流し込み、その額をトントンと数回指で軽く叩いた後に軽く魔力を流し込んで活を入れる。

 これで体力を回復させるためにミラにかけてもらった睡眠のまじないは解け、目を覚ますことが出来るだろう。


『お、早速目を覚ましたか。おはよう、進藤朝斗しんどうあさと君?』


 サートが呪いを解いてすぐに青年が反応を見せ、ゆっくりとその瞼を開いた。

 だがまだ頭が覚醒をしていないのか、サートが日本語で話しかけてもいまいち反応が鈍い。そしてまるで何かを探すように、ベッドに寝たまま骨の形が目立つその細い腕を動かしている。


「探しているのはこれか?」


 そういって今はもう本来の用途では使用することの出来なくなった眼鏡を渡す。

 レンズも抜け落ち、もはやほとんど針金同然となったその眼鏡を青年はとても大切そうにゆっくりと痩せ細った手で握りしめた。

 自分の大切なものを見つけたおかげである程度の精神的なゆとりが出来たおかげだろうか、ここにきて自分が日本語で話しかけられているということに気付いた青年は目を見開いてサートを凝視する。


「お、やっと反応があった。いやー、鼓膜が治ってなかったらどうしようと思っていたところだ」


「あ……、の……」


 まだ頭の処理が追い付いていないのか、それとも声が上手く出せないのか、必死に何かを言おうとしている青年だがなかなか言葉が出てこない。身体を起こそうとするがそれも出来ず、咳き込む青年にサートは声をかける。


「無理しなくてもいい、時間はある。そうだな、まずはゆっくり自分の体の状態を教えてくれ。

 痛いか? 寒いか? それともまだ眠いか? 素直に感じたことを言ってくれればいい」


 サートにそう言われた青年はひとまず無理に喋ろうとするのを諦め、ゆっくりと深呼吸をする。

 そしておよそ三回ほど深呼吸を繰り返した青年は、静かに口を開いた。




「お腹が……空きました」


「第一声がそれかい。


 なんだか君とはすごーく仲良く出来そうな気がするぞ」



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